第二章 Hawk's Bullet
――そこは、北極のように冷たいような、それでいて火山のように熱いような場所だった。
そこは何物も存在しない、ただただ真っ暗な空間。出口も存在せず、出口を探す手段や手掛かりすらもない。ひょっとすると、俺はどこかで死んでしまって、天国と地獄の狭間にいるのかもしれない。そう思いながら、政田隼人は闇の中を流浪していた。どれだけ歩いても、何十分方角すらも分からない暗黒を彷徨い続けても景色が変わったり光が見えるわけでもない。なのに、彼の体に疲労が蓄積することはなかった。その本来有り得ない異常性から、隼人はすぐさまこれが夢であると自分の頭に言い聞かせた。
出口を探す行為を放棄し、どうしたものかと立ち尽くした隼人の視界は、翡翠色の閃光がどこかへ駆けていくのを捉えた。翡翠色の閃光は少しずつ増えていき、いつしかそれは小さな炎を形成し始めた。その炎はまるで、あの龍が放った炎と似たものだった。その小さな炎は先程の閃光のように少しずつ点々と数を増やしていき、最終的には一本の道を残すようにして周囲を炎で焼き尽くした。
「これ……通れってことだよな」
隼人は炎が形成した一本の道へ足を踏み入れた。道の奥へ進んでいくと、その進んだ距離の長さだけ引き返すなと言わんばかりに隼人の背後に炎が現れる。隼人はそれに目もくれずひたすら前進を続ける。
「どんだけ歩いた……? 出口はどこだ?」
どれだけ炎が作り出した道を歩いても、出口と思しき場所は見つからない。いつこの道は終わるのか、そう思いながら進んでいると、隼人の目の前に翡翠色の炎で形成された大きな社のようなものが聳え立っていた。
「なんだこれ……?」
謎の建造物に唖然としていると、周囲の炎が社に吸い寄せられるように移動を始めた。吸い寄せられた炎は、社を形成していた炎と共に、大きな龍のような形へと変貌していった。
「我が社へようこそ。政田隼人」
炎で再形成された龍は隼人の脳内に直接語り掛ける。その声は隼人の脳に響き渡り、痛みで隼人は頭を押さえた。
「痛ぇ……てめぇ何なんだよこないだも暴れやがって…………!」
「あの青年から聞いただろう? 君は私の適正人物なのだ」
龍が喋る度に、隼人の脳には釘を刺されたような痛みが響く。
「おい……! いい加減俺の脳に語り掛けんのはやめろ! 痛ぇんだよこれ!」
隼人の怒号に答えるように、龍は自らの体を構成する炎を粘土のように変えていった。炎は段々と形を変えていき、最終的に巫女服を着た明るい緑色のショートヘアーの女性となった。
「これなら大丈夫でしょ? 隼人」
「…………は?」
その姿は、あの日怪異に殺されてしまった隼人の愛人である檜木香織に酷似していた。姿だけでなく、声や仕草も完全に檜木香織そのものであった。ただ巫女服を着ているという異様な一点を除いて。
「で、さっきの話なんだけどさ――」
「待てよ香織。なんでお前さっき龍の姿をしてたんだよ? それが話せないなら、せめてこれが夢なのかどうかくらいは……。というか、夢である無いに関係なく、ここはどこなんだよ」
目の前にいる、あの日死んだはずの香織に動揺する隼人を宥めるように香織は話を続ける。
「質問が多いよ隼人。まぁ気持ちは分かるけどさ。とりあえず今いる場所が夢なのかどうかってことだけど、これは夢じゃないよ。かといって現実とも言えない場所なんだけど……。んーなんて言えばいいのかなぁ……。あーいい感じに説明できないし一旦保留! ってことで、もう一個の質問の、あの龍との関係も話しとかないとね」
自分でもうまく説明が出来ず、時に唸りながら香織は隼人に話をする。
「あの龍はね、ザックリ言えば私の怪異なの。私が死んだことによって龍に自我が芽生えて、あの龍の力を使いこなせる人物を探した。そしたら隼人が適正人物に選ばれちゃったみたい」
龍の話を聞いているうちに、隼人の頭には、香織が殺されたあの日の記憶が蘇った。
――。
「頼む…………死なないでくれ香織……。お前がいなくなったら俺は……」
満月が浮かぶ夜に、一本の街灯が血だらけの香りを抱える隼人をぼんやり照らしている。そしてもう一本の街灯は、香織に致命傷を与えた切り裂き魔を催した人型怪異を照らしている。
「隼人……。ごめんね…………。私だって隼人ともっと生きたかった……。でももう、何も見えないよ……。隼人の顔が、全然見えないの…………」
掠れた声で必死に話しつつも少しずつ目を閉じていく香織に、隼人は泣きながら弱い自分を恨み始める。
「俺のせいだ……。俺がお前を守らなきゃいけなかったのに…………」
「自分を恨まないでよ……隼人。私の知ってる隼人は……そんなこと…………しないでしょ?」
香織の声で、隼人は僅かながら正気を取り戻す。
「ごめん……俺…………こんな……」
「今から言う……言葉が……、ひょっとしたら最後に、なっちゃう……かもしれない。だから…………ね、ちゃんと聞いて」
そして香織は、最期の言葉を残り少ない力を使い果たしながら隼人に届けるのだった。
「…………………………、…………………………。」
隼人の頬にしがみつくように触れていた手は、崖からずり落ちるように倒れた。隼人の頬には、香織の手についていた赤い血が移っていた。
言葉にならない悲しみを叫びと涙に変え、嗚咽を交えながら隼人は泣き叫んだ。ただひたすらに。これが夢であってくれと嘆くように。
人の悲しむ心を理解できない切り裂き魔の怪異は、じりじりと嘆き続ける隼人へ歩み始めた。隼人が不意に顔を上げ見つめた切り裂き魔の眼は、弱った獲物を見つめる目だった。切り裂き魔は自らの右腕を鎌のような形に変え、隼人の目の前にまで近づいた。隼人の心には、抵抗の文字はなかった。自分はもう死んでもいいと、全てを諦めていた。切り裂き魔が鎌を隼人に降りかけたその時だった。
――翡翠色の閃光が、切り裂き魔の頭を貫いた。
切り裂き魔は貫かれた頭を押さえ、呻き声を出しながら苦しんでいる。隼人が閃光の飛び出した方角を見ると、そこには翡翠色の龍が佇んでいた。
翡翠色の龍が地面を揺らすほどの圧力で咆哮すると、切り裂き魔はその圧力に押しつぶされるように全身が破裂した。隼人は辛うじてその場に座っていられたが、すぐに意識が途絶えて倒れてしまった。
――。
「そうか…………あの龍……」
記憶を取り戻した隼人は、あの龍が自分を守ったことを知り嬉しいようでどこかなぜ守る必要があったのか不思議に思うような気持ちになった。
「もし適正人物を見かけたら、その人を全力で守るように言い聞かせてたからね。ちゃんと教育しといて正解だったなぁー」
香織はあの龍が人に危害を加えないか心配だったらしく、隼人の姿を見て安堵のため息をついた。
「さて、龍の説明はいったんこのあたりにしとくわ。ここから一番重要なことをしてもらわなくちゃいけないから」
「重要なこと?」
どこからともなく、一枚の紙が香織の手に向かってゆらゆらと落ちてきた。香織は紙を右手で掴み、その紙を隼人に突きつけた。
「私と隼人の間に契約を交わしたいの。そうすれば私の力を隼人が存分に使うことが出来るわ」
「力?」
「この翡翠色の炎のことよ。契約を交わせばこの力を使って人を助ける事が出来るの」
そう言いながら、香織は自分の周囲に翡翠色の炎を発生させた。発生した炎は香織の周りをゆらゆらと自由に移動している。
「これを使えば、お前のような被害者を減らせるんだよな……?」
「隼人に誰かを救いたいって強い思いがあればね」
強い思いか……。そう呟きながら隼人は自分の胸に手を当てて、契約を交わすか自分に問いただしている。
「…………。分かった。お前の怪異と契約を交わすよ」
香織は隼人の決断を聞き、安心した笑顔で紙を翡翠色の炎で燃やした。
「え? なんで紙を燃やしてんだ?」
「契約を交わすって意志を聞いたから、もうこれはいらないなって。それじゃ、契約の儀式を始めよっか」
「儀式? それって何を――」
隼人の質問を待たず、香織は自分の両手を隼人の頬に当て、お互いの額を合わせた。刹那、二人の足元には翡翠色の魔法陣が浮かび上がり、周囲に翡翠色の光が散りばめられていく。
「香織……お前一体――」
「静かに。ちゃんと的確なペースで力を流さないと適正人物とはいえ危険な状態になっちゃうから」
隼人の体には、少しずつ得体の知れない力が流れ込んでいった。それはまるで空っぽになった自分の体に血が流れる感覚と同じだった。
次第に魔法陣の光は消えていき、香織から力が流れなくなった。
「……よし。これで終わりかな」
香織は両手と隼人の頬から離し、その場で不自然に立ち尽くした。
「どうした香織? 妙に静かになったけど」
「…………力を全部流しちゃったからね。体を維持できなくなってきてるの」
「…………え?」
「今与えたのは私の全部。だからもうじきこの空間と共に私自身の形も崩れ去っちゃう」
隼人は信じ難い事実を聞いてしまい、自分が香織を苦しめてしまったと思い込み始めた。
「ごめん…………香織。俺がこんな契約交わさなきゃ――」
「違うの。確かにもうすぐここは壊れるけど、私は隼人の中に住処を変えるだけ」
「住処を変える? じゃあお前は俺の中に……?」
「うん。だから私は……っていうか私の怪異は隼人の隣にいてくれる。離れたりなんてしないよ。でも、次いつ会えるか分からないな……。そばにいても会えないのはちょっと寂しいな」
涙を堪え翡翠色に輝きながらうっすらと消えていく香織を、隼人はただ見つめることしかできなかった。
「ねぇ隼人、大事なことを言い忘れてたから最後にそれ言っちゃっていいかな」
「え?」
「ここで起きた私に関することは完全に忘れることになるわ。あ、でも隼人が記憶の中から掘り起こしたものは引き継がれるから安心して。それと……」
消えかかる香織は、隼人に近づいて耳元で何かを囁いた。
――…………………………、…………………………。
それはあの日香織が遺した最期の言葉だった。隼人はそれを絶対に忘れないように頭に叩き込もうとしたが、その前に時間は来てしまった。
目が覚めるとそこは病院のような場所だった。隼人はいつの間にか病室のベッドに寝転がっていて、自分の右腕には点滴の針が刺さっていた。
「あれ……ここどこだ?」
龍との戦いで傷を負った頭に残る、金槌で叩かれたような痛みに苦悶しながら起き上がると、近くにはナース服を着た女性が立っていた。
「あれ? もう起きたの? おっかしいな……。あたいの医療技術でも丸一日は寝込んでなきゃ目を覚まさないはずなんだけど……」
ナース服の女性は、不思議そうに隼人の顔からつま先までを何度もキョロキョロと見まわす。
「あの……何なんですか人の体じろじろ見て…………」
「あぁごめんごめん、こんなこと滅多にないからさ。あ、名前言い忘れてたね。あたいは天野吟子。怪異狩人が負った怪我の治療を中心に色んな人の病気を治す手伝いをしてるわ。専門は脳神経外科よ」
天野吟子と名乗る女性は、近くの棚から青いファイルを取り出し、ベッドの近くの椅子に座ってファイルの中に挟まっていた二枚のレントゲン写真を取り出し、隼人に突きつけた。
「これさ、右の方は普通の人間の脳、左の方はあんたの脳をそれぞれレントゲン撮影したものよ。何が違うかわかる?」
「違うところなんて……ってあれ? これ…………俺の脳に何か模様が……」
隼人がそう言い自分の脳をレントゲン撮影した写真の前頭葉を指差すと、吟子はもう一枚のレントゲン写真を取り出して話し始めた。
「おっ、分かったみたいね。こういった脳の形はね、怪異狩人の中でも怪異と契約を交わした狩人だけに現れる簡単に言えば印影みたいなものよ。ほら、この写真もある怪異狩人の脳を撮ったものだけど、獣みたいな模様がついてるでしょ?」
「そう……ですね」
隼人はどこか見覚えのある紋章に若干の違和感と疑問を浮かべでいた。それをどこで、いつ、なぜ見たのかはどれほど記憶の世界を辿っても答えは現れなかった。
「本当はこの印影、この写真みたいに契約した怪異の体のような感じで印影がつくんだけど、なぜかあんたのはこんな良く分かんない紋章みたいなのが脳に刻まれてるのよねぇ……。こんなのはあたいも初めてでさぁー専門家に見せてもこんな前例は見たことないってほざくんだよぉ……」
吟子は右手で頭を抱えながら左手で隼人の脳が撮られた写真を小刻みに振り回して隼人へ愚痴を吐くように話す。隼人は自分の脳になぜ紋章が刻まれているのか、なぜ自分が医者の愚痴を聞いているのかよく分からず、ただただベッドで唖然とするしかなかった。
「あ、そうだ。今村佑人があんたのこと呼んでたわよ。体を十分動かせるようになったらこの番号へ電話してくれ……だってさ」
そう言うと、吟子は隼人に一枚の紙切れを投げ渡した。その紙切れには吟子の言葉通り、電話番号が書いてあった。
「あと一日もすれば体動かせるようになるでしょ? 明日にはそこの籠に入ってる荷物全部持って出な。一日に最低でも五人は搬送されるからベッドが常に逼迫状態になるの」
「うげー辛辣……。まだ起きてちょっとしか経ってないのに…………」
ボソッと独り言で呟いた隼人だったが、聞こえて欲しくないことだけは聞こえてしまう吟子の耳にはその独り言は届いていたらしく、ため息交じりに彼女は声を低くして本音を語り始めた。
「なんか言った? ただでさえここ病棟狭いからほぼ健康状態の甘ちゃんを匿ってる余裕ないんだけど?」
「アッハイ……スミマセン…………」
吟子を怒らせるのはやめておこう、と心に刻んだ隼人だった。
翌日……怪異狩人本部一階ロビーにて――。
「よし、来たな隼人。お前に紹介したい奴らがいるんだ」
「紹介したい人……?」
「お前も最近怪異狩人になった訳だし、同期って訳でもないけど仕事仲間は必要だろ?」
何人か怪異狩人と思しき人々が慌ただしくロビーを行き交う中、隼人を怪異狩人の世界に導いた今村佑人は一枚のチラシを隼人に渡した。そのチラシには「怪異狩人三羽烏隊 隊員残リ一名募集中」と書かれている。
「このチラシは何ですか?」
「俺が教育担当してる部署の紹介チラシだ。つっても昨日作ったものだし、実際に目で見た方が早いけどな。ついてきな、部署に案内するから」
佑人はチラシを渡した後、隼人に手招きしながら本部内を移動し始める。ロビーは高級感のある噴水を中心に、様々な怪異狩人に役立つ施設が建築されており、隼人はその全てに見惚れながら佑人を追いかける。ロビーを移動し続けていると、二人は中央エレベーターの入口に到着した。エレベーターの分厚い鉄の扉が開き、内装が見えたとき、隼人は自分の知るエレベーターと違うことを知り、思わず声を零す。
「なんだこれ…………エレベーターってこんなデカいんだ……」
エレベーターに入り、地下二階のボタンを押しながら佑人は隼人に話す。
「ここは中央エレベーターだからな。他の階にある施設とのアクセスも楽になって使用者も多くなることを事前に予期してあえてエレベーター内と待機所を広く作られてるんだ」
「進歩してるんだな……最近の建造物って…………」
二人が話していると、エレベーターの小さな振動が止まり、再び鉄の扉が開いた。扉の先には薄暗い回廊が広がっていた。隼人はエレベーターから離れ、佑人の行く道を付いていく。
「え……一階のロビーとは大違いだ…………」
「こっちはロビーと違って一般人が入れないようにされているし、基本は上級の狩人がここに立ち寄ることはないからわざわざ高級感のある造りで統一させる必要はないんだってここの建築家が言ってたな……。とはいえいつ来ても薄気味悪いな――」
佑人が最後まで何かを言おうとしたが、突如頭に花瓶が落下してきた。花瓶は佑人の頭に命中し、鈍い音が回廊に響いた。花瓶は佑人の頭にぶつかった後、床にぶつかって割れていった。
「うっ……痛ぇーまたかよぉ…………。だからここはあんまり通りたくないんだよ……」
「なんで花瓶が……!?」
頭にできた瘤を押さえる佑人を心配しながら、隼人はどこから花瓶が落ちてきたのか薄暗い回廊の周りを確認していた。だが花瓶はどこにも見当たらなかった。
「花瓶なんてどこにも無いのに……」
「疑似太陽光を使ってるこのあたりに何を考えてたのか分からないけどライさんが花育ててるんだよ……、それも異常な数を。しかもあまり人目につかない割には落ちやすい場所で育ててるからここを通ると必ず頭に落ちてくるんだ……最近は慣れたけどさ」
「えぇ……?」
頭の瘤を抑えることをやめ、佑人は何事もなかったかのようにまた歩き始めた。随分痛がっていたのにほぼ一瞬でまた動き始めた佑人に隼人は慌てふためきながら話す。
「大丈夫なんですか……? 結構鈍い音鳴ってましたけど……」
「さっきも言っただろ? 今みたいに、何度も花瓶がぶつかってきてたら慣れるんだ。それに花瓶がぶつかることは普通だって思ったら案外なんとか行ける。花瓶が当たってこない日は逆に運が悪いことだって思うようになれば少しここを通りやすくなるんじゃないかなって」
それは最早諦めの窮地に到達しているんじゃないか……そう隼人は思いながら佑人についていくのだった。
二人は薄暗い回廊を歩き続ける。所々に使われていない空き部屋があったが、その部屋に入るための入口には何重にもガムテープが張ってあり、まるで事故物件や呪いの部屋を彷彿とさせるような雰囲気を醸し出していた。
「めっちゃ不気味……それになんだこの匂い…………」
「このあたりは旧留置所の跡地だ。何度も同じ部屋で死刑を執行してたら血やその匂いがへばりついて尋問どころじゃないって昔の奴らがうるさいから何度も留置所の移行を行ってたらいつの間にか何個も跡地が出来たって感じだ。ちなみにこの匂いは血の匂いだ」
佑人の発言通り、旧留置所と思しき部屋の近くでは血生臭い匂いが充満していた。周囲をよく見るとへばりついたまま掃除されていない血の跡が床や壁にへばり付いていた。
「こんな場所なら確かに一般人は入れないですね…………」
「だな……。っと危ない、通り過ぎるところだった。着いたぞ隼人」
佑人は足を止め、ある部屋の前に視線を向ける。その部屋は先程までの廃墟のような部屋とは違い、手入れが隅々まで施されており、電気も点いていた。
「ここが……三羽烏隊の?」
「ああ。最近出来上がった隊でチラシ見たら分かるように今は教育員を省いた所属隊員は二人だけなんだけどな」
そう言いながら、佑人は三羽の鳥の刻印が刻まれた三羽烏隊の部屋の扉を開ける。古い造りだからか、扉を開ける時に少々軋む音がする。重い扉を開けると、そこには右目と口元を黒い布で隠し忍者の服を着た水色のロングヘアーの女性と、山吹色のロングコートを着て、同じく山吹色のウエスタンハットを被った淡黄色の髪の男子が佇んでいた。
「あら、佑人さん。随分長いトイレ休憩でしたね……ん? そちらの方は?」
「今日からこの隊に入隊する予定の政田隼人だ。まだ怪異狩人のことはあまり知っていないから二人が色々こいつのことをサポートしてくれると助かる」
佑人はそれだけ言い残し、三羽烏隊の部屋を去っていく。水色の忍者服を着た女性は佑人の話をしっかり聞き何が起きてるか分かっていない隼人に優しく声をかける。
「君が政田隼人君だね? 初めまして。私は望月雛菊。服とか見てもらったら分かると思うけど、私は忍者の末裔よ」
「忍者? それコスプレとかじゃないんですか?」隼人がそう聞くと、雛菊は裾から小さな武器を取り出した。
「コスプレじゃないよ? んーでもあんまり信じてもらえなさそうだなぁ……。あ、そうだ。それじゃあこれが何の武器か分かる?」雛菊がそう聞くと、隼人は迷いなく忍者が使う苦無だと答えた。その言葉を聞き、雛菊はその苦無をいつの間にか隼人の後ろに用意されていた藁人形へ目掛けて投げた。苦無は隼人の頬を掠れそうになったが、綺麗に頬を避けて藁人形の頭に刺さった。
「ちょ……いきなり何するんですか!? 今のはビビりますって!」隼人は冷や汗をかきながら雛菊に詰め寄る。雛菊は頭を掻きながら少し震えた声で言い訳を話し始めた。
「いやぁー……言葉で説明するよりはこうしたほうが手っ取り早いと思って…………。ほら、百聞は一見に如かずって言うでしょ?」
そうだけどそれは時と場合によるだろ――と隼人は心の中で叫んだ。
「ねぇ……君たちさっきから騒ぎ過ぎなんじゃないの? 僕の銃たちが怯えてるんだけど」
どこからか声が聞こえ、その方向を振り向くと山吹色のウエスタンハットを被った男子が丁寧に銃を拭きながら呟くように話していた。彼の机には火薬が詰まっていない薬莢が数個と手入れ済みの銃が二、三丁置いてあった。シリンダーに降り注いでいた埃を払い終わると、その男子は隼人に近づき始めた。
「君が例の新人か。僕は早阪颯真。悪いけど君の新人教育をしてる暇はないから僕は自分の仕事に戻るよ」
そう言うと颯真は、隼人に一個の火薬が詰まった薬莢を渡して自分の机に戻った。
「あらっ、珍しい……。不愛想なあの子が誰かに物を渡すなんて……」雛菊は手で口を隠しながら颯真を見る。
「あの颯真って人は一体? というか見た目からして未成年なんじゃ――」隼人が最後まで話そうとするのを遮るように、雛菊が答えた。
「私たちはいわゆる訳アリな存在なの。あの子は生まれてすぐにとある狙撃手によって親が殺されて、あの子もなんとか一命を取り留めたとはいえ撃たれた。あの子の背中には銃で撃たれた跡があって、他の子からも迫害されたの。それであの子は三年前の十四歳からここで戦っているの」
「え? 同い年なんですか……それにしては大人びてるような……」隼人がそう聞くと、雛菊は哀れみの眼差しを薬莢に火薬を入れる颯真に向けながら話す。
「頼れる人が誰もいなくて、ああなったの。悩みを吐ける人がいないことは、最終的に人をいつ脱出できるか分からないほど固い殻に閉じ込めてしまう……あの子は今でもだれも信用していない。もちろん私のこともね」
隼人は苦笑いをしながら話す雛菊と手入れが出来た銃を手に取り眺める颯真を見て、颯真がどれだけ苦難の道と苦渋の選択を進んできたのか想像しようと思ったが、断片を想像するだけでも心に針が刺さったかのような痛みが響くのを感じて、それをやめた。
「仕事を始める前に聞きたいんだけど、隼人君は実戦経験ある?」
四席のデスクのうち、何も荷物が置かれていない席に隼人を案内した後、ふと雛菊が隼人に聞いた。
「実戦経験は……ないですね…………」
隼人には翡翠色の怪異と戦った経験があるが、あくまであれは封印作業であったために実践とは言えない――そう思った隼人は翡翠色の怪異との戦いを隠した。
「それなら、颯真の仕事を一緒にやってみたら? 実戦研修としてさ」
雛菊の突拍子のない発言に、颯真は机を叩きながら反論する。
「はぁ!? 僕は新人の教育をしている暇はないっていったよね?!」
「大丈夫だってぇー。最悪近くで見学させているだけでも十分教育になるよ?」
颯真は何を言っても無駄だと悟り、ため息を吐きながら銃を一丁持って立ち上がり、羽織っていたロングコートのしわを直しながら隼人に近づいた。
「言っとくけど、死にそうになっても僕は容赦なく見捨てるからな。分かったらとっとと準備しろよ、車出してもらうのも楽じゃないんだからな」
「わ…………分かり……ました」
そそくさと部屋を後にする颯真を追いかけるように、隼人は怪魔具のマフラーを手に取って部屋のドアを開けて颯真のもとへ駆けていった。
「これで三羽烏隊は満員か……また個性的そうな子が入ってきてくれたなぁ…………」部屋に一人残された雛菊は感嘆するかのように呟いて、机に置いてあった書類を整理し始めた。
颯真が呼び出した車の中では、隼人と颯真が隣り合わせで座っていた。二人はあまり会話をせず、仕事場所に着くまでただ沈黙の一時が流れるだけだった。隼人は颯真が手にしていた銃が気になり視線を向けていたが、颯真はその目線など気にせず、自分がついさっき丁寧に拭いていた銃を見つめていた。
ふと、車は人気のない廃村で止まった。入り口には「猿楼村」と書かれている。扉が勝手に開き、颯真と隼人が車から降りた。鼻に刺さるような異臭が周囲に漂い、反射的に隼人は自分の鼻の穴を塞ぎながら颯真についていった。
「こんな人のいないところで何をするんですか……?」
「決まってるだろ。怪異狩りだ。ここがこうなった原因の怪異に関する目撃情報が出たからそれを見つけて処分するのが今日の仕事だ」
確かに言われてみれば、路地裏や街道に何匹も猫や犬、熊に似た怪異がいる。だがそれらは目の前にあった小さな鳥の死骸を貪り食ってるだけで隼人や颯真を襲うような気配がないため、隼人は颯真が狙っている標的がこれらではないということが分かった。
「お前、能力何?」いきなり、颯真が隼人に聞いた。
「能力? …………って何です?」
イマイチピンとこなかった隼人は颯真に聞き返す。颯真はため息を吐きながら隼人に答えた。
「お前マジで何も聞いてないのかよ……。……まぁ簡単に言うと一部の怪異は人間と契約を結べて、契約を結んだら怪異が持っている能力を人間が使えるようになるんだ。僕の場合は……まぁ実戦時に教える。それで? 僕の質問の答えは何だ?」
「能力はないです。一応御守りとしてこの怪魔具を使ってますけど……」
そう言い、隼人は首に掛けてたマフラーを指差した。颯真はふーんと言い、そこで会話は終わった。え? なんだかんだ聞いて反応それ?――と隼人は思ったが口に出したらうるさいと思ったので、敢えて言わないようにした。
颯真の後をつけるように歩いていた隼人だったが、彼の眼に突如として信じがたい光景が襲い掛かった。
「は……? 何だよこれ…………」
隼人と颯真の目の前には、大量の人間の死体が転がっていた。腕を抉り取られた死体、腹の臓物を食い荒らされた死体、顔を踏み潰されたのか、頭の原型を留めていない死体もあった。周囲の建物も粉砕されており、火災が起きていたのか焦げ臭い悪臭が周囲に充満していた。颯真が床に転がっていた他の死体に比べて綺麗な女性の手首に指を当てると、脈があったのか近くで立ったまま固まっていた隼人に声をかけた。
「おい、まだ生きている人間がいるぞ」
隼人は颯真の方を振り向いて駆け寄り、息のある女性に話しかけた。
「大丈夫ですか? 名前は言えますか? ここで一体何が起きたんです――」
「怪我人を急かすな!」
颯真が怒りながら隼人の頭を拳骨で殴った。痛みで悶絶している隼人を横目に、颯真が落ち着いた口調で女性に話す。
「すみません、うちの新入りが。彼はまだ仕事に慣れていないもので……。我々は怪異狩人の三羽烏隊というものです。ゆっくりでいいので、このあたりで起きた事象について知っていることを話していただけませんか?」
颯真の質問に、女性はひとつひとつの単語を噛みしめながら答えた。
「大きな……猿が…………みんなを殺した……あなたたちも、早く逃げて……」
「猿……!? まさか――」
颯真が女性の近くにあった壊れた建物を見ると、そこには何かが殴ったような跡が残っていた。
「もしかしたら厄災級かもな……。おい、そこでダンゴムシみたいに丸まってないでとっとと救急キットを使え! それと吟子さんに連絡して、救命士を派遣してもらうことも忘れるな!」
「え……? は、はい!」
隼人は頭の痛みを無理矢理抑え、颯真の指示通り女性に即効性のある痛み止めを飲ませてスマホで吟子に連絡をした。
「よし……颯真さん、これでいいですか?」
「一旦はな。新人、どうやらこの仕事はお前には早すぎるみたいだ。お前もその女性と一緒にこの村から逃げろ。新人研修はまた次の機会だ」
颯真はいつも以上に青ざめた表情で隼人に話した。隼人は一瞬悩んだが、すぐに答えた。
「逃げるわけにはいかないでしょ。多分この女性の言ってることが正しければ、その猿とやらは一人では戦えないような存在なんじゃないんですか?」
隼人はそう言うと、スマホを使って自分たちが先程まで乗っていた車を手配した。車はすぐに隼人達の近くに到着し、運転手が車から降りて女性を抱えて客席に寝かせた。
「この女性は本部に搬送します。だけど俺は逃げません」
車はすぐにその場を離れ、遠くへ消えていった。颯真は隼人の凛とした眼差しに、ただため息を吐くしかなかった。
「まぁいい。死にたいんならそうしろ」
腰に隠してあった愛銃を手に持ち、颯真は我先に周囲を捜索し始めた。隼人もできる限り颯真から離れず、周囲に目を凝らし、怪異の奇襲に備えた。だが備えていても一刻が過ぎていくばかりで例の猿は現れない。生息場所を変えたか日中は現れないのだろうと二人は考え、別の場所を探そうとしたその時だった。
――鈍い金属音と爆発音が、村の外から聞こえた。
「颯真さん、今の音って!?」
「村の外からだ、それにこれはガソリンの臭い……? とにかく急ぐぞ!」
二人は音の聞こえた森の方向に走って行った。音の聞こえた場所に近づくにつれ、焦げ臭い悪臭とガソリンのような臭いが強まっていく。ついに二人は燃え盛る森の惨状を目の当たりにした。燃えていたのは隼人が呼んだ車で、中にはあの二人が燃えているのが見えた。恐らく既に死んでいるだろう。辺りに木々が倒れていたせいで前に進めなかったのか、近くには途切れたタイヤ痕が残っていた。だが二人は、なぜ車がなぎ倒されたかのように仰向けになっていたのか疑問に思った。しかしそれは燃え盛る車から確かに見えた何かが殴った跡ですぐに答えが導かれた。
「この跡って、猿が残したやつに似てませんか……!?」
「間違いないな。ということは――」
颯真が後ろを振り向こうとしたその時、颯真は何かに殴られて木々が生い茂る森に吹っ飛ばされた。
「颯真さん!!」
隼人が颯真の吹っ飛んだ方向に叫んだ。だが隼人にも何かの拳が襲い掛かる。隼人もまた吹っ飛ばされると思われたが、彼は自身の左腕で何かが振るったその拳から身を守った。重い一撃で、骨が粉砕しそうな程の痛みが隼人の左腕に響く。隼人の眼には、赤い毛皮の猿に似た獰猛な巨獣が聳え立っていた。
「こいつが例の……」
隼人が巨獣の攻撃から逃れようとしたが、巨獣がもう片方の拳を使って隼人の左腕を殴った。隼人の左腕は重い攻撃に耐えられず粉砕骨折してしまった。一部の骨は皮膚を貫いて血液と共に体外にはみ出した。
「ぐぅっ!? なんだよこれクソ痛ぇ……!」
初めて負った骨折という痛みに、隼人はただ叫ぶしかなかった。左腕を抑える隼人に、また巨獣が右腕を振り上げた。今度は隼人の頭に目掛けて拳を振るおうとしていた。隼人はすぐに残された右腕を使って防御姿勢をとって身を守ろうとした。巨獣の拳が今度は隼人の右腕に激突した。そう思われた瞬間だった。
――翡翠色の炎が巨獣の拳から隼人を守るように燃え広がった。
「この炎は……!?」
翡翠色の炎は巨獣を振り払った。残っていた一部の炎が隼人の左手に纏わり付き、隼人が負った傷を少しずつ治していった。はみ出ていた骨が少しずつ体内に戻っていき、最終的に左腕の感覚が完全に戻った。
「左手が動かせる……。それになんだ? 手に熱い何かが……」
隼人がふと自身の拳を見ると、そこには翡翠色の炎が燃え盛っていた。だがかつて自身が浴びたあの熱さは感じない。ファンタジー作品の魔術のような感じで使えばいい、と隼人は推測し、襲い掛かる巨獣の腹に炎を纏わせた拳をめり込ませた。その時、翡翠色の炎は巨獣を貫くかのように鋭い一撃を響かせ、巨獣を廃村の方向に吹っ飛ばした。
「これが能力か……。良く分かんないけど、とりあえずやってみるか……!」
隼人は吹っ飛んだ巨獣を追いかけ、再び廃村に辿り着いた。一撃で死ななかった人間に、巨獣は大きな怒りを爆発させた。周囲のかつて建物だった瓦礫を何度も殴り、巨獣の拳は膨張していく。
巨獣は天に向かって吠え、再び隼人に向かって襲い掛かってきた。巨獣の拳と隼人の拳がぶつかり合い、周囲にかすかな衝撃波が広まった。周囲にあった瓦礫が衝撃波に吹き飛ばされ空中を舞う。隼人が先制攻撃を図り、巨獣の首元に肘鉄を当てたものの、巨獣は何事もなかったかのように隼人を踏みつぶそうと右足を上げた。とっさの判断でなんとか避ける事が出来たが、すかさず巨獣は狂ったように隼人を攻撃する。隼人も負けじと反撃を試みようとするが、巨獣の絶え間ない乱撃に防御の体制を常に取り続けなければならなかった。翡翠色の炎による加護で先程のように粉砕骨折による痛みを負うことは無くなったが、それでも炎の加護だけでは耐えきれなくなるほど巨獣の猛攻は続く。ついには隼人の防御態勢が崩れ、両腕の間に空いた、ほんの小さな隙間に巨獣の拳が入り込み、その拳は隼人の顔面に命中した。殴り飛ばされた隼人は、少し離れた場所にあった瓦礫の山に埋もれた。
「駄目だ、炎を使いこなせない……。このままだと――」
隼人が瓦礫から抜け出したその瞬間、あの巨獣は待ち構えていたかのように目の前に佇んでいた。隼人はすぐに巨獣から距離を取ろうとしたが、瓦礫で躓いてしまい、瓦礫の山に倒れこんでしまった。巨獣が狙っていたかのように飛び上がり、隙だらけの隼人にとどめを刺そうとした時だった。
――どこからともなく銃声が響き、飛び上がった巨獣は銃弾が命中したのかそのまま自由落下していった。
「まったく……だから逃げろって言ったんだ」
隼人が後ろを振り向くと、そこにはあの愛銃を手に持っている颯真が自分の帽子が飛ばないように鍔を指で押さえながら立っていた。
「颯真さん……! よかった、無事だったんですね!」
隼人が颯真との再会を喜んでいたが、颯真はそれに目を向けず、巨獣に銃の照準を向けていた。
「よく見ておけ新人。今から僕がすること、それが怪異を狩るってことだ」
颯真がそう言うと、彼の銃口には輝かしい山吹色の光が灯っていた。颯真の足元からも山吹色の光の粒子が発生し始め、それは颯真の周囲を徘徊していく。
「推定距離約二百メートル、北北東から多少の風、ブレ補正問題なし……。最終命中確率七十パーセント、許容範囲内……」
小さな声で自分に言い聞かせるように颯真が呟くと、銃口の光がより一層増した。空中に浮かんでいた光の粒子も、一斉に銃口へ集まった。それに呼応するように、颯真の両眼も輝いた。
「怪異弾式――「燕」……」
颯真の愛銃から、山吹色の輝きを帯びた銃弾が放たれた。銃弾は巨獣へ真っすぐ飛んでいくが、巨獣がそれに気づいた時にはもう遅かった。銃弾が突如として輝いたかと思うと、それは燕のような姿に変わり巨獣の胴体を貫いた。燕と化した銃弾は物理法則上起こるはずのない不自然な弧の軌跡を描き、今度は巨獣の頭にめり込みそのまま爆散した。周囲には巨獣から放たれた肉片や血が飛び交う。あの巨獣は、煙と共に跡形もなく消え去った。
「すごい……これが颯真さんの…………」
「感心してる場合か。まだ残党が残ってる可能性だってあるんだ……」
そのとき颯真が目にしたものは、彼が今まで見てきたどの怪異にも起きなかった異常な光景だった。
――あの巨獣が、より人間のような姿になった二足歩行の獣となって煙の中から現れた。
「くそっ、仕留めそこなったか。ならもう一発食らわせてや――」
颯真が再び射撃の体制を取ろうとしたが、その獣は巨獣を凌ぐ脚力で颯真の背後へ飛び上がり、颯真を焼け焦げた建物へ蹴り飛ばした。建物はその衝撃に耐えられず、そのまま崩れていった。
「颯真さ――」
隼人が獣から目を離したその隙に獣は隼人の目の前に素早く移動し、隼人の顔面を瓦礫の山に埋め込んだ。獣は自らの勝利を確信し、あの巨獣のように雄叫びを上げた。
「こいつ、やっぱり厄災級か! だがこんなとこには現れないはず……。まさか生態系が崩れてるのか……?」
颯真がつい先ほどまで建物の残骸だった瓦礫から抜け出し、獣の姿を見て驚愕した。自分が体験したことの無い強敵に恐れ、両足が震える感覚を颯真はひしひしと感じた。それでも自身の持つ怪異狩人としてのプライドと、自分の悲惨な過去を思い出し、もう二度と罪なき犠牲を増やしてたまるかと自身を鼓舞し再び銃を握り銃口を獣に向けた。
「推定距離約三百メートル、風の気配なし、ブレ補正問題なし……。最終命中確率九十パーセント……!」
颯真が銃を強く握ると、銃口が先程の「燕」を放つ前よりも輝き始めた。颯真の体から輝く山吹色の蒸気が溢れ始め、それは炎のように燃え盛った。だが獣はまた自分が倒されることを察知し、颯真に目掛けて飛び上がった。颯真はこの事態を予測できず獣の攻撃を受けてしまい、近くにあったかつて噴水だったものへ叩きつけられた。
「しまった……今ので貯めていた力が…………」
叩きつけられた衝撃で背骨が折れ、体中から苦痛の悲鳴が響く。意識が朦朧とし、手元にある銃すらも満足に握ることができない。自分ではこの怪異を倒せない――。死を悟った颯真は抵抗をやめ、獣がとどめを刺してくるのを待つことを決めた。
――こんなとこで死ぬのか。こんなんじゃ、父さんと母さんに顔向けできないよ……。
颯真の目から流れた一粒の涙が瓦礫に染み渡ったその時、獣の一撃が倒れこんでいる颯真に打ち込まれた。周囲の床が衝撃に反応して砕け散り、煙と共に空に飛びあがった。煙が晴れると、そこには颯真を滅さんと轟いた獣の拳を素手で受け止める隼人がいた。
「諦めないでください! まだ俺がいるじゃないですか!」
自分が仕留めたはずの人間が生きていたことに混乱する獣を蹴り飛ばし、倒れていた颯真に駆け寄って隼人は続けた。
「その技、貯めるのに時間が掛かるんでしょう? そのくらいの時間なら、俺が稼ぎます!」
「ま……待て……。お前、殺されるぞ……! それに、今の僕には貯める力が――」
引き留めようとする颯真に、隼人は翡翠色の炎を放った。それは炎とは違い熱を帯びておらず、颯真の体にあった傷や骨折が少しずつ治っていく。隼人が放った炎は言うなれば「癒しの焔」だったのだ。
「颯真さんの問題はこれで解決ですよね。んじゃ、準備急いでくださいよ!」
そう言い残し、隼人は自身が蹴り飛ばした獣の方向へ駆けていった。獣は隼人の姿を見るなり激昂し、鼓膜が破れかねないほどの声量で叫んだ。颯真は明らかに戦力差がある獣に立ち向かおうとする隼人を止めようとしたが、もう遅かった。隼人と獣は、再び拳と拳を交えた。獣と狩人は、拳を激突させる度に衝撃波を生み周囲の建物を悉く破壊していく。隼人が拳に翡翠色の炎を纏わせ、獣の腹部に拳を打ち込むと、獣は今までと違い吹き飛ばず唸りながら後ずさりをする。獣には既に炎の持つ異質な力への耐性が身についてしまったためか、隼人の放つ炎を纏った拳は獣にとって障壁ではなくなった。
「こいつ……耐性をつけやがった…………。こりゃ長く持つか分かんないな」
ほくそ笑みながら、隼人は自身のマフラーを締め直し、再び獣へ立ち向かう。獣は凄まじい速さで隼人の攻撃を封じ、何発もの打撃を腹部や頭部に与え、彼の体に深い引っ搔き傷を負わせた。その都度隼人の骨が何本も折れるが、傷を抱えたまま隼人は獣へ我武者羅に戦い続ける。その一方で、颯真は再び銃を構えた。暴れつつも、満身創痍の隼人によって少しずつ動きが制限されてきている獣へ銃口を向ける。先程と同じように、颯真の体から山吹色の蒸気が溢れ始める。銃口がまた輝き、颯真の両眼もまた、光り輝く。
「推定距離三百五十メートル、風の気配なし、ブレ補正問題なし……。最終命中確率、百パーセント!」
颯真は銃の撃鉄を起こし、トリガーに指を添えた。
「離れろ、隼人!」
颯真の声を聴き、隼人は即座にその場から離れ、近くの瓦礫に隠れた。そして、遂にその瞬間は訪れた――。
「怪異銃式――「終」!」
刹那、銃口から山吹色の鷹と化した弾丸が解き放たれた。鷹は獣へ一直線に飛び、獣の腹へ直撃した。鷹は大きな駒のように回転を始め、そのまま獣の体内で爆発した。獣の体は破裂し、肉片は血と共に四方八方に飛び散った。その後、肉片は灰のように崩れていき、風と共に消え去った。
「よし、これで終わった……な…………」
颯真は力を全て使い尽くし、その場に倒れた。
――うまくいけたかな、父さん、母さん。
倒れこんだ颯真は、朦朧とした意識をほんの少しだけ手放した。幸せだった頃の自分を夢に見ながら――。
「――さん! 颯真さん!」
隼人の呼びかけで、颯真は目を覚ました。颯真の目に映る空は、綺麗な青空が一面に広がっていた。ただ村は自分が最後に意識を失った時と同じで、酷く荒廃していた。
「なんだ……隼人か」
目覚めた颯真は、体を起こして村の方を向いた。ただでさえ荒廃していた村が自分たちの戦いによって更に荒廃したその惨状を見て、被害を最小限に留められなかった自分の不甲斐なさを少々嘆いた。
「この惨状だと被害額が半端じゃないことになるな……」
「あれ、颯真さん知らないんですか? 最近こういった仕事で発生した損害は専属業者が破格の安さで直してくれる制度ができたみたいですよ」
「え……そうだったのか。……というかお前、傷が酷いぞ。早く病院で吟子さんに診てもらった方が良い」
颯真は隼人の体にいくつも刻まれていた引っ搔き傷を見て心配したが、隼人は自分の傷を見て笑いながら答えた。
「このくらいの傷なら、こうすれば一瞬で治りますよ」
そう言い、隼人が右手の指を鳴らすと、傷の部分にだけ翡翠色の炎が燃え上がり始めた。暫くすると炎は消えて、傷も消えていた。
「原理はさっぱり分からないんですけど、この炎で傷を治すことができるんです。さっき颯真さんに与えた炎もこれと同じやつです」
「そうなのか……。悪いんだが、体動かす気力がないからちょっと起こしてくれないか? というかさ、お前、もう敬語使わなくていいぞ」
颯真の何気ない一言に、隼人は思わず固まった。
「え?」
「雛菊から僕と隼人が同い年って聞いたから、同い年なのに敬語なのはどうなのかなって。まぁ、お前が嫌じゃなけりゃの話だけど」
颯真は微笑みそうな口元を隠すように帽子を持って話す。隼人は少しの間黙り込み、初めて颯真に笑顔を見せて手を差し伸べながら答えた。
「分かった。それじゃあ、これからよろしくな、颯真!」
「変わり身速いなお前。まぁいいや、僕の方からもよろしく頼むよ、隼人」
颯真は隼人の差し伸べた手を掴み、自身の体を起こした。友情が生まれたその後、二人は廃村から去っていった。
颯真にはこの時、初めて「友達」と呼べる存在が出来た。
二人が死闘を繰り広げていた間、佑人は本部内で様々な監視カメラの映像を確認していた。彼の耳にも、今回の異常な生命体の発生の情報は届いており、その異常な現象の原因を特定する為、様々な箇所に設置されている監視カメラの映像を確保していた。
「ここにも残っていない……。となると原因は自然的なものか? だがそれにしては異常だ……。今回の件にしても隼人の件にしても、自然的なものとして片付けるには明らかに異常事態のスピードが速すぎる」
佑人は一度に幾つもの監視映像を確認していたが、どこにも原因と思しきものが移っている映像が見られない。焦りを見せながら映像を確認していると、信じがたい映像が彼の目に留まった。
――一匹の怪異が、黒いフードを被った男の放った黒い鱗粉を飲み込み、体の形状を変えて暴走を始めた。
「この怪異……もしかして隼人達が戦ってたやつじゃ!?」
佑人がその映像の詳細を調べると、そこには「猿楼村 入口カメラ」と書かれていた。佑人は確信を掴み、黒いフードの男の解析を始めた。男の顔が見える部分の画像を切り取り、解像度を高くするソフトに画像を入れて、男の顔を特定しようとした。だがその時パソコンに映った顔は、佑人の予想を大きく裏切るものだった。
「こ……こいつ…………。嘘……だろ?」
そこに映っていたのは、佑人の兄のものだった。佑人は近くの携帯を取り、自身の同僚に電話をかけた。
『もしもし? 今度はどんなものを解析すればいいの?』
「今、画像をお前の携帯に送った……。できるだけ早くこいつと同じ顔の男の居所を見つけ出せ!」
その時の佑人の声には、今までにない焦りが籠っていた。