最終話 「花が散る日」
夜明け前。
格納庫は、いつもより静かだった。
《リリウム・ノクス》は、
眠っているかのように立っている。
けれど内部では、
ユリの意識が
最後の輪郭を保っていた。
――時間だね。
誰に言うでもなく、
そう思う。
恐怖は、なかった。
あるのは、
思い残しがないという確信だけ。
アオイは、
格納庫の床に座っていた。
膝を抱え、
巨大な機体を見上げている。
「……ユリさん」
呼びかけは、
何度目だろう。
今日の声は、
震えていなかった。
「ちゃんと……
見送ります」
それは、
約束だった。
ユリは、
最後の力で応える。
「……ありがとう」
短い言葉。
でも、
その中に――
すべてがあった。
制御室に、
淡い光が走る。
《リリウム・ノクス》の胸部、
花弁状の装甲が、
ゆっくりと開いた。
それは武装でも、
攻撃でもない。
“解放”のための動作。
ユリの意識は、
コードから切り離され、
データとして、
空へと溶けていく。
――これでいい。
誰かを守れた。
誰かに、
名前を呼んでもらえた。
それだけで、
人として生きた意味は、
十分だった。
「……ユリさん」
アオイは、
立ち上がる。
涙は、
こぼれなかった。
ただ、
胸に手を当てて言う。
「あなたがいたから、
私は……
生きるのが怖くなくなりました」
その言葉が、
届いたかどうかは、
分からない。
けれど。
《リリウム・ノクス》の花弁が、
一瞬だけ――
やさしく光った。
それが、
返事だった。
数時間後。
ユリの人格データは、
完全に消去された。
残ったのは、
ただの機動兵器。
もう、
誰かに話しかけることはない。
それでも。
戦争は、
その日を境に、
終結へ向かった。
春。
格納庫の外に、
小さな花が咲いた。
誰が植えたわけでもない。
ただ、
そこに咲いていた。
アオイは、
しゃがみ込み、
そっと呟く。
「……おはよう、ユリさん」
返事はない。
それでも、
胸の奥が
あたたかい。
失われたはずのものが、
確かに――
生きている。
人間機動兵器
《リリウム・ノクス》。
そこに宿った心は、
記録にも、
歴史にも、
残らない。
けれど。
誰かの未来の中で、
確かに――
花を咲かせた。




