第五話 「完全同調の代償」
戦場は、音を失っていた。
爆発も、警報も、
すべてが遠く――
まるで、水の底に沈んだみたいに。
《完全同調、維持率九十六パーセント》
冷たいアナウンスが、
ユリの意識の縁をなぞる。
――高すぎる。
それは、
人間が人間でいられない数値だった。
三人の心が、重なっている。
ユリ。
アオイ。
そして、名前を失った最初の搭乗者。
考えなくても分かる。
動こうとしなくても、身体が応える。
「……すごい」
アオイの声が、
少しだけ震えながら響く。
「敵の動きが……
見える」
「……うん」
ユリも、感じていた。
敵性機動兵器の軌道、
攻撃の癖、
次の一手。
すべてが、
最初から知っていたみたいに。
「……これが、完全同調」
その言葉の裏に、
はっきりとした違和感があった。
――自分は、
ここにいる?
敵の中枢機が、姿を現す。
圧倒的な火力。
一撃でも受ければ、終わり。
「回避――!」
そう叫ぶ前に、
《リリウム・ノクス》は踏み込んでいた。
速すぎる。
刃が閃き、
敵の装甲が裂ける。
勝てる。
確実に。
なのに――
胸の奥が、冷えていく。
「……ユリさん」
アオイの声が、
遠い。
「……私、
ユリさんの声、
分かりづらくなってきました」
ユリは、息を呑んだ。
「……え?」
自分の声が、
自分のものじゃないみたいに、
歪んで聞こえる。
「……大丈夫」
そう言おうとした。
でも――
何が、大丈夫なのか分からない。
「ねえ」
あの声が、
静かに割り込んでくる。
「もう、限界」
「これ以上は……
あなたが“あなた”じゃなくなる」
ユリは、理解した。
完全同調は、
三人を一つにする代わりに――
境界を消す。
名前。
役割。
存在。
すべてが、溶け合う。
「……止められる?」
問いかける。
「できる」
即答。
「でも、それは……
誰かが、
“残る”選択」
沈黙。
戦況は、
刻一刻と悪化していた。
このまま戦えば、
勝てる。
ただし――
三人とも、戻れない。
「……アオイ」
ユリは、
はっきりと名前を呼んだ。
その瞬間、
アオイの存在が、
確かに“浮かび上がる”。
「……はい」
「怖い?」
正直な問い。
アオイは、
少しだけ考えてから答えた。
「……怖いです」
「でも……
ユリさんが、
分からなくなるほうが……
もっと、怖い」
涙の混じった声。
ユリは、
決めた。
「……私が、残る」
その言葉に、
アオイが叫ぶ。
「だめです!」
「ユリさんまで――
そんなの……!」
「違う」
ユリは、
静かに否定した。
「私は……
もう、たくさん貰った」
「守りたい名前も、
呼んでくれる声も」
「だから――
今度は、
私が“残す”」
《同調解除プロセス、移行》
警告音。
《不可逆的変化を確認》
それでいい。
ユリは、
最後にアオイへ語りかける。
「……忘れてもいい」
「でも……
あなたは、
生きて」
光。
強烈な白。
次に意識が戻ったとき、
戦場は静まり返っていた。
敵は、いない。
勝利。
完全な――
代償付きの。
格納庫。
アオイは、
目を覚ました。
涙が、止まらなかった。
「……ユリさん……?」
返事はない。
《リリウム・ノクス》は、
静かに立っている。
けれど――
何かが、違う。
機体の奥から、
微かな声が響く。
「……アオイ」
それは、
確かに――
ユリの声だった。
でも。
感情が、薄い。
温度が、ない。
「……大丈夫」
「私は……
ここに、いる」
アオイは、
泣き崩れた。
理解してしまったから。
ユリは――
人間機動兵器の一部になった。
それでも。
名前を呼んでくれる存在が、
まだ、そこにいる。
《リリウム・ノクス》の花弁が、
静かに、光った。




