EXTRA2 vsババア・ストーキング
ババアがつけた痕跡は深い。
どのくらい深いかといえば、石や土を掘り返して少年のパンツを奪っていくくらい深かった。なにゆえ他に目もくれずパンツを狙ったのかは不明なのだが、きっとババアなりの理由があるのだろう。
「世の中には変わった趣向の人間がいるものだ」
アーガスの顔を思い出しつつカイトはいう。あれも相当な趣味の持ち主だったが、このババアも変わり者だ。
「まさか16の男のパンツを奪っていくとは。つくづく理解できん趣味だ」
「多分、それを理解できる奴の方が異常だと思うよ」
奪われた張本人が死んだ目で呟いた。他人目線で見ればかなり愉快な出来事なのだろうが、奪われた側からしてみれば堪った物ではない。いかんせん、今あるパンツはババアが取って行ったものしかないのだ。もしも取り返せなかった場合、スバルはノーパンのまま逃亡生活を強いられることになる。
現代に生きる人間として、それだけはなんとしてでも阻止したい。
「用心しておけよ」
使命感に燃えるスバルに警告の声が投げられた。
先頭に立ってババアの足痕を辿るスバルが、ゆっくりと振り返る。
「投擲とはいえ、俺の一撃を避けた。あのババア、かなり鍛えられた新人類だと見た」
「新人類ぃ!?」
「他に何があるというんだ」
いや、まあ確かに旧人類であれだけの動きができるババアがいたら怖い。
傍から見ればジブリに出てきても遜色のない化物のような動きをするババアなのだ。運動神経の良さ。無駄に溢れ出るバイタリティーからもそれが伺える。
しかし、蛍石スバル。
彼は目の前で起きた珍事が人間の手によって起きたのだと受け入れきれていなかった。
「えーっと。原始人って可能性は?」
「今が西暦何年だと思ってるんだ」
「実はツチノコとか」
「お前、さっきそれを否定しただろ」
「だってそうじゃないと人間がパンツを奪う理由なんかないだろ!」
スバルの主張はこうである。
あのババアは動物が擬態した何かなのだ。カイトの投擲を受け、草むらの茂みから飛び出したが、取りあえず逃げねばと判断した為、目の前にあったパンツを奪ってしまった。そう思いたかった。
「まず、根本的な所に無理がある」
希望を持って訴えてみたが、主張は呆気なく崩された。
「あれは人間だ」
「いや、人間が俺のパンツを奪う理由がない!」
「野生動物だとしても奪う理由がないな。寧ろ、そういう趣味の人間なのだと解釈した方がまだ理解できる」
「止めろ! 想像したくないんだから!」
では読者の皆さんに想像してみていただきたい。
普段自分の履いているパンツが、乾燥させている最中にババアに奪われる。しかも暴走した某新世紀アニメの主役のように息を荒げつつ、四つん這いになって、だ。
それに何の意味があるのかと聞き、趣味であると答えられてみろ。ただただげんなりする。
「まあ、何に使われるのかは大体予想はできる。所詮は生地だ。口の汚れを落としたり、手洗いや拭きものにされているに違いない」
「生々しい想像しないでよ!」
スバルが心の命じるままに叫ぶが、その主張がカイトに届くことはなかった。
「静かに」
口を塞ぎ、カイトが先頭に立つ。
急に真剣な表情に変わった同居人の姿を見た瞬間、スバルは『標的』を捕捉したのだと理解した。
「……どこ?」
「あそこ」
顎を前にやり、視線を促す。
前方に視線を集中させてみた。
「……え?」
そこでスバルが見たのは信じがたい光景だった。先程、四つん這いになっていたババアが木から木へと飛び移っていたのである。さながら猿の如く。
「なにあれ」
「見ての通り、ババアだ」
そこは見ればわかる。問題なのは、どうしてあんなにまでバイタリティーに満ち溢れているのかということと、なぜババアが自身のパンツを咥えているのかという疑問だった。
「安心しろ。一応水洗いはしてある」
「なんの慰めにもなりゃあしねぇ!」
「何をいう。洗っているのとそうでないのとは大違いだぞ」
「アンタもう主夫にでもなれよ!」
さっきからカイトの心配事は健康面ばかりで、スバルのパンツなどどうでもよさそうである。伊達にノーパンはいうことが違った。
「まあ、一旦落ち着け」
どうどう、と宥めてからカイトは改めてババアの姿を目視する。
「いいか、今回の敵はババアだ。まず、それを認めろ」
「ババアが忍者みたいに飛び移るわけないだろ!」
「お前、どんどん現実を受け入れなくなってきてるな」
これまで新人類の繰り出すトンデモ現象を目の当たりにしてきた癖に、強情な男である。そんなにパンツを取られたことがショックだったのだろうか。
「とにかく、奴の様子を見る限り意図的にとったのは間違いないだろう」
仮にスバルの主張が合っていたとしても、動物が口に何か咥えるのはそれを必要としたときに他ならない。食事と同じだ。
「相変わらず意図は読めんが、今は後をつけた方が賢明だ」
「ここで仕留めたら駄目なの?」
かなり暴力的な意見が飛び出した。
「何も殺せとまではいわないけど、捕まえるくらいならできるんじゃない?」
「確かにできなくはないが、仮にお前の主張が正しかった場合はアレの亜種がいる可能性があるぞ」
想像し、スバルは身震いする。
自分のパンツを狙うババアとその仲間たち。暗闇に佇む獄翼を囲み、装甲にしがみつく様をイメージした。正直、ただのホラーでしかない。
「奴の行動はかなり原始的だ」
一方のカイト。こちらは他人事なのいいことに、冷静に分析を開始している。
「さっきもいったが、奴は完全に森と匂いを同化させている。遠くに離れられたら場所を察知するのは難しいだろう」
「つまり、ここに居座って長いってこと?」
「理由はわからんが、そう考えられる。他にも四つん這いになっての突進力。そしてあの跳躍力。健康的だ」
だからどうした。
心の底から訴えたいところだったが、いったところで堂々巡りになるのは目に見えているのでスバルは敢えて別の問いを投げることにした。
「どっちにしろ早く後を追わないと見逃しちゃうってことでしょ」
「あの健康力から察するに、主食は牛乳であるとみた」
「どうでもいいよ、そういう考察は!」
心からの叫びだった。スバルは速足でババアの後を追い始める。茂みを抜け、木々の間を抜けていく。しばし移動していくと、ある空間に辿り着いた。
「これは」
「水か」
カイトがいうように、水たまりが存在していた。池や川、滝といったような広い水たまりではないが、子供が遊ぶくらいのスペースだと考えれば十分すぎるほどの空間である。
雨水で溜まった小さな水たまりだった。
「で、ババアは?」
「あれ!」
スバルが指差し、ババアの姿を確認した。彼女はスバルのパンツを大きく広げると、水たまりの中へと押し付け始める。
「……何かの儀式か?」
カイトが首を傾げ始めるが、それだけはないと信じたい。
祈るような気持ちでババアの動向を探るふたり。するとババア、指を大きく広げて手をかざし始めた。
「なにあれ」
「さあ」
バトルアニメでありそうな演出だった。残像が残るかのようなゆっくりとした手の動き。指先に至るまでに洗練された無駄な動作から、どこか逞しさを感じる。
「かあああああぁ……!」
ババアが奇声を発し始めた。
記念すべき台詞一号が奇声というのも不憫な話なのだが、それでもババアはマトモな台詞を吐こうとしなかった。
「シャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオっ!」
どこかの拳法家のように叫ぶと、ババアは手刀を繰り出す。
水たまりに浮かんだスバルのパンツに炸裂した。水飛沫が巻き上がり、周囲に飛び散っていく。
「……俺のパンツは何に使われてるんだ」
ここまで観察したが、いまいち何をしたいのかがよくわからない。そもそも目的が不明なのだから察しようがないのだが、実際の使用用途を見ても混乱は加速するばかりだった。
「いや、待て」
そんなスバルの肩に手が置かれる。
カイトはやや困惑した表情のままババアを見続け、やがてある結論に達した。
「あれ、洗濯してるぞ」
「はぁ!?」
改めてババアへと視線を向けた。
凄まじい勢いで揉み洗いを繰り出すババアの姿がある。しかも、どういうわけか泡が溢れていた。
「洗剤なんか持ってたっけ」
見たところ、それらしき物はどこにもない。スバルのパンツもまだ石鹸を使う前なのだ。泡が出てくる要素などひとつもない。
「いや、見ろ! あのババア、手から泡を噴出してる!」
「ええっ!?」
そんな滅茶苦茶な。新人類じゃあるまいし。
……いや、まさかそんな。
「じゃあ、何。あのババアの正体って本当に新人類なの?」
「それだけじゃない」
確かに力のある新人類なら泡立てをするくらい朝飯前だろう。しかし、それも特化されたからこその話だ。基本的に、新人類とは特化されすぎたその道のエキスパートであることを指す。彼らが持つ異能の力は生まれ持っての才能であり、同時に道しるべでもあった。
「あのババア、洗濯に特化された新人類だ」
あんまりな結論を前にして、スバルは開いた口が塞がらなかった。




