第91話 vsダークグリーン
獄翼がブースターを点火させ、壁に近づく。
スバルはコックピットを開くと、壁の上で真っ青な表情になっているマリリスに視線を向けた。
「……いけそう?」
先程、カイトに言われたことだ。
彼の提案はこうである。マリリスから舞い上がる鱗粉が新生物に対して効果が抜群なら、それを獄翼が取り込むことで更に効果が高まる。
そうすれば巨人を確実に倒せるはずだろう、と言ってきているのだ。
多分、言っていることは正しいだろうとスバルは思う。現状、新生物を相手にして勝率が一番高いのはマリリスだ。本人に戦闘経験はないが、彼女の羽から飛び散る鱗粉があるだけで状況は大分違う。
あれが獄翼に備われば、きっと勝てるだろう。
だが、しかし。
彼女をラーニングして新生物を倒すことはつまり、マリリスが誰かを殺すことを意味する。
スバルの脳裏に、二日前の悲劇がフラッシュバックした。
胴体が切断され、そのまま物言わない身体になってしまったゾーラ。彼女があの光景を克服できたとは、到底思えない。
「私にしか、出来ないんですね? それならやります」
そんな心配そうなスバルの表情を余所に、マリリス本人は前向きな発言だった。表情は未だに青いままである。膝もガタガタ震えているところを見ると、かなり緊張しているらしい。
「無理しなくていいぜ。消し飛ばす手段は他にもあるし」
「本当にそうなんですか?」
足が震えたまま、マリリスは問う。
交流は他のメンバーに比べて浅い上に会話も少ししか交わしたことがないが、それでもカイトと言う人物がどんな人間なのか理解しているつもりだった。
「あの人が私を指名したっていう事は、私が一番可能性が高いからなんじゃないんですか?」
「それは……」
マリリスの目から見て、神鷹カイトは無愛想なお兄ちゃんといった印象だ。だが、少なくとも反逆者一行が彼を信頼していることは確かである。それは今までカイトが期待に応えてきた証拠ではないだろうか。
そんな彼が、こんな大事な時に適当な事を言うとはとても思えない。
ここでスバルが口籠ってしまっているのがいい証拠だ。
「……ごめん」
「スバルさん、正直ですね」
悩み、正直に話すべきかどうか迷ったのだろう。
だが結局のところカイト理論に行きついてしまうのだ。マリリスのお陰で新生物が弱っているとはいえ、手持ちの武器でどうにかできる相手ではない。
彼女の鱗粉を更に強め、最後の一撃を与える必要があった。
抵抗力を身につけ進化するよりも前に、だ。
「……判りました。やります」
言うと、マリリスはジャンプ。
壁の上から獄翼のコックピットへと飛び込んだ。その様子を見て、スバルとアーガスは慌てふためく。
「ば、馬鹿! 危ないだろこんなところで!」
近寄り、直接話をしていたとはいえ、だ。
ここは地上から何十メートルも上に位置する壁である。そんなところでジャンプして、誤って落下してみろ。常識的に考えて、大怪我どころでは済まない。
「大丈夫です。前、家から飛び出した時は痛くありませんでしたから」
にこり、と微笑んでマリリスは後部座席へと向かう。
しかしよく見れば、相変わらず表情は硬いままだ。気持ち、まだ震えが見える。
「マリリス」
「はい?」
ゆえに、スバルは口を開いた。
なるだけ彼女の気持ちを落ち着かせようと、慎重に言葉を選ぶ。
「今からやるのは君とこの機体の一体化だ。だから君は少しの間、俺に勝手に身体を動かされるし、逆に俺を支配することもできる」
実際、彼女はSYSTEM Xの稼働を間近で見ている。
無数のコードに繋がれたヘルメットを被る事で、後部座席に座る人物がどうなってしまうのかはこの説明で大体イメージができるだろう。
「君は何も動かなくていいから。俺がけじめをつける」
本音を言えば、これ以上の負担をかけたくはなかった。注入された力は、彼女の最愛の育ての親を殺してしまった。その力を放出し続けるだけで彼女は精神的に参っていることだろう。
それに、彼女は人一倍怖がりだ。
獄翼が昨日、一際残忍が攻撃をしかけたのを間近で見ているのもある。必要以上の暴力を、この街娘が振るえるとは思えない。
アーガスが無言で席を立つと、マリリスは表情を少し和らげてから着席する。
「私もやります!」
席に着いた後、彼女の口から放たれたのは決意表明だった。
しかし、顔を真っ青にしたままでそんな言葉を言われても無理をしているようにしか見えない。
「マリリス君。無茶はしない方がいい。体に毒だからね」
「それでも、私がやらなきゃダメなんです」
マリリスは後部座席からモニターを見やる。
縦に真っ二つにされた巨人が、頭をくっ付けている。まるでゾンビだ。グロテスクな光景を改めて目に入れて若干の吐き気を催すが、そうも言っていられない。
「ゾーラおばさんは、私が殺しました」
俯き、紡がれた言葉に二人は絶句する。
一番触れてはいけない事に、彼女自身が触れたのだ。
「今でも体が覚えています。抱きしめたと思ったらぬるって感触がして、その後は……」
その後は言葉に出来ない。
思い出すだけで鳥肌が止まらないし、お腹の中身が口から溢れ出してしまいそうになる。
マリリスは内から溢れ出す気持ち悪さを必死に押し留め、言う。
「正直、恨みました。なんで私なんだろうって。何度も、何度も、何度も」
そのことを『当たりくじ』と例えられたことには、憤りしか感じられなかった。
自分は決してこの力を欲したわけでもないし、欲した人物は悉くはずれくじを引かされる。こんな不平等は無いと、素直に思う。
だが、それでも。
「それでも、誰かの為に何かがしたいんです」
スバルがやられたと聞いた時、激しい後悔が彼女に襲い掛かった。
もしも自分が率先して戦いに出ていれば、彼らが酷い目にあう事も無かったのでは、と考えてしまう。
マリリス・キュロは暴力を以ての解決を良しとはしない女の子だ。
それでも、自分の身の回りの大切な何かが壊れていくのは、耐えられない。彼女は16年の人生で初めて、自ら武器を手に取ったのである。自分の大事な物を守る為に。
「……分かった」
彼女の言葉に、スバルは思う事があった。
境遇は少し違うとはいえ、自分と彼女は似ている。流されるがままに大事な物を失って、気付けば抗う力が目の前にあった。
大事な物を続けてぶっ壊そうとする相手を前にして、二人が取った選択は同じものなのだ。
「アーガスさん」
嘗てはぶっ壊す側だった男に、スバルは言う。
心なしか、英雄の表情が少しさびしげな物に変わった気がした。
「ここまでありがとう。後は俺たちでやるよ」
「そうか」
獄翼のハッチの前まで移動すると、アーガスは軽くジャンプ。
マリリスと入れ替わる形で壁へと降り立つと、スバル達へ振り返る。
少年と少女の顔を確認すると、彼は一本の薔薇をコックピットへ放り投げた。
「うわっ!?」
顔面に飛び込んできたそれを、スバルは見事にキャッチ。
少しとげが刺さったが、触っても特に害が起こる代物ではないらしい。彼の薔薇は様々な超常現象を巻き起こす為、このような無害の薔薇を放り込まれても反射的に構えてしまうのだ。
「なにこれ」
ダークグリーンの薔薇を手に取り、スバルが問う。
客観的に見て、花弁と棘の色が殆ど同じなので不思議な花だった。
「少し前に君に言った言葉を覚えているかな?」
「少し前?」
「その様子だと、どうやら忘れられたらしいね」
アーガスは自嘲気味に笑みを浮かべると、少年の視線をまっすぐ受け止める。
「その薔薇は通称、パラサイトローズと言ってね。文字通り、肉に寄生する花なんだ。根の部分は花弁とリンクしていて、毟り取るだけで根がこびり付いた物はぐちゃぐちゃになる」
「なんでそんな物騒なモンここで渡すんだよ!」
B級映画に出てくる食虫植物のような気味の悪い花である。
マリリスに手渡すわけにもいかず、スバルは薔薇をモニターの横に置いてから言った。
アーガスは微笑しつつも、答える。
「今、その薔薇の根はね。私の心臓に巻きついているのだよ」
「え?」
英雄は己の心臓に手を当て、目を閉じる。
自身の心臓の鼓動を感じながらも彼は続けた。
「戦いはもう終わる。君と彼女の手で、美しく」
で、あれば自分の出番はもう終わりだ。
彼はこの街でスバルと再会した時に吐き出した言葉を思い出しながら、再び同じ言葉を少年に送る。
「君たちは私を恨んでいる事だろう。ゆえに、全部終わった後もまだ私を許せないのであれば、その花弁を毟り取って私を殺すと良い」
それは旧人類であるスバルが確実にアーガスを葬る方法でもあった。
英雄の身体は、防御の根が常に自動で張りついている。こんな手でも使わない限り、彼に自分を殺させる方法はないだろう。
「時間がない。行きたまえ。立ち止まらせて悪かった」
「あ、ああ」
静かな決意を前にして、スバルは何も言う事が出来なかった。
正直な所、アーガスを許せるかそうでないかと言われたら、複雑な思いである。今回の一件は彼も犠牲者の一人だと思うし、人柄も誠実だ。ここで死すべき人物ではない。
だが、それとは裏腹に。
スバルの心の中で、小さくなっていく父親の姿がいまだに残っているのも事実なのだ。
「っ!」
父親の幻影を見たところで、スバルは己の頬を叩いて気合を入れ直す。
しっかりしろ蛍石スバル。戦いはまだ終わっていない。
この薔薇のことをどうするかは、全部に決着をつけた後に考えてからでいいだろう。
否。お前はそもそも、考えたら泥沼に嵌ったかのようにして延々と答えが出ないじゃないか。
直感を信じるって、今日決めたばかりだろ。
そんな事を思い直していると、背後から遠慮がちな声が響いた。
「スバルさん」
マリリスだ。
振り返らずに『なんだ』と呟くと、彼女は震えた声で言う。
「どうするんですか、その薔薇は」
マリリスとて心当たりがないわけではない。
ダークグリーンの薔薇はスバルに手渡された物とはいえ、事実上二人に渡されたような物だった。
「マリリスはどうしたい?」
「私は、返すべきだと思います。本音を言えば、あの方を殺すなんてできないっていうのがありますけど」
ただ、それを抜きにしてもアーガスは国に必要な人材だ。
ゴルドーとアスプルが亡き今、国の中心に立って指揮を出せる人物が必要だった。新生物の登場で、国は殆ど壊滅状態に陥っていると言ってもいい。こんな状態で、英雄まで失ったら国はどうなってしまうのか。
結果は見ずとも分かる。
「ただ、それは国に住んできた私の意見です」
異国の地で暮らし、たまたま寄って来ただけのスバルには関係のない話だ。それを抜きにしても、彼とアーガスの因縁は自分が関与できるものではないと思う。
「無責任かもしれませんけど、貴方が決めるべきだと思います。私たちは皆さんに多大な迷惑をかけましたし」
「もう気にしてないよ」
そこでスバルは始めて、能天気に笑って見せた。
「まあ、なんにせよさ。無責任だよな。こういうの」
正直、託されるようなキャラではないと自分で思う。こんなもんはカイト辺りに渡した方がいいんじゃないかと思ったが、ややあってからそれは完全な人選ミスだと思い直す。性格的にも、因縁的にも。
「……まあ、それも含めて終わった後に考えよう」
モニターを弄り、SYSTEM Xの稼働を確認する。
お喋りの時間は、もうおしまいだ。
「行くよ」
「は、はい!」
真上からヘルメットが落ちてくる。
二人の頭にすっぽりと収まった後、コックピット内に無機質な音声が響く。
『SYSTEM X起動』
直後、獄翼の関節部が青白い光を解き放つ。
背中から突き破るかのようにして白い羽が飛び出し、縦へと展開する。マリリスの羽を再現する為に出現した、アルマガニウムの光だった。
光は徐々にラーニング先の特徴を捉えていき、形を形成していく。
数秒もしない内に、獄翼の背中から青白い蝶の翼が形成された。
光の羽が僅かに羽ばたく。光の結晶をふんだんに含んだ、美しい風が吹いた。




