第199話 vs悪夢
――――スバルさーん!
少女が呼びかける。
何時ものように笑顔で、大きく手を振ってこちらに声をかけてきた。
彼女の笑顔を見るだけで、反射的に笑みが浮かんでしまう。
スバルは少女の元へと駆け寄った。
走る。
彼女が自分を呼んでいるのだ。
早く行かなければならない。
行かなければならないのだが、しかし。
どんなに速く走っても少女の元には届かない。
彼女の姿が闇の奥へと遠ざかっていく。
「ま、待てよ!」
スバルは手を伸ばし、彼女を呼び止める。
だが、少女は悲しげな表情をしてからスバルに背を向けた。
そのまま闇の中へと歩いていく。
「信じてたのに」
恨めし気な言葉を吐き捨て、少女が闇の中へと消えていった。
跡形もなく消えてしまった彼女の影を眺め、スバルは呆然と立ち尽くす。
不意に、周囲に人の気配がした。
スバルがそちらを向く。
彼が17年の人生で出会ってきた知人や友人、家族が揃って笑いかけてくれていた。
突然の登場に驚きつつも、スバルは喜びを隠せない。
そのまま近くにいる仲間の元へと近寄っていく。
「あれ?」
挨拶をしようとしたミハエルの姿が消えた。
彼の隣にいたオズワルドとカルロも、まるで霧が晴れたかのように消滅してしまっている。
猛烈に、嫌な予感がした。
身体中に寒気が駆け巡る。
周囲を取り囲んでいた仲間たちを再び見やった。
ひとり、またひとりと闇の中に飲み込まれていく。
小さなブラックホールが真後ろに出現し、彼らを食っていった。
だが、仲間たちは一切抵抗しようとしない。
彼らは抵抗しない代わりに、スバルに非難の眼差しを送っていた。
「やめろ!」
見えない何かに向かい、スバルが叫ぶ。
彼の雄叫びは闇の中に虚しく消えていった。
雄叫びと共に、多くの友人たちが飲まれていく。
カノンが。
アウラが。
アーガスが。
ケンゴが。
柏木一家が。
赤猿が。
ヘリオンが。
大家のおばちゃんが。
エレノアが。
エイジが。
シデンが。
みんなが、手の届かないところに消えていく。
全員が自分を非難してくる。
彼らの無言の抗議が、少年の胸を締め上げた。
「やめろよ! 俺が何をしたっていうんだ!」
「お前には止められないさ」
虚空へと向けられた憤りに反応する声があった。
後ろを振り返ってみる。
ただひとりだけ残ったカイトが、スバルを睨みつけている。
「いずれこうなる。お前の元からみんないなくなるんだ」
「どうしてそんなことを言うんだよ!」
「必然なんだよ」
カイトが近づいてくる。
スバルとの距離が零になった瞬間、彼の身体は砂となって崩れ落ちた。
「ほら。立場を弁えないで、その場の勢いだけで戦っていくから俺もこの様だ」
カイトの生首がスバルの胸の中で喋る。
首が砂時計のように崩れ去った瞬間、スバルは悲鳴をあげた。
『師匠!? 師匠、起きてください!』
「仮面狼さん!」
「うあっ!?」
ダークストーカーのコックピットでスバルは覚醒する。
顔中汗だくでの起床は気分が良い物ではなかったが、今は起こしてくれたシルヴェリア姉妹に感謝しなければならないだろう。
ぼんやりとしか覚えていないが、嫌な夢を見ていた気がする。
「魘されてましたよ。大丈夫ですか?」
「あ、ああ。なんとか」
『やっぱり、後部座席はふかふかにした方がよかったかな……』
カノンがメイン操縦席から見当違いな心配をしてきたのを見て、スバルは自分が置かれた状況を思い出す。
「そっか。俺、ヒメヅルに行くんだ」
「何をいまさら」
真顔で今更すぎる事実を呟く少年に対し、アウラが厳しいコメントを投げつける。
現在、ステルスオーラを纏って飛翔するダークストーカーと3機の旧人類連合ブレイカーは、南半球のゲーリマルタアイランドから日本のド田舎、ヒメヅルへと移動していた。
飛行機ではなく、ブレイカーで、だ。
なるだけ敵に見つからずに移動する為にカイトが提案した策である。
尚、ダークストーカーにはスバルとシルヴェリア姉妹が。
青のブレイカーAにはオズワルドとアーガス。
ブレイカーBにはカルロとエイジ、シデン。
ブレイカーCにはミハエルとカイトのセットという組み合わせだ。
不眠不休で飛ぶ為、それぞれにバランス良く人を乗せてた結果である。
当然、休憩もコックピット内でとるのが当たり前だ。
実際、スバルは休憩で仮眠をとっていた。
「俺、どのくらい寝てた?」
「約5時間ですね」
仮眠のつもりだったが、かなり眠ってしまっていたらしい。
スバルは後部座席で軽く腕を回し、身体を鳴らすとカノンに提案した。
「代わるよ。そろそろカノンも休憩を取った方がいい」
ダークストーカーを動かす少女は、重症だった。
彼女の右腕には包帯が巻かれており、首から下半身に至るまで包帯だらけである。
本来ならすぐにでも病院に押し込めるのがいいのだろうが、本人の強い希望で同行することになった。
無理をしない範囲なら操縦も可能だと主張したのもある。
『まだ大丈夫ですよ。師匠は眠気を覚ましておいてください』
傍から見れば彼女の姿は痛々しいものであったが、当の本人はそんな気配を少しも見せていない。
出血が激しくてやばい、というのは妹のアウラによる検診結果だったが、彼女が応急処置で施した手当が案外利いているようだ。
本当ならマリリスに頼んで傷を治してもらうつもりだったのだが、もう彼女は居ない。
『全員、聞こえるか』
そんなことを考えている内に、通信が入った。
先陣を切るオズワルドからである。
『目的地まで後1時間で到着する見込みだ。ここで予定を改めて確認したいと思う』
言い終えると同時、ミハエル機から新たな通信が入る。
未だにオズワルド達から司令官だと認識されているカイトからだ。
『目的地はヒメヅルシティ。そこから東に15キロほど離れた山奥だ』
流石に直接街に着陸するのは問題があると判断したのだろう。
アーガス襲来の件もあり、あの街は空飛ぶ兵器に敏感になっている可能性があった。
『イルマとの合流時刻は午後17時。それまでの間、二手に分かれて行動を取る』
先ずは実際にヒメヅルに向かい、イルマと合流する者。
こちらはカイトとスバル、そしてシデンとエイジが向かう。
そして残りのメンバーがブレイカーと共に山奥に残り、不測の事態に対応するメンバーである。
『まあ。無難な選択だ』
一通りカイトの説明を聞いた後、アーガスが言う。
『私が行けばパニックになるだろう。私自身の罪だ。役割は美しく務めようではないか』
『それだけじゃない。あの街は外人に敏感だ。日本人以外の奴が来れば、問答無用で新人類軍だと認定される可能性が大きい』
ゆえに、カノンとアウラ。
それにオズワルド達も留守番である。
必然的に残りの東洋系の血筋を持っている人間がヒメヅルに向かう流れになるのだ。
ただ、スバルとしては大きな不安要素がある。
「でも、大丈夫なのか?」
『なにが』
「俺とカイトさんが街にいってさ」
深い意味はない。
1年前、故郷で何が起こったのかスバルは知っているつもりだ。
現場には途中までしかいなかったとはいえ、当事者である。
それに、カイトが元新人類軍なのは住民たちも知っている筈だ。
柏木家の夫人を始めとする反新人類思考の人間がなにをしてくるかわからない。
『問題ない』
そんなスバルの懸念を、カイトはあっさりと突き放す。
『秘策がある』
「どんな」
ただ街に行くだけなのに、なにをするというのか。
若干、嫌な予感を感じつつもスバルは尋ねた。
『昔、こういう時の為に買ったマスクがある』
「プロレスじゃねぇんだよ!」
正面モニターに映し出されたカイトが、1年ほど前に雑貨屋で購入した覆面を取り出した。
黒が怪しい雰囲気を出しているマスクである。
これを被って銀行に入った時なんか言い逃れをする間もなく逮捕されるだろう。
彼の正面でブレイカーの操縦を担当するミハエルは終始苦笑いをしていた。
『何だ、お前イカスの持ってるじゃねーか』
すると、エイジが妙に乗り気でモニターに映り込んでくる。
こちらはどういうわけか紙袋を被っていた。
懐かしのアキハバラのヒーロー、ダンボールマンの姿である。
その隣には蝶型のマスクを装着したシデンが楽しそうに鏡を見ていた。
彼らの正面でブレイカーの操縦を務めていたカルロは頭を抱えている。
この時、スバルは彼に心底同情した。
『これを被った瞬間、俺はアキハバラを守る正義の味方。スター☆ハゲタカに変身する』
『そして俺はその親友。ダンボールマン!』
『ボクは正義のヒロイン、ジャッカルクィーンに早変わりさ!』
「楽しそうだなアンタ等!」
あまりに気の抜けた策を前にして、スバルは怒鳴った。
「あのなぁ! どうしてそうもポジティブなんだよ。マリリスが殺されたんだぞ!」
これまで黙っていたが、もう我慢の限界だった。
殺された少女のことを考えると、彼らの行動に憤りを覚える。
『だからこそ、平常心でなければならない』
そんなスバルに対し、彼らはあくまで冷静な口調だった。
彼はわかりやすい例を出し、スバルに落ち着きを求める。
『新生物との戦いで、自分がなにをしでかしたか忘れたわけじゃあるまい』
「それは……そうだけど」
『気分を害したなら謝る。俺たちは人の死には慣れてる方だ。切り替えもお前に比べれば異常に思える程早いだろう』
マリリス・キュロの死から既に3日が経過していた。
最初の内は誰もが口を閉ざし、暗い空気が充満していたものだ。
だが、だからと言ってずっとこのままではいられない。
『切り替えていかないと、今度は自分の番だ』
何時か、カイトが語ったことがある。
明日にはここにいる誰かが死んでしまうかもしれない、と。
その日がやってきてしまった。
だから、これ以上出さないために切り替えていく必要がある。
『俺達は最善を尽くしていかないといけない。連中も必死なんだ』
「それはわかるけど……その恰好は余計に目立つと思うぞ」
『なぬ』
第一期XXXの3人が一斉に驚きの表情を向けると同時、スバルは溜息をついた。
故郷、ヒメヅルまで後1時間。
1時間後、彼らは来なければよかったと強く後悔することになる。
次回の更新は土曜の夜か日曜の朝を予定




