夢中喪服
――おいユウ、落ち着いて聞けよ
なんだよ……そんなに慌てて
――昨日な、すげぇ雪積もってたろ
あぁそうだな。それよりハルは?昨日から見てないんだけど
――それで……タイヤがスリップして
そんなことどうでもいいだろ?頼むから真剣に答えてよ
――それでハルは……
だからハルは……
ハルは……
どこ?
僧侶が会場に入ってきた。皆は黙礼をする。当然、俺も。
僧侶はゆっくりと、一歩一歩祭壇に近づいていき――座った。
その口からお経が紡がれていく。
感情のない声を淡々と繰り返す。
周りからすすり泣く音がポツリ、ポツリと出始めた。
遺族側からは声を出して泣く人も。
ナンデナイテルノ?
ハルはいるんだよ。あの棺の中に。
きっと今に開くさ。
そして、そして……何て言うんだろ?
『帰って来ちゃった』とか……?
いや、『心配かけてごめん』かな?
ハルは謝ってばっかりだな。そんなに自分を責めなくてもいいよ。
俺はハルと一緒なら、それでいいんだ。
だから
寝坊して遅刻しても俺は怒らないし、嫌いにもならない。
何でハルはいないの?俺のこと嫌いになった?
ちょっと…いやかなり淋しいけど、でも俺は諦めない。
絶対にハルを呼び戻すから。
……そうだ、ハルに渡したい物があるんだ。
ハル動物好きだったろ?ネックレス買ったんだ結構高かったんだぜ?
(優しい娘だったね)
(交通事故だって)
(何それ……許せない)
ヒソヒソと話し声が聞こえる。
俺に向けられる視線。
痛いほどの気遣い。
爆発物を扱うような会話。
それが嫌でも俺に突き刺さり、心の中心をえぐる。
そして引き戻されるんだ。“現実”に。
知ってるよ。わかってたさ。
ハルはもういない。
何度も考えてしまうんだ。今はいないだけ、そのうち帰って来る…って
考えずにはいられないんだ。
* * * * * * * *
ここはどこだ?
気がつくと見慣れない部屋にいた。
天井には窓がついている。そこから降り注ぐ月光に不思議な感覚を憶えた。
第三者から見ればさぞかし神秘的な光景なのだろうけど、どこか馴染めない。
それにしても変な部屋だ
扉がない。
どうやって外に出るのだろうか。
右から左へと現れる疑問。悩んでいると、音が聞こえた。
図上から。
「メリークリスマス」
見上げるとそこには、白い玉のついた帽子に真っ赤な衣装。
その服と同じくらい真っ赤な顔に白く長い顎髭
背負っているのは巨大な布袋。
「プレゼントを持ってきたよ」
それは俺の想像している、サンタクロースその人だった。
「サンタ……クロース?」
そうさ。君の為に遠い国からやって来たんだよ」
「そっか、やっぱりサンタはいたんだ……」
この場面を、保育園の皆に見せてやりたい。
スグルやマナブの顔が浮かぶ。ほら見ろ。サンタクロースがここにいるぞ。
「そうそう、さっきも言ったけどユウ君にプレゼントを持ってきたよ」
「プレゼント?」
「あぁ……はい、プレゼント」
布袋から小さい長方形の、きらびやかに包装された箱を取り出して、俺に渡した。
中身はネックレスだった
ハルにあげるはずだった、ハートの片割れ。
「彼女から頼まれたんだよ。君に返して欲しいってね。
伝言も預かっている。私のことは忘れて幸せになってください……だとさ」
ナニイッテルノ?
「嘘だ」
「嘘じゃない」
彼は冷静だった。
……彼は本当にサンタクロースなのだろうか。いや、違う。違うに決まっている。
「残念ながら、私は本物だ」
俺の心を見透かしたように彼は告げた。
「それなら……ハルを連れてきてよ。本物のサンタクロースなんだろ」
声が震える。何でだろう。寒くもないのに。
「それはできない」
「できない?貴方は子供達に夢を運んでいるんだろ?」
彼を皮肉る。何でだろう。憧れだったはずなのに。
「あぁそうだ。でも君には無理だ。なぜなら」
なぜなら?
「君は大人じゃないか」
あぁそうだった。俺はもう昔の、純粋で、夢見がちな子供じゃない。
「わかったかい。君には無理なんだ」
わかったよ。これが夢だということも。
俺はハルにネックレスなんて渡していない。渡す前に彼女は消えたんだ。俺の前から。
「そう、これは夢なんだよ」
嫌な夢だな……
何で貴方はここに来たの。
「言っただろう。彼女に頼まれたって」
頼まれたって、さっきのあれか。
ふざけんな。
俺はハルがいればいいんだ。
ハルが隣で笑っていればいいんだ。
あの笑顔が好きだったんだ。
でも今じゃ写真でしかそれを見れない。
ふざけんなよ。
サンタクロースなら彼女を返せよ。
それが無理ならサンタなんていなくていいから。
神様もいらないから。
世界中の皆も消えていいから。
「ハルを返してよ……」
告別式の翌日。目覚めは最悪だった。
* * * * * * * *
年も開けて、学校が始まっても俺の心は晴れなかった。
みんな、何がそんなに楽しいんだ?
修学旅行だって?
へぇ、よかったじゃん。
いつものように教室に入って、授業を受けて、昼飯食って、また授業。
こんな流れ作業の毎日で、何が楽しい?何がおかしい?
……俺自身つまらないと感じながらここに来るのは、未だにハルを引きずっているからなのだろうか。
もしかするとハルがいるかも……ってね。
我ながら呆れるよ。
でも、これでいいって思っている自分がいる。
遠く、遥か彼方に行った彼女を身近に感じれる唯一の方法だから。
単なる現実拒否だけど、やめられない
どうしてもだめなんだ。
そんな抜け殻のように生きていたある日
それは由美の一言がきっかけだった。
「ハルの両親が逢いたいって」
「誰に?」
「誰って……決まってるじゃん」
俺に、か。
「ハルのお父さんがね、最後に娘と付き合った男を見てみたいって。行くよね?」
「ん…わかった」
「殴られたらどうする?お前みたいな男と!みたいな」
「行くよ」
行かないわけがない。だって俺は――
「ハルの彼氏だから」
行かなかったら、俺とハルの接点がなくなってしまうから。
* * * * * * * *
週末に俺と由美は再びハルの家を訪れた。
天気は快晴。
ここに来るのはあの日以来だ。
橋を渡り、公園を過ぎた所にハルの家がある。
彼女の軌跡が残る場所が。
「もっと早くに来れば良かったな……」
浮かぶのは後悔の念。
それを聞いた由美は悲しそうな表情をしていた。
インターホンを押すとハルの両親が出迎えてくれた。
「いらっしゃい。待ってたのよ。さっどうぞ上がって」
「君がユウ君?話はハルから聞いていたよ。ゆっくりしていって」
二人とも俺に厳しいとか冷たいとかそういうのはなかった。
寒かっただろうとか、わざわざ来てくれてありがとうとか……
あぁこんな温かい場所でハルは生きていたんだなって、お線香をあげている最中少し羨ましく思った。
「ハルはよく君のことを話していたんだ」
立ち上る湯気。お茶の香りに包まれて、ハルのお父さんは口を開いた。
俺と由美は黙って聞いている。
「その時の顔がね……何というか輝いていたんだ。本当に幸せそうでね。」
そこで一旦言葉を切ってお茶を口に含む。
渋かったのか、僅かに顔をしかめた。
「それで、どうしても君に聞きたいんだ。君は……ユウ君は娘のことをどう思っていたの?」
彼女のことを俺は……?
「……上手く言えないですけど……」
「構わないよ。長くなってもいい。どうしても聞きたいんだ。」
この時わかったんだ。
これはケジメ。父親として、娘の生前の環境を知るための。
俺は話した
ハルの笑顔に惹かれたこと
思い切って話しかけて、メルアドを聞いたこと
中々告白できずにいた自分に嫌気がさしたこと
やっと踏ん切りがついて告白した時、半分諦めていたこと
無事付き合うことになって、その日の夜は安心して眠れたこと
手を繋いで、一緒に帰った日々のこと
あの時食べたフライドポテトがたまらなく美味しかったこと
ケーキを頬張るハルの幸せそうな顔
誕生日に香水をもらったこと
一緒にいただけで楽しかったこと
一緒にいるだけで笑顔になれたこと
二人で過ごす時間を大切に思っていたこと
そして、ペアネックレスのこと。
俺は語る
溢れてくる。止まらない。まるで塞き止められた水が氾濫するように。
何でだろう。彼女といた時間が、毎日が、どれほど幸せで貴重だったか、たった今気づいた。
「君は……本当にハルのことを愛していたんだね」
ハルのお父さんは満足そうに呟いた。
ハルのお母さんは泣いていた。
由美の目にも光るものがある。
なぁ、ハル。ハルのことをこんなにも思っている人達が、ここにいるぞ。
もし……もし来世があるならば。また巡り逢い、俺は君に惹かれるだろう。
そして言うんだ
本気で君を愛していると。