第87話 vsマリリス・キュロ ~運ぶくらいなら編~
マリリス・キュロは呆然としながら壁を眺めていた。
つい少し前のことだ。街中に聞き覚えのある、不快感の塊のような音が響き渡った。彼女はそれをよく知っている。巨人による音波攻撃だ。
幸いにも街にはメラニーの手によって防御の折り紙が貼り付けられており、住民に目立った被害は見られない。
だが、前線で戦うメンバーは違う筈だ。
前回は運よくアーガスやメラニーが難を逃れたとはいえ、次もまた逃れる事が出来る保証などどこにもない。
漠然とした不安感が、マリリスを覆い込んでいた。
それに拍車をかけたのが、先程起こった爆発である。
彼女は車椅子を移動させ、爆発が起きた場所の真下にまで移動していった。せめて外で何が起こっているのか、この目で確認したかったのである。
果たしてスバルは。アーガスは。メラニーは。あの見知らぬ黒い機体は、どうなってしまったのだろう。
あの場所に行けば、何か手がかりがつかめるのでは、と思いながらマリリスは車椅子を動かす。
到着した時。彼女の視界はある物を映し出していた。
瓦礫である。爆発した壁から吹き飛ばされた瓦礫が、そこら中に散らばっていたのだ。
そしてその中に、とても瓦礫とは思えない影も混じっている。
「だ、大丈夫ですか!?」
うつ伏せになって倒れている長いローブに身を包んだ少女を、マリリスは知っていた。メラニーと名乗る、絵本の中に出てくる魔法使いのような恰好をした少女である。
マリリスは彼女に近づく。
それを察知したのか、メラニーは震えながら顔を上げた。
唇が切れていた。たらり、と流れる少女の血痕は口元からゆっくりと地面に落ちていき、擦り傷と火傷の痕を刺激する。
「……超いってぇです」
「で、ですよね!」
大丈夫か、と問うておきながら実際に痛いと言われてしまうと、どうすればいいのか分からない。
車椅子の上でマリリスは勝手にテンパり始めた。
メラニーはそんな彼女を半目で睨みながらも、腕を立てて起き上がろうとする。
「あいた……!」
腕立てをするようにして身体を支えた右腕が崩れおちた。
少女の整った顔が再び地面に叩きつけられる。なんとも痛々しい光景だった。
「見てないで、起こすの手伝ってください。もう、誰も欠けれないんですから……」
「は、はい!」
車椅子を近づけ、マリリスはメラニーに右手を伸ばす。
今の自分の状況を思い出し、少々迷ったが、結果的には右腕を伸ばすことでメラニーは車椅子にもたれ掛る事に成功した。
「歩けそうですか?」
「無理ですね」
今にもマリリスの膝の上に倒れ込んできそうなメラニーは、力ない笑顔でそう言った。
マンションに向かう道中で見た、強気な少女の姿はどこにもない。
少女は片足でしか立てない状態だった。
「お医者さんのところに行きましょう。急いでみて貰えばきっと……」
「んな時間ねーんですよ……!」
少女が吼えた。
今にも消え去ってしまいそうな、小さな咆哮ではある。それでも街娘を委縮させるには十分すぎる力を持っていた。
「もう、すぐそこまで迫ってるんですよ! あの化物が、ここに!」
防御の紙は貼っておいた。
決して手を抜いたつもりはない。だが実際は、頭が少し光っただけでこの有様だ。
折紙を張り付けておかなかったら、果たしてどれだけの被害が出た事だろう。それを想像するだけで、メラニーは軽く恐怖する。
「私がトドメをさすんです。運んでください」
「いけません。怪我を見てもらわないと……」
「命かけて倒れたんですよ! 旧人類が!」
後一歩、という所まで追い詰めて、志半ばで倒れた少年のことをメラニーは思い出す。
「アレに笑われるような無様な真似は、したくねぇです」
「……旧人類?」
メラニーが声を荒げて言うと、マリリスの脳裏に少年の顔が思い浮かんだ。
まさか彼もやられたというのか。
他の誰よりも傷付き、心身ともに疲弊しきっていた少年。最終的には無理やり自分の思考を切り離したうえで、巨人へと向かって行った。
そして、倒されてしまったというのか。
「……う、うううぅぅぅ」
言葉に出来ない。
彼らは、たまたまこの国に訪問してきただけだった。
マリリスの記憶が正しければ、4人とも本当にいい人だったと思う。
御柳エイジは笑いかけ。
六道シデンは愛嬌を振りまき。
神鷹カイトは無愛想ながらに、仲間のことを第一に考えた。
そして蛍石スバルは、自分とアスプルの為に身の危険も厭わずに戦ってくれた。
そんな彼らが、皆倒されてしまった。
実感したと同時に、マリリスの胸の奥から冷え切った何かが広がっていく。
「くっそムカつきますけどね」
マリリスの心情を察したのか、メラニーは彼女の顔を直視しなかった。
だが、敢えて言いたいことを言う。
「もう、誰かに頼れないんですよ」
メラニーがこの世界で最も頼りにしている女性は、今は病院のベットで寝たきりだ。
彼女を守る為にも、あの化物をこの街の中に入れる訳にはいかない。
そしてその怪物を屠る為に残された手段が、自分とシルヴェリア姉妹の連携次第なのだと強く理解していた。
「アンタのことは聞いています」
少女の強い瞳が、街娘に向けられる。
マリリスはそれを直視することは出来なかった。
「戦えとは言いません。ですが、せめて私を運んでください」
「え?」
その言葉は、マリリスにとって想定外の物だったのだろう。
逸らされていた七色の瞳が、メラニーに向けられる。
「私を責めないんですか?」
「ドMですか? そんなに罵倒されたいなら、遠慮なくいきますけど」
「い、いえ! そういう趣味はありません!」
慌てて否定すると、メラニーはなぜか残念そうに唇を尖らせた。
中々危ない趣味をお持ちなのかもしれない。
「ただ」
マリリスは思う。新生物が襲い掛かってくるよりも前に、サソリメイドに言われた言葉を。
戦え。
お前には戦える力がある。
アンタは当たりくじだ。
「私が行ったら、スバルさんは倒れずに済んだのでしょうか」
そう思うと、悲しくなってくる。
マリリスの胸に広がる冷たい感情が、熱を出して目尻から溢れ出した。
「戦いたくない奴が戦っても、結果はかわんねーです」
そんなマリリスに、メラニーは厳しい言葉を投げつけた。
「誰だってあんなのと戦うのはこえー筈です。ましてや、アンタみたいな臆病な娘なら尚更です」
年はそう変わらない筈なのに、言いたい放題である。
だがマリリスはそんなことを咎めるつもりにはなれない。
「怖いと、足が震えるんです」
経験談だろうか。
メラニーはどこか遠い目でマリリスを見つめ、語りだす。
「ガチガチに固まって、何もできねーんですよ。そんなのが戦いに出て、クソ程の役に立てるとは思えねーです。だから、例えアンタが戦える人だとしても、無理してくる必要は皆無なんです」
だから、
「怖いなら、ただ守られればいーんじゃねぇですか?」
彼女たちの後ろに聳え立つ壁が、どしん、と大きな音を立てて揺れ始める。
マリリスは無言で立ち上がり、メラニーを抱え始めた。
「立てたんですか、アンタ」
「はい。これを隠したくて」
足まで届いていた布のスカートを露わにする。
関節の向きが逆になった、カンガルーのような足であった。
「でも、もう言ってられないなって」
「怖くはないんですか?」
「怖いですよ」
あっさりと言うと、マリリスはフードを外す。
七色に輝く不気味な瞳と、口の中から飛び出した顎。挙句の果てには額から突き出た角と、どこかのモンスターパニック映画にでも出てきそうな顔が露わになる。
失礼だが、メラニーにはとても女性の顔とは思えなかった。
「でも、誰かがやらなきゃいけないんです」
僅かにマリリスの肩が震えたのを、メラニーは敏感に感じ取った。
ついさっき、震えた奴がどうなるのかを教えたというのにこの様だ。呆れて溜息が出てしまう。
「た、戦うのは無理です!」
彼女の溜息を感じたマリリスがそう言うと、改めて壁の上を見やる。
「でも、運ぶだけなら私にだって!」
「んじゃあ、お願いします」
決意表明としては、それくらいで十分だろう。
メラニーは静かに袖の中から金色の折り紙を額に付けると、意識を紙に集中させる。爆風に巻き込まれた際、殆ど折紙が散ってしまった。恐らく、金色の折り紙もこれが最後だろう。
時間も、既に5分は経過している筈だ。
彼らが耐えてくれているなら、ダークストーカーとの連携で今度こそ消し飛ばして見せる。
「どーぞ」
「んっ!」
メラニーの準備が終わると、マリリスは力強く頷いて両足に力を込める。
細い膝が、軋む。
直後、少女の身体はバッタのように大きく跳ね上がった。
「わ、わ――――!」
流石にまだ二回目だ。
上手い具合にコントロールが利かず、少女の身体は見当違いな方向へと飛んでしまう。
具体的に言えば、反対側の壁だ。なんともまあ、ここまで不器用だと逆に尊敬してしまう。
ため息交じりに、メラニーは言う。
「足を壁に向けて」
その指示に従い、マリリスは壁に足を向けた。
直後、足の裏に着地した感覚が残る。
「そのまま、もう一回!」
今にも折れてしまいそうなか細い足が、再び跳んだ。
少女の身体は大きく弧を描きながらも、新生物がいる方向の壁へと向かって行く。
「上出来です」
だが、それだけでも十分すぎる仕事をしたと、メラニーは思う。
ここまで跳ね上がれば、壁の向こうの様子も分かる。現に彼女の視界には、あの気持ち悪い新生物の頭と無数の触手が見えた。
「後は私が決めます」
詠唱を終えた金色の折り紙が、新生物へと向けられる。
後はアーガスかカノン。アウラでもいい。彼らに命じて、刀と電気を用意してもらうだけだ。
だが、そこで。彼女は気づく。
服に仕込んであったはずの、連絡用の折り紙が無いのだ。爆発に巻き込まれた時、燃えてしまったのだろう。
そうやって無理やり納得させると、彼女はマリリスに次の指示を出す。
「前、どうなってるか見えますか!?」
まだ元いた場所に着地できていない。
空でジャンプしているままで。ましてや抱えられている状態のメラニーでは、新生物の周辺がどうなっているのか詳しくは確認できない。
「あ――――」
だが、指示を受けた少女は絶句していた。
それから数秒もしない内にマリリスの身体は壁の上へと着地し、メラニーは改めて周囲の状況を確認する。
「そんな……」
それは、あまりに無残な光景だった。
獄翼は壁に磔にされるかのようにして、無数の触手に貫かれている。見たところ、コックピットに突き刺さっているわけではない。中にいるパイロットはきっと無事だろう。
その一方で。最後の作戦の鍵を握っていたダークストーカーは、大破していた。
足をもがれ、右腕を引き千切られているその姿は、壊れた人形以外の何者でもない。見れば、こちらはコックピットブロックのハッチが開いたままになっている。中にいた姉妹も、一応は無事なのだろう。
だが、これで完全に詰んだ。
ダークストーカーも獄翼も動けないのであれば、刀は用意できない。
この大きさの新生物を捕まえる為には、シルヴェリア姉妹の協力も必要だ。だがそれを活かす為のブレイカーも、ない。
「終わりです。もう、打つ手が……」
しがみついていたメラニーの両手が離れ、そのまま崩れ落ちる。
少女は己の中で、大切な何かがぽっきりと折れたのを自覚しながらも続けた。
「ここまで運んでくれて、こんなこと言うのもなんですけど」
マリリスを見る。
あまりに悍ましい新生物と目が合い、足がすくんでいた。唇も震えて、悲鳴をあげる事すらできていない。
運ぶことですら、ただの街娘には荷が重すぎたのか。
メラニーは乾ききった唇を強く噛みしめた。
「逃げるのを、超お勧めします!」
服の中にある僅かな折紙を取り出し、メラニーが詠唱を開始する。
どれもこれも対人用の折り紙だった。こんな巨大な化物に通用するとは思えない。
だが、何もしないでいるよりはマシだ。
触手を伸ばす新生物に向けて、詠唱が終わった折紙を飛ばす。
間に合え、と心の中に強く叫んだ。
そんなメラニーの心の叫びを嘲り笑うかのようにして、針のように尖った黒い触手がマリリスと接触した。




