第236話 vs1年の楽しみ
足音が聞こえる。
静寂の空間ではよく響く音だ。
本来ならこの基地で足音が反響するなんて珍しい事なのだが、今のここには雑音がない。
それを引き起こす人間がいないからだ。
「きたか」
待ち焦がれていた気配を感じとり、ゼッペルは握り拳を作り出す。
グーが解き放たれた直後、廊下を侵食していた水晶が一斉に砕け散った。
「話は済んだか」
クリスタルの陰になっていたカイトの姿がゼッペルの目の前に現れる。
彼はクリスタルの破片を踏みつけながらも、ゼッペルの元へと歩み寄った。
「ああ。悪かったな、背を向けて」
「まったくだ。こちらはこれを楽しみに1年を過ごしてきたというのに」
「もうちょっと他に楽しみを見出した方がいいぞ」
「残念だが、テレビや運動を楽しいと思った事はないんだ」
意外と乗りのいい男である。
堅物な性格をしているのかと思いきや、冗談にも乗ってくれる。
試しに、ここで真面目な話に切り替えてみた。
「お前としてはどう思ってるんだ。今回の件」
「彼の目的には興味がない。それに、私としては旧人類だろうが新人類だろうが新生物だろうがどうでもいい」
「お前も戦えればそれでいいという口か?」
「いや」
ゼッペルが僅かに顔を背ける。
「前も話したと思うが、証明したいんだ」
ゼッペル・アウルノート。
最強の兵士と言う役割をウィリアムから与えられ、そのまま調整された戦士である。
彼は役割通り、常に戦いを勝利へと導いてきたのだが実感がわかなかった。
「目標をクリアすることに生き甲斐を感じる人間がいるというが、生き甲斐とはなんだ」
ゼッペルにはそれがわからない。
負けたことが無いからだ。
途中で躓くことなく勝利してきた彼にとって、この世界は非常につまらなく見える。
「周りの人間が私をどう評価しているのかは知っている」
最強の兵。
鬼神。
騎士。
様々な呼び名が付けられたが、有名になればなるほど虚しさは増すだけだ。
ゼッペルを頼りにする気持ちはわからなくはない。
神頼みというが、いるかもわからない神様に頼み込んだところでどうにかなるわけでもないのだ。
それだったら、実在している鬼神にお願いしたくもなる。
「私は確かに彼らの期待に応えた。応え続けて、敵を倒した」
それにより、ゼッペルの周りにいる人間は安堵感と敵に対する優越感を得ていった。
それ自体はいい。
戦いに勝てば嬉しいし、気持ちも昂る。
一息つきたくなるのも道理だ。
「だが、私の気持ちはどうなる!?」
戦いに勝ち、周りの人間が安堵感を得ていく度にゼッペルは悩む。
「ただ毎日戦いに繰り出すだけの毎日で、やることは常に雑魚掃除。そんなもの、名誉な物か!」
人によっては、貰える賞状こそが誉だと言うかもしれない。
だがゼッペルは実感に拘る人間だった。
「私はイルマ・クリムゾン程、己を殺しきれない」
「その結果がこれか」
ある種、イルマよりも性質が悪い。
命令されればその通りに動くイルマと、己の価値を明確にしたいゼッペルでは願いのベクトルが違う。
我儘さでも、だ。
「もしも、それでこの世界が滅びたらどうする」
「その時は新生物と戦ってみるさ」
これまでカイトは様々な戦闘狂を見てきたが、ゼッペルはどちらかと言えばチャレンジャー精神を持ち合わせているように思えた。
彼は自分よりも強い人間と戦い、負けることを望んでいる。
飽くなき向上心の為に。
「その前に、あなただ」
ゆっくりと人差し指がつきつけられる。
「つまらない話は終わりだ。こっちは1年……いや、ずっと待ってきたんだ。あなたが知らない時間も、ずっと」
故に、ゼッペルは解き放つ。
自身の内に秘めた激情。
煮えたぎらんばかりの闘志。
研ぎ澄まされた戦闘能力。
そのすべてを、ここにぶちまける。
「最後にひとつ、忠告しておく」
「なんだ」
「これまでは彼の命令を尊重し、XXXは殺さずに倒してきた。だが、もう我慢できそうにない」
空間がゼッペルのオーラで満たされていく。
四方八方から睨まれているかのような重圧感がカイトに圧し掛かってくる。
「死んだらすまない!」
周囲360度を囲んでいた敵意が具現化する。
空気が圧縮され、息が詰まりそうな圧迫を受けつつも、カイトは素早く靴を脱ぎすてた。
「見くびるな」
乱暴に脱いだ靴が床に転がると同時、カイトの姿が消える。
強烈な暴風がゼッペルの正面から吹き荒れ、先程までカイトがいた場所に水晶の刃が突き立てられた。
「へえ」
床に。
壁に。
天井に無数の足跡が出現する。
一歩の踏込の力が強すぎて、足場が耐えきれないのだ。
傍から見れば不気味な光景だったが、ゼッペルは落ち着いた様子で観察する。
「……ふむ」
顎に手を当て、間を置く。
僅か一秒程度の動作だったが、その行動を経た後に彼の顔つきが変わる。
敵意を露わにした険しい瞳が、真横に向けられる。
左手が動いた。
自然と振り上げられたそれは、素早い動作で襲い掛かるカイトの一撃を容易にキャッチしてみせる。
「真剣にやってくれ。こっちはもう待つのは飽きた」
僅かに驚愕するカイトを尻目に言う。
言われた側は唇を尖らせると、ゼッペルの手を振りほどいた。
再度、突風が吹き荒れる。
「……」
風を肌で勘じ、ゼッペルは溜息をつく。
1年前、始めて接触したあの時。
彼はカイトを相手にこう言った。
自分の方が強そうだ、と。
内心、それが覆られることを期待していたのだが、それも敵いそうにない。
吹き荒れる風の中、ゼッペルの瞳は常にカイトを捉えていた。
「それが限界だとしたら、期待外れだ」
「ほざけ」
真後ろから勢いのついた風を感じる。
判りやすい。
あまりに判りやすすぎて頭痛がする。
ゼッペルは蟀谷を抑え、再び左手を構えた。
「ふん」
特に力を込めた荒い鼻息というわけではない。
寧ろその逆。
退屈と期待外れから成り立つ、落胆の吐息だ。
ゼッペルの左手が再びカイトを捉える。
僅かに身体を逸らすことで爪を避けると、彼の魔手はカイトの襟首を力強く鷲掴みにした。
「うお――――!?」
強烈なパワーがカイトの身体を持ち上げる。
宙に浮いた。
左手だけの力で放り投げられたことを実感すると、カイトの眼前に水晶の矛先が迫る。
「残念だ。前置きの方が時間が長いというのは流石に期待外れだよ」
心底そう思っているのが手に取るようにわかった。
時間にしてまだ数分も経過していないと言うのに、ゼッペルの瞳からは落胆の色が浮かび上がっている。
「調子に乗るなよ」
あまりにも早すぎる決断を下されたことを知ると、カイトの目つきが途端に鋭くなった。
「む!?」
明らかに場を包む空気に変化が訪れた。
それを察知すると、ゼッペルの目から落胆の色が消える。
「なに?」
僅かな期待が浮かび上がったその時。
ゼッペルの視界からまたしてもカイトの姿が消えた。
今度は風も何もない。
足場に痕跡も残すことなく。
神鷹カイトがゼッペルの世界から忽然と姿を消す。
「!」
周辺を見やる。
正面。
いない。
右。
いない。
左。
やはりいない。
ならば後ろは。
振り向いてみるも、結果は同様だ。
気配は一向に感じられない。
どこに消えたのだと感じつつも、ゼッペルは視線を元に戻す。
銀に光る刃が眼前に迫っていた。
「おお!?」
敵意も気配もない。
そんな状態から攻撃を仕掛けようとしている。
まさか寸止めかと瞬時に考えるが、カイトの勢いはとまらない。
あれは敵意もなくそのまま突き刺しに来る気だ。
理解すると同時、ゼッペルは屈む。
皮膚を貫き、頬から赤い液体が飛び散った。
次回は日曜日に更新予定




