第二話 「失われた名前」
目が覚めたとき、
ユリは自分がどこにいるのか分からなかった。
白い天井。
低く唸る機械音。
消毒液の匂い。
「……ここは……?」
声に、自分でも驚くほどの空白があった。
「医療区画だ。安心しろ」
横からかけられた声に、ユリは顔を向ける。
軍服姿の女性――年は二十代後半だろうか。
短く切った髪と、疲れきった目。
「君は初陣を終えた。
生きて戻った、それだけで奇跡だ」
……初陣?
その言葉を聞いて、胸の奥がざわつく。
何か、とても大切な出来事があった気がするのに、
輪郭が曖昧で、掴めない。
「私……何をしましたか」
女性は一瞬、言葉に詰まった。
「敵性機動兵器を一機、撃破した」
「都市区画の壊滅は、防がれた」
そう言われても、
誇らしさも達成感も湧いてこない。
代わりに――
欠けた感覚だけが残っていた。
「……私の父は?」
不意に、その言葉が口をついて出た。
女性の表情が、凍る。
「……どうして、それを?」
「分からないんです。ただ……
“聞かなきゃいけない”気がして」
沈黙。
やがて彼女は、静かに言った。
「君の父親は、
この施設に来る途中の避難列で亡くなった」
……そう。
なのに。
「……顔が、思い出せない」
声が震える。
名前も。
声も。
笑い方も。
存在していたはずの人間が、
最初からいなかったみたいに消えている。
「これが……代償、ですか」
女性は目を伏せた。
「人間機動兵器は、
搭乗者の“人間性”を燃料にする」
「感情、記憶、執着……
戦闘に必要ないと判断されたものから、削られる」
ユリは、シーツを強く握りしめた。
「……次は、何がなくなりますか」
その問いに、答えはなかった。
格納庫。
《リリウム・ノクス》は、
今日も静かに立っていた。
まるで何事もなかったかのように。
まるで、昨日の戦闘など――
覚えていないかのように。
……本当に?
ユリは、ゆっくりと近づいた。
「ねえ」
声をかける。
「……あなた、いるんでしょう」
しばらくの沈黙のあと、
あの声が響いた。
「……呼んだ?」
胸が、少しだけ軽くなる。
「私、何か失ったみたい」
「でも、それが何だったのか……
はっきり思い出せない」
声は、申し訳なさそうに言った。
「ごめんね。
私は、あなたを守るために――
あなたから、奪った」
「……あなたは、誰なの?」
ユリは、震えながら尋ねた。
すると、その声は、少し黙ってから答えた。
「昔は、名前があったと思う」
「でも、もう……
思い出せないの」
――人間機動兵器。
それは、
人間を素材にして作られた存在。
そして、
人間を食べて生き延びる存在。
「……一人じゃ、怖いよ」
ユリの本音が、こぼれ落ちた。
すると、声は優しく囁いた。
「大丈夫。
あなたが“人間でいる限り”、
私は、あなたと一緒にいる」
それが、
慰めなのか、
呪いなのか――
ユリには、まだ分からなかった。
そのとき、警報が鳴り響く。
《敵性反応、接近中》
《迎撃準備、急げ》
次の戦い。
次の喪失。
ユリは、目を閉じて深呼吸した。
「……行こう」
誰かの名前を、
これ以上忘れないために。
たとえ、
自分の名前を失うことになっても。




