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後編

 教会を守る剣である皇帝に対し破門の脅し。陛下も怒りを感じたのか、増長する教皇をどうにか出来ないものかと考えていた。

 私は陛下が本当に破門されてしまうのではないかと危機感を抱き、教皇との和睦を求めたが聞き入れてもらうことはできず。

 フランチェスコ八世は聖界刷新を建前に教皇としての権勢を誇っているが、実際に蓋を開けてみれば教皇領近辺の南部諸侯とはズブズブの関係にある。自身は清廉潔白なふりをして綺麗事を語る教皇を、陛下は許せなかったようだ。しかし、そんなことを糾弾しても説得力のある攻め手には欠けていた。


 そんな時、ザーロイス公グレゴールから思いがけない情報がもたらされる。ザーロイス公は自身の妻であるアレシア・ディ・アスコーナと、教皇フランチェスコ八世が不倫関係にあると密告してきたのだ。

 陛下も私もまさかそんなことが、と思ったが、ザーロイス公の語ったことは説得力のある内容だった。

 アレシアは3年前にザーロイス公の元を離れていて、その原因が不倫であり他人の子供を産んだからだという。さらに、ペリアーナ辺境伯継承者であるアレシアは教皇の強い後ろ盾を得ているとのこと。極め付けは、教皇自身がアレシアの居城であるアスコーナ城に足繁く通っているという噂。

 アレシアは私の三つ年上の25、6歳であり、実際に目通りしたことはないが美貌の人だと聞く。状況的に考えれば、教皇に情欲が湧いてもおかしくはなく、ザーロイス公が妻の不貞を確信するに十分な話だった。

 ザーロイス公の密告を受けた陛下は、半信半疑ながらも裏どりし、教皇がアレシアの元に通っている事実を突き止めた。


「まさか、教皇があれだけ清廉潔白を謳っておきながら人の妻を手篭めにしていたとはな。これは議会で教皇を糾弾する材料になる」


 陛下は教皇の醜聞を確信していたようだったが、私は強い違和感を覚えていた。何か話が出来すぎているような、時期が良すぎるような、もやもやとした物が胸の中につかえる感覚。


「陛下、人様の色事で貶めるようなことはやめませんか?」

「姦淫を犯してはならないという神が定めた法を教皇自身が冒涜しているんだ。色事で済む話ではない。それに……もう残された時間も手段もない」


 私はそれ以上陛下を止めることができなかった。

 時間がないのは教皇の抗議に対する返答期限が迫っていたからであり、陛下がその抗議を受け入れるわけにはいかなかったから。

 破門をちらつかされただけで陛下が折れれば、皇帝という権威が教皇の権威に敗北したと周囲に捉えられる。それはすなわち、帝国そのものより教会の方が上に位置することを意味し、陛下の世だけでなく、後世でも何かあるたびに破門と脅しをかけられる恐れがあったのだ。


「……私は、何があっても陛下についていきます」


 悩める陛下に、私はそんなことしか言えなかった。


 年の瀬に行われた帝国議会にて、陛下は司教の叙任は皇帝に一任されるものと主張した上、清廉潔白なはずの教皇とアレシアが淫らな不倫関係にあると糾弾。教皇フランチェスコ八世の廃位を宣言した――


 ――しかし、教皇の人格否定までした陛下の廃位通達は教会そのものを侮辱したと捉えられ、全ての聖職者から果てしない怒りを買うことになる。

 教皇を糾弾しても先代のようには行かず皇帝の私欲と捉えられ、諸侯どころか市民の賛同すら得られない状況。陛下は自身の敗北を悟った。


 神聖歴797年2月。


『皇帝リーンハルト四世の帝位を廃し、教義に仇なす者として破門する』


 教皇フランチェスコ八世は、報復に陛下の帝位剥奪と破門を正式に宣言。司教会議にて満場一致で決議され、陛下は神の定めた法の庇護下から追放される。

 破門されはしたが、帝位の剥奪は一年の後に行われ、その間に教皇へ謝罪をすれば恩赦を受けられるという条件つき。もちろん、これは謝罪すれば皇帝が教皇に屈したと印象づけるための恩赦であり、陛下を追い込むためのものであった。

 一年後に帝位を失えば、服従の誓いから解き放たれた諸侯が大義名分を持って攻め込んでくる。つまりそれが、陛下と私に残された時間だった。

 破門された陛下に公然と味方する諸侯や聖職者はいない。一年を待てば広大な領地と財産を奪うことができるし、今更擦り寄ったところで何の益も得られないからだ。陛下も教皇に謝罪を申し入れる気はなく、ただ全てを失ったように時を過ごす。

 それでも長年付き従ってくれた家人や臣下は陛下を敬い、また私も陛下の側に寄り添った。


 寝所にて、陛下は私にポツリと言う。


「イレーネは俺の意地に付き合う必要はない。兄のいるバウツラウ領に帰れ」


 意地、と簡単な言葉でいうが、陛下が張っているのは皇帝としての意地だった。皇帝が教皇に屈するわけにはいかない、という重すぎる意地が、陛下が素直に謝れない理由である。

 陛下の命令に、私は以前と同じ言葉を送った。


「私は陛下の味方です」


 陛下は鼻で笑いながら、あの日と同じ悪い笑みを浮かべる。


「死ぬとわかっているのにか?」

「陛下と共に天へと旅立てるのなら、これ以上の喜びはありません」

「何を言っている、破門された身の俺は地獄行きだ」


 そういえばそうだ、と私は気がつき、口を押さえて驚いた表情をわざとらしく作った。


「ならば共に地獄へ参りましょう。陛下とご一緒でしたら、そこが私にとっての天国となります」


 私の冗談に困ったような、呆れたような顔をした陛下は、この日以降「帰れ」とは言わなくなった。



 私と陛下は残された時間を比較的自由に、濃密に過ごす。無理だとわかっているが、一応有力な諸侯にも根回しをしてみるも、やはり現状は皇帝側に回って陛下を救うのは難しい、という判断だった。

 謝罪する元皇帝派の臣下たちに、陛下は頭を上げよと労いの言葉をかけた。


 謝罪の期限があと二ヶ月と迫った年末のこと。私は陛下に報告することができてしまう。今更言うべきかどうか迷った末、私室で本を読んでいた陛下に恐る恐る打ち明けた――


「……そうか」


 私が身篭ったことを告げると、陛下は短い返事をして立ち上がる。


「教皇に謝罪する。フランチェスコ八世に近い諸侯と、あとヴェツェレ修道院のチリアーコにも連絡してくれ」


 淡々と言い放つ陛下に、私は目を丸くした。破門されてからもうすぐ一年になるという時期に、陛下は教皇に謝罪を申し入れる決断をしたのだ。まるで、最初から皇帝としての意地など張っていなかったように。


「……良いの、ですか?」

「良い、生き残るための大義名分ができたからな」


 驚いていた私の肩を抱き寄せ、陛下はいつも通りの悪そうな笑みを浮かべた。


 それから私は、急ぎ教皇に取りなしてくれる人物を探し諸侯に連絡を取った。陛下の申し入れに名乗りを上げてくれたのは意外な人物。生粋の教皇派であり、かつて陛下が教皇と不倫関係にあると糾弾したペリアーナ女伯アレシアだった。彼女は夫であるザーロイス公グレゴールが急死したため、現在では名実共にペリアーナ辺境伯となり一人で所領を治めている。

 陛下が破門された直後に不審死を遂げたザーロイス公や一連の出来事を考えても、ペリアーナ女伯アレシアを信頼しきることはできなかったが、今は時間がない。

 残された期間は二ヶ月もなく、教皇フランチェスコ八世と確実に面会するには、一番親しいとされる彼女を頼る他なかった。


 そして、教皇と陛下の面会が実現するのは一ヶ月後のこと。ペリアーナ女伯アレシアの居城、アスコーナ城だった――



 神聖歴798年1月――ペリアーナ辺境領。

 雪の降るアスコーナ城前にて、罪人のような服を纏う陛下は、土の上に跪く。お供の家人たちが皇帝の痛ましい姿に目を背ける中、私はこの瞳に焼き付けるよう陛下のお姿をしっかりと見届ける。

 身体に障るからと置いていかれそうになったが、私は面会をとりなした責任もあり、頑なについていくことを願い出た。夫に非があるのであれば、妻である私にも非があるのことになる。陛下が謝罪するのであれば、私も一緒に謝罪しなければならない。陛下が寒さと屈辱に耐えるのならば、私も一緒に耐えなければならないのだ。

 今おそらく、城の中ではヴェツェレ修道院の院長であるチリアーコと、ペリアーナ女伯アレシアが教皇フランチェスコ八世の説得に当たっているはず。

 これに失敗すれば、残り一ヶ月を教皇に逃げられ、陛下は破門が解かれる機会を永久に失うこととなる。文字通り、命賭けの謝罪だった。

 陛下は朝からずっと祈り続け、もうとっくに陽も落ちて夜の帳が降りている。このまま深夜になれば、寒すぎて凍死してしまうのでないかと心配になってきたころ――アスコーナ城の門が開く。


「リーンハルト四世陛下、どうぞ城内へお入りください」


 寒い中を出迎えてくれたのは、城主であるペリアーナ女伯アレシアだった。初めて見るが、噂に違わぬ美貌であり、やけに冷たい目をした女性だった。出会ったころの陛下に似ているような目。

 陛下は罪人のような格好でも堂々と歩を進め、城内へと入っていく。私や家人たちも粛々と後に続いた。


 そして陛下は、待っていた教皇フランチェスコ八世を前に頭を垂れ、皇帝剥奪の取り消しとエルテス教の破門を解かれたのだ。もちろん、教皇権の優位を条件に加えられて。

 アスコーナ城の客人や臣下、教皇の取り巻きも跪く陛下をにやにやと見つめる中、酷くつまらなそうに眺めるペリアーナ女伯アレシアが印象的だった。

 教皇を前にした陛下がずっと目を瞑っていたのは、その内に宿る闘志を悟らせないためだったのだろう。陛下の横顔から何を企んでいるのか、私にはお見通しだった――


 ハルバッハ城に帰る途中、赦された陛下は私にポツリと言う。


「イレーネはこの先何があっても味方でいてくれるか?」

「私は何があっても陛下の味方です。死ぬときは共に天へと参りましょう、破門も解かれたのですから」


 私が嫌らしい笑みを浮かべて答えると、陛下はくっくと堪えるように喉を鳴らした。


「お腹の子も、味方でいてくれるか?」

「もちろんです。私たちの子供なのですから――」


 ――この10年後、私は病で他界するため、陛下と共に天へ旅立つ約束を果たせなくなる。しかし、激動の時代の中で三人の子に恵まれ、幸せで充実した人生を送ることができた。


 先に天国でお待ちしております――


 私から陛下に贈った最期の言葉。

 陛下はお気に召さなかったのか、とても不服そうな顔をしていた。





作品モデル:カノッサの屈辱

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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