7.カフェのマスター
「なんだろう。三食を評判のお店だけ巡って済ませるタイプの美食家とか?」
「あー。あれね。この近くのカフェのマスターだよ」
ホールから戻ってきたニナが、大したことではないって様子で教えてくれた。
「カフェのマスター?」
「そう。お茶とかコーヒーとかを出すお店」
「ええ。それは知ってる」
行ったことはないけど。少し前まで私は公爵令嬢として、知り合いを集めたお茶会なんかにはよく行っていた。
庶民の場合はおいしいお茶を淹れてくれる使用人なんかがいないから、臨時で雇うか店に行くしかないわけだ。
「私が使う必要のなかった施設ね……」
「金持ちの感覚って、ちょっとズレてるよな」
うるさいクソガキ。
「評判いいお店だよー。最近、息子さんが店の手伝いをするようになって余裕が出てきたらしくて、料理のメニューも充実させようかって考えてるらしいんだ」
「ああ。それでいろんな店を回って、勉強してるわけね」
「そうそう。飲食店はみんな、評判がいい店のことを聞けば行ってみたいものなんだよねー。そして、接客なり料理の技を見て、自分の所に取り入れようとする」
「へー」
偵察に行けと命じたニナ自身、他の店が同じことをしてきても気分を害することはないらしい。
ちゃんとお金を落としてくれるお客さんだし、拒む理由もない。
飲食店同士で緩くでもこんな繋がりがあれば、いずれは何かの役に立つこともあるかもしれない。
あとこの店の場合、先代が残した秘伝のレシピを完全に解明することはできないと確信があるのだろう。
「三人とも。仕事して。サマンサが見てる」
不意に、手にお盆を持った少女がやってきて、私を見上げながら言った。
彼女がユーファだ。レオンと同い年の、この店の従業員。ちなみに私の方が少しだけ長く働いている。
けど、仕事ぶりは彼女の方が上のようだった。無表情で無口な彼女の気持ちを読み取るのは容易ではないけど、少し呆れているのはわかる。
そろそろ一番忙しい時間帯。三人揃って仕事をサボれば、いい顔されないのも事実。
振り返れば、店主のサマンサも調理をしながらチラチラこっちを見ていた。
「あははー。お仕事楽しいなー。みんな、頑張ろうね!」
ニナは全く焦ることなく、ホールの方に戻っていった。その一瞬で、真面目な仕事モードの顔に戻ってるんだろうな。接客業だし、ふざけてはない柔らかな笑顔とかで。
「レオンも、ちゃんとお客さんと話す時は真面目にやるのよ。生意気なこと言わないこと」
「わかってるよ。俺だってこの仕事、一年くらいやってるんだから」
そうだった。年下だけど、私の方が後輩なんだ。
実際、レオンはお客さんには真面目でかわいらしい子供の皮を被って完璧に接客していた。子供だと思って忠告した私が馬鹿だ。
「ユーファちゃん……私……年上としての威厳が……」
「大丈夫」
「え?」
「ルイは、ちゃんと仕事ができてる」
「ほ、本当?」
「そう。だから自信を持って、お皿を洗って」
「はい……」
ユーファが持ってきた空のお皿が洗い場に積み重ねられる。
仕方ない。これが私の仕事だ。やってやるとも。元公爵令嬢ルイーザ・ジルベット、どんな仕事でも完璧にこなしてみせよう。
「疲れたー」
「お疲れ様。ほら、明日も朝早いんでしょ? 部屋まで歩ける?」
「むりー。ニナ、肩貸して」
「足は動かしてないんだから普通に歩けるだろ」
「おいこらクソガキ。人が気遣ってくれてるのに水を差すな」
まあ、歩けるけど。両腕は動かしっぱなしで棒のようだけど、歩けはする。
今日は特に客の入りが多くて忙しかったからな。お嬢様育ちの私には、ちょっと重労働すぎた。うん、やってみせるってさっきの決意はちょっと言い過ぎたわね。程々が一番よ。
「なんというか、自分に甘く生きていこうって魂胆が顔に出てるぞ」
「なっ!?」
「ほら、立てよ。本当に疲れてるなら俺が肩を貸してやるから」
「え、あ。ありがとう……」
ため息をつきながらも、レオンは結局私の世話を焼いてくれる。
歩くのは問題ないわけで、これはレオンに甘えてる形だ。
「あなた、ギリギリの所で優しいのよね」
「普段は優しくないって言ってるのか?」
「ええ。言ってる」
「そっか」
気分を害した様子がないのは、自覚があるからだろう。本当にクソガキなんだから。
とはいえ疲れていたのも事実。部屋のベッドに倒れ込んだ次の瞬間には、朝になっていた。お店の従業員が起きるより早い時間だ。
起きた今もちょっと疲れてたけど、ぐっすり眠った気持ちよさもあって。窓から差し込む朝の日差しが心地よく、やっぱり人間は朝から活動をするのが一番だなって思って。
「起きろ」
レオンがノックもせずに部屋に入ってきた。おいこら。女性の部屋に勝手に入るな。いやまあ、昨夜はここまで運んでもらったわけだけど。
「起きてるわよ!」
「じゃあさっさと支度しろ。行くぞ」
「ああ待って! お腹すいた!」
「後だ。ナディアさんの朝の様子を確認しないと」
「あうー!」
「どんなため息だ」
「自分でもわからないのよ」
そんな気の抜けた会話をしながら、私は朝の準備をする。こう見えても学校での生活が長かったから、侍女がいなくても朝の準備をするのは慣れているのだ。
「なんの自慢にもならないことを誇ろうとするな」
「うるさいわね! 公爵令嬢には自慢なのよ!」
「これだから金持ちは」
朝の街を歩きながら、私たちは相変わらず騒がしく話していた。