第30話 vs勝利者
この戦いに勝利者がいるとすれば、それはスバルだ。
膝をつき、崩れ落ちたカノン。かつての部下の姿を見てカイトは思う。彼はカイトが取らなかった選択肢を選び、この場を治めたのだ。
もっとも、カイトの行動がそれに直結しているのだが、彼自身は重要視してはいなかった。
「……大した奴だな」
包丁が迫る中、スバルはそれを身体を張って止めた。誰にでもできることではない。もしもカノンが止まらなければ、刃物がぶすりと突き刺さっていた。
仮にカイトがスバルの立場だったとして、彼のように立ち向かえたかはわからない。恐らくは怖気づいているとは思うが。
そんな絶賛称賛中のスバルは、若干青ざめた表情でカイトに向き直る。
「ごめん、カイトさん」
「なにがだ」
訝しげな表情を向けたが、すぐにスバルの異変に気付いた。
「落ち着いてからでいいからさ。コインランドリーに寄らせてもらっていいかな」
蛍石スバル、16歳。
彼のズボンは目の前に迫る恐怖によって濡れていた。わかりやすくいえばお漏らししていた。カイトは頭を抱え、好きにしろと呟く。
「褒めたのが馬鹿みたいだ」
「うん、なんかゴメン」
勝利者の少年が申し訳なさそうな表情で頭を下げる。ただ、それもズボンの染みがすべてを台無しにしていた。まあ、包丁をつきつけられて恐怖を感じるなという方が無茶ではあるのだが。
『……リーダー』
そんなやり取りをしていると、カノンが話しかけてきた。
彼女は一度思いっきり泣いた後、気持ちの整理が少しついたようである。呼吸も落ち着いた様子で、真っ直ぐカイトとスバルを見据えていた。
『今日は私たちの負けです。だから、帰ります』
果たして敵対している者からこんなセリフが出てくるだろうか。どちらかといえば、学校の部活動で競い合ったような言葉である。
だが、実際彼女は帰らなければならなかった。妹のアウラは重症だ。彼女をどこかの病院に連れて行き、王国に状況を説明する義務がカノンにはあった。戦っている最中は殆ど王国のことなど頭になかったのだが。
『でもその前に、どうしても聞きたいんです』
「なんだ?」
『私たちを捨てた理由を聞かせてください』
先程もカノンが崩れ落ちた時に聞かれた質問だった。カイトが目を逸らすと、アウラと目が合った。いつの間にか呼吸は落ち着いており、口は開かないが真剣な眼差しでこちらを見てきている。これなら病院は必要無さそうだな、と呑気に思いながらも、カイトは溜息をついた。
「いいたくな――」
「もうそれは通用しないよ、カイトさん」
いい切る前にスバルが遮った。シルヴェリア姉妹にとって、これは『そうか』の3文字で済ませれる問題ではないのだ。
「逃げ道はないよ。それに、一回いいかけたじゃないか」
「お前、ねちっこいな」
なんでそんな細かいところまで覚えているんだ、というのがカイトの意見だが、話題から逸れる為、スバルからスル―される。
「全部嫌になったっていったろ。それがアンタの答えだった」
ならそれで大体わかる。あくまで想像だが、スバルは仮説を立ててみた。
「自殺か?」
「……お漏らしした癖に」
「関係ねーだろ今は!」
こんなに話を逸らそうとするカイトは始めてだった。よほど話したくない内容のようだが、一度口を滑らせてしまった以上、スバルはどこまでもしがみつくつもりだった。そうでないとカノンもアウラも納得しない。
カイトもそれは理解していた。ただ、まだ心の整理がついていないのである。スバルの勢いに流されてしまったのは、彼にとって一生の不覚だった。やや時間をおいてから、カイトは観念したように口を開く。
「……そうだよ。6年前、爆発事件が起こったのは俺の自殺が原因だ」
「でも生きてるじゃん」
スバルが鋭いツッコミを送るが、カイトは呆れたような目で彼に返答した。
「俺の力を忘れたのか」
「爆発の中でも生きてるの?」
カイトの能力をラーニングした獄翼を見上げる。ダークストーカーによって切り裂かれた胴は何時の間にか修復されており、最初から刃が刺さってなかったかのように元通りになっていた。DVDの巻き戻しボタンを押したようだ。
「試したことはなかったが、実際やってみたら大火傷で済んだ。後は時間が経てばこの通りだ」
「あんた死ぬのか?」
「死にかけただろう」
大使館でのゲイザーとの戦いを思い出せば、彼も最低限痛みを感じる存在なのだと思いだせる。しかし仮にも軍の施設を爆発させるような威力に巻き込まれて生きているのであれば、彼を殺すことなど不可能なのではないだろうか。
少なくとも、当時のカイトも同じ結論に至ったようである。
「その後は、流石に戻る気にはなれなかった。取りあえず顔で目立たないアジアで飯を食って、日本の山に住み付いたらお前らに拾われた」
要するに、カイトは自殺を諦めたのだ。流石に至近距離から爆弾が爆発すれば肉片も残らず死ねると思っていたのだが、実際は火傷止まりだ。しかも少し放置しただけで元に戻ってしまう。
それならば、いつかの日に宣告された『心臓か頭に全弾ぶち込まないと死なない』というのも怪しいものだ。
「じゃあ自殺ついでにカノンたちを殺そうと思ったのは?」
スバルが核心に足を踏み込む。多分、ここ次第でまた一悶着起こっても不思議ではない。最悪、カノンはまた暴れ出すだろう。
その時はまた身体を張ってなんとか止めるしかない。スバルはそう覚悟を決めていたのだが、ここで予想だにしない解答がカイトの口から飛び出した。
「殺す? 誰が」
なんの話だ、とでもいわんばかりの口調でカイトが言った。
これには黙って聞いていたシルヴェリア姉妹も目を見開く。
「いや、だってアンタ……あんなに殺すっていってたじゃねーか!」
スバルが反論するが、カイトは特に迷うことなく答えた。
「だって敵だろ。お前にとっても、俺にとっても。こいつらは新人類軍所属なんだから」
「いや、まあそうだけどさ……」
『では、お伺いします』
現在の立場という観点で話すカイトに、カノンが尋ねた。彼女はカイトへの質問のアプローチを少し変える。
『私たちの部屋の近くに爆弾を仕掛けた理由はなんですか』
「なんの話だ」
だがそれに対しても、彼は目を丸くするだけだった。
アウラとスバルも目を丸くするが、驚きのベクトルはカイトとは全く異なる方向へと向かっている。
『あの日、爆発は2か所で起こりました。第一期XXXと、第二期XXXの就寝ルームです』
「なんだと?」
カイトが表情を変えた。彼は驚きの色を隠さず、カノンの言葉に耳を傾けた。
『王国ではふたつの爆発はリーダーがすべてやったと見ています。武器管理庫に出入りしていた監視カメラの映像が残っていました』
「盗ったのは一個だけだ。それ以上取る理由はない」
『では、私たちを捨てた理由は?』
「俺が死ぬつもりだったからだ」
会話のキャッチボールが、どんどんドッチボールになりつつあるのをスバルは感じていた。見れば、倒れたままのアウラもどこかうずうずしているように見える。彼女もいいたいことが沢山あるのだろうが、喉への負担を避ける為に我慢していた。偉いな妹さん、と素直に思った。
『では、私たちの方に仕掛けられた爆弾はなんですか?』
「知るか」
カイトが一蹴する。彼は本当に第二の爆弾の存在を知らなかった。
嘘をついている可能性もあるが、彼が自らアウラを助ける為に飛び出したことを考えると、精神的な面から考えて難しいのではないかとスバルは思う。
『……良かった』
カノンが再び膝をつき、カイトの顔に手を添える。
長い前髪で覆われた表情の中で、彼女は再び涙を浮かべた。
カイトは彼女たちを殺す気はなかった。ただ己を消してしまいたかったという、自殺願望があっただけだ。
この6年間、ずっと彼が第二期XXXメンバーを恨んで殺しに来たのではないかという不安があった。だがそれは杞憂に終わったのである。それを実感した瞬間、カノンはずっと繋がれていた拘束具が解けたかのような解放感に包まれた。
『本当に、良かった』
カイトの胸に顔を埋め、カノンが嗚咽する。
鬱陶しいと思いながらも、カイトはそれを無下にはできなかった。その理由はアウラの時のように上手く言葉にはできなかったが、少なくともスバルが本当にこの戦いの勝利者なのだということだけを実感する。結局、最後に通ったのはスバルの主張だったのだ。
同時に、カイトは自分が敗北したことを悟った。彼はスバルのいう『家族なんだろ』の一言を断ち切れずに行動してしまった。それを恥だとは思わないが、なにか釈然としない物を感じる。
「……難しいな」
上手く整理できない感情を全部ひっくるめて、そう呟いた。
しばらくカノンがカイトの胸の中で泣いて、アウラがそれを羨ましそうに見つめ終わった後、シルヴェリア姉妹は新人類王国に帰った。
最大の誤解は解けて、自分たちも逃亡についていくといい出し始めたのだがカイトが『じゃあ王国の中で情報を垂れ流してくれ』と依頼したので、彼女たちは喜んでそれに従ったのである。
いいのかそれで。スバルは心底そう思う。
まだ問題は山積みの筈じゃないのか。どうしてカイトが自殺を図るに至ったとか、アウラの首の傷はどうするとか、沢山ありそうな気はする。
特に前者はカイトが切り出せなかった話題に他ならない。これがあるから今回の一件はややこしい方向へと向かっていったのだ。
しかしシルヴェリア姉妹にとって大事なのは動機ではなく、カイトが第二期XXXを恨んでいないということなのである。それがわかった時のはしゃぎようといったら、まるで犬や猫がしゃれついてくるかのような興奮っぷりだった。
「あれで王国にどう言い訳する気なんだ」
呟かずにはいられなかった。獄翼のコックピット内に響いたその呟きに、後部座席に座るカイトは応える。
「エレノアがアイツらを襲ったのは事実だ。だからそれをチクれば多分何とかなる」
「本当かよ……」
また適当なことをいってるんじゃないだろうな、と思いながらスバルは半目になる。カイトは割とその時に感じたことを何の確証もなしにいってくるのだ。
「じゃあ、ふたりも居なくなったから改めて聞くけどさ」
かなりプライベートな面まで関わってきた為か、スバルは躊躇わずに次の質問をする。
「結局、アンタはあのふたりの面倒見ててどうだったの?」
「うるさかったし、面倒くさかった」
ああ、やっぱり。
スバルは肩を落とした。ある程度予想できた答えではある。彼の対応の仕方は誤解が解けた後、妙に適当だったからだ。
誤解が解けた後、まるで昔の関係を取り戻したのだといわんばかりに喜びながら王国に戻った姉妹を不憫に思う。単純すぎる、ともいえるのだが。
「当時、エリーゼは俺にふたりの面倒を求めた。だから面倒を見ていたが、口を開けば『リーダー』としかいわない。そして常に半径10m以内にいないと死ぬんじゃないかと思うくらい、近くで構えるようになってた」
スバルは思う。前言撤回だ。それは確かにウザいだろう。
なんとなくヤンデレっぽいというか、依存傾向があるなとは思っていたがそこまで付きまとうか普通。
「俺が死んだ後は、他の第一期XXXが面倒を見ればそれで解決すると思ってた。アイツらの方が俺よりずっと面倒見がいい」
「その第一期XXXってどうなったのさ」
第一期XXX。要するにカイトの同僚である。カノンとアウラの口ぶりから察するに、甘えられる環境ではなかったのはスバルにも予想はついた。
「多分、あの様子から察するとアイツらもいなくなったんだろうな。俺の爆発に巻き込まれて死ぬとは思えんし、自分の意思で逃げたんだろ」
スバルはメラニーのがいっていた『死者7人』を思い出す。この時に死者として登録されていた人数にカイトと第一期XXXが含まれていたのだろう。だとすれば、王国がそれに気づかないのも不思議な話だと思う。
メラニーもその可能性を疑っているのだが、王国内で記録の改竄がおこなわれているのではないだろうか。恐らくその犯人が、第二期XXXの寝室の近くに爆弾を取り付けたのだろう。そこに何の意図があるのかスバルにはわからなかったが、もしそうだとすれば気味が悪い。
「……誰がカノンたちを襲ったんだろう」
「さあな。ただ」
カイトの目つきが険しくなる。
「そいつはいつかまた動いて来るぞ」
なにをしてくるかはわからない。どんな目的があるのかもわからない。
だが、きっと碌なことではないだろう。ふたりはそう思いながらも、獄翼越しに透明のオーラを纏った。




