第69話 vs大樹の中の彼
大樹の芯を目指し、アーガスは歩を進める。
隊列としては彼の後ろには灯りを照らすゴルドー。マリリスを運ぶ移送檻と、その担い手の使用人がふたり。最後にマリリスと相対する形でアスプルが最後尾についている編成だった。
「この大樹に、巨大生物が?」
移送檻に閉じ込められたマリリスが、きょとんとした顔でアスプルを見る。
彼が語った思い出話は、途中から突拍子もない方向へと向かっていった。
このまま彼らの移動も明後日の方向へ行くのではないかと、少々心配になる。
「そんな……まさか」
「父も最初はそういったよ。君もこの先に進んでいけばわかる」
喜怒哀楽の見えない無表情で、アスプルはいう。
彼は当時を思い出しつつも、彼女を変貌させた力の正体について語った。
「彼と遭遇した私は、暫くパニックになった。情けない話だが、みっともなく腰を抜かして倒れてしまってね」
「それはまぁ……仕方がないことだと思います」
想像してみて欲しい。
推定3,40メートル程あるであろう、巨大な幼虫の頭が頭上にいる。しかも話しかけてきたのだ。これを目の前にして、腰を抜かさない方が凄いとマリリスは思う。
「落ち着くまで、どのくらい時間をかけたかは覚えていない。その間も、彼はずっと待っていてくれた」
「少し気になるんですが、言葉がわかるんですか?」
「彼は人智を超越した存在だ。大樹越しで伝わる人の話し声を長年聞いて、我々の言語を会得したのだそうだ」
少なくとも、頭脳面においては非常に優秀であるといえる。
彼は人間だけではなく、虫や地中の動物の言葉も理解し、コミュニケーションをとっているのだという。
「そんな彼には、悩みがあった」
出会ったとき、彼は空腹だった。
何日も。何カ月も。何年も。それこそ生まれた時からだったのかもしれない。
兎に角、常に空腹なのだという。
アスプルは問われた。君を食べたら、私は動けるようになりますか、と。
「な、なんて答えたんですか?」
「わからないと答えた。私なりに正直に答えたつもりだよ」
「正直すぎると思いますけど……」
「だけど、彼は私を食らわなかった。代わりに、なにか食べ物を要求してきたんだ」
恐らく、自らの意思でここまでやってきたアスプルを体のいい宅配便かなにかだと思ったのだろう。
ひょっとしたら、地下で遭遇したモグラやミミズといった生物よりも遥かに融通の利きそうな人類に興味を持ったのかもしれない。
真相はどうあれ、アスプルは彼の口に合うかもわからない様々な食料を用意した。食べられるかどうかもわからない、金属や植物も含めて。
「その中で、もっとも彼の口に合うのが兄の使う白い薔薇だった」
「アーガス様の?」
先頭に立って、誘導する英雄に視線を向ける。
「兄が咲かせた白薔薇は、エネルギーを吸収する性質がある。新人類軍との戦いで黒に染まったそれは、彼の口に合う上に効率よくエネルギー補充ができるものだった」
以来、彼は黒く染まった薔薇を所望するようになった。
もちろん、ただではない。
「私は尋ねた。もしも空腹でなくなれば、君はどうなるのかと」
彼は答えた。
きっとこの世界にいるどんな生物よりも強い生物になる、と。
「だから私は……私たちは、彼と契約したんだ。もしも腹を満たすことが出来れば、トラセットの為に共に戦ってくれないか、と」
「それで、答えは?」
「了承してくれた。彼にとって、目先の問題を解決させることが最優先だったんだろう」
しかし染まりきった薔薇の数には限りがある。その上、それを咲かすことができるアーガスは徴収されてしまった。
素直にそのことを話すと、彼は提案した。
「彼は自給自足を提案した」
「自給自足ですか? でも、大樹の中に埋まってるんですよね」
いい方は悪いが、所詮は図体が大きい芋虫である。
知能が高い存在であろうが、そんな奴が畑を耕したりできるとは到底イメージできなかった。
「もちろん、彼が土を耕すのではない。寧ろ、もっとエグい方法だ」
「え、エグいんですか?」
「エグい」
言い切った。
悩む間もなく、直球である。これ以上聞くのが怖いが、アスプルは途中で開放する気などなく、お構いなしに話し続けた。
「彼は自分の生体エネルギーを他の生命体に注入し、それを食らうことを提案したのだ」
マリリスの表情が凍りついた。
その言葉が意味する物とはつまり、自分のような存在を作りだし、そして食らうのだと言っているのと同義だった。
マリリス・キュロは彼に食われる為に『注入』された、餌なのだ。
「そ――――!」
「提案を受ける代わりに、私も彼に提案した」
何か言いたげにするマリリスをよそに、アスプルは無表情のまま続ける。
「いや、提案よりも先に質問した。そんなことをしたら、君の生命力は減ってしまって本末転倒ではないのか、と」
彼は答えた。
確かにリスクはある、と。
だがこれ以上ここに埋まっていては、いつまで経っても外に出ることは出来ないであろうことを、彼は悟っていた。
アーガスの薔薇によって蓄えられたエネルギーのお陰で力はある。
だが、その在庫がなくなった以上、新たな餌が早急に必要になった。
「そんな折、兄が反逆者たちに敗北し、帰省することになった」
それは嬉しいニュースだった。
英雄がいれば薔薇は生成できる。
彼曰く、何人かの強い新人類の生体エネルギーを吸い取れれば、人間にも自分の力を注入できるとのことだった。
「幸か不幸か、我々のもとにやってきた反逆者はギーマよりも強い生体エネルギーがあった。反逆者の生命力を吸った彼は、その活動範囲を地中から地上にまで伸ばしたのだ」
その結果が、マリリスである。
地中から根っこ同士を繋ぎ、間接的にチューリップを操作することができるようになった。
その時、偶然にも目の前にいたのがマリリスだった。
彼女は彼によって運び出され、始めての注入者となったのだ。
「じゃあ、私は……」
「そうだ。君は餌だ」
冷酷な宣言が、マリリスを貫いた。
顔色から生気がなくなっていき、次第に青ざめていく。
「じゃあ、国の皆に言ったアレは!?」
「もちろん、餌の補充だ」
マリリスが檻に掴みかかる。
今にも襲い掛かってきかねない距離にまで迫ると、檻越しで彼女は言った。
「どうして!? 皆、あなたを信じたのに! どうしてこんなことができるんですか!?」
「彼らが信じたのは私ではない」
アスプルがちらり、と先頭に立つアーガスを見やる。
このやりとりも聞こえている筈なのだが、兄はなにもいってはこなかった。
「彼らは兄の言葉を信じた。そして彼に食べられる。最終的に彼は大樹から解き放たれ、国は新人類王国に宣戦布告する」
大雑把だが、それがダートシルヴィー家のシナリオだった。
アスプルから視線を逸らし、マリリスは英雄へと問う。
「アーガス様、なぜですか!?」
「……」
英雄であり、勇者と呼ばれた男はなにも答えない。
ならば、と言わんばかりに彼女はその後ろにいる当主へと質問の矛先を向けた。
「ゴルドー様は!? あなたも国民を見捨てるおつもりなのですか!?」
「見捨てるのではない」
ゴルドーは振り返ることなく、答える。
「これは新たな時代が来るための、小さな犠牲なのだよ」
「なにを仰られているのですか?」
「わからないかね? まあ、それもいいだろう」
興奮を抑えきれぬ口調でゴルドーは語る。
その目は、まるで今か今かと待ち侘びる子供のように無邪気だった。
「君も見ればわかる。彼の前では、我々も新人類もちっぽけな存在なのだ。現に、君もちょっと調味料をかけられただけでこの有様だ」
マリリスの出で立ちは、既に人間のそれとは遠くかけ離れたものにまで変貌していた。
瞳の色は七色に染まり、頭からはカブトムシのような一本角が生え始めてきている。
このやり取りを行っている口も、今では人間の口というよりもアリのアゴと表現した方が形容しやすい。上下の歯に並んで、左右にハサミを連想させるアゴが飛び出していた。手を近づければ、今にも挟まれてしまいそうである。
「私は見たい。彼が成長すればどうなるのか。我々は彼のもとで、どう変化していくのか!」
ゴルドーが振り返り、マリリスを見る。
さぞ愛おしそうに彼女を見つめ、彼は言った。
「君は幸福に包まれる。彼の一部となり、人類を導く存在となるのだよ。嘗て新人類王国のリバーラ王は、新人類こそが生体系の頂点に立つべきだと語ったが、それは違う」
なぜなら、
「新人類よりも大きな可能性が詰まる彼こそが、地球の頂点に立つ生命に相応しいからだよ!」
ゴルドーは笑う。
笑いながらも、大樹の中で蠢く彼を求めて前進する。
その姿を見たマリリスは、愕然とした。
そんなことの為に、自分は食われなければならないのか。
力など欲しいとは思わなかった。
ただ、いつもの暮らしが出来ればそれでよかったのだ。
それなのに、ただ近くにいたという理由だけで大好きなおばさんを殺してしまい、挙句の果てには餌として未知の生物に献上される始末。
あんまりだ。
ひどすぎる。
自分がなにをしたというのだ。
常に誠実に生きてきた。悲しいことがあっても、笑いながら楽しく乗りきっていこうと、ゾーラと共に誓い合った。
その行きつく先が、これか。
わけのわからない生物に魅せられた当主と息子たちに連れられ、餌として差し出されるこの結末が。
こんなものが、自分の運命だというのか。
悔しさの余り、言葉が出ない。
震えが止まらない。
どうしようもない悲しみがマリリスの中心で渦を巻き、彼女の心を荒廃させていく。
そんな時だった。
叫び声が響く。若い少年の、振り絞ったような咆哮だった。
「まてええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!」
その場にいる全員が、後ろを振り返る。
暗くてなにがいるのかはわからない。
だが、あの声は聞いたことがある。
「スバル君……」
「あの少年か」
ダートシルヴィー兄弟が、静かに呟く。
後方から近づいてくる少年の気配を確かに感じつつも、マリリスは力の限り叫んだ。
助けてください、と。
 




