ある新人教師の揺らぎ ~その男、テイルマン~
この世界には2種類の人間がいる。
力を持つ新人類と、そうではない旧人類だ。
一世紀ほど前に地球に衝突した隕石から溢れ出したアルマガニウムの影響で生まれたとされる新人類。
彼らは旧人類には真似できない個性的な力を持って生まれる場合がある。
例えば傷口が一瞬で塞がったり。
例えば周囲を凍りつかせたり。
例えば炎を自在に操って見せたり。
例えば旧人類を精神操作したり。
例えば身体から電流を流したり。
挙げていけばキリがないが、そういった超人が確かに生まれてきたのだ。
彼らは新人類王国の中でも特に特別な存在――――XXXとして纏められ、徹底的に力を磨き上げてきた。
新人類王国の勝利の為に。
人間としての性能で劣る旧人類を、ただひたすら駆逐する為に。
だが、一般的に彼らの存在が知れ渡っているのかと言うと、そんなことはない。
理由はいくつかある。
ひとつは世に知れ渡る前に代表的な戦士たちが脱走したこと。
そして当時、旧人類達の間ではひとりの新人類が話題になっていたからだ。
新人理王国の当時の代表者、リバーラ王はひとりの新人類を使って自分たちの存在と力をアピールした。
尻尾の生えた少年である。
閉ざされた空間に獅子を放り込まれても、微動だにしなかった金髪の少年。
彼は野獣が飛びかかっても椅子から微動だにせず、下半身から伸びる長い尾であっさりと束縛してしまった。
そして退屈そうな欠伸をして、獅子を殺した。
いとも容易く、だ。
その少年が登場した新人類の資料映像は、瞬く間に地球上に配信されていった。
ヨーロッパ、アメリカ、南半球、アジア、ロシア、アフリカ――――様々な土地に資料は届けられ、少年は歴史の登場人物としてその存在を知らしめることになる。
リバーラ王の演説から17年。
尻尾の生えた少年――――通称、テイルマンは近代社会を語る上では欠かせない存在となっていた。
歴史の問題でも必ず出題される。
現在進行形で学力テストの作成に勤しんでいる社会科教師、ヘリオン・ノックバーンも丁度その名前と相対していた。
教科書に赤線が引かれているテイルマンの存在感は、それだけ社会に影響を与えた証でもある。
「……はぁ」
ヘリオンが職員室のデスクで溜息をつくと、隣に座る数学教師の男性が声をかける。
彼はメガネをかけ直すと、年上らしい気遣いを見せながら言った。
「ノックバーン先生。何か悩み事ですかな?」
数学教師は知っている。
去年就任したこの新人教師は、自分を抑える傾向がある、と。
皆が知っていることだ。
他の科目の担当教師から校長に至るまで、誰もがヘリオンを気遣っていた。
ここ最近は特に溜息が深くなっている。
なにか悩みがあるのは明白だった。
しかも困ったことに、彼は自分から悩み事を打ち明けようとしない。
何がそうさせるのかは知らないが、ヘリオンはなんでもひとりで解決しようと奔走する傾向があった。
だが、ひとりでやれることには限界がある。
教師としても、人生でも先輩である数学教師はそれを理解していた。
社会人1年目は特に気合が入りやすい時期でもある。
現実と理想のギャップに直面し、悩むのは若者の通過儀礼のような物だと彼は考えていた。
同時に、その通過儀礼を通る為の手助けをするのが人生の先輩である自分たちの役割だと考えている。
ゆえに、彼ははっきりと悩みという単語を持ち出す。
同時にある程度予想を立てて切りこむ必要があった。
「そろそろ赴任して1年になりますからね。ここからいなくなる生徒も少なくはない。寂しいことでしょう」
「ええ、まあ……」
ぎこちない笑顔で数学教師に合わせるヘリオン。
彼の表情を見て、数学教師は肩を落とした。
自分の予想が外れたことに落胆した年配教師は、少しずつ修正していくために切り出した話題を続ける。
「言い方は悪いですが、仕方がないことです。出会いがあれば別れも何時かくる。こんな人の出入りの激しい島国では尚更でしょう。そういえば、ノックバーン先生のアパートでは来年から復学する予定の子供がいるんだとか?」
「はい。ふたりとも、もう島で仲のいい友人を作っているそうです」
「そうですか。それはなにより」
どうやらこれも違ったらしい。
果たしてこの若手教師は何に悩んでいると言うのだろう。
そんな彼の肩に手が置かれる。
たまたま通りかかった教頭だった。
「今はそっとしておきなさい」
「しかし教頭先生。このままだと授業に支障が……」
「彼の悩みは深刻なんです。それに、あんまりプライベートに関わる問題に首を突っ込むのはどうかと思いますよ」
「プライベート?」
数学教師が首をひねる。
そんな彼の態度に溜息をつくと、教頭は小さな声で耳打ちした。
「芸術のクロムメイル先生が先日からお休みしているのはご存知でしょう?」
「ええ、まあ。確か、風邪だとか」
「公にはそうなっていますがね。実はノックバーン先生との破局が原因らしいですよ」
「なんですと!?」
「しっ、声が大きい!」
小声とは言え、本人の前で話しておいて今更何を言ってるんだとは誰もツッコんでくれなかった。
「この前、夜の公園でノックバーン先生がフラれるところを体育のフォン先生が目撃したらしいです」
「それは、その……なんとも、まあ」
かける言葉が見つからないとはこのことだった。
プライベートを覗き見したフォン先生が教頭にチクってるのは置いといて、結構堪える話である。
「恐らく、クロムメイル先生も今は顔を合わせづらいのでしょう。こればかりは時間が解決してくれるのを祈るしかありません」
「しかし、なんでまた破局に。私が言うのも何ですが、ノックバーン先生はそこまでダメな男性には見えませんが」
「さあ。そこは彼女にしかわからない事情があったのでしょう」
好き勝手言い終えると、教頭はそのまま自分のデスクへと足早に去って行く。
結局、この日はヘリオンの溜息が止まらないままだった。
「ヘリオンさんの様子がおかしい?」
その日の夕方。
アルバイトを終えたマリリスとカイトが帰宅し、協力して夕食を作っている最中にカイトがそんな話を切り出してきた。
「なんというか、生気が大きく削がれている気がする。この前なんかムンクの叫びみたいな顔をしながら洗顔していた」
「想像したくないね、それ」
真顔でツッコむと、スバルは考える。
付き合いは短いが、ヘリオンには部屋を提供してもらった恩がある。
なにか困ったことがあるなら、力になってやりたいと言うのが本音だった。
「なんか悩みでもあるのかな」
「十中八九、そうだろうな。職場に問い合わせてみたが、目に見えてやばいそうだ」
「問い合わせたんですか!?」
「ああ。アイツがどんな感じで仕事しているのか、少し気になったからな」
ただ、案の定職場でも負のオーラを醸し出していた。
スバルは首をひねり、考える。
「なにを悩んでるんだろうなぁ」
「まあ、大体見当はつく」
「え!?」
予想外の返答を聞き、スバルは仰天した。
この男から振ってきた話題だというのに、答えに心当たりがあると言うのはどういうことか。
「問題は、今になって気にし始めた事だ」
「今になって、ということはこれまでは気にしてなかったのですか?」
「俺の口からは言えない」
「なんだそれ」
スバルとマリリスが顔を見合わせる。
何の為の話題提供なのだろう。
疑問に思うばかりだった。
「あくまで本人の問題だ。俺の口からは言えない。だが、それを気にし始めたってことはお前たちもアイツと関わるかもしれない」
「もう関わってるじゃん」
「お前らはアイツの正体を知らない」
その言葉でスバルは思い出した。
自分たちはまだヘリオンの能力を知らない。
一度聞いたことがあるが、本人がやんわりと拒否してきている。
「もしかして、あの人の能力の事?」
疑問に対し、カイトは何も答えない。
代わりに彼が口にし始めたのは昔話だ。
「XXXには、色んな能力者が集められた。当時、その中で一番注目された奴がいる」
「カイトさん?」
「いや。あいつだ」
「そんなに凄い能力を持ってるんですか?」
「どちらかというと地味な方だ。問題はアイツ自身が有名人だった事にある」
「ヘリオンさんが有名人?」
スバルとマリリスは再度首を傾げる。
ふたりはそれなりにテレビを見ているが、ヘリオンなんて名前を聞いたことがなかった。
「……ヒントはここまでだ。フォローは事情を知ってる俺達がやる。ただ、もしアイツが暴走したら覚悟だけはしておいてほしい」
「そ、そんなにやばいの?」
恐る恐るスバルが聞く。
彼がここまで評価しているということは、相当な能力者の筈だ。
それが暴走するかもしれないというのは、危険な予感がする。
「やばいな。だが、それでも昔の縁だ。なるべく俺達でなんとかしてやりたい」
カイトは細かくは説明しない。
スバルやマリリスに対し、己の能力を明かすことを彼は良しとしないだろう。
だが、ヘリオンの感情の揺らぎは危険であるとカイトは判断する。
能力が暴発しようものなら、アパートに住んでいる者を全員巻き込みかねない。
ゆえに、住民である少年少女にヒントだけを与えた。
「テイルマンを知ってるか」
「ているまん?」
「確か、リバーラ王が新人類の説明をする為に紹介した少年の通称ですね」
「そうだ」
頷くと、カイトは答えにも聞こえる言葉を投げつけた。
「アイツはテイルマンだ」




