第179話 vs山田学
試練の時である。
生徒たちの中に混じり、スバルは固唾を飲んで正面の演説台を見守っていた。
朝の集会で新人教師が挨拶をするのだ。
しかも、あの神鷹カイトである。
名目上、スバルの兄としてここにいるカイトだが、面倒な性格に変化がある訳でもなく、ただただ不安なだけだった。
なにかトラブルを起こそうものなら、自分とヘリオンで何とかするしかない。
ヘリオンのサポートをする為に臨時教師としてこの学園に来たはずなのだが、早速何の為に来たのかわからなくなってくる。
尚、スバルはあくまで生徒なので先に教室へと向かい、同年代の仲間たちに向けて簡単に自己紹介をするだけで済ませている。
幸いにも、彼の場合は既に知人がいた。
友人である赤猿の隣をキープすることで彼は何とかクラスの中に溶け込んでいたのだ。
だが、それも長くは続かないかもしれない。
何といっても、学園の設定上ではカイトと兄弟になる。
彼が何かトラブルを巻き起こせば、自然と自分も巻き込まれるのは目に見えていた。
「しっかし、驚いたな。ポッポマスターが教師とは」
スバルの隣で赤猿がぼやく。
数か月前のゲーセン決闘騒動の際、彼とカイトは師弟関係になったわけだが、赤猿の目から見てもカイトはそこまで器用そうには見えなかった。
寧ろ人付き合いは苦手そうに思える。
「実際どうなんだよ。こっちとか大丈夫なのか?」
赤猿が己の頭を指差し、スバルに問う。
「その辺は大丈夫だと思うよ。入試やテストの時はあの人に手伝ってもらったし」
「じゃあ、勉強はできるわけか」
「できるんだろうけど、芸術はわかんない……」
聞いた範囲では日本の家庭科、美術を全てまとめたような科目だ。
手先は器用なのだろうが、いかんせん性格が不器用である。
数多くの生徒を前にして、いかなる暴挙をしでかすか不安で仕方がなかった。
本人は考えがある為か妙に自信満々だったが、ヘリオンを含めた仲間たちは万場一致で不安だと判断している。
事と場合によれば、レジーナよりもコイツの方がヘリオンのストレスに拍車をかけかねない。
「――――と、いうわけであります。では、今日から就任する臨時教師の方を紹介しましょう」
学園長が席を譲り、新任教師を招き入れる。
マイクの前にひとりの青年が歩み寄った。
顔の半分を包帯で覆った、なんとも異様な雰囲気を放つ男である。
「どうも。山田・ゴンザレスだ」
早速奇妙な名前を耳にして、生徒たちがざわつき始める。
「ヤマダ?」
「ジャパニーズじゃねぇの?」
「でもゴンザレスだって」
「ハーフかな。完全に日本人に見えるけど」
そんな彼らのぼやきを知ってか知らずか、カイトはマイペースに続けていく。
「ここに来た理由は貴様らと一緒だ。だから、そんなに長くは居ない。さっきも学園長が言ったように、ただの臨時教師だからな」
なんとも生意気な教師である。
教師として学園に来る前にマナーを学んだ方がいいのではないかという声が上がり始めた。
まったく否定できる材料がないので、スバルはフォローができない。
「まあ、俺については思う事もあるだろう。ただ、こういう立場になった以上は手加減するつもりはない。心してかかるように」
何をする気なんだあいつは。
胸の奥から湧き上がる疑念を押し殺し、スバルは訝しげな視線をカイトに向ける。
彼だけではない。
周りの生徒たちも、こぞって同じような目で見つめていた。
「アイツは学校までジェノサイドするつもりなのか……?」
赤猿も同様である。
ゲームセンターのプレイヤーたちがたったひとりの新人類に壊滅させられたのは記憶に新しい。
まさかと思うが、似たような形で生徒全員を叩き潰すつもりではあるまいか。
「いや、でも2000人だからな。ゲーセンとはわけが違うし」
「甘い」
赤猿が勝手に納得しかかると、スバルは首を横に振る。
額から滝のような汗が流れ始めていた。
「あの人は戦いに勝つ為に生まれたファイティングマシーンだ。喧嘩を売られれば買うし、どんな勝負にだって立ち向かう」
いかんせん、新人類として完成しているのが腹立たしい。
半端な実力では正面から自信を叩き折られるのがオチだ。
実際、スバルも似たような経験がある。
「今日は高学年で俺の授業がある。逃げたければ好きにするといい。ただし、成績はオール0だがな」
「や、山田先生!」
流石の傍若無人っぷりに他の教師は黙っていられない。
立ち上がったのは数学教師だ。
彼は怒りを露わにして詰め寄ると、説教を始める。
「どういうつもりですか! 生徒に喧嘩を売るなど」
「喧嘩を売ったつもりはない。これは教育だ。俺は知っているぞ。コイツらの何人かは普段サボってるうえに、今日来てない奴はその辺のスーパーの近くでタバコをふかしてるのを」
この数か月間、ゲームセンターで働いていたがゆえに身についた知識であった。
平日のゲームセンターはそういった学生たちがよくたむろしてくるのだ。
「そんな連中を卒業させるつもりはない。小学、中学の連中はまだいいが高校でストップさせる」
「そんなことをしてどうするのですか!? と言うか、できると思ってるのですか!?」
「学園長の許可は貰った」
「がくえんちょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
その場にいる全員が驚愕の表情で学園長を見る。
視線に気づいたふくよかな中年男性は、にっこりと微笑みながらVサインを作った。
「ゆとり教育。大いに結構」
だが、カイトの方針は違う。
やるからには徹底的に、だ。
彼はそうやって第二期XXXを鍛え上げてきたのだ。
その結果、彼女たちがどんな風に育ってきたのかは読者の皆さんはよくご存知かと思う。
「自分の身を守るのは自分だ。これまでやってきたことはいつか必ず自分に降り注ぐ」
ゆえに、カイトは宣言する。
「俺に文句がある奴はいつでもかかってこい。気に入らないなら実力で納得させてみろ」
臨時教師、山田・ゴンザレスが受け持つ授業は芸術。
だからこそカイトは生徒たちが鍛え上げてきた芸術品をチェックする。
スポーツなり、学力なり、趣味なり、なんでもいい。
彼は『芸術=これまでの人生で培ってきた何か』であると考えていた。
実際問題、現時点でレジーナの敷いてきた教育カリキュラムがわからない以上、自分が信じることをするのみである。
「異議あり!」
そんなカイトに、早くもひとりめの挑戦者が現われた。
もはやどういう場なのかよくわからなくなってくる。
「生徒会だ!」
「生徒会長だ!」
演説台に向かい、ひとりのメガネをかけた少年が歩いてゆく。
その後ろには同じくメガネをかけた女子と、なぜかメモ帳を力強く握りしめた女子が控えていた。
「誰あれ」
「メガネ野郎が生徒会長。その横にいるのが副生徒会長。そして手帳女が書記だ」
赤猿は名前を教えてくれなかった。
もしかすると、全員の名前を覚えていないのかもしれない。
仕方がないので、スバルは彼らのことを役職名で覚えてあげる事にする。
「山田先生。あなたの授業は恐怖政治以外の何者でもない!」
と、生徒会長。
「当学園はあくまで生徒の主体性を重んじます」
と、副生徒会長。
「従って、自由を縛るあなたの退去を我々は求めます」
と、書記。
勇ましい。
実に勇ましい少年少女だった。
恐怖政治を強いる独裁者、山田・ゴンザレスに対し、彼らはどこまでも正義感を燃やして立ち向かおうとしている。
学園の自由と平和の為に。
だが、カイトは失笑するだけだ。
「口先だけは達者だな」
「なにを!?」
「生徒の主体性を重んじる。なるほど、いい言葉だ。感動する。そして反吐が出る。下水道みたいな臭さだ」
カイトは3人の若者を見下す。
刃のように鋭い目つきから、強烈な威圧感が飛んでくる。
生徒会はあまりのプレッシャーに後ずさりつつも、戦う姿勢を崩さなかった。
立派過ぎる。
あの眼光を真正面から受け止めた経験のあるスバルは、思わず涙が流れた。
「おい、お前。名前はなんだ」
副生徒会長を指差し、カイトは問う。
彼女は一瞬身震いしつつも、ゆっくりと答えた。
「り、リザ。リザ・ステークです」
「リザ・ステーク。お前は今、生徒の主体性を重んじると言ったな。では問おう。主体性とは何だ」
「そ、それは勿論! 自分で考え、行動する事です」
「結構。では、お前は自分自身の考えで俺を排除しようと。それでここまで歩いてきたわけだな」
「そ、そう……です、ね」
リザが弱々しく生徒会長を見やる。
視線の遷移に気付き、カイトは吼えた。
「自分で考えたのなら、もっとしっかり答えろ!」
「は、はひっ!」
あまりの迫力を前にし、リザが転倒する。
そんな彼女を庇うようにして生徒会長が立ち塞がった。
「やめろ。彼女は僕についてきただけだ。言いたいことがあるなら僕に言うといい」
「お前の名前は」
「僕は生徒会長のヨシュア・リドルゲだ!」
完全にバトル物の流れになっている。
生徒会長は学園バトルアニメなんかに出てきそうなキャラクターだ。
「では問おう、ヨシュア。俺に文句があるのならそれでいい。だが、なぜ彼女を連れてきた」
「生徒会の仲間だからだ」
「なるほど。なら、お前は仲間に自分の主張を言わせるわけだな」
「そんなことはない! 彼女も僕と同じ意見を持ったからこそ、ここに来た」
「本当かな? ちょっと睨んだらすぐにお前を見ていたが」
「アナタが吼えるからだろ!」
一理ある。
完全に悪役として降臨しているカイトを前にして退く気のない生徒会長の勇気に感銘を受けつつも、スバルはそう思った。
「どうかな」
ところが、カイトも退く気がない。
大人気ないにも程があるが、この場で生徒と本気でやりあうつもりだ。
これでは当初の目的から大きく逸脱する上に、ヘリオンの暴走に拍車をかけてしまう。
恐る恐る、スバルは職員たちを見やる。
ヘリオンは笑顔で見守っていた。
「あれ」
「どうした」
「あ、いや。なんでもない」
見間違いかと思いつつ、もう一度ヘリオンに視線を向ける。
笑っていた。
ヘリオンだけではない。
周辺の教師たちも、その殆どが微笑ましい様子で見ていた。
「ヨシュアよりも前に、お前にも聞いてみたいことがある」
正面の『見世物』に異変が起きる。
独裁者、山田・ゴンザレスは書記の娘を指差した。
「お前の名前は?」
「あ、アシェリー・スーンです……」
すっかり怯えきった表情でカイトを見上げるメモ帳娘。
だが、カイトは相手の戦意が喪失しようがお構いなしである。
「アシェリー。お前は俺の退去を求めると言った。どうやって退去させるのか、聞いていいか?」
「そ、それは勿論……」
「辞表を提出させるに決まっている!」
「喧しい。お前には聞いていない」
ヨシュアを一喝すると、カイトは再びアシェリーを見やる。
彼女はヨシュアの背中を見つつも、ゆっくりと口を開いた。
「じ、辞表を……出してもらいます」
「……お前、コイツの猿真似しかできないのか?」
「なにを!?」
激昂するヨシュア。
どうやらかなりの熱血漢らしい。
一昔前のヒーローには彼のような若者が大勢いた気がする。
さておき、今はカイトとアシェリーだ。
「じゃあ、どうやって辞表を出させる? これはアシェリーから答えてもらおうかな」
「そ、それは……」
この独裁者に辞表を書かせることに関して言えば、幾らか手はある。
例えば学園のトップである学園長がそういう宣告をすること。
恐らく、それが最もポピュラーな答えになるだろう。
しかし、今回はその学園長がにこにこ笑顔で見守っている。
彼は頼りにならない。
「え、えと……」
独裁者から放たれる強烈なプレッシャー。
背後にいる大勢の生徒の視線。
そして隣のヨシュアの必死になにかを訴えるような暑苦しい視線。
それらが一斉に、矢となってアシェリーに襲い掛かる。
「別に答えられなかったからと言って怒るつもりはない」
問いかけられ、10秒を過ぎた辺りでカイトはそう切り出した。
彼は心底落胆した様子で告げる。
「不合格。リザ・ステーク、アシェリー・スーン。主体性を訴えておきながら、お前たちには具体的なプランがない。戻れ」
「はい……」
「失礼しました……」
「お、おい!」
戸惑うヨシュアをよそに、ふたりの女子生徒はトボトボと戻って行った。
そんな彼女たちの背中に、カイトは声をかける。
「これは課題だ。どんな小さな手段でも構わない。見つけて、上手く説明できるようになったら俺のところに来い。卒業するまでにできなかったら留年だぞ」
「は、はい!」
その言葉を聞き、リザは反射的に返事をしてしまった。
一方のアシェリーはポカンとしながらカイトを見上げている。
「アシェリー・スーン。返事は?」
「は、はいぃっ!」
怒声にも似た声は、メモ帳娘の姿勢を必要以上によく伸ばす。
彼女たちが戻ったのを見届けると、カイトは改めて生徒会長を見た。
「さあ、ヨシュア。授業の続きと行こう」
「授業? これが?」
「当然だ。時計を見ろ」
言われ、ヨシュアは学園の時計を見上げる。
この騒ぎが原因で朝は長引いており、既に一時限目に突入していた。
「高等部の今日の一時限目は芸術だ。残念なことに、俺はまだクロムメイルから引き継ぎは行っていない」
だからこその自己流。
生徒たちの磨き上げた様々な芸術をチェックし、評価とダメ出しを繰り出していく。
「前任者が何時戻ってくるかは知らんが、俺の赴任期間は短いからな。学園長や教頭から許可を貰って、午前中は俺の授業になっている」
「え、そうなのですか?」
数学教師が唖然とした表情で教頭を見る。
教頭は呆れ顔になりつつも数学教師の元へと歩み寄っていく。
頭を叩いた。
中年教師のカツラが取れる。
「前日にそう連絡したでしょう! もっとも、あなたは電話に出なければメールもチェックしてなかったようですが!」
「ああ、申し訳ありません! 昨日はお腹の調子が悪くて」
「言わなくていいです!」
数学教師を引きずると、教頭はそそくさと去って行った。
後に残されたのは、独自の芸術概念を持つ臨時教師と熱血漢の生徒会長。
ついでにカツラ。
「そんなわけだ、ヨシュア。俺の授業が怖いか?」
「これは芸術っていうより、モラルに近いんじゃ」
「今は俺が教師だ。何をやって何を教えるかは俺が決める」
ゆえに、カイトは再び宣言する。
「いいか、餓鬼ども。これは戦いだ。貴様らが掴みとるのは今年の成績。貴様らの芸術が、俺を納得させることができないなら全教科ドロップアウトだ!」
理不尽すぎる。
嫌でもカイトに立ち向かわなければ、学園の生徒たちは皆落第生だ。
「俺を納得させ、勝つ事ができたら今度のテストは全教科プラス10点を加えさせてやる」
「マジで!?」
「マジだ。学園長の許可も貰っている」
「学園長太っ腹だぜ! 太ってるけど!」
誰かが言った。
多分、成績があまりよくない生徒なのだろう。
スバルも反射的にそう叫びそうになったから間違いない。
「さて、ヨシュア。勝負と行こう」
「なんでも勝負にもっていくのは野蛮人の考えだろう!」
「先に仕掛けたのはお前だろ。操り人形まで従えて」
「彼女たちは生徒会の仲間だ!」
「俺を前にしてあっさり引き下がる程度の仲間だったがね」
「うぐっ!?」
既にリザとアシェリーは後退している。
それは事実なので、ヨシュアは何も言い返せなかった。
「お前は主体性があるのかもしれない。だが、彼女たちにそれがあるかと言えば疑問だな。お前の目の前であのふたりは認めたわけだが」
「う、うう……」
たじろぐ生徒会長。
勇み足で挑んだ物の、相手が悪すぎたのは一目瞭然だ。
敵は揚げ足取りの天才である。
しかもバックに他の教師たちまでいる以上、自分が本当に正しいのかと言う疑念すら湧き上がり始めた。
「それでも、こんな乱暴な授業が許されていい訳がないだろ!」
「なぜ」
「非現実だ!」
「じゃあ、何が現実だ」
これまで多くの非現実を目の当たりにしてきた男が、改めて生徒会長に問う。
「芸術は裁縫さえすればいいのか。絵を描いてればいいのか。それともカッターで彫刻を作れば、それで満足か。完成品の出来栄えで点数をつけるなら、誰にだってできる」
「そ、それは……」
ヨシュアは言葉に詰まる。
獰猛な肉食獣に睨まれたかのような強烈なプレッシャー。
それだけではない。
彼自身、この科目の意味を見いだせないでいたのだ。
明確な答えを出せない以上、彼の口は動けない。
そう言う意味では、例え歪んでいようとこの独裁者の方が答えを持っている。
「ヨシュア・リドルゲ。お前は堅いな。勉強以外に真剣に取り組んだ経験はあるか?」
「ないよ! 家に帰ったら勉強。学生の本分だ!」
溜息をつき、カイトは少年に結論を告げた。
「お前、面白くない」
「はぁ!?」
「テストの点はいいかもしれないが、頭が悪いな。田舎の夫人はもっと発想力が豊かだったぞ」
「知るか! ていうか、誰それ!」
「お前が知る必要はない。もうちょっと視野を広げて見ろ」
好き勝手言うと、カイトは生徒会長への課題を言い渡す。
「面白いギャグを考えろ。俺を笑わせたら合格とする」
「え!?」
「ちゃんと考えろよ。卒業までに俺を爆笑させないと留年だ」
抗議したげなヨシュア。
しかし、この独裁者はもはやヨシュアを見ていない。
「次は誰だ。誰もいないなら次々と指名していくだけだぞ。時間は足りないんだ」
こうして、ひとりの臨時教師による青空教室が幕を開けた。
結局、この日は500名以上の生徒がカイトによって課題を言い渡されることになる。
逃れた生徒もいるが、結局は時間の問題だ。
次の日は更に残りの半数が課題を言い渡され、更にその次の日には8割もの生徒が課題を言い渡されてしまう。
余談だが、この授業はヨシュアにより『芸術』ではなく『山田学』と名付けられるようになるのだが、それはまた別の話である。




