第239話 vs異変
「これほどまでとは……」
アーガス・ダートシルヴィーが消沈気味に呟く。
モニター越しに見える光景は、正に弱肉強食。
強者が弱者をいたぶる姿に他ならない。
しかもここで打ちのめされているのは、あの神鷹カイトである。
新人類王国で名を馳せた戦士たちがこぞって戦いを挑み、敗北を喫した男だ。
国の切り札と称される鎧でさえ彼に負けた。
今でこそ味方だが、敵だった頃はどうやって倒すべきか真剣に悩んだものだ。
そんな神鷹カイトがアーガスの目の前で蹂躙されている。
俄かには信じがたい光景だった。
相手は自分たちを一撃で叩きのめしたゼッペルと呼ばれる新人類。
強いとは感じていたが、まさかこれほどまでとは思わなかった。
「山田君ですら、ああなのか」
格が違う相手だと御柳エイジは言った。
アーガス自身、それは認めている。
戦ったと言えば聞こえはいいが、殆ど相手にならなかったのだ。
ゼッペルが強いのは認めざるを得ない。
だが、内心密かに思っていた。
カイトならアイツに勝てるのではないか、と。
あの新生物を格闘戦で圧倒し、鎧でさえも倒した彼ならば負ける筈がないという信頼感があった。
ところが、その神鷹カイトもダウン寸前である。
敵を抉る爪は骨ごと砕かれ、今もその威力を浴び続けていた。
彼が再生能力を持って生まれていなければ既に殺されている。
アーガスはゼッペルの拳の威力を目の当たりにし、背筋が凍えてしまった。
自分よりも付き合いの長いエイジとシデンはきっと更に深い絶望感を味わっているのだろう。
そう思いつつも、彼は共に囚われたふたりの顔色を伺う。
「……気付いたか?」
思っていた表情とは少し違う、疑念の顔色だった。
呟いたエイジの疑問を受け取り、シデンは静かに頷く。
「うん。でも、いったいどうして……」
「どうしたのだね」
疑惑を感じるふたりにアーガスが問う。
比較的近くで水晶漬けにされたシデンが視線を向け、呆れたように溜息をついた。
「君、カイちゃんと戦った事あるんでしょ? だったら違和感を感じないかなぁ」
「違和感?」
言われ、再びモニターに目を向ける。
殴られ続けるカイト。
ひたすら殴る、蹴るといった暴行を繰り返すゼッペル。
一撃を受ける度に身体が宙に浮いており、画面越しながらもその威力を感じ取る事ができた。
ただ、これ自体はそこまで違和感を感じない。
あまり認めたくはないが、攻撃する者とされる者の一般的な光景と言えた。
強いて言うなら、ここ最近ボロボロになっていなかったカイトが一方的に殴られているといったレベルである。
「む」
そこまで思考を回し、アーガスは気づく。
神鷹カイトはこれまで幾度も続く戦いを経て、何度もボロボロになっている。
だが、決まって最後は涼しい顔で復活を遂げていた。
彼には強力な再生能力があるからだ。
トラセットでの戦いにおいて、生命力を吸い取る根を植え付けられながらも僅か2日で復活したのはその人並み外れた生命力の賜物だろう。
ところが、そんなカイトが何時までも右腕を庇い続けている。
「……まさか、あの美しい再生が始まっていないのか?」
「というより、傷の治りが目に見えて遅い」
これまで近くで見てきた分、その変化がよくわかる。
エイジは眼に映る現実を受け入れつつ、親友の身体の変化を解析しはじめていた。
「骨折はアイツなら1分もかからずに元に戻る。だが、今のアイツは皮膚の傷すら満足に直せていない」
「しかし、なぜ」
アーガスはここでようやくふたりと同じ疑問に辿り着いた。
何故このタイミングで能力の衰えが見え始めたのか。
先にその疑問に辿り着いていたふたりは、既に答えを出している。
「考えられる可能性があるとすれば、あの移植手術だ」
親友の左目に植え付けられた化物の目玉を注視する。
あれを埋め込まれてからもう半年近くになるが、目に見える異変はこれが始めてだった。
だが、もう半年だ。
元から順応するのかさえ不思議だった化物の目玉である。
身体に異変をもたらすのは不思議ではなかった筈だ。
「ゲーリマルタアイランドやヒメヅルでも、アイツは致命傷を負わなかった。顔が顔だから病院にも行ってない」
半年間で気付くチャンスは幾らでもあった筈だ。
だが、できなかった。
神鷹カイトに対する絶対的信頼感。
多少の傷を負っても、アイツなら大丈夫だろうという楽観視が盲目を生んでしまった。
「殺されるぞ……」
気付いた時には、もう遅い。
まだ完全に失われたわけではないが、あの再生速度ではゼッペルの破壊力を受け切る事は出来ないだろう。
『ぐあっ……』
モニターの中にいる親友が苦痛の声を漏らす。
痛みに慣れ、澄ました顔をすることが多い彼がここまで追い込まれるのは初めてのことだった。
それだけの敵だ。
あんな奴がいること自体が信じられないというのが本音なのだが、現実に存在している。
目を背けたとしても、目に入るところで立ち塞がっていた。
『どうした。女に交代する気力すらないのか』
襟を掴まれ、身体を持ち上げられる。
もう限界だ。
何度も撃ちこまれた身体は、傍から見て動く物とは思えない。
『なにが不死身の戦士だ』
ゼッペルが嫌悪感剥き出しで言い放つ。
『なにがXXXだ』
長い前髪で覆われた眼が悪意を込める。
『なにが新人類最強だ!』
放たれた拳がカイトの腹を抉る。
身体がくの字に折れ曲がり、口内から嗚咽を吐き出させた。
『なんの為にあなたは生きてきた。最強の呼び名を欲しいがままにしておいて、ただ惰性を貪ってきたのか』
そんなわけないだろう。
確かに戦いから離れていた時期がある。
だが、それだけが全てじゃないのだ。
日々を精一杯生きるっていうのは、それだけじゃないだろう。
『XXXを捨ててなにを得た。そこで培った物は、あなたの人生の喜びだったと聞く』
それを問うのは酷というものだ。
カイトにとってのXXXは、生きる糧である。
だが、それも過去の話だ。
彼の生き甲斐は、喜びと共に悲しみも与えたのだ。
当時のことを思いだしたのだろう。
ボロ雑巾のようにやられていたカイトの瞳に、再び光が灯る。
『……なんだ、その目は』
ゼッペル・アウルノートは思う。
さっき倒した女と同じ様な目だ、と。
同じ体を共有しているだけあり、所詮は同類なのだろうか。
不快だ。
弱いくせに、いっちょまえに敵意だけ向けてくる。
彼もその程度の人間だと言うのか。
『そんな意思が残っているなら、私を殴り返してみろ!』
鉄拳が顔面へと炸裂する。
返り血を浴びた拳を引っ込めると、ゼッペルは見た。
まだ僅かに動くカイトの指先を。
『動けるのか。女に交代しないところを見るに、まだ危機意識が足りないのか。もしくはそれをやる元気すら失ったのか』
どちらにせよ、先に女を殺すと宣言した以上、カイトを始末するのは宜しくない。
彼は最後の希望だった。
その希望を簡単に断つのは、勿体ない気がする。
だからこそ様々な手を使って戦意を引き出させようとしたが、どれも失敗している始末だ。
そろそろ見切りをつけるべきか。
思いつつも、一抹の希望を拭い捨てることがなかなかできずにいた。
もう頼れるのは彼だけなのだ。
己の中にある、言葉にすることのできない苦しみを解き放ってくれるかもしれない存在は。
だからこそ願う。
戦ってくれ、と。
彼らにとって、今がどれだけ緊急事態なのかは理解している。
それだけに申し訳ない気持ちもあるが、そうでもなければXXXの戦士と戦う機会はなかっただろう。
ゼッペルにとって、生物の死滅など二の次だった。
興味がないと言い換えてもいい。
彼が興味を持っているのは、自分と対等に戦ってくれる強者の存在だった。
『……よし』
最後の切り札を出そう。
何時までも女に交代しようとしないカイトに痺れを切らして、ゼッペルがとっておきの秘策を準備する。
『これが最後だ。もしこれで私が勝ったら、今度こそあなたを殺す』
逆に言えば、これでダメならもう自分の望みも潰える。
僅かな緊張を携えつつ、ゼッペルは小さく切りだした。
『元XXX監督、エリーゼの死についてだ』
カイトの目が大きく見開かれた。
カプセル状の水槽の中に、何かが投じられる。
天井から繋がる空洞から放り込まれたソレは、握り拳程度の大きさで形成された六角形の金属だった。
金属は水槽の中で僅かに泳ぐと、瞬く間に溶けていく。
「それは?」
水槽の中にいる『エミリア』という女性に向けてスバルが質問した。
気泡が漏れ、エミリアが質問に応じる。
相変わらず姿は見えないままだ。
『……栄養剤、かしら』
「具合でも悪いの?」
『そういうのじゃないんだけどね。ここに囚われてからずっと義務付けられてるの』
穏やかではない話だ。
先のゼッペルの襲来といい、ウィリアム・エデンはかなり強引に自分のやり方を推し進めている気がする。
「エミリアさんは何時からここに?」
『もう3ヶ月くらい前かしらね。突然やってきたウィリアムとゼッペルっていう青年に襲われて、この様』
「酷いことするなぁ」
自分のところに襲来してきた彼らの姿を思いだし、憤慨する。
元とはいえチームメイトでさえも手加減抜きなのだ。
今頃、エイジたちもどうなっているのか想像もできない。
「でも、カイトさんなら」
『カイト? 彼の知り合いなのね』
「う、うん」
唯一無事でいそうな人物の名前を自然と口に出してしまい、スバルは慌てて口を閉める。
エミリア・ギルダーと同居人の関係については知っている。
カイト側はともかく、エミリアとしては苦い経験だ。
なんといっても告白から2秒の瞬殺である。
もしも自分が彼女の立場なら、立ち直れる気がしない。
『……もしかして、私のことも知ってる?』
「い、一応」
『そう。意外ね、彼にこんな人のよさそうな友人ができるなんて』
前も彼のチームメイトから似たようなことを言われた気がする。
スバルはXXX時代の同居人を深く知っているわけではないが、相当な一匹狼だったようだ。
『で?』
水槽の輝きが増す。
『私の事はどこまで聞いているのかしら』
「え、えと……」
妙な気迫を感じる。
水槽の中にエミリアの姿は映っていないが、何故だか睨まれているような気がしてならない。
『……はぁ』
ややあってから、水の中に気泡が浮かぶ。
『わかりやすいね、君。そんな解答だと、私に言い辛いことがあるのが一目瞭然じゃない』
「す、すいません!」
何故だかその場で土下座をしてしまう。
水槽に向かって頭を下げる少年の図はかなりシュールな光景だった。
『……じゃあ、知ってるんだ。私がフラれたの』
「知ってると言うか、人伝に聞いたと言うか」
『じゃあシデンかエイジ辺りね。全く、デリカシーが無いんだから』
思ったよりも気にしてない口調ではある。
フラれたといっても、既に何年も前の話なのだ。
今となっては思い出話にすぎないのかもしれない。
「大丈夫だよ。そこに閉じ込められているのも今日限りさ。きっと、カイトさんがなんとかしてくれるから」
『やめて』
即座に拒絶の言葉が飛んできた。
反射的に水槽を見る。
青い光が輝きを増していた。
『もう会わす顔がないの。私、彼に謝っても謝りきれないことをしちゃったから』
「エミリアさん?」
『これは私の罪なの。だから、罰を受けなきゃいけない』
様子がおかしい。
さっきまで普通に会話していたのが、明らかに困惑している。
感情を上手くコントロールできず、心の中に湧き上がった言葉をそのまま吐き出しているような印象を受けた。
「罪って、なに?」
つい最近、罪の意識に押し潰されそうになった少年が問う。
状況だけ見れば、彼女は被害者のように見える。
こんな場所に閉じこめられ、栄養剤を投与されるだけの人生なんてどう考えても拷問だ。
だと言うのに、彼女はそれを罰として受け入れると言っている。
ただ、他のXXXメンバーのこれまでの様子を見る限り、そこまで複雑な事情があるようには思えない。
もしも彼女がなにか失態を犯し、それがキッカケでチーム内に深刻な事態を巻き起こしたと言うのなら、もっと彼女のことを悪く言ってもおかしくない。
彼らは遠慮がない人種だ。
既にウィリアムの悪口も聞いている以上、エミリアの方だけ聞かないのは不自然に感じる。
「考え過ぎじゃないの? ほら、別れて随分と経ったし、みんな許してくれてるかも」
『私は奪ったのよ』
なんとか落ち着かせようと話を振るも、それもエミリアによって遮られる。
『知ってる? あの時、彼には好きな人がいたの』
「……うん」
その結果、エミリアの想いがどうなったのか。
神鷹カイトの想いがどうなったのかも知っている。
「でも、彼女はもう」
『そうよ。死んだわ』
一旦、間を置く。
しばしの静寂を挟み、エミリアは己の犯した『罪』をゆっくりと告げた。
『私が彼女を殺したの……つまらない嫉妬だったわ』




