第134話 vsパペット・メモリーズ ~その3~
光の中に足を踏み入れる。
再び見覚えのある場所に辿り着いた。
エレノアのお店。
その地下にある彼女の秘密工房だ。
いい加減、うんざりだった。
「……またか」
現代カイトは再び迷い込んだエレノアの歴史ダイジェスト空間で足を止め、溜息をつく。
移植手術を受けて自分が死んでしまったのかもわからないこの現状で、何が悲しくてエレノアの思い出を淡々を見続けなければならないのだ。
これならDVDをレンタルする自由が欲しい。
「今度は何だ。囚人になった思い出でも見せるか?」
誰にでもなく、カイトは言う。
今更言うまでも無く、彼はエレノアが嫌いである。
ひとりの技術者としては尊敬しているが、だからと言って彼女のラブコールはもう聞きたくなかった。
口を開けばべたべたしてくる。
見かければちょっかいを出してくる。
勝手に改造手術をしかけてくる。
それで助かった事もあったが、しかし。
ほぼ10割にいい思い出が無い。
なにより楽しくなかった。
積極的に近づいてくる人間の存在は、百歩譲って良しとする。
だがそれがまったく楽しくない上に実りがないとすれば、カイトだって反吐がでる。
「いい加減にしろ!」
カイトの苛立ちはピークを迎えようとしていた。
先に見せられたエリーゼの一件が着火元とは言え、その原因もエレノアの思い出にある。
もうこれ以上、自分に何を見せようと言うのか。
「俺はまだやることがあるんだ! まだアイツらと一杯遊びたいし、やりたいことが沢山ある!」
だからこそ、死にたくない。
みんなの助けになりたい。
こんなところで足踏みをしている場合ではないのだ。
理解すると同時、カイトは吼える。
「エレノア、俺に何をさせたい!?」
これを見せているのが彼女なのかは疑問だった。
だが銀女との一戦以降、彼女は右腕に憑依したままである。
目玉移植の激痛で意識を失ったのをいいことに、身体を乗っ取っている可能性も十分考えられた。
逆に言えば、そうでもなければさっきから見せられている出来損ないのダイジェストの説明がつかなかった。
「なんとか言ったらどうなんだ。エレノア・ガーリッシュ!」
行き場のない怒りは嫌いな人形師へと牙を剥く。
すると、どこからか声が聞こえた。
『……はぁ。こんなんじゃ、だめだ』
溜息であった。
カイトは睨みつけるようにして声のする方向を見やる。
エレノアがいた。
彼女は椅子に座り、道具を床に置いてから一息ついている。
珍しい事に、その表情は妙に疲れ果てていた。
彼女の反対側には作成途中の人形が放置されており、頭部のパーツが無造作に散りばめられていた。
まるでパズルのピースのようである。
このパーツのひとつひとつがどういう役割を果たしているのかは、エレノアにしかわからないのだろう。
そんな作成途中の人形を前にして、エレノアはぼそりと呟く。
独り言だった。
『……上手くいかない時って、あるんだ』
彼女はスランプだった。
全身の力を抜き、天を仰ぐ。
珍しい事に、彼女は長年欠かしていなかった掃除を行っていなかった。
天井には蜘蛛の巣が張り付いている。
エレノアの魂を宿した級友の顔が、ゆっくりと視線を降ろす。
カレンダーに目がいった。特に何の予定も書かれていない1ヶ月の日付に、ひとつだけ赤い×マークが描かれている。
『カイト君、あれからもう1ヶ月だ』
「俺かよ」
訝しげな目を向け、カイトがツッコむ。
だが悲しい事に、彼の言葉はエレノアには届かない。
『君が死んで1ヶ月。時間が経つのだけは、早いんだなぁ』
懐から写真を取り出す。
神鷹カイト、16歳の写真だった。
その写真とキーワードを重ねあわせ、カイトはこの時の時間を大雑把に知る。
6年前だ。
自分がエリーゼに襲われ、失意のまま自爆した頃である。
当時のことを思いだし、カイトは僅かに震えた。
『結局、君は一度も私の提案に首を縦に振ってくれなかったなぁ。100回も頼んだっていうのに』
この時点でもう100回だったのかよ、と思いつつもカイトは顔をしかめた。
『なんで仲良くなれないんだろうなぁ。玩具もプレゼントしたし、デートも提案してみたりしたんだけど』
そりゃあ、その裏にある感情を知っていたら誰だって首を縦に振らない。
更に言えば、この時のカイトはエリーゼにぞっこんだった。
エレノアがつけ入れる隙はほぼ無かったと言っていいだろう。
『ねえ、カイト君。君は卑怯だ』
「なにがだ」
いきなり卑怯者呼ばわりされ、現代カイトは穏やかではない。
ただでさえ苛立っているのに意味の分からない独り言に付き合わなければならないのだ。
偶に苛立ちがピークを越えて、大マジな顔でツッコんでしまう。
『君が私にそっけなくするたびに、私は君を見ていた』
エレノアは言う。
彼女は幻想の中の少年に向けて、延々と呟いた。
いつも背中を見ていた。
いつも顔を見ていた。
君が好きな物の調査をした。
君がエリーゼを愛しているのも知っている。
チームメイトと仲がよくないことも知ってる。
君はクソ生意気なガキんちょだったが、同時に私が本気で知りたいと思った人間だった。
『ずるいよ、君は』
人形の目元が潤む。
力ない笑みを浮かべ、彼女は言う。
『私をこんなに夢中にさせておいて、自分は手の届かないところに行っちゃうんだ』
当初、カイトの人形をつくることで心の喪失を埋めようと思ったが、それが上手くいかない。
彼は特別な人間だった。
姿形を真似た人形を作ることはできても、彼の本質まではそこに刻み込めないのだ。
父や級友のように、型に収めることができない。
初めてだった。
完全再現することができない人形が、始めて目の前に現れたのだ。
原型がないとはいえ、その事実に悔しさが湧き上がる。
同時に愛おしさも感じていた。
彼を欲する願望が、益々強くなったのだ。
もっと彼を知りたい。
もっと語り合いたい。
もっと触れてみたい。
もっとぶつかってみたい。
もっと、もっと、もっと、もっと、もっと――――!
『君が、欲しい』
ハッキリと、そう告げた。
写真の中にいるカイトに向けて手を伸ばす。
だがその手もレンズの中の世界には届くわけでもなく、ただ撫でるだけに終わった。
こんなんじゃ満足できない。
ドキドキもしないし、感動もない。
『ねえ、知ってるかい。君が居なくなった後、色々と勉強したんだ。君と仲良くなれる方法』
本棚には人形の製造法の本と、人体の構造を解説した図鑑のほかに『友達100人できるかな!』『意中の彼ともっと仲良くできる方法』『コミュニケーションが苦手なあなたへ』と言ったタイトルが並んでいる。
少し前には見つからなかった類の本だ。
『……それでも、君がいない』
人形が泣いた。
綺麗な級友の姿をした人形。
その目尻から透明な液体な頬を伝い、唇を濡らす。
『ねえ、友達になろうよ。ビジネスの話は極力避けるからさ』
友達だった子は、ひとりだけいた。
だが彼女も、最期には『許してくれ』と懇願している。
カイトも自分を避けてきた。
その理由は共通している。
どちらも人形になりたくなかったのだ。
しかしエレノアには人形しかない。
彼女は昔、天才と呼ばれた少女だった。
それでも彼女には人形しかない。
それだけに力を注ぎ続けたのだから、当然である。
だが人形が『物』である以上、ギブアンドテイクでなければ物々交換は成り立たない。
与えないと、何も得られないことをエレノアは知っていた。
人形作りはエレノア・ガーリッシュの存在意義であり、至上の喜びである。
それの共有が彼女の思う最大級の喜びである以上、他に与えられる物なんてない。
もしもあるのであれば、誰かに教えてほしかった。
『私のぜんぶをあげるからさ……ぐずっ。帰ってきてよぉ』
蹲り、人形がすすり泣く。
カイトはそれを眺めつつも、彼女と再会した時のことを思いだした。
シンジュクで追手として現れたエレノアは、こう言ってみせた。
――――再会を祝して、お友達になろう
あの言葉の裏には、どんな感情があったのだろう。
短いやり取りの中で彼女は何を思っていたのだろう。
不思議と、苛立ちは収まっていった。
カイトは目の前の人形を眺め、哀れみの視線を送る。
彼は思う。
こいつも程々面倒くさい奴だよな、と。
居心地の悪さを感じつつも、彼は踵を返した。
たぶん、これは自分が見てはいけないものだ。
そう思いながらも、彼は言う。
ここに自分を閉じ込めた誰か。
存在するかもわからないソイツに向けて、カイトは訴えた。
「もういいだろ」
これ以上は、彼女の聖域だ。
例え自分が知る権利があったとしても、そう易々と足を踏み入れていいものではない。
もしも自分が同じ立場であったとして、カイトは誰かにエリーゼとの一件を見せたくなかった。
「俺を帰してくれ。何時までもここにいるわけにはいかない」
きっと自分の帰りを待っている連中がいる筈だ。
マリリスも、エイジも、シデンも、カノンやアウラ、アトラスも、スバルも、きっと心配している。
もしかしたら、彼女も。
天井から光がさした。
地下に設置されているにしてはあまりに不自然な、カイトのみを照らす光。
それに温もりを覚えつつも、カイトは最後に振り返った。
静かに嗚咽を漏らすエレノアに向けて、彼は聞こえる筈もない言葉を送る。
「また、6年後に会おう」
もうここに来ることもないだろう。
根拠もない確信が、カイトの中に芽生えた。




