第332話 vs大丈夫
夜。
結婚式の行事が一通り終わった後、式は宴会へと突入していた。
新郎新婦の親族や友人が混じり、食事を楽しむ場である。
今回の場合、新郎には親族と呼べる人間がいなかったので学校の生徒やアパートの住人、昔の同級生を呼んでの友人中心の会となっていた。
スバルもヘリオンの友人のひとりだ。
彼は会場から少し離れた場所で海を眺めていた。
友人がいないわけではない。
ただ、今は誰にも会わずに考え込みたい気分だった。
アキナやアウラは心配そうにしていたが、それも『大丈夫』の一言で片づけている。
「……大丈夫、か」
本当にそうなのだろうか。
スバルは考える。
シデンに進路相談を持ちかけた際、うっかりと漏らしてしまった『いいなぁ』の呟き。
特に意図しての発言ではなかった。
六道シデンはきっかけはどうあれ立派に社会人として活躍している。
巷では17歳として通しているらしいが、それでも十分すぎる収入がある身だ。
周りからもちやほやされているし、時間を弄ぶこともなく忙しさに追われている。
ある種、働いている人間の理想的な姿だと言えた。
それはヘリオン・ノックバーンにも同じことが言えた。
テイルマンの呪縛から逃れるために自分と戦い、教師として我武者羅に頑張って、遂には恋心を抱いた女性と結婚までこぎ着けている。
以前、彼が務める学校に通っていたことがあるが、勤務態度や評判に問題は見られなかった。
寧ろ、年上だらけの職場でよく頑張っていると評価されていた程である。
彼らに対し、自分はどうだ。
仮に進学に成功、あるいは就職できたとして彼らのように生活できるのだろうか。
学校に通うことさえ気怠く、なにに手を付けても集中できない。
将来のビジョンさえも見えていない。
砂浜に座り、潮の音を聞く。
今日のヘリオンはかっこよかった。
スーツに身を包み、レジーナの手を取って進行する姿を見た。
結婚なんて意識したことはない。
唯一、そこまで辿り着くかもわからない相手のことは考えたことはある。
だが、彼女も一瞬で消えてなくなってしまった。
きっとこれからはそういうのと無縁で生きていくのだと、勝手に決めつけている。
そんな自分の目から見て、ヘリオンはかっこよかった。
これからレジーナとふたりで暮らすのだろう。
いいことだ。
祝福しなきゃ。
精一杯祝ってあげよう。
気持ちに嘘は無かった筈だ。
だが、己の気持ちとは裏腹に、なにかがどんどん乾いていくのを自覚してしまった。
きっかけはシデンに漏らした一言だったのだろう。
アウラとアキナも抗議の目で見ていた気がする。
「……俺、こんなに薄情だったのかなぁ」
ショックだった。
みんなの為に。
生き残った連中の為に戦おうと自分のすべてを振り絞って、キングダムとの戦いに勝利したというのに、その仲間の幸せを素直に祝福しきれていない自分がいる。
自分の中に焦りや虚しさが募っていた。
新しい環境になって、ひとりでいることが多くなった。
仲間たちはみんな受験シーズンに向けて頑張っている。
既に就職を決めた人間も、本格的な職場に入る為に勉強を重ねていた。
自分ひとりだけが置いて行かれている気がして、不安な気持ちが止まらない。
仲間たちは気遣ってくれている。
一緒に勉強しようと誘ってくれたり、息抜きに遊びに誘ってくれる機会はあった。
だがその度にスバルは言うのだ。
大丈夫、と。
彼女たちの気遣いが伝わってくるし、気持ちは素直に嬉しい。
けど、そこに時間を割いてはいけないだろう。
折角平和になったんだから、やりたいことをやらなきゃ。
みんな学力試験で結果が危ういんだから。
寂しくはある。
けど、大丈夫だ。
なんとかなる。
大丈夫だ。
なんとかなる。
大丈夫だ。
大丈夫だ。
大丈夫だ。
大丈夫って言っておけば、大体うまくいく。
大丈夫だと思っておけばどうにかなる。
そうやってあの戦いを生き抜いてきたじゃないか。
何度も死にかけて、実際に死の一歩手前までいったけど帰ってきた。
――――帰れ、と言われた。
「…………」
体育座りの姿勢になり、膝の中に顔を埋める。
帰りたくなかった。
確かに、ここには自分の大事な物が沢山ある。
だけど、同じように失ったのだ。
そして今、残っている物はそれぞれ羽ばたこうとしている。
「大丈夫だ。大丈――――」
う、と。
嗚咽が漏れた。
「う、うぅ……」
大丈夫なわけないじゃないか。
毎日毎日死人に話しかけて、やりたいことも見つけられなくて、周りの人間との距離を感じて、寝て起きて冷たい食事を繰り返すだけの毎日。
このまま死ぬまで続くかと思うと、耐えられない。
寂しい。
いつも隣にいた同居人は、もういない。
悩みに付き合ってくれた同居人はいない。
怒りを受け止めてくれた同居人はいない。
困った時に助けてくれた同居人はいない。
背中を押してくれた同居人はいない。
「う……う……」
みんな自分の生活を切り出していく。
遅かれ早かれ散り散りになり、会う機会は少なくなっていく。
ヘリオンのように、いずれは結婚して家庭を持つのだろう。
自分にはない。
ただみんながいてくれたら、それだけでよかった。
それ以上は望まない。
欲張りすぎると、しっぺ返しを受ける気がしたから。
でも、そうなるといつかはひとりになってしまう。
その時、どうなってしまうのだろう。
「カイト、さん」
結論が見えた。
今、自分が一番やりたいこと。
望みを言えというのなら、これしか思い浮かばない。
「俺も、そっちに行きたいよ」
「あれは重症だわ」
宴会から少し離れた場所でアキナは断言した。
ホテルのすぐ近くにアウラとシデンを連れ込むと、彼女は腕を組んで溜息をつく。
「大丈夫だって言ってたし、予備校じゃそんな様子もなかったもの。ふっきれてるもんだと思ってたわ」
「……私も、そうです」
「でも、あの様子を見る限り、かなりやばいと思うよ」
実際に話してみて、シデンは感じたことを告げる。
「スバル君も不安定になる時期があったけど、これまではぶつける相手がいたからね」
新生物やゲーリマルタアイランドでのカイトとのトラブル。
そしてペルゼニアの一件に、トゥロスとリバーラ。
どれも明確な敵がいたからこそ、少年は彼らを倒す為に躍起になれた。
「でも、今回は倒せばなんとかなる相手じゃない」
敵は己自身。
蛍石スバルは今、戦いのショックを引きずりすぎてナーバスになっている。
シデンの見解ではあるが、後追い自殺に踏み切る危険すらあった。
「そもそも、戦いにすらならない」
「やっぱり無理にでも大学を受けさせるべきだったかしら」
「そうかもね。ボクはそれも立派な進路だと思うよ」
実際、大学に入ってから特定の分野に興味を持ち、専攻する科目とは関係のない職に就く人間もいる。
だから『取りあえず大学にいく』のはありなのだ。
「でも、スバル君自身が踏み込めないでいる」
「どうしたら仮面狼さんを奮い立たせることができるでしょうか」
「難しい質問だね……」
アウラの問いに、シデンは深く考え込む。
「この式でも、普段通りを保とうとしてるからね。滅多なことでは弱みを見せることはないと思う」
「そもそも、そこよ!」
そこに憤りを露わにしたのがアキナだ。
彼女は納得いかないと言わんばかりに一歩踏み出すと、そのままシデンをガンつける。
「折角アタシたちが誘ってあげたり、気を遣ってあげたりしてるのに、それで相談できないっておかしくない!?」
「それは……」
きっと無意識な部分も強いのではないかと言いかけたところで、シデンは言葉を切った。
携帯が鳴り始めたのだ。
申し訳なさげに取り出すと、意外な人間からの着信だった。
「イルマからだ」
「アイツから?」
イルマ・クリムゾン。
シデンの記憶が確かなら、自分たちのサポートの為に敢えて軍に残り、今も旧人類連合でせっせと働いている筈だ。
向こうから連絡をかけてくることなど滅多にない。
それこそ、緊急事態でも起こらない限りは。
「もしもし?」
『お久しぶりです、シデン様』
畏まった少女の声が聞こえる。
電話の向こうからざわつきが聞こえるので、向こう側は勤務中なのだろう。
「そっちからかけてくるのは珍しいね。問題でも起きた?」
『大問題です』
淡々とした口調で告げると、彼女はその内容を語り始めた。
『新人類王国を始め、世界各国で発信されている衛星がすべてみなさんを捉えています』
「え?」
『簡単に言いますと、何者かに衛星をジャックされました』
衛星。
世界各国。
自分たちを捉えている。
ジャック。
言われた単語の羅列を整理し、シデンは思考を回しだす。
「……リバーラを支持している人間が、ボクらを探しているってこと?」
『可能性はありますが、問題はこれだけでは終わりません』
「なにがあるの?」
『ジャックされた衛星の中には、旧人類連合の新型ミサイル発射装置も含まれています』
「ぶっ!?」
『しかも厄介なことに、制御コントロールも奪われました』
「な、なんで!?」
あまりの出来事にシデンは思わず叫んでいた。
だっておかしいじゃないか。
衛星とかミサイルの発射装置とか、そういうのは厳重にプロテクトされているものだろう。
旧人類連合や新人類軍も無能ばかりではない。
なにかしらのセキュリティソフトに引っかからず、一斉に各国の衛星をジャックし、挙句の果てにミサイルの発射権利まで奪い取ることなんてできるのだろうか。
『……これはあくまで私の推測なのですが、ひとり新人類の仕業ではないでしょうか』
「どういうこと?」
『同盟国にも問い合わせたところ、ほぼ同じ時刻でコントロールを奪取されたそうです。恐らく、同一のコンピュータウィルスです』
そして、ウィルスの正体は、
『しかも、新人類。様々な情報を処理できる、人間コンピュータウィルスの仕業ではないかと思われます』
あまりの結論を耳にして、シデンは唖然としたまま携帯電話を落とした。




