1-13 涼と彩香の進学
誤字脱字の指摘ありがとうございます。
楽しんで頂ければ幸いです。
18歳の涼は、今日嘉陽学園の高等部を卒業する。妹の彩香の中等部卒業は来週である。結局、涼の転校以来の出席率は50%足らずであったが、試験は休むことなく10番以内の成績を確保してきた。
だから、最初は『何であいつはそんなに休んで許されるんだ』というやっかみもあったが、発表される試験の結果から何も言われなくなった。
ちなみに、知力を向上させ、知的なスタミナを高めるサプリメント『アクティ』は、すでに世に出回っており、日本国民の60%が飲んでいると言われる。だから、それを使った検証も無数に実施されており、知的な意味で、記憶力、正しい選択、判断の速さ、論理的思考、知的活動の持続力において、明らかに有意な効果が認められている。
社会的な結果として、数値的に明確な効果があったのは、常に試験で試されている中学以上の学生の成績である。こうした学校の試験内容は、基本的に基礎的なもので教科書を理解しておけば、ほぼ解けるものである。サプリメントを飲むことで、顕著にみられたのは生徒の集中力の高まりである。
基本的に授業に限らず、本を読むにあたっても理解できない・困難であると、それを理解・読み解く努力を続ける根気が続かない。これに対して、アクティの効果により高まった記憶力や判断力によって理解しやすくなり、そうした努力を続けることが苦痛でなくなる上にその持続力がつくのだ。
認められたアクティによる、各指標の底上げの効果は10%とか精々15%であるが、学校の授業を理解する程度は95%以上のものができるようになり、かつ理解する努力を続けることが苦痛でなくなるのだ。このことから、通常の試験の平均点が50点程度であったものが、80点を超えるという結果になっている。
学校の成績を明確に意識し始める中学生以上の生徒は、本音では良い成績を取りたい。それが、アクティを摂り始めた生徒の成績が明確にあがると、月5千円程度の費用は殆どの親は負担することに否やはない。どの親も、社会での物事の理解の重要性や学歴の大事さは自覚しているのだ。
かくして、全ての中学・高校の成績は大幅に嵩上げされた。しかし、平均点は大体1.5倍程度になってはいるが、やはり生徒間、学校間の成績の優劣はある。しかし、その差は小さくなるという結果になっている。
それで何が起こるかというと、成績が悪いがため荒れて学校で悪さをする生徒が殆どいなくなり、荒れる学校というものが無くなっている。また、高校など底辺校と呼ばれる学校が、成績面では少し前の普通の学校並みになっている。
また、文科省の指導による教師の努力もあるが、生徒が荒れた行動をすることが無くなり、世間の評価があがる中で、進学する者が増え、それなりの就職先に困ることが無くなる。
この中で高校と大学の進学率ははっきり上がっている。特に高校は、経済的理由よりも勉強について行けないという理由が多かった訳だが、アクティを飲む限りそのようなものはほとんどいなくなった。
大学も、これ以上よく解らない勉強などしたくない、という理由から行かない者が多かったが、これも勉強について行けるし行きたい、という者が増えている。幸い、大学も少子化で定員割れの学校が増える状況であったため有難い状況で、ウインウインの関係になっている。
ところで、社会人においては、多くのものが、多かれ少なかれ事務とかの知的作業は要求される。とりわけ、多くの時間をパソコンの前に座って作業をしているような人々は、真っ先でアクティを飲んで、その効果を実感している。
その効果とは、仕事が早く終わりかつ疲れが少ないということで、加えて仕事の質も正確でかつ必要な内容を網羅したものとなっている。会社員の場合に、雇用している会社は、社員のパフォーマンスの改善をはっきり把握できるレベルである。このため、社員にアクティの服用を勧め(実際には拒否はできない)、補助金を出す会社も多くなっている。
かくして、日本の労働生産性が、労働時間の減少傾向にも係わらず、じわじわと上がると共に、その質も上がっている。それは、一つには従来にみられない無数の改善が日々行われていることによるものであり、更に製品開発の効率が上昇していることも原因になっている。
これらの多くは、ICT(情報通信技術)の導入と活用が大きく進展したことによる成果に関連したものが多い。ICTの導入と活用は、従来から掛け声は高かったが従事者の質が伴わないために、みるべき成果のなかったものだ。実際、涼の情報による技術の実用化が極めて早く進んだのは、この産業界の大幅な効率改善のお陰である。
そして、初期から言われていた認知症の改善に大きな効果があることも数字で実証された。その結果を受けたアクティの計画的な投与によって、400万人と言われていた認知症患者は現在では1/4以下となっており、国の保険財政改善に大きく貢献している。
このように、高齢者を含めて人々が活発に動くようになることで消費が増え、国内の内需がはっきり高まってきている。さらに、継続的な円安傾向、アクティの効果も加えた製品の質の継続的な改善もあっての輸出は好調である。
また、円安により国内生産への復帰が進むことになるが、工業製品において顕著にその傾向が見られているが、農林水産業においても、明らかに生産が活発化している。これは高齢者がアクティ接種により活発化して、止めていた農地の耕作の再開、漁労の再開などの効果が大きい。
こうして、近年では『アクティは日本を変えた』とまで言われて始めており、後にR情報の最も大きな効果を表した一つは、サプリメント『アクティ』であるとまで評価されている。
話が盛大にそれたが、涼の嘉陽学園の高等部在学時には、学園の生徒はアクティを100%飲んでおり、涼は知的に高まった同級生と成績を争ったわけである。つまり公平な条件で争ったわけだ。その条件で、半分を休みながら、トップに近い成績を上げたのは立派なものだと涼は自己満足している。
『だけど、涼には私が宿っているから、私も脳細胞を使うよね。だから脳の働きは活性化されかつ鍛えられて改善されている訳だ。それから言えば、それほど自慢するほどではないと思うぞ』
ヒロから、からかわれて涼はムキになって言い返す。
『でも、従来僕は教科書を覚えた上で、授業をきっちり聞いて成績を保っていたんだ。それが、授業の時間は半分になった状態で頑張ったのだから立派なものだと思うぞ』
『うーん、でも彩香君はすこし早めにアクティを飲み始めたものの、私の影響はないぞ。それでもちょくちょく1番になっているのだから凄いぞ。それに、それだけでなく、あのデータベースを自分で読み解いているよね』
『うん、彩香は優秀だ。地の頭だったら僕より上だと思う。その点は、顔だけでなく頭も母さんに似たのかな。母さんが持っている”公認会計士”というのは難関資格らしいからね。
それにしても、彩香はあのデータベースの実用化を一生の仕事にすると言っているな。誰かがやらなくちゃならないけど、出せないのもあるからな。国がよこせと言っているけど任せるのはちょっとな』
『ああ、国というのは色んな思惑が絡むからな。全部を渡すのは私も反対だ。その意味では、彩香に管理させるのは適任かもな。お前はどっちかと言えば行き当たりばったりで、そういうのは向かないだろう?』
涼とヒロの脳内議論であった。
ところで、涼は転校時には大学に行くかどうか迷っていた。しかし、学校側との面談で、特待生としては進学してもらわないと困ると言われ、そうであれば迷うくらいだから行くかという思いだった。そこに、嘉陽学園大学の物理学科の真柄真治教授に呼ばれた。2029年の年初めである。
嘉陽学園大学は、1流半程度の評価を受けている大学で、どちらかと言えば経済学科・法律学科が強く理系の存在感は余りない。ネット情報によると、真柄教授は、某国立大の出身で、若いころから積極的に論文を発表して、国際的にもある態度認められている存在であるようだ。
なんで、嘉陽学園大学に来たかは、ネットでは解らないが、涼を呼んだのは大学への勧誘だろうなと思って、涼は教授の研究室を訪ねた。
「やあ、いらっしゃい。まあ座って」
研究室のドアをノックして入ると、横方向にデスクがある。その真ん中近くにデスクトップコンピュータを置いて、片方に紙を山積にしている。そこに座っている、40代に見える人が立ち上がって、手を広げてデスクの前の椅子を指す。
真柄教授であろう笑顔のその人は、長身で痩せぎす、色白の結構イケメンである。紺の前ボタンのシャツを着て、スボンも紺であり、それは結構くたくたで身なりに気を使う人ではなさそうだ。
「始めまして、高等部3年の日向涼です。お呼びと言うことで参りました」
涼は教授の正面に行って頭を下げて示された椅子に座る。
「真柄です。本学の理学部物理学科の教授をしています。専門は理論物理学で、今は時間と空間に係わる研究をやっています」
そこで、息入れて、改めて涼の目を見て真柄は続ける。
「君に来てもらったのは、君を本学の理学部に誘うためです。それに先立って、君のことは調べされてもらいました。君が昨年の7月に転校してきたこと、そして高等部において、特待生で大変優秀であるようですね。にも拘らず学校を半分程度休んでいる。
また、9月の公開模試で、都内の理系受験者8万人中9位であったことで、多分どこの大学でも入れる成績ですね。だけど、余り大学進学には積極的でないと聞いています」
「ええ、高校でも半分程度休んでいますし、はっきり言って、大学に入って授業をちゃんと受けられるかどうか自信がありません。それと、行くことに意味があるのかということです」
「うん、君のことはまあ謎の人なんだけど、たまたま僕の友人からある程度聞いています。君は、いろんな技術に係わる情報の提供者であり、その情報に基づいて我が国で様々な画期的な技術が実用化されようとしている。そして、君はその実用化において生じる問題の解決のアドバイザーをしているようですね。
僕は物理学者です。ですから、君のもたらした技術が、僕の学んだ体系の外にあることは解る。それは普通に言えばとんでもない理論です。でもそれは実際に機能する。たぶん、それは君たちが『触媒回路』と呼ぶものの働きなんでしょうが、それを僕は学んだ延長では理解できない。
僕は42歳ですが、必死に勉強し、研究してそれなりに成果を挙げてきたと思っています。それもあったのでしょうが、前にいた大学で教授とぶつかってこの大学にきました。僕には金銭欲は無い方だと思いますが、名誉欲は人一倍あるのです。だから頑張れるのでしょうがね。
そこにおいて、科学・技術面で変革の中心にいる君、日向君が同じ学園にいるのだからそれを生かさない手はないと思ったので君に来てもらったのです。僕は君の情報に基づいて、主として触媒回路に関する理論づけというか、現在の物理論との融合を図ることで、学問的な名声を得たい。
君は、無理のない限りで本学に通って、大学生としての身分を手に入れ、学生としてエンジョイできる。また、君も僕が主になって書く論文の著者の一人になるから、学問的名声は得られますよ。まあ、また授業料免除とかもできるけど、余り君にその点の関心はないでしょう?」
「ええ、金については、まあそうですね。でも、少々僕にメリットが少ないような気がしますね。とは言え、僕の将来を考えれば、種々の情報の紹介者として歴史に残るでしょうが、それだけですね。まあ、その中にちゃんと研究もして、持ち込んだ情報の理論確立にも協力したという肩書があってもいいかな。
うーん、とは言え、今実用化が進んでいる様々なプロジェクトの要求は段々大きくなる傾向があります。私も出来るだけは協力しますが、限度がありますんでそこはよろしく」
「ということは、僕のオファーを受け入れるのだね?」
真柄教授はデスクから身を乗り出して、涼に握手を求める。
「ええ。受け入れます。一番無理が無いですからね。入試は普通に受けますよ。それから、T大とかW大とかを受けろとは言わないようにしてください」
「大丈夫だよ。理事会も本学の学問的な名声は、それよりずっと欲しいのだから」
彩香は中等部を卒業して高等部を進学するが、内部進学になるものの入試は普通に受ける。それで、一定の成績を取らないと、特待生の身分を失う訳だが、学部受験生も加わっての競争になる。
「いいな、彩香は。特待生間違いなしだし。あーあ憂鬱だな。入試を受けて成績が悪いとDクラスから落っこちちゃう。ママに叱られるわ」
彩香に、仲が良くなった山鹿みどりが言う。高等部は6クラスあり、いわゆる外部生が3クラスになって、D、E、F組で成績順である。彩香は弱気になった友を力づける。
「私だって、外から優秀な人が受けるから分らないわよ。だけど、試験もそうだけど平常心が大事なのよ。特に最近は皆が皆アクティを飲んでいるせいもあって、試験の成績も僅差でしょう。多分、平均点が80点位行くのじゃないかな。
だから差がつかないので、ちょっとしたことで順位が入れ替わるわ。だから、最初から最後まで平常に実力を出せる精神の持ち方が大事なのよ。教えたでしょう?結跏趺坐と呼吸、そして呪文。あれを毎日やっていると、呪文を唱えるだけで、平常状態に入れます」
「うん、やってるよ。あれは確かに効果があるね。この前の実力考査でやったら、自分じゃないように客観的に自分を見ることができたわ。確かに効果はあったと思う。ありがとう、平常心だね。残された時間精一杯やるよ」
みどりはにっこり笑って応えた。結果として、彩香は特待生を確保でき、みどりもD組となって少なくとも新学期の1年は同じクラスになった。




