第25話 vs姉妹と包丁と
XXXと呼ばれる部隊に入る為には幾つかの条件がある。例えばリバーラから推薦されたり、単純に能力が強大だったりと様々だが、シルヴェリア姉妹の場合は後者が当てはまる。
彼女たちの能力は放電。幼い彼女たちは誰の言葉でも従い、『いうことをなんでも聞いてくれる兵』として将来を期待されていた。
しかしリーダーを務めるカイトは彼女たちを観察していて、ある結論を出していた。それは戦いの場において致命的な弱点になりかねないことを知っていたカイトは、監督でもある責任者のエリーゼにこう進言した。
「エリーゼ。カノンとアウラはXXXから外すべきだ」
「なぜ?」
「XXXはひとりでも敵の部隊を壊滅させる集団だ。ふたりでくっついていたら、それは弱点にもなる」
カノンとアウラはお互いに離れることなく、常に寄り添って生活していた。それが悪いとはいわないが、いざという時に孤立してしまった場合、彼女たちは戦いの場では生き残れないだろう。
はじめてXXXの施設に入り、道に迷ってはぐれた姉妹の惨状を思い出す。妹は延々と泣いていた。声の出せない姉も、不安で仕方がないといった表情だったのを覚えている。
同時に、カイトは彼女たちの精神面の脆さを見抜いていた。
「ここにきてもう2ヶ月経っているが、あいつらは一向に離れる気配がない。あれではいつか壊れる」
大事な心の支えがなくなったとき、人は簡単に壊れてしまう。
カイトがエリーゼから聞いた言葉だ。それを信じるのであれば、常にお互いを支え合っている姉妹のバランスが崩れた場合、崩された側も立ち上がることなく片割れの後を追うことだろう。
「じゃあ、壊れないようになるためにはどうすればいいかな?」
エリーゼが悪戯っぽい表情でカイトを見る。
まるでなぞなぞでも出された気分だった。
「……どうする気だ」
「要はふたりがずっとお互いから離れないからダメなんでしょ?」
「ああ、そうだ」
「じゃあその関係にあなたが入ればいいのよ」
「なに?」
ナイスアイデア、といわんばかりに眩い笑顔を向けてくる保護者を前に、カイトは怪訝な表情をする。
「ふたりが離れないんだったら、その間にあなたが入って上手く纏めてあげてね!」
「いやだ。面倒だ」
「リーダーでしょ。しっかり新しい子の面倒を見てあげなさい」
エリーゼは彼の頭を軽く小突き、笑顔のまま部屋から退出した。
後に残されたのは呆けたカイトだけである。彼は心底困り果てた表情をしていたが、暫くするといつもの無表情になって静かに呟いた。
「……エリーゼがそれを望むなら」
歪んだ笑顔を剥き出し、彼女が去った扉に視線を送りながらも、少年は『彼女の頼み』を引き受けることにした。
彼の動機は、それだけだった。
空中を猛スピードで移動する獄翼にしがみつくカイトとシルヴェリア姉妹は、強烈な風圧に押しつぶされそうになりながらも手を放さない。いかに彼らが超人とはいえ、パラシュートなしで勢いよく空から落ちればきっと無事では済まないだろう。
もっとも、既に皮膚が裂けている指は無事では済んでいないのだが。
『……っ! もう限界だ!』
コックピットで獄翼を飛ばすスバルが、しがみついている超人たちの苦悶の表情を見て勢いを落とす。
だが、その瞬間にカイトは叫んだ。
「止めるな!」
『馬鹿! もう指が見てられない状態だろ!』
「問題ない。こいつらを引き剥がせればそれでいい」
冷酷な判断だ、とスバルは思う。彼を追い、必死な思いで獄翼にしがみつくシルヴェリア姉妹。それを空から突き落してやると、この男はいっているのだ。なぜそこまでするのかという疑問の前に、怒りがスバルを沸騰させた。
『死ぬだろ、そんなことしたら!』
「お前とは鍛え方が違う! 安心して落とせ」
『アンタにとって、彼女たちはなんなんだよ!』
冷たすぎる発言を前にして、とうとうスバルは直球の質問をしてしまった。
それは返答次第で姉妹たちの心に更に深いダメージを負わせる危険すらある。知っている仲だけに、できるだけ穏便に進めたかったというのがスバルの本音だが、それにしたって冷たすぎる。ボロボロになってまで彼女たちを守ったという話も、これでは疑わしい。
「なんでもない。もう終わった関係だ」
『アンタはそう思っていても、彼女たちはまだアンタを見てる!』
それがどういう意味かを理解できない程、カイトも馬鹿ではない。
ボロボロになった腕を押さえながら体勢を立て直す姉妹を視線に入れて、カイトは同居人の声を聞いた。
『アンタに捨てられて、彼女たちはずっとアンタを探してた!』
「ああ、憎いだろうな」
『それだけじゃねぇ! 何もいわずに去ったアンタと、もう一度話がしたかったんだ!』
「何故だ?」
さきほどからスバルの発言は、全てが彼の想像によるものだ。いかに顔見知りとはいえ、そこまでプライベートに関わる内容をカノンやアウラが漏らすとは思えない。
そんな自分勝手な妄想を建前とした説教を聞き入れる気は、カイトにはなかった。
「なんの根拠があってそんなことがいえる! お前は心でも読めるのか!?」
『そんなもんがなくても、わかる!』
すると意外なことに、スバルの返答はすぐに帰ってきた。
『確かに捨てられた気持はわかんないよ。だけど、大事な人がいなくなって、どれだけ寂しい気持ちになるか俺は知っている!』
「お前、恥ずかしくないのか!?」
『恥ずかしがってて、人でなしとやりあえるか!』
清々しいほど迷いがない解答である。
4年間の共同生活をしてきて、カイトが押し黙るのは始めてだった。
『……なんで捨てたんだ』
叫んだ影響か、スバルの声に落ち着きが戻ってくる。
逆に落ち着きがなくなってきたのはカイトだった。彼は拳を震わせ、力なくつぶやく。
「……全部ぶっ壊したかったんだ。あの時の俺の全部を」
『カイトさん?』
同居人の顔が、あらゆる感情で歪んでいる。
それは怒りか悲しみか、スバルには見当がつかない。ただ彼の中で心当たりがあるとすれば、『SYSTEM X』で見た血塗れのカイトと死んだ保護者の姿である。
「だから俺はあの時――――!」
その時だった。眩いフラッシュが彼らを包み込む。
カイトは思わず手で光を遮り、視線をそちらに向けた。カメラを持った褐色肌の美少女が獄翼の頭部に陣取っている。今時珍しいセーラー服だった。
「いい顔だねぇ。そそっちゃう!」
けたけたと笑いながら、少女はフラッシュ付きのインスタントカメラを懐に仕舞う。
その不快な笑い方を、カイトは忘れていない。
「エレノア……!」
「はぁい。エレノアだよ」
名前を呼ばれたことに気をよくしたのか、エレノアは笑顔で手を振りはじめる。
黄金の眼に肩までかかる長さの黒髪。更にはビルの屋上で相対した時と比べても幼いその体は、彼女が用意した次の人形に他ならない。
「貴様、いつの間に張り付いていた」
「ずっとだよ。前の人形は君たちのせいで瓦礫の中だけど、ミスター・コメットに頼んで回収をお願いしてるんだ。これで君が前の人形の方が好みでも安心!」
「黙れ」
『黙っててくれよ』
全く空気を読む気配がないエレノアを前にして、カイトとスバルがハモる。カノンとアウラに至っては面倒くさそうな顔をしていた。立場的には味方の筈ではあるのだが、エレノアの登場は誰ひとりとして歓迎されなかった。
「えへへ。でも貴重な写真撮れたもんね」
自慢げに言うエレノアだが、カイトの額に青筋がたっているのをスバルは見逃さなかった。最近知ったが、彼は意外と感情が昂ぶりやすい。特に追いつめられるとその傾向が強いと、スバルは感じていた。
彼は今、あらゆる意味で追いつめられていた。
「……何をしに来た」
「勿論、遊びに」
直後、エレノアの周囲から無数の銀色の線が伸びる。それは獄翼を包み込むようにして広がっていき、獲物を捕えんとカイトに襲い掛かる。
だが、その線がカイトに届くことはなかった。糸が途中でぷつん、と切れてしまったのである。
「あれ?」
突然の出来事にエレノアは呆けるが、その直後に彼女の視界が影に覆われる。
カノンだ。彼女はエレノアが糸を伸ばしたと同時に走り出しており、伸びる糸を包丁で捌いていたのである。そして今、カノンはエレノアの真正面で喉に刃物を突き立てていた。
「……やだなぁ。怖い顔しちゃって」
『邪魔をしないでください』
ノイズ混じりの機械音声に、確かな怒気が籠る。下手に刺激すれば包丁が喉を貫通するのは誰が見ても明らかなのだが、性格ゆえかエレノアは緊張感のない困った表情を向けてくるだけだった。
「邪魔はしてないよ。私はただ、欲しい物を貰いに来ただけだって」
『それが、邪魔なんです』
手にした刃が人形の喉を刺し貫く。だが相手は所詮人形だ。本体であり、人形に憑依しているエレノアの魂を砕かない限り彼女はいつまでたっても出現し続けるだろう。
そこでカノンは素早く包丁を引き抜き、人形の喉に手を突っ込む。次の瞬間、カノンの掌から溢れんばかりに弾ける紫電が、エレノアの身体を駆け巡った。
人形の指が不規則にぴくぴくと跳ね、紫電は人形内部を容赦なく焼き払っていく。
『今は、私たちとあの人の時間です。邪魔するなら、死んでてください』
カノンが言い終えたと同時、エレノアの人形を駆け巡った電流の勢いが止まる。
人形は既に黒焦げだった。先程まで人間そのものとして動いていた華麗な造形は、今や見る影もない。内部まで焼き尽くされては魂も無事なのかあやしいところだ。文字通り糸が切れて倒れた人形を一瞥してから、カノンはカイトへと振り返る。
『リーダー、邪魔が入りましたがこれでよろしいでしょうか』
カノンから放たれた言葉は、まるで主従関係を思わせるようなものだった。しかし当のカイトはいつもの無感情な顔で彼女を見ていた。
「……お前の望みは何だ。アウラと同じように、捨てた俺への復讐か?」
『勿論それもあります。しかし、さっき確信しました。あなたにはそうしなければならない何かがあったのですね』
それを聞いたスバルは無言で同意する。それだけ彼の態度は普通ではなかった。同居生活の時、あんなに感情が昂ぶったカイトを見たことがない。だが同時に、信頼しすぎてやしないかと思う。確かにブチギレていたのはアウラで、姉の方はどちらかといえば怒っているぞ、というアピールをしていることが多かった。アウラほど声を大にして彼を許さない、と発言してはいないが、それでも心変わりが早すぎる。全く怒っていないというわけでもあるまい。
『教えてくれませんか。6年前、なにがあったか』
「……いえない」
ここにきてまだいうか。機械のようにそれしかいわないカイトに苛立ちを感じながらも、スバルは思う。
『そうですか』
だがカノンにはある程度予測されていたようだった。彼女は包丁を仕舞うと、アウラに目配せする。
『アウラ、アレを出そう』
「アレを!? でも、あれは次のオフ会の為のサプライズなんじゃないの?」
アウラが仰天するが、カノンは首を横に振る。
『私は本当のことが知りたい。6年前に何があったのか。どうして私たちを殺そうとしたのか。そして、リーダーや師匠にとって私たちはなんだったのか』
機械音声が何いつにも増して饒舌になる。交流があるカイトとスバルはそのことに驚きながらも、カノンの言葉に耳を傾けていた。
『リーダー、私はあなたに捨てられてから何をする気力も湧きませんでした。ただ食べて、起きて、また寝るだけの生活が続いていたと思います。間に闘争を挟んで、その中で何度死を意識したか覚えていません』
ですが、
『そんな私にも、もう一度憧れの人ができました。あなたです、師匠』
突然の名指しに、スバルは思わず飛び跳ねた。
『お、俺!?』
『そうです。たまたま動画で見たあなたの戦いは、私の目に釘をさし込みました』
もしかすると、幼いころに『ふたりいないと何もできないダメ超人』と呼ばれたことがカノンのコンプレックスになっていたのかもしれない。
そんなダメ超人からみた『旧人類』スバルによる新人類への挑戦は、革命的だった。持っているのは長年磨き続けたゲームプレイングセンスのみ。新人類と旧人類の埋まらない溝を埋める為に、己の全てを賭けて戦う彼の姿に感動した。気付けば彼が出ている動画へのクリックが止まらない。
その日、カノンは朝食に呼ばれるまで動画を見続けた。そして朝食から戻ってきてからもう一度決勝の動画を見て、また興奮してから寝た。
『今だからいいますが、動画を始めてみたとき私は泣きました』
『マジで!?』
「マジかよ……」
「マジなんですか姉さん!?」
スバルは恥ずかしさで。カイトは呆れで。アウラは驚きでそれぞれリアクションする。
『ショックでした。私と同じ年頃の旧人類が、ゲームとはいえあんなに立ち回っていたのが。次の日には私も同じゲームを購入している始末です』
カノンは己が頼れる強者を欲していたのかもしれない。予選におけるスバルの圧倒的な立ち回りは、彼女にリーダーの影をみせるのに十分すぎた。
『私、本当は不安で仕方がなかったんです。何か気に入らないことをしてしまって、それでリーダーが見限ったんじゃないかとずっと考えていました。それを考えなくさせてくれたのは、他ならぬ師匠です』
割と都合のいい解釈をされている気がしたが、こう褒められると流石に照れる。特に女性との付き合い経験が疎いスバルは、思わず赤面していた。
『ですが、その師匠もリーダーと同じように私の前から去ろうとしています』
カノンの真後ろ。獄翼の背後から超巨大な黒い穴が出現する。そこから這い出てきたのは鋼鉄のマスクを装着した、黒い巨人だった。
『私が情けないからダメなんでしょうか。それとも、私が根本的にダメだからふたりとも拒絶するのでしょうか』
話が怪しい方向に向かいだしたのをスバルは理解する。目の焦点が合っていないのがモニター越しでも丸わかりだった。
引退事情はごまかしているとはいえ、ちゃんと説明している。しかしカイトに捨てられたという事実が、今も根強いトラウマになってカノンにしがみついていたのだ。理由のわからない裏切りが、結果として彼女を苦しめ続けている。
それは違う、といってあげれば済む話ではあるのだが、スバルの口から否定の言葉はすぐに出てこない。行き過ぎた弟子の迷惑行為にびびって、電話に出なかった事実が彼の行動を縛っていた。
『それならふたりに証明してあげます。私はダメな子じゃないって』
獄翼の背後に出現したブレイカーの姿と名前を、スバルは知っている。
愛機の『ダークフェンリル・マスカレイド』を模してデザインされた、二本の刀を背負う鋼の重罪人。不気味なマスクをつけ、放熱する際にマスクから呼吸音のような気味の悪い排出音をならすことから、ソイツはこう名付けられた。
『ダークストーカー・マスカレイド!? ゲームの機体の筈なのに、どうして!?』
スバルが驚きの声をあげる。彼はつい少し前に画面の中でこの鋼の罪人と戦ったばかりだった。突然やって来た二次元からの襲撃者は、スバルの度肝を抜くのには十分すぎた。
アウラがローラースケートを走らせる。彼女はイナズマのような猛烈なスピードで姉の手を取り、ダークストーカーのコックピットへと一直線に向かっていった。
だが半ば無理やり連れて行かれた状態でも、カノンは壊れたように呟き続けていた。
『そうすれば、リーダーも師匠も私を認めてくれる。もう見捨てられないんだ。皆で一緒に……』
獄翼に向かって伸ばした細い手は、届くことはなかった。




