中編
陛下と私の戦いが始まる。
まず、驚いたのは陛下の暗殺を図った家人の男が生きていたことだった。陛下は彼に暗殺を指示した諸侯の名前を証言させるために生かしておいたのだ。その領主の治める土地を没収するために。
しかし、時期とその場所が重要。ただ帝国議会で罪状を叫んだところで、力無き今の陛下では嘘の証言だと糾弾され握りつぶされてしまう。信頼できる諸侯や聖職者が多く集まる時を狙って一気に刺さなければならないのだ。
私はこの二年で得た人脈を使って信頼できる仲間を探し密に連絡を取り合い、陛下は何食わぬ顔で公務を全うしながら時期を伺い情報を集める。夫婦初めての共同作業は、国盗りだった。正確に言えば、陛下が取り上げられた国を取り戻すこと。
当然ながら陛下との不仲が噂される私の動きを注視する者などおらず、事は順調に運び、時の教皇コンスタンツォ三世が参加する会議に狙いをつけ告発。証言する下手人が猊下の前で嘘をつけるはずもなく、暗殺を指示したレンブルク公ディートリンケンを糾弾した。
すでにレンブルク公の政敵には私が根回しをしており、諸侯の賛同もあって陛下はレンブルク公領を皇帝直轄領として没収することに成功する。
足掛かりを得た陛下は、続いてメルガスト伯アナトールや大司教たちが管理していた皇室財産と皇帝直轄領を取り戻し、反旗を翻しそうな諸侯を容赦なく拘留した。
もちろん強硬な手段だけをとったわけでなく、没収したレンブルク公領などはディートリンケンの娘婿エルンストに返却。飴と鞭を使い分けて、皇帝としての権威を徐々に回復していったのだ。
陛下が諸侯に目を光らせ、私が地盤を固めていく。そんな日々が続き、気がつけば神聖歴792年。陛下と私は、若いながらも有力な諸侯と渡り合えるだけの力を蓄えていた。
この頃、陛下と私はすでに軟禁されていた小さな館を脱出し、皇帝直轄領にあるハルバッハ城に居を置いていた。皇帝としての威厳を取り戻しつつあったのだ。
陛下が自分たちを守る力を得ると、自然と仲良く振舞うことができるようになり、私はとても嬉しい想いで胸が一杯だった。もちろん寝所も同じであり、これ以上ないくらいの幸せも授かった。
ただ、陛下は帝国の支配体制に頭を悩ませている。
皇室といっても陛下は19歳、私は18歳。未だ若輩者であり、諸侯の反乱は後を絶たない。
監視体制を強めるため各領地に信頼の置ける帝国直轄の役人を送っているが、俗人であるためか、その地の領主に恭順してしまう者が出てきてしまう問題もあったのだ。
「教会を使う、か……」
寝所で陛下がポツリと口にした言葉に、私は渋い顔をつくった。教会を使う、とはすなわち、各領地の教会司教や修道院長に陛下の息がかかった者を送り込む、ということだ。それは聖職者の任命権を買収することであり、神への純粋な信仰を冒涜する行為でもある。それはとても不安なことだった。
「ザーロイス公の進言ですよね? 彼は陛下のために良く忠義を尽くしてくれていますが、確か奥方がエルテス教にとても信仰の厚い方だと存じています。どうして聖職買収など進言なさるのでしょうか」
「あそこは夫婦仲が悪くてな、ザーロイス公……グレゴールも意に添わぬ奥方に思うところがあるんだろう。それに聖職買収などというが、そもそも俗に溺れる司教たちが悪い。俺が生まれる前の話だが、欲に塗れた教皇を父が廃位させた例もある。頂点である教皇や教会という組織そのものが腐ってしまっているのなら、別に俺が使ったところで神を冒涜したことにもならんだろう」
陛下のお父上は、私生活の乱れた時の教皇の地位を剥奪したこともあった。ただそれは、先代皇帝が敬虔なエルテス教徒であり、信仰心から行ったことでもある。先代皇帝ハインリヒ三世が存命なら、聖職買収を行うなど口にしただけでも追放されていたことだったはず。
しかし、陛下の仰ることもごもっともであり、教会の司教や聖職者といっても、今や貴族の次男や三男が蔓延り俗に塗れている。実際私の三人いる兄の一人も聖職者だった。
「陛下は信仰心が厚くないのですね」
拗ねたように言ってみたが、私自身そこまで神への信仰にこだわりがあるわけではない。もちろん信仰心が厚くない、などと皇帝に言ってはならないことだろうが、これは私なりの信頼の証だった。私は陛下を裏切らないし、陛下は私を裏切らない。
それをよく知っている陛下は、悪い笑顔を作って皮肉を返す。
「俺はイレーネより敬虔なエルテス教徒だ。だがな、信仰心だけで皇帝の権威を得られはしない。それは歴史が証明している。必要なら教会も利用するしかないだろう」
政治と信仰心を理性的に分けて考え、必要とあらば聖職者すらも買収する。合理的で、陛下らしい考えだった。
「いつかバチが当たってしまいますよ」
ただ私は、この時に強く止めていれば良かった、と酷く後悔することになる。
――陛下が各領地の聖職買収を積極的に行い教会領や教会財産を自由に管理できるようになると、帝国の支配権はさらに拡大していく。ザーロイス公の進言は的を射ていて、陛下は若いながらも強い発言力を持ち始めていた。
だがこの年の暮れ、教皇コンスタンツォ三世が暗殺される。下手人は皇帝の息がかかった司教だと言われているが、陛下が命じた訳ではない。コンスタンツォ三世は聖職買収に不快感を示していたが、皇帝に敵対するとはっきりした姿勢を見せてはいなかった。陛下が積極的に暗殺の命令を下す理由がないのだ。
当人の買収を咎められた暴挙か、何か別の思惑が働いたのか。真実は有耶無耶のまま終わり、ただ皇帝権力と教会の間に確かな亀裂が入った。
次の教皇選挙で、陛下が強く発言することはできない。ここで皇帝が擁立した者が教皇に選ばれてしまえば、痛くない腹を勘ぐられてしまう。
さらに間の悪いこと、教皇選挙で後手に回るうちに聖界刷新を強く推奨するフランチェスコ八世が、次の教皇になることが決まってしまった。純粋な信仰を取り戻す聖界刷新と聖職買収は相反するもの。フランチェスコ八世は皇帝一家と先代の頃から因縁があり、陛下にとって一番やり辛い相手と言えた。
そして翌年、私の授かった幸せは死産という形で終わりを迎える。とても悲しく、不甲斐ない思いだった。陛下に何度も謝ったが、陛下はただ黙って肩を寄せ慰めてくれた。
神聖歴795年――陛下と教皇の教会権力を巡る水面下の闘争が膠着する中、かつては陛下の庇護者だったメルガスト伯アナトールが反乱が起こした。それは陛下の暗殺を企てた罪で追放した前レンブルク公ディートリンケンや、敵対する大司教などが結託した大規模なもの。
反乱は1年以上続き陛下は一時窮地に立たされるも、味方する諸侯の助けもあり辛くも勝利することができた。メルガスト伯アナトールやディートリンケンの反乱を鎮圧したことにより、帝国内における陛下の権威はますます増大することになる。
しかし、皇帝軍の救援を寄越さなかった南部諸侯や、混乱を機に聖界刷新を推し進め、皇帝派の司教を破門していく教皇に焦りを感じた陛下は、教皇領周辺の教会に子飼の対立司教を擁立することを決めた。
これ以上大規模な反乱を起こさせないよう、支配体制の強化は急務だったのだ。
当然、司教を擁立する陛下に対し、教皇フランチェスコ八世は猛抗議。司教の叙任権は君主ではなく教会にあると通達し、これ以上介入すれば、皇帝権の剥奪と陛下を破門すると仄めかした。
イグレシア帝国において、破門されるということは神の定めた法の外に追いやられること。異教徒の烙印を押され、人間ではないと言われるのに等しい。
こうして、陛下と教皇の間には決定的な亀裂が入り、皇帝と教皇による叙任権を巡る闘争が本格化した。