強いられた2択
「ミリアベス、お前との婚約を破棄する!」
静まり返った夜会の場で1人の男がそう宣言した。
今まで聞いた事がないほどに荒々しい声をあげた男は、国王の第1王子にして俺の兄貴ロイズ。
煌びやかな装飾を飾った貴族達が多くいる中でも、厳格に言う様はまるで審判の神が如く。
片目を無くしたが故の眼帯に20代とは思えない貫禄を持った兄貴は、たった一言のでこの夜会を支配してしまった。
周りの人がざわつき幾多の視線が動く。
雑音が生まれては消えていく中、やがてバラけていた視線の行先が二つに絞られる。
階段の上で佇むロイズ兄貴。
そして罪人にされてしまったミリアベスだった。
「ロイズ様、なぜいきなりその様な事を……」
唐突の婚約破棄に対して彼女が出来たことは、信じられない表情を浮かべ震えた声で返すことだけだった。
あまりに痛々しい姿にいつもは輝いて見えた赤いドレスや銀の長髪も、重く沈んでいるように見えた。
だが誰も彼女を庇わない。
大きな正方形の赤のカーペットに立つのは彼女一人だけ。赤いカーペットの周りにいる傍聴人は、事の顛末を見届けるだけだ……中には哀れな罪人を蔑む視線も感じられるが。
「いきなりも何もお前には様々な罪状が判明している。既に学園の者から何名か告発を受けている所だ」
ミリアベス嬢の声も虚しくロイズ兄貴は突き放すように言葉を放った。兄貴が手で合図を出せば、執事らしき人が丸めた紙を渡してくる。
「人に対する嫌がらせや、気に入らない令嬢に毒を持った事。他にも身も蓋もない噂を流して他の令嬢の評判を下げようとし……」
紙を広げて淡々と読み上げるロイズ兄貴。そのどれもが第1王子の婚約者として不相応な行為であり、婚約破棄されても仕方がないと思える物ばかりだ。
それが事実であれば。
「……以上だ。他にも罪状はあるがそれよりも──」
「お待ち頂きたい兄上」
よって我慢できなかった俺は行動に移った。まるでロイズ兄貴に叛逆するように、ミリアベス嬢の前に立ったが別に後悔していない。
ざわつく貴族達に「どうして……」と静かに嘆くミリアベス嬢と、夜会に僅かな変化が訪れる。
背後から感じられるのは怒りではなく困惑や悲しみといったもの。
暗殺未遂に会ったばかりだというのにミリアベス嬢の優しさは全く変わっていなかった。
「ブレイブ様。私の前に立ったら──」
「立場が悪くなる? 申し訳ないけど、こんな茶番に付き合うほど我慢強くはないんだ」
この会話だけで確信できた。
ミリアベス嬢は悪くない。
なら俺がやるべきなのは全く信憑性のない話からミリアベス嬢を守る。それだけだ。
「どうした弟よ、先程の言葉に意見でもあるのか?」
「ええ、ありますよ。噂話で人を断罪しようなどと、ハッキリ言って愚行です」
俺がそう断言すると周りがまた騒めく。
けれど流石は兄貴。厳つい表情に全くの変化が見えなかった。いや動揺なんてしていないのだろう。
「我が弟ブレイブよ。貴様は学園で起こった彼女の数々の所業を知らないのか?」
「いいえ。私もミリアベス嬢と同じ学園で学ぶ者。兄上が先程話した噂話は存じております」
「……噂話か、そう断言する理由は?」
話しているだけなのにまるで魔王と対峙しているような気持ちに陥るが、弱みを見せてはいけない。
強気の姿勢を見せ続けるんだ。身勝手な悪意からミリアベス嬢を守る為に。
「単純に確証性がないからです。他人に毒物を盛った話についても、ミリアベス嬢は丁度その時期修行洞にいました」
他にもミリアベス嬢が他人を階段から突き落とした話もあるが、これも真相は分かっていない。
怪我した本人がミリアベス嬢がやったと証言したが、その場面を見た人が自分から転んだという証言もある。
先程の兄貴が読み上げた罪状のどれもが、真相が曖昧な物ばかり。
「調査もまだ途中のはず。その段階で彼女が犯人だと決めつけるのは迂闊だと愚申します。どうか公平な判断をお願いします」
兄貴らしくない行為に俺はそう伝えた。
頭を下げて出来るだけ真摯に伝えるが、兄貴の態度に変わる様子がない。
ただ厳格に、この場の審判として物事を進めていくのみ。口では語らずとも姿勢だけで、兄貴の意思がハッキリと伝わってくる。
だが俺の感触とは裏葉に。
「……そうだな。全くもって貴様の言うとおりだ」
兄貴は眉ひとつ変えずに、俺の指摘を認めた。
「! でしたら──」
「それでも婚約破棄の件は変わらない。言い遅れていたが先程の罪状はオマケだ」
「オマケ……罪状の件よりも最も大きな問題が?」
……兄貴の考えが読めない。嫌な予感がする。
昔からの付き合いだから分かってしまう。
大衆の前で兄貴から行動を起こした時にはもう、相手は詰みに入っているんだと。
どうやっても逆転する事はあり得ない。
「アンブラ、アレを」
チェックメイト。
兄貴が指を鳴らせば傍聴していた貴族達の中から、紫ドレスを着た貴人が現れた。
そしてミリアベスへ手を向けて──
「ミリアベス嬢、伏せてっ!」
魔弾を放ってきやがった!?
俺も魔力を纏った腕で弾こうとしたが手遅れだ。
いや、というより魔弾の速度が速すぎる。
「っ……!?」
淀んだ紫の魔弾が俺の腕を一瞬ですり抜けてミリアベス嬢の頭に直撃してしまう。魔弾がどれだけのものだったのか……彼女の体が弾かれるように倒れる光景を見れば、人を殺せる威力だと察してしまうだろう。
「ミリアベス嬢、返事をしろ!?」
赤いカーペットがさらに濃い赤で塗られていく。
銀の長髪から漏れていく液体が、時間に立つにつれてその範囲を広げていく。そして彼女の目は……瞬きすらせずただ一点を見つめていた。
──死んでいる。
「……貴様ッ! なぜミリアベス嬢を殺した!? 例え罪状が正しかったとしても、この様な仕打ちをして良いはずがないだろう!?」
あまりにも残虐すぎる。
学生のみで行われる夜会でやって良い事ではない。
ミリアベス嬢が死んでしまった今、アンブラと呼ばれた女性の対処をするべきだ。次に何をするか分からない。
「フフ……ブレイブ様、何やら勘違いをしておられるようですね」
だが怒りを露わにする俺を嘲笑うようにアンブラは笑った。何も分かっていないとでも言いたげに。
関係ない。
魔弾を放った令嬢は眼鏡を掛けた金髪の女性。
再確認を終えた俺は足を踏み出そうとして──
「ミリアベス嬢は死んでいませんよ?」
──止まった。
「……一体何を、あんなの人の、しかも頭に直撃したら誰だって死ぬだろう……!」
「そのお言葉は肯定しましょう。ただ前提が違いますわよ。それって……人だったらの話でしょう?」
「……どういう事だ」
何が言いたい。
そんな俺の疑問に答えたのはアンブラでもなければ兄貴でもない──ミリアベス嬢本人だった。
「お、おい。なんで生き返ってる!?」
傍聴人を貫いていた貴族が叫び、慌てながら化け物でも見たように指を刺してくる。だが指の先は俺ではなく地に伏していたミリアベス嬢の方。
悪寒に急かされるように背後へ振り返った俺が見たものは、人の常識ではあり得ない光景だった。
時間の巻き戻しのように立ち上がるミリアベス嬢。
床に垂れ流しだった血が浮き上がる彼女の元へ戻っていく。
赤い滝が頭の亀裂へ入ってく光景は、それはそれは恐ろしいものだったが、同時に起きていた異常に俺は目を奪われていた。
白い肌が紫に。
銀の髪が闇に堕ち、目が黒と金に変色する。
そして最後に現れるのはサイクロプスを思わせる長い2つの角。
これによってミリアベス嬢の処罰が確定してしまった。確かに人なら考慮する余地があっただろう。けれど人ならざる者ならば。
ロイズ兄貴が判決を言い渡す。
「我が弟ブレイブよ。ミリアベスは人ではない」
その姿。間違いなく。
「彼女は魔族だ」
「キャァァアアーーー!!!」
今度こそ周りの変化は劇的だった。
誰かが持っていたグラスは床に落ちて破片を撒き散らす。優雅な佇まいをしていた男が尻を突く。
俺がロイズ兄貴に叛逆した時も、
ミリアベス嬢が血を流して倒れた時よりも、
遥かに上回る動揺。
悪魔でも見たような混乱具合だが、その言い方はある意味正しい。むしろそれ以上かもしれない。
魔族。
それはこの世に絶対あってはならないもの。
はるか太古の人類に悪逆の限りを尽くした存在してはならぬ種族。生まれた時点で罪となる者達。
それが魔族だ。
でもなんでミリアベスが……?
彼女とは10年も過ごしてきた。優しくて、俺や兄貴が擦り傷しただけで慌てふためく、虫も殺せない女性だったはずだ。
「ブレイブ、貴様に最後の選択を託そう」
「兄上、でも──」
「魔族、それも魔王の末裔だと分かった時点で貴様の言い分は聞かん」
冷酷なロイズ兄貴が言葉を紡ぐ。
「ミリアベスの敵になるか人類の敵になるか。選べ」