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BEAST  作者: 八田部壱乃介
2/10

二節・契約

 瓜二つの顔が四つ、台に横たわるエスカリヴィオを取り囲んでいた。彼女ら(ミレイリオ)は皆、別々の親から生まれたはずなのに、何故だろう。目鼻立ちがそっくりだった。

 神官たちは針を手に、エスカリヴィオの肌に刺青タトゥーを彫っている。曰く、それは赤ずきんになるために必要な代物なのだとか。全身に線を刻み付けられていく。微かな痛痒く感じられた。ミレイリオは手先を器用に動かしながら、

「刺青は回路。第二の血管を意味します」と左腕を担当する一人が言い、

「神、ドムトローラの加護を受けるための事前処置です」と、右足を担当している一人が横から付け足し、

「祝福は人間を神に高める儀式です」腹部に着手する一人が口を開き、

「でなければ、神の血に溺れ、死んでしまうでしょう」

 エスカリヴィオの両頬に触れながら、逆さ顔のミレイリオはそう話す。

 その隣から、狼を抱くほんわかとした少女──エスカリヴィオを死の淵から助けてくれた狩人が、

「ドムトローラの加護って、かなり特別な血でね。思い出すのも嫌なくらい、その、あれなんだよね」歯切れ悪く、苦い表情を浮かべて言った。今はあの──雪面において良く目立つ紅い衣服を着ていない。「全身から血が噴き出してくるような、凄く熱い感じがするんだよ。内側から外に向かって、こう……爆発! とまではいかないけれど、蕩けてしまうような、ね。そんな感じなの」

 良くわからない。

 エスカリヴィオは相手の目を真っ直ぐに見つめる。

「うーん、説明が難しいな」

 狩人は困ったと言わんばかりに狼を見た。狼は大人しく、なすがままにされている。その瞳にはエスカリヴィオが映っていた。

「血が噴き出してくるのは正しい表現です、カデンファ様」エスカリヴィオの頬から手を離すと、ミレイリオの一人は狩人に向かって、「この血は本来、人間の体には合いません。だから噴出します」視線は狩人カデンファからエスカリヴィオへと移り、「だからこの回路タトゥーがあるのです」

 視線が外れる。全身にあった不愉快な痛痒さも消えた。エスカリヴィオは朧気な意識の中、上体を起こされる。ミレイリオが胸に提げた小瓶を手に、蓋を外して、こちらへと寄越した。中にはどろりとした、赤い液体が入っている。

 ミレイリオの一人が言った。

「さあ、お飲みなさい。祝福を受け入れるのです」

 エスカリヴィオは受け取ると、一気にそれを飲み干す。しばらく待ったが何も起こらない。拍子抜けして、眼前にて舌を出す狼に目を合わせる。

 と、体中が掻きむしりたくなるほどに痒くなった。次いで、焼けるような痛み。針で突き刺されるような痛み。頭を金槌で打ち突かれるような痛み、痛み、痛み。

 倦怠感が覆い被さり、喉も締まったようで、息苦しい。その場で喘ぎ喘ぎ空気を求めた。狼がカデンファの元から離れ、エスカリヴィオの周りを、心配した様子で回る。けれど相手にする余裕はない。

 やがて熱いものが──血が、内側から飛び出そうとしているのを予感した。破裂しそうな感覚。胃や胸のむかつき、気持ち悪さ。眩暈がして、世界が、反転する。

 気付けば指先から血を噴き出していた。

 地面を叩く拳が、真っ赤に染まっている。

 死を感じた。

 すぐ側に影がある。死神ドムトローラが側に居てくださっているのか。

 人は死によって生を得る。死神と契約することで、人は我が子を得る。死神は人の運命を司る魂の守護者。エスカリヴィオは今、ここで死に、そして再び生まれ直したのである。

 転生。

 その証として痛みがあった。

 やがてその痛みも消えていく。体調も安定し始め、息も、体にかかる重力も軽く感じられた。ふっ、と目を開く。

 見れば、腕や足に刻まれた線を、赤いものが走っていた。回路と呼ばれた刺青を、血が通っている。不可思議な心地だった。まるで夢を見ているかのような現実味のなさ。それは雷光によって与えられた傷も同じ。

 痛みと共に傷痕は綺麗さっぱりなくなっている。

「おめでとうございます、エスカリヴィオ様」とミレイリオ。「貴方様は──」

                            「貴方様は今この場で狩人となりました」一人のミレイリオが続き、「無事──」

           「無事、契約されたのです」とまた別のミレイリオが加わる。「今ここに──」

                                       「今ここに貴方の存在を認めます」

 四人目のミレイリオの言葉を以って、

「我々は貴方を歓迎します」神官全員が声を揃えた。

「圧巻だねえ」

 カデンファは屈みながら、膝に頬杖を付き、狼に同意を求める。狼は首を傾げた。カデンファは顔を綻ばせる。

「お前にはわからないかー」

 狼は頭を撫でられると、わん、と一つ吠えた。狩人はそれから、エスカリヴィオに向き直り、

「気分はどう?」

 感覚が一新されている。頭にかかっていたもやが取り払われたかのようだ。世界はまるで別のもののように思える。見えるものも、聞こえるものも、臭いも、風の感触も──きっと、味さえも。鋭く受け止めることだろう。

 近くにあるものも、遠くにあるものも、エスカリヴィオには鮮明に見えた。手のひらに刻まれた細胞の切れ目、服の繊維に至っては一つずつ区別できる。松明に揺れる炎の動き、その途切れ方さえも目で追うことができた。風に煽られた髪の毛すら、一本ずつ把握できる。

 どこか遠くの会話が聞こえた。それは、神殿の外にある民家からのもののようだ。夫婦が細かいことで言い合いになり、やがて、仲直りする。二人の息遣いから、どんな体勢なのか、どんな具合なのかが手に取るように理解できた。

 鼻もまた、過敏になっている。神殿に充満する人の臭いに、血の──それは人のものとも獣のものともつかない、奇妙に混ざり合い、据えるような臭い。

 この世にある全ての痕跡に対する嗅覚が鋭くなっていた。エスカリヴィオは些か当惑し、しかし順応すると、

「悪くないわ」手のひらを見つめながらカデンファに返答する。ミレイリオの一人に目をやると、「私は何をすれば良いの?」

「大狼を狩って頂きたいのです」

「なら、私はあの光る……稲妻の大狼を追うわ」

「あれを?」カデンファが驚いたように訊ねた。「あれは二人じゃ大変だよー」と、間延びした口調で。

「二人?」エスカリヴィオが問いかける。

 今度はカデンファが首を傾げる番だった。

「えっと……私と、貴方。名前は、エスカリヴィオ、だったよね?」

 エスカリヴィオは首肯して応じる。カデンファも頷くと、改めて名を名乗り、

「狩人はね、二人一組で行動するんだ」と、人差し指を立てる。「大狼は一人で扱い切れるものじゃないからねえ。ましてや、変異種となればもっと格別だし」

「変異種というのは何?」エスカリヴィオは僅かに顔を傾けた。

「変異種とは、他にはない特徴を備えた大狼のことを指します」ミレイリオが一人、前へ一歩出る。「例えば貴方様が遭遇したのは、雷をまとう大狼でした。他にも、類を見ないほどに素早く動く大狼や、周囲の環境に擬態する大狼などが報告されています」

「そ。まあつまるところ、厄介なやつってことね」カデンファがそう締め括り、人差し指を閉じた。「……と、それにしても、あんな恐ろしいやつに固執することはないよ。早死にするだけだからさ」

 エスカリヴィオは頭を振って否定する。

「どうして? 貴方を襲ったから?」とカデンファの問いに、

「あの大狼は私の家族だったからよ」

 そう短く答えるのだった。するとミレイリオたちが一斉エスカリヴィオを睨む。エスカリヴィオには、その意味が理解できず、首を捻った。と、ミレイリオたちの動きが止まり、痙攣するように体を震わせる。

 息もできないのか、苦しそうな表情。

 カデンファを見れば、肩を竦めるばかり。

「交信しているんだね」と言う。「他人の痛みが伝わってる」

「この先にあるヴィンチ村にて──」ミレイリオは顔を上げたので、エスカリヴィオはそちらに目を向けた。神官は指で方角を差し示しながら、「大狼が出たようです」

「変異種ではありません」

 隣のミレイリオが言う。

 エスカリヴィオは不思議に思った。どうして見たわけでもないのに、状況がわかるのだろう。

「心の中で他の神官と意思疎通が出来るんだよ」カデンファが親しげな口調で説明してくれた。「これも加護なのかな。といっても、私たち赤ずきんにはできないけれどねー」

「まるで魔法、ね」

 エスカリヴィオは眉を持ち上げて、そう表現する。それがもっともしっくりくる言葉のように思えた。カデンファもにっこりと頷く。

 ミレイリオの冷たい眼差しがエスカリヴィオとカデンファの両名を貫いた。彼女は粛々と、

「お二人には大狼を退治して頂きたいのです」

「うん、わかった」カデンファは軽く応じる。「さあ、行こう、エスカリヴィオちゃん」

 エスカリヴィオは腰から提げた解体用のナイフに触れ、得物はこれしかないのだ、と少しばかり心許ない感覚に陥った。が、ミレイリオは心の中を見透かしたのかもしれない。連れ立って神殿から出て行こうとする二人を止めた。

「待ってください。エスカリヴィオ様には、支給したいものがございます」

 奥からミレイリオが、一枚のロープを手に持って来る。それは松明の火に照らされて紅に染まっていた。鮮やかな赤だった。臭いでわかる。それは血によって染められていた。カデンファの抱く狼が、小動物のように怯え出す。

 エスカリヴィオが訝しんでいると、神官たちは薄く微笑わらいながら、

「これはおまじないにございます。効能は二つありまして──」

「一つは臭いによって狼や熊避けとなること」

「一つは血によって酔いが回ること」

「血に酔うは良き狩人の証でございます、エスカリヴィオ様。さあ、お着せしましょう」

 ミレイリオがエスカリヴィオを囲んだ。無理やりに羽織らされると、咽せるような臭いが鼻につく。しかし、妙に心地良い。体が火照るようだ。快楽が傾れ込む。ミレイリオは皆、恍惚とした表情を浮かべていた。

 と、ミレイリオが一人、

「どうか、人が大狼になることはご内密に願います」

 そう耳打ちする。

 きっと、そのような事実が広まれば、混乱してしてしまうからだろう──エスカリヴィオはそう納得した。

「わかった」小声で答える。

 相手は目礼した。

 臭いに耐えきれなかったのか、カデンファの胸元から狼が抜け出し、神殿を走り去っていく。姿が見えなくなると、

「行っちゃった」と残念そうに、カデンファは呟いた。

 辺りを静やかな風が吹く。

 無機質な神殿が笛のように音を響かせた。

「さて……行こっか、エスカリヴィオちゃん」

 カデンファの言葉に首肯すると、エスカリヴィオたちはおもむろに歩き出す。向かう先はヴィンチ村。そう遠くない距離だった。

「大狼はね、夜に活動することが多いの」

 夜明け前、森の中を歩きながら、カデンファは説明する。二人は角灯と、それぞれの得物を手に、いつ遭遇しても良いように備えていた。エスカリヴィオは一度自宅へ戻り、弓と鋸を手に入れている。

 村は破壊されていた。きっと祖母がやったのだろう。彼女に意識が残っているのかどうかは知らない。生存者は少なからず居たが、復興は難しいだろう。彼らは皆、他の村へと避難した。だから、エスカリヴィオにはもう故郷はない。

 その代わり、新たな目的がある。弓を携え、鋸で以て、祖母を狩るのだ。今や仲間も居る。カデンファは斧を携えていた。

 道中において、カデンファから話しかけられることはあったが、エスカリヴィオは寡黙に近い。このため何度か会話が途切れている。だから必然的に、カデンファが一方的に話す、という形に収まった。

 今は、大狼のことをどの程度まで知っているか、という話題だった。

「大狼というのはね」真夜中の森を、カデンファの楽しそうな声が響き渡る。「人を食べたら食べただけ大きくなるし、強くなるの。だからね、大きさがそのまま強さの指針になるんだ」

 エスカリヴィオは適当な相槌を打った。

 狩りをして暮らしていたとは言え、この分野においてはカデンファの方が先輩である。聞けば、赤ずきんとして活動してから、五年ほどになるのだとか。エスカリヴィオは勉強になると思い、じっくりと耳を傾ける。

「とにかく大きいやつは、それだけ沢山の人を食べているわけだし、長く生き延びた可能性もあるからねえ、要警戒! という感じかな」

 軽快な口調でお喋りは止まらない。エスカリヴィオも口許を綻ばせて「気をつけるわ」と応じる。

「ところで、変異種と遭遇したことはあるの?」と訊いてみれば、

「二回ほどね。……あれはいつのことだったっけねえ」カデンファは遠い目になり、「確か、最初は二年前だったかな? 全身が口みたいに大きな大狼と遭遇したの。あれは怖かったなあ。初めての遭遇だったし。二回目は、去年の暮れ。もうとにかく体毛が鉄みたいに硬くてね、大変だったんだよー」

 斧も通らないし、と肩に担いだ得物を揺らしてみせる。

「どうやって退治したの?」

「大きな口の化け物さんは、普通に倒しました。で、鉄の大狼さんは、油で焼くしか思いつかなくて……」

 大狼とは言っても元は人なのだ。人としての意識があるのかは定かではないが、それはとても苦しんだことだろう。獣として生かすのも偲びないが、苦しませるのも辛い。

 仕留めるならば一発で。苦痛を与えないように弔わなくては。エスカリヴィオは未来を想って、

「大変ね」と吐息を漏らす。

「他人事だよお」

 カデンファはくすっと笑った。

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