第252話 vs卑怯者
頭が痛い。
ハンマーで叩かれたかのような痛みがじんわりと広がっていき、身体中に浸透していく。
エミリアの身体は水だった。
本来ならすらりと伸びた足と自慢の髪を靡かせながら堂々と歩いて行きたいところではあるのだが、どうも頭痛が止まらない。
歩くこともままならない程、彼女は弱っていた。
「あう、う」
水槽の中から飛び出した液体が不気味な唸り声をあげる。
傍から見ればB級映画も真っ青のびっくり光景だ。
早い所元の肉体に戻りたいのに、身体はいう事を聞いてくれない。
「なんで……」
今までは元に戻ろうとしたらすぐに戻れた筈だ。
23年も慣れ親しんだ身体が、ここに来ていう事を聞いてくれない。
早く戻れ、と何度も脳に命じてみるが、戻る気配は全くなかった。
それどころか余計に頭痛がひどくなったように思える。
きっかけは多分、最後に投じられた大量の栄養剤だろう。
あれが具体的にどういうものなのかはよくわかっていないのだが、説明を一通り聞く限り人間の意思と記憶、そして憎悪がふんだんに含まれた栄養剤なのだと理解している。
ひとつ摂取しただけで他人の記憶がフラッシュバックするのだ。
それを大量に投与されれば、頭痛もする。
エミリアの脳は今、大量に流れてくる情報の処理に追われていた。
見たくもない他人の人生経験を体験し、苦しみと幸せと一瞬で経験するハイスピード人生鑑賞である。
ある種、映画を無休で見続けるような錯覚すら感じた。
『殺せ』
それがただの映像だけだったらどれほど良かっただろう。
栄養剤となってしまった彼らはエミリアの身体に容赦なく入り込み、心に向けて囁いてくる。
『新人類軍を殺せ! アイツらが俺の家族を殺したんだ!』
『敵は排除しろ! 新人類は敵だ!』
「う、ううう……」
彼らの怒り。
恨み。
妬みに対し、エミリアは何も言えない。
彼女は過去、XXXとして働き、彼らから奪ってきた経験があった。
抵抗はできても、強く批判することができない。
『敵は人類だ』
そんな負の感情のど真ん中。
明らかに異質な感情が浮かび上がる。
周りが新人類軍に対する戦闘意欲に溢れる中、旧人類すら敵として分類するその意思は嫌でも目立つ。
反射的に意識を向けると、エミリアは静かに悟る。
これはウィリアムだ。
どういう訳かは知らないが、ウィリアムは自らを栄養剤として投下してしまったらしい。
「もう、最悪」
たぶん、手と頭があったら思いっきり肩を落として愕然としている。
最後のやり取りで察することができたのだが、彼は反旧人類思想なのではない。
そもそも、人間不信なのだ。
それも本気で滅亡すればいいと考える程の。
そんな奴の悪意すら受け止め、体験しなければならないというこの状況。
過去受けてきたどの訓練に比べても、拷問だった。
あの根暗のことだ。
きっと自己的で、他人を見下すようなことしかしてこなかったに違いない。
そんな人生しか送ってこなかったのだと思うと、嫌になるのを通り越して同情すら感じることができた。
『見ろ。人間が人間を破壊していく』
ところが、エミリアの想像に比べてウィリアムの思想はもっと深い所にあった。
彼女が意識の奥で見たのは、モニターを通じて戦争ドキュメントを眺めている少年と大人である。
たぶん、少年の方がウィリアムなのだろう。
大人の方は顔も見たことがない。
ただ、ウィリアムの恰好を見る限り、XXXに在籍するよりも前の出来事なのは間違いなさそうだ。
年恰好も始めてあった時に比べてまだ若い気がする。
まだ幼さを残しているウィリアムは、大人に向けて言う。
『キョロちゃんも殺されるのですか?』
キョロちゃん。
そんな奴いたっけ。
エミリアは思考する。
これまでXXXに在籍していた子供達の中に、そんな変わった名前の人間はいなかった筈だ。
『キョロちゃんも、何時か死ぬだろう』
『なぜ』
残酷な回答を突き付けた大人に対し、ウィリアムは憤慨する。
『キョロちゃんは何も悪いことをしていません。犯罪を犯したわけでもないし、怒られたこともありません!』
『ウィリアム。ここは戦いが世界なんだ』
『……なぜ、人間は戦うのです?』
『それが人間の性だから』
性。
その一言表現されてしまってはたまらない。
だが、否定できないのも事実だった。
戦争する側にいた人間として、考えたことがないわけではない。
エミリアは戦争に消極的な新人類だった。
しかし、生きるためと自分に言い聞かせて戦ってきて、今日に至る。
王国から抜け出した後も戦いから抜け出せたわけではない。
戦争以外にも様々な戦いがある事を彼女は知ったのだ。
例えば追い詰められた一般市民が起こす犯罪だったり、会社経営者同士による権利争いだったり、どちらが罪深いかを決める裁判だったり。
エミリアは探偵として活動して、こうした戦いを幾つも見てきた。
戦争以外にも、人間は無数の戦いを背負っているのだと実感したのだ。
『そしてそれは、人間だけじゃない』
大人は言う。
『動物は戦いから避けられない。君のペットだって、野に放てば戦いを強いられるんだ』
『シュミット先生。動物は何故戦うんですか』
問われ、シュミットと呼ばれた大人は答える。
彼は自分の導き出した自説を含め、説明し始めた。
『性と一言で言えば簡単だが、そうだな。一番の理由は……自分が持ってない物を欲しいと感じるからじゃないか』
シュミットの解答はウィリアム少年やエミリアの心に、不思議なほどすんなりと入り込んでいった。
理解が及ぶと、ウィリアム少年は更なる疑問をつきつける。
『それは他人を殺してまで欲しい物なのでしょうか』
『私はそこまでしてでも何かを得たいと思ってないけど、そういうことだろう』
『……先生はさっき、戦いは生き物の本能だと言いましたね』
『うん、言ったな』
今更ではあるが、ウィリアムは少年時代にそれなりの素養を身に着けていたようである。
なんというべきか、先程から発言が子供の物とは思えないのだ。
『では、人間は誰しも他人を殺す可能性があると言う事なのでしょうか』
『そうだよ』
即答だった。
シュミットは子供に向け、容赦なく自分の感じる現実を述べていく。
『きっかけは人それぞれだろう。でも、僕は特別な人が悪い奴になるなんてちっとも思っていない。そんな物は見方によっていくらでも変わってくるものだ』
『僕や、シュミットさんもですか?』
『そうだ。この世界には2種類の人間がいる』
それは奪う者と奪われる者。
戦いしかないこの世界ではどちらかが蹴落とし、どちらかが闇の中へと沈んでいく。
そういう図式が当たり前になっていて、人間以外の動物ですら従っているのが現状だ。
『……』
ウィリアム少年は考え込む。
彼はシュミットの思考を感じ、触れたうえである結論に達した。
『では、この世界から生物が消えれば、地球は綺麗になるんですね』
『そうだ。しかし、緑は生物がないと生まれないのも事実。地球のことを真に願うなら、必要最低限の数の生物だけいればいい』
『わかりました。ご教授、ありがとうございます』
その会話は、エミリアからすれば愕然とした物だった。
何だその結論は。
というか、求める解答はそれだったのか。
地球を綺麗にする。
確かに、以前から地球は大気汚染などが環境問題としてあげられている。
しかし、その辺はアルマガニウムエネルギーの実用化によって解決に動き出した筈だ。
『そういえば、聞いたぞ』
混乱するエミリアを余所に、シュミットが笑みを浮かべながら言う。
『新人類軍の少年兵に参加するんだって?』
『はい。先生にご教授していただくのも、今日が最後です』
『そうか。私の授業を聞きたい物好きも君が最後だったんだが……』
『悲観することはありません』
恐らくは戦死するかもしれない幼い教え子の今後を考え、不憫に感じたのだろう。
どこか悲しげな表情をするシュミットに対し、ウィリアムは静かに告げる。
『僕が先生の教えを引き継ぎます。この地球の為、王国の中から力を尽くすつもりですよ』
エミリアは察する。
ウィリアムはこの時点から、静かに計画を練り続けていたのだろう、と。
だとしたらなんて計算高い奴なのだ。
XXXを経由して王国の内情を探り、自分は上手く後方に回る事で弾丸を回避する。
そしてカイト達が傷ついている横で、静かに観察し続けていたのだ。
誰が、あるいはどんな人間を清掃後の地球に住まわせるべきなのか、を。
なんて高圧的な思想なのだ。
今となっては文句も言えないが、その為に様々な人間を使い捨てていった。
同じ人間のする事とはとても思えない。
地球の為と言えば聞こえはいいが、やろうとしていることはただの大量虐殺ではないか。
「地球の為に――――」
なぜ彼が地球の為に尽力しようと思ったのかは知らない。
もしかするとシュミットが人類に失意を抱いていた影響をふんだんに受けたからかもしれないが、今となっては確認しようもないことだ。
だが、ウィリアムは純粋だった。
20年近く抱いてきた想いは年月と共に昇華され、栄養剤という形でエミリアの中へ入り込む。
「うあ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
ウィリアムが頭の中で叫ぶ。
生物を根絶やしにしろ、と。
そうすることが絶対に正しい事なのだと、深い暗示をかけていく。
気付けば、エミリアは自らの口でウィリアムと同じ思想を呟いていた。
「地球の為に、生物を――――」
すべてを口にする前に、エミリアは言葉を飲む。
代わりに吐き出したのは、今はもういないウィリアムへの恨み言だった。
「卑怯者!」
誰も通らない廊下に、エミリアの声が虚しく響く。
「そんなに綺麗にしたいなら、どうして私を選んだの!? そこまで果たしたい願いなら、なんで自分の手で直接やろうとしないのよ!」
いつもそうだ。
ウィリアム・エデンは自分の手を汚そうとしない。
別の誰かを動かして、後ろから眺めているばかり。
「自分でやれよ! あなたの願いでしょう!?」
心臓が跳ね上がる。
今にも燃えてしまいそうな熱を感じつつも、エミリアの脳は汚染されていった。
亡きウィリアムへの恨みは虚空へと消え去り、新たな欲望が彼女の中に芽生える。
『殺せ』
「殺せ……」
『滅ぼせ』
「滅ぼせ……」
脳から溢れ出る意思のまま、言葉を紡ぐ。
「コノホシニ、オマエタチハイラナイ」
水が床を走り、換気口の中へと飛び込んでいく。
かつてエミリアと呼ばれていた生物は、遠くから聞こえる生物の呼吸音を求めて彷徨いはじめた。
次回は土曜日に更新予定




