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BEAST  作者: 八田部壱乃介
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六節・始祖

 エスカリヴィオが縛り上げた男は、デムトーリオと名乗った。カデンファが気絶させた長髪の狩人は、その名をクロヴィという。こうして見比べてみると、どこか雰囲気が似ており、兄妹のように思えた。が、デムトーリオは兄妹ではないと否定する。

「知ってどうするんだ?」彼は訊いた。

「壊滅させるためでしょう」カデンファがエスカリヴィオに同意を求めるように訊く。

 物騒なことだ、とエスカリヴィオはびっくりした。眼下では、訴えるようにクロヴィが喚く。が、布を噛ませているため、言葉にならない。エスカリヴィオはいいえ、と短く否定すると、

「貴方が優秀な狩人だから」デムトーリオに向き直る。

「は? 説明が足りないぞ……」彼の困惑した顔。

 エスカリヴィオは目を細め、「協力してもらいたいのよ。他のメンバーも貴方くらいの能力なら、稲妻の大狼を見つけてくれるかもしれない」

「そうかもな」とデムトーリオ。「しかし、信じられない」

「信じる必要はないわ」

「何故、稲妻の大狼なんだ。何か因縁でも?」

「教えたら居場所を話してくれるの?」

「内容によればな」

「私の祖母だからよ。……それ以上に理由は要る?」

 狩人は鼻を鳴らし、要らんな、と首を振る。

「弔いか」と彼は訊き、

「弔いよ」とエスカリヴィオは頷いた。

 デムトーリオは暫くの間、俯き加減に目を伏せる。熟考するその頭では何を考えているのか、当たり前だがそれは、わからない。エスカリヴィオにとって、相手が逃げ出すための算段をつけるために嘘をつかれても良いと考えていた。何故なら相手を信じた自身の目が曇っていただけのこと。

 こちらの観察が足りていなかった、思慮が浅かった、ということになる。

「良いだろう」と、ややあってからデムトーリオは言った。「お前を信じて、案内してやる。その代わりクロヴィにも話せるように、布を外してやってくれ」

「わかった」

 エスカリヴィオが応じると、不満そうにカデンファが口を曲げてみせる。わかりやすい人だ、とエスカリヴィオは感じた。もしかすると、自分と歳が近いのかもしれない。これまで年齢の話はしなかった。

「そんなことをして良いの? 躊躇いなく人殺しをする連中だよ」カデンファは抗議する。「私のお母さんも……」

 言葉の途中で打ち切ると、続ける代わりに二人の青教狩人を睨み付けた。クロヴィは獰猛な目つきで返す。デムトーリオは飄々とした顔つきで何も言わない。反論するつもりは無いようだ。

「それは私たちも同じ」エスカリヴィオはぶっきらぼうに返事する。

「同じって、何のこと」

「私たちは大狼になる。大狼は人を殺す。私たちは大狼を殺す。いずれにせよ人に変わりない」

「そ──」言い返そうとして、カデンファが絶句した。二秒ほど口をぱくぱくと開閉させた後、「そんなの、話が違うじゃない! 大狼は大狼よ、人間じゃない!」

「そうね。主義も思想も、手段も違う。でも目的は同じ。貴方たちは平和を求めている。違う?」

 エスカリヴィオはカデンファとデムトーリオたちを見比べる。カデンファは何かを必死に堪えようとしているのか、下唇を噛んでいた。その唇から、鮮やかな血筋が一つ流れ落ちる。

 デムトーリオが嘆息した。

「一つだけ、言わせて頂こうか。俺たちは狩りで死のうとも後悔はない。己の行いに誇りがあるからだ」

「何が言いたいの?」苛ついたようにカデンファが訊ねる。

「誇りのためになすべきことは何だ?」デムトーリオは淡々と言った。「お前にとって、誇り高い行いとは何だ? 俺にとって、それは死んでも大狼を──大狼になるかもしれない者を始末することだ。そっちの赤ずきんは──」と、エスカリヴィオに視線を寄越し、「既になすべきことを心得ている」

 カデンファは顔を背けた。髪が雪に濡れ、重く揺れる。

「おやおや」と言ったのは、一人のミレイリオ。

 何も聞こえなかった。遠くの会話すらも聞こえてくるはずの聴力をもってしても、神官は音もなく、付近に立っている。地面は雪で埋め尽くされているというのに。足音一つとして聞こえなかった。

 それが、エスカリヴィオを酷く困惑させる。

「皆様お集まりのようですね」微笑しながらミレイリオは、「青教教徒を捕らえてくださいましたか」

「どうしてここが?」とエスカリヴィオが訊いてみれば、

「どうしてって、貴方が報せてくれたのではありませんか。ほら……矢でございますよ」少女はくすっと可笑しそうに、「ねえ?」

 くすくす笑いが増えた。背後には、更に三人のミレイリオが控えている。彼女らは両脇から、デムトーリオとクロヴィを、荷台に載せようとしていた。

「どこに運ぶの?」

「神殿にございます。そこで、ドムトローラより裁いて頂くのです」

「ドムトローラに?」カデンファが呆然とした表情を浮かべる。「そこに、神様が居るの?」

「その通りでございます。お二方も会われますか?」

 赤ずきん二人は、顔を見合わせた。

 それから同時に頷く。

「それでは、ドムトローラの元へ案内致しましょう」

 荷台を押すミレイリオの後を追いながら、赤ずきんは厳かに足を運んだ。神殿へと向かう轍は、積雪によって掻き消されていく。不気味に聳える神殿は、雪の中にあって更に白く澄んで見えた。しかし一度内部へ入ってみれば、重苦しい空気が沈澱している。

 ここにはおよそ想像もつかない何か、が空気を澱ませているのだ。エスカリヴィオにはそう感じられて仕方ない。

 聞こえてくるのは車輪の回る音。

 連なる足音。

 それから白い息遣い。

 カデンファが怯えたような目つきでこちらを見てくる。エスカリヴィオは無言で彼女に視線を合わせた。見れば、額に汗が滲んでいる。これでは冷えてしまうだろうと思い、黙ってハンカチを手渡した。

「ありがとう」というその声は囁きに近い。

 入り口から入り、奥へ向かうにつれ、段々と道幅が大きくなっていく。それに合わせて柱や門といったものまで巨大になり、天井などは、もはや空に近づいていた。

 どうしてこんなにも大きな造りになっているのか、と想像を巡らせる。思い付く理由といえば、この道に大きなものを通すためだ。例えばそれは、大狼だろう。以前、燃え盛る大狼を退治した際には、ミレイリオが血抜きのために、ここへ運ぶと言っていた。

 見上げるほど大きな門の前で、ミレイリオたちは荷車を止める。二人が門を押し開けようと手を合わせた。軋む音を立てて扉は開かれていく。と──雪か埃か、白いものが蔓延した。

 荷車の前に立つミレイリオが、赤ずきんの方へと首を回し、

「こちらがドムトローラの御前になります。どうか、失礼のないよう……」楽しそうに微笑する。

 荷車から震える声がして、それがクロヴィのものだとわかった。恐怖のためか、寒さのためか──小刻みに体を震わせている。デムトーリオもまた、寒そうに息を吐いて、

「中枢に潜り込めたってわけだ」

 タフな男だ、とエスカリヴィオは評価した。

 門が開かれると、再び荷車が押されていく。載せられた二人の狩人が、出荷されゆく家畜に見えてしまい、薄ら寒いものを感じた。エスカリヴィオはいつの間にか歯噛みしている。自覚して、力を緩めると、小さく息を吐いた。

「行こう」

 歩を進めるのに躊躇する様子のカデンファにそう声を掛ける。

「そう、だね」カデンファは引き攣った笑みを浮かべ、「行こうか」握り拳を作って先導した。

 門の先。そこは伽藍堂になっている。

 青暗い大広間は、祭壇で囲まれていた。ここで儀式でもするのだろうか、と辺りを見回してみると、どこか違う。中央には池を溜めておくための、器のようなものがあった。今は血で満たされている。その傍には何かを吊るしておくための柱が立っており、そこから縄が一つぶら下がっていた。縄の先端は輪っかになっていて、そこで対象物を支えるのだろう。

 恐らく、ここで血抜きを行うのだ。

 大広間の最奥には、祭壇に倒れ込むようにして、大狼が天を仰いでいる。血抜きしていないのか──それともこれから行われるのか──夥しい量の血を体中から流していた。

 目を外し、周囲を見てみれば、壁にも装飾が成されている。人と大狼とが並んで描かれていた。人が大狼になり、大狼が人を喰らっている。やがて大狼の頭から人が突き抜けるようにして顔を出した。同じ図が、輪状に並べられている。

「食べられた人が、お腹から助け出された、ってことなのかな」

 隣に立ったカデンファが感想を言った。

 エスカリヴィオには特に感想はない。

 絵はまだ続いている。

 大狼から出されたその人は、似た姿をした他者と行列をなし、中央に位置付けられた神殿──と思しき建物──に体を向けていた。神殿の前では、皆が皆、跪いている。

 神殿からは後光のようなものが描かれていた。しかし、神と思われる姿は映されていない。

「カデンファ様、エスカリヴィオ様」背後からミレイリオの声がして、「ドムトローラが目覚められました」

 カデンファが息を呑む。

 赤ずきん二人は広間の最奥を見た。

 祭壇に倒れ込む、死んでいたとばかり思っていた大狼が、穏やかな目をしてエスカリヴィオたちを見つめている。その手前に荷車が置かれ、ミレイリオが狩人を下ろしている最中だった。

 まさか──とエスカリヴィオは思う。

「ドムトローラというのは──」

「はい。まさしく、彼のことでございます」遮るようにミレイリオは告げた。「すべての生命の始祖こそが、ドムトローラなのですから」

 エスカリヴィオとカデンファは絶句した。

 目の前に座すのは紛うことなき大狼である。

 朽ちかけて、腐敗のために蝿が飛び回るその肉体。

 それを、人々は神と称して呼んでいたのだ。

 誰も神の姿を見たことがないにも関わらず。

 血で満たされた皿のもとへ来ると、ドムトローラは顔を沈めた。飲んでいる。血を飲み干しているのだ。

 狼狽えるエスカリヴィオに、

「驚きましたか? 大狼が、まさか神の名を与えられたことに……」

「まさか……」

 悪い冗談だ。エスカリヴィオはミレイリオを睨む。ミレイリオは平然と、

「ドムトローラを神と崇めたのは我々《ミレイリオ》が最初でした。神官こそが、一番の信奉者ファンなんですよ……。それがいつからか、人々にも伝わり、ドムトローラが信仰されるようになったのです」

 名前だけが広がり、噂に尾ひれがついて、物語という形式へ変化──信仰されるに至った。誰も神の姿を見たことがないというのに。それなのに、何故、人々は神を信じたのか。

「きっと、我々の模倣をしたのでしょうね」とミレイリオは考えを話す。「我々が人々を模倣したのと同じように」

「これから裁きを下す」

 と言ったのは、ドムトローラの前に控えた一人のミレイリオだった。いつもの丁寧な物言いではない。威厳こそないが、奇妙な神聖さが感じられる。

 続けてミレイリオは言った。

「二人の裏切り者。名はデムトーリオ、名はクロヴィ。両名は共に赤教に仇なす者であり、均衡を破壊せしめる行いに身を投げた、修羅である」

「我々の精神はドムトローラから来ています」と、すぐ隣に立つミレイリオが補足する。「我々ミレイリオに内面はありません。ただ、ドムトローラの心を映す器でしかないのです」

「なら、私が今会話しているのは、ドムトローラか?」エスカリヴィオは訊いた。

 目を細めてエスカリヴィオを見る。笑ったつもりだろうか、その心は窺い知れない。そもそも心など存在していないと言う。

「いいえ、心は魂ではございません。魂とは肉体のことを指すのですから。ですからこの声が私の喉から通り出る以上、これは私の言葉として存在します」

「えっと……良くわからない」カデンファは困ったように、「内面は神様……のものなんでしょう?」奥歯に物が挟まったような言い方。

「重要なのは誰が言ったか、ですよカデンファ様。即ち、どの肉体から出力されたのか、が問題になるのです。けれど、あそこに居るミレイリオはまた別です。今はドムトローラの代理人であり、代弁者でもあるのですから」

 二人の赤ずきんは祭壇の方に目を戻す。

 ドムトローラの前で、ミレイリオが罪状を並べ立てていた。やがてそれも終わると、

「これら罪に釣り合う罰は、果たして何だろうか」と問いかける。「罪を洗い流す罰は、果たして何だろうか」

「クロヴィには血の恵みを。デミトーリオは処刑を」

 別のミレイリオが進言した。

「クロヴィには血の恵みを。デミトーリオは処刑を」

 また他のミレイリオが加わり、やがてエスカリヴィオの隣からも同じ文言が繰り返される。

 透き通るような天使の声、

 あどけない可愛らしい顔。

 それらが一斉に、二人の狩人に対して悍ましい罰を求めていた。

「どうして血の恵みを施すんだ」エスカリヴィオは不思議になって訊く。「ドムトローラの血は、人を大狼にさせるだけのはず」

 赤教は大狼を退治するためにあるのではなかったか。それなのにどうして、赤ずきんになるための契約が行われるのか?

 まさか、血によって獣へと様変わりするのだと、神官たちが知らないはずはない。ならば何故?

 ドムトローラが大きく口を開けて、痙攣するように吠えた。真似するようにミレイリオも笑い出す。

「我々と同じになるためですよ。信義を得れば罪を知り、罪を知れば後悔する。罪の自覚こそ罰なのです。そしてお二人も──我々と同一になれば、最上の喜びに満たされますよ」

 ミレイリオは恍惚とした様子で顔を赤らめる。自らを抱きしめ、ドムトローラを見上げた。

「今、私の中はドムトローラで満ちているのですから」

 表情に乏しいとばかり思っていたが、それは勘違いだったようだ。彼らは既に、中毒していたのである。感情が麻痺していたのだ。満足感によって──内面は外に出されなくなった。

 それ以上に、気にかかることがある。

「我々になる? 血の恵みによって、ミレイリオになると?」

「ええ、それは──」

 それは唐突に起こった。

 神殿の壁が破壊されて、瓦礫が飛散する。

 煙から見える影形シルエットは、大狼のものだった。体を震わせて、体毛を擦り合わせるたびに、弾けるような音が鳴らされる。麻布が破かれるような、奇妙な音がしたかと思えば、青白い発光が周囲を包んだ。

「ドムトローラの血に惹き寄せられたのですね」

 ミレイリオが淡々と話す。

 やがて暗闇から大狼が現れた。その姿は忘れもしない。祖母の変じた獣と同じ。稲妻の大狼──その人だった。

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