記憶の扱い
入学してしばらくはよく「どこ中?」と聞かれることが多い。その都度「ああ、〇〇中」と自然に答える。
たぶんこの世界の神原君にも中学の同級生とか、いろんなネットワークができてるはず。
そのネットワークが自然に何も考えずに覚えずに勝手に出てくるというのは不思議というよりも違和感しかなかった…
反射的に反応してる?
もう一人の神原君がいるのは当然なのでもしかして一つの身体に同居?
夢の割にはこんな細かい思考までできるのはどういうことなんだろ?
幼馴染との会話でも、「昔あんなことあったじゃん」と言われると、不思議と映像が浮かび会話を続けられる。
質問されたり必要な状況の時に、自然に「思い出すことはできる」。
ただしそれらの記憶は、感情の伴った自分の記憶ではなく、資料を読むような「表層的な記憶」としてしか感じられなかった。
「自分はこの身体の“神原浩一”として確かに育ってきたのだろう」と頭では理解しているが、実感としては神原君が生きた部分は空白のような感覚がある。
自分でもそのことに薄々気づいているが、それを口に出したり疑問に思うことは少なかった。
むしろ、「その都度うまく記憶がついてくるので特に困らない」という奇妙な納得感の中で生活している。
そのため周囲と自然に会話が成立して違和感を周りに気づかせるようなことはなかった。
しかし体験のない過去の空白のような話題にちょっとした違和感があった。
たとえば、中学の部活の思い出を語るときに「なんか変だな、感情が乗らない」と思うことがあった。
「この記憶は本当に自分のものなのか?」という疑問もいつも感じていた。
まるでもう一人の誰かが勝手に話してる感覚だ…




