期待と別れ
クリスマス。
またの名を聖夜、キリストの誕生日。
恋人達が巡り逢う夜…
小さい頃、俺はサンタがいると信じていた。
クリスマスイブの夜には、サンタへの手紙を書いて、枕元に置いてから寝た。
その中身は『サンタさんご苦労様』から始まって、『〜が欲しい』で終わる、今の自分から見れば夢が溢れんばかりに詰まった内容だった。
そして朝を迎え、目が覚めるといつの間にか手紙はなくなっていた。
その代わり、『ユウ君へ、サンタより』と書かれた紙と、キレイに包装された箱がチョコンと置いてあった。
そのことに幼かった自分が、ものすごく喜んでいたのを憶えている。
毎年クリスマスの季節になると、俺は必ず手紙を書いた。
そして、サンタからのプレゼントに飛び跳ねた。
けどその年は違った。
ふと好奇心から、サンタを一度でいいから見てみたいと思ったんだ。
クリスマスイブ当日。夜になり、傍らに手紙を置いて布団に潜り込む。
毛布の優しい温もりに、何度も寝そうになるのを耐えながら、その時を待った。
そして真夜中
彼はやって来た。
ドアをゆっくりと開けて、俺が寝ているはずの布団にそーっと近付いてくる。
――今考えると、何でこんなに必死でサンタに会いたいと願ったのだろうか。
俺は気付かれないように、ほんの少し目を開くと
そこに居たのは――
「メリークリスマス、ユウ君」
そのなんとも言えない煙草くさい匂い、その存在感ある雰囲気、その聞きなれた少ししゃがれた声。
――親父だ
しばらく俺の顔を眺めた後、親父は部屋を出ていった。
明かりを点けて布団を見ると、あったはずの手紙は消えて、そこには当然のようにプレゼントと例の紙が置いてある。
『やっぱりな』と俺は思った。
幼いとはいえ、来年には小学校に入学する。
勿論、周りの友達のほとんどが『サンタさんなんていないよー』と言っていた。
正直、気づいていた。
サンタなんていない、それが当たり前――
その日を境に俺は少しづつ、冷静に“現実”を見れるようになっていった。
そして今日
俺は16回目のクリスマスイブを迎えた。
少し薄暗い部屋の中、妙に肌寒い感触を覚えて、突然目が覚めた。
見ると布団に包っていたはずの上半身が、凍える空気の中へと放り出されている。
おそらく、寝ぼけて布団を蹴りとばしたのか、もしくは自分から抜け出したかのどっちかだろう。
出てきた鼻水をすすりながら、置いてあったケータイを開く。
12月24日(日) Am8:34
それを確認すると、嫌がる体をむりやり起こして一階に降りた。
居間に入ると、そこには当前のように静けさが待っていた。
親父は出張中、お袋と兄貴は……まだ寝ているだろう。
せっかくの休み、わざわざお袋を起こすほどでもない。
とりあえずお腹が減っていたのでパンをトースターで焼く。
その間にフライパンで目玉焼きをつくり、焼きあがったトーストの上に乗せる。
そしてコップに牛乳を注げば、わずか5分で簡単な朝食の出来上がりだ。
早速トーストを頬張りつつテレビをつけると、やたら化粧の厚い女子アナがニュースを読んでいた。
『…ですので今年は例年稀に見る大雪になると…』
(大雪……かぁ)
窓越しに外を見ると、そこには一面の銀世界が広がっていた
けど広がっているだけ。
(雪、降ってないなぁ……)
しばらくの間その光景をとり憑かれたように見ていたが、やがてハッと思い出したように再び口を動かし始める。
朝食を食べ終えると、まず部屋に戻って履き慣れたジーンズとTシャツに着替え、その上に厚手のジャケットを羽織る。
次に洗面所で身だしなみを整えて、香水をワンプッシュ。
ちなみにこの香水は俺の誕生日にハルがくれた物だ。
時計を見る。時間は…大丈夫、余裕で間に合う。
「行ってきます」
プレゼントが入ったバッグを持って、俺は家を出た。
待ち合わせは
Am11:00駅前にある『喫茶おらんだ』にて――
* * * * * * * *
「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」
店内を軽く見渡すが、ハルの姿はない。
張り切って約束の時間より40分も早く来たのだから、まぁ当然なんだけど。
「後からもう一人来るんですけど」
「ではこちらへどうぞ。」
そう言うとウェイターは奥にあるテーブルへ案内した。
俺は椅子に座り、とりあえずアップルジュースを注文する。
ちなみにコーヒーは無理。あんな苦いものをどうして人は好むのか。
小さい頃、疑問に思っていたがそれは今でも変わらない。
ウェイターは『少々お待ちください』と言うと、店の奥に入っていった。
* * * * * * * *
グラスの中の氷は溶けて、底に水が溜まってきた。
現在の時刻は10:49。
ハルは待ち合わせにはいつも10分程はやく来る。
そろそろ声が聞けるだろう。
俺の名前を呼ぶ声が。
その時店内には音楽が流れていた。
某歌手の甘ったるいクリスマスバラード。
とめどなく溢れるメロディーが、突然ケータイの着信音によって切り裂かれた。
(危ね……マナーモードにしとくの忘れてた)
少し電話越しの相手に感謝した。ハルと話してるときに鳴ったら、正直気まずい。
さて、誰からだろうと思ってディスプレイを映す。
名前が書いてあった。
《ハル》
「え……」
思わず声を漏らしてしまった。
何で?まさか来れなくなったとか?
不安を抱きながら、通話ボタンを押した。
「ハル……?」
「あっユウ、えっと……ごめん」
彼女の声は心なしか慌てていた。
「待ってたよね?本当にごめんね実は寝坊しちゃって」
とりあえず最悪の結果は免れたらしい。しかしハルが寝坊だなんて珍しいな。
「珍しいなハルが寝坊だなんて。何かに夢中で寝れなかった?」
「え、ユウってもしかしてエスパー?」
はい?
「なんで?」
「ん、いや何でもない。」
「そう?」
「うん。本当にごめんね?30分には着くから」
あと30分。たったこれだけの時間で君に会える。
でもきっと彼女は、20分には俺の目の前で笑顔を見せているだろう
屈託のない、笑顔を。
会話を終えて、ケータイを閉じる。いつの間にか流れている曲は変わっていた。熱い、コーヒーみたいなメロディー。
恋人たちの声は止まることを知らない。
喧騒の渦中でグラスの氷がカラン、と音を立てた。
ハルの声を聞いたのはこれが最後だった。
17歳の冬の出来事だった。