第七話 王の薬膳
国王の病について調べ始めたのは、フェリクスの一言がきっかけだった。
その調査が、すべてを変えることになる。
エレノアが魔法局のつてを使い、国王の主治医の処方記録を入手した。
「この処方に使われている薬草——クラーゼンの根は、少量なら解熱剤ですが、長期投与すると衰弱を招きます」
「つまり、治療のふりをして弱らせている?」
「可能性があります。ただし証拠としては、処方記録だけでは弱い。主治医の意図を証明できない」
フェリクスが言った。
「主治医は誰だ」
「ホルスト・ヴァイス。王宮の医務官長です」
「ヴァイスか。その人物の背景は」
「王太子の推薦で就任しています」
三人の目が合った。
同じ結論に辿り着いている。
「リーゼ。これは——想像以上に根が深い」
フェリクスの声が低い。
「王太子は父親を弱らせて権力を握っている。国王が健在なら、違法採掘も外交官の暗殺もできなかった」
「つまり、すべての不正の起点が——国王の病」
「ええ。国王が回復すれば、王太子の権力基盤が崩れる」
エレノアが腕を組んだ。
「問題は、国王の病が本物かどうかを確かめる方法です。主治医は王太子の息がかかっている。外部の医師を入れることは——」
「外部は無理だ。けれど、薬の成分を分析できれば——」
「処方薬の現物が要ります」
「王太子が推薦した医師が、王太子に都合の良い処方をしている」
「状況証拠だけでは足りません。薬の成分を第三者に分析してもらう必要がある」
「誰に頼む」
エレノアが答えた。
「魔法局の薬学部門に、信頼できる人間がいます。けれど、分析には国王の処方薬の現物が必要です」
「王宮から薬を持ち出すのか」
「危険です。でも——方法がないわけではない」
◇
計画は、驚くほど単純だった。
私がヴァレンシュタイン伯爵夫人として、国王への見舞いを申し出る。
伯爵家は代々王家に仕えてきた家柄。見舞いを断る理由はない。
見舞いの際に、国王の薬膳の器に残った薬の残滓を——エレノアが用意した特殊な布で拭き取る。
「布に付着した成分で分析が可能です。微量でも十分」
「見舞い中に器に触れる機会があるかどうか」
「作ります。茶を運ぶ係を買って出れば自然です。マルタに手伝ってもらいましょう」
マルタ——屋敷の古参の使用人。クラウスの乳母でもある。
マルタに事情を話した。
老いた使用人は、しばらく黙っていた。
しわの深い顔に、複雑な感情が去来するのが分かった。
「坊ちゃんのために——いえ、クラウス様のために。何でもいたします」
「危険なことをお願いしているのは分かっています。マルタさんにまで巻き込んで——」
「奥様。私はこの屋敷で五十年働いてきました。先代の旦那様が追放されたときも、クラウス様が生まれたときも、この手で世話をしました」
マルタの目には涙があった。
「この家の男たちが背負ってきたものを、私は見てきました。今度は奥様が背負おうとしている。ならば——私も一緒に背負います」
「マルタさん——」
「それと、お茶は後で淹れますから。オーレンドルフ様にも」
マルタは微笑んで去った。
フェリクスが小さく言った。
「いい人だ。あの使用人」
「ええ。この屋敷の柱のような人です」
フェリクスは窓の外を見た。
「クラウスはいい環境で育ったんだな。こういう人たちに囲まれて」
「ええ。だからこそ——真実のために戦えたのだと思います」
「リーゼもだ。この屋敷の人間に支えられている」
老いた使用人は、しばらく黙っていた。
「坊ちゃんのために——いえ、クラウス様のために。何でもいたします」
マルタの目には涙があった。けれど、声はしっかりしていた。
見舞いの日。
王宮の奥の間に通された。
国王は寝台に横たわっていた。
かつて壮健だった体は痩せ細り、顔色は紙のように白い。
「陛下。ヴァレンシュタイン伯爵家のリーゼロッテでございます」
国王は薄く目を開けた。
「ああ……クラウスの妻か。来てくれたのか」
声が弱い。けれど、意識ははっきりしている。
「クラウスは——よい男だった。あの子が先に逝くとは——」
国王の目に涙が浮かんだ。
「陛下。お茶をお持ちしました」
マルタが器を運んだ。
その際に、薬膳の器がそっと私の手元に引き寄せられた。
布で器の内側を拭く。一瞬の動作。
フェリクスから教わった通りに。
器を元に戻す。
「陛下。どうぞお体をお大事に」
「ありがとう。リーゼロッテ——クラウスの分まで、幸せに生きなさい」
(……陛下は、何も知らないのかもしれない。自分の息子に毒を盛られていることも。)
胸が締めつけられた。
王宮を出た。
布をエレノアに渡した。
「よくやりました。これで分析できます」
「国王陛下は——とてもお弱りでした」
「お話はできましたか」
「少しだけ。クラウスのことを覚えていて——『良い男だった』と」
「国王陛下は、クラウスを信頼していたのです。だからこそ王太子は——」
「口を塞いだ」
エレノアは頷いた。
フェリクスが窓辺に立っていた。
「リーゼ。今日は休め。顔色が悪い」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃない顔をしている」
「……少し、疲れただけです」
「なら休め。証拠の分析は三日かかる。その間は動けない」
「でも——」
「三日間でできることがある。体を休めることだ」
フェリクスの言い方はぶっきらぼうだった。
けれど、目は真剣だった。
「分かりました。休みます」
「よし。明日、茶を持ってくる」
「また淹れるんですか」
「前より上手くなった」
「前が低すぎたのでは」
「……うるさい」
少しだけ笑えた。
「三日で結果が出ます」
三日後。
「クラーゼンの根の長期投与成分が検出されました。それと——もう一つ。微量の眠り草の抽出物が」
「眠り草?」
「判断力を鈍らせる効果があります。長期投与すれば——」
「国王が政治的な判断をできなくなる」
「はい」
王太子は、国王を病人にし続けることで権力を握っていた。
怒りで手が震えた。
けれど——これは感情で動く場面ではない。
証拠が、また一つ増えた。
「フェリクス。告発先はまだ見つかりませんか」
「一つだけある。宰相だ」
「シュトラウス公爵? 夜会の主催者の」
「宰相は王太子の配下ではない。独立した権限を持つ。そして——国王の代理として裁定を行う権限がある」
「宰相が味方になるかどうか分からないのでは」
「だから——証拠を見せるしかない。すべてを揃えて。反論の余地がないほどに」
フェリクスの目が鋭い。
「リーゼ。覚悟はいいか」
「ずっと覚悟はできています」
「なら——次が最後の準備だ」
窓の外は夜だった。
けれど、薔薇の蕾が——一つだけ、開き始めていた。
フェリクスが帰り際に言った。
「リーゼ。あの薔薇——クラウスが植えたのか」
「ええ。深紅の品種です」
「いい色だ。咲いたら見に来てもいいか」
「……いつでもどうぞ」
「じゃあ——全部終わったら、改めて」
何気ない言葉だった。
けれど「全部終わったら」という前提が——約束のように響いた。
約束を——守りたいと思った。
薔薇が咲く日を、一緒に見られますように。




