5.再度転んでみる
「元公爵令嬢の舌が肥えてるお姉ちゃんなら、肉の良し悪しがわかるのかなって」
「なによ。人を贅沢ばっかりしてたみたいに」
「でも、わかるでしょ?」
「まあね……いやそれよりも。私が転んだ理由を考えないと。お店の事情とか味よりも」
「いいからいいから」
なにがいいのか。けどレオンは、かわいらしい笑顔を向けたまま引く気はない様子。
「あーん……」
「どう? おいしい?」
「ほほはほはへははい」
「食べながら喋るの、行儀悪いよ?」
あんたが話しかけてきたんでしょうが。
「おいしいわよ。けど、高い肉を使ってるわけじゃないわね。そんなに値の張らない、一般向けのもの」
「金持ち向けのとは、やっぱり違うのか?」
そう。その口調と顔の方が似合ってる。
「全然違うわ。けど、安い肉に下味をしっかりつけて、十分に寝かせてから柔らかくしてるのよ。努力の賜物ね」
「へえー。手間かかってるんだな」
「簡単には作れないわねー。いやそれより。この店のことはいいのよ。よくないかもしれないけど。それより霊のことを」
「もう少し待って」
レオンは店内を見回しながら言った。
「もう少しで、俺たちが来た時と客が完全に入れ替わる。新しく来た客には、既に霊が取り憑いてるのはいなかった」
「え?」
「もしルイがもう一度転んだら、この店自体に因縁のある霊の仕業ってことになる」
「……なるほどね」
関係ない話をゆっくりしてたのも、理由があるってことか。
まあ私としては、レオンとお喋りに興じるのも悪くはなかったけど。特に、元お金持ちとしての見地を語る時が楽しい。レオンの知らないことを説明してやるのは気持ちいい。
「なんか、俺を見下すようなこと考えてないか?」
「え? ないない。レオンはかわいいなーって思ってるだけ」
「それも嬉しくないんだけど」
「へえー。ねえ、かわいい弟のふり、もう一回やって?」
「嫌がってただろ、姉って呼ばれるの」
「レオンがかわいい扱いされるのが好きじゃないって知ったら、やらせたくなって」
「ったく。ほらお姉ちゃん、食べて食べて」
「あーん」
かわいい扱いされていると自覚した瞬間に、レオンは妙に意識してしまったのか少し目を逸らして赤面しながらステーキを突き出した。それでも、弟らしい演技を心がけている。
まったく。かわいい奴め。
そして私も、仲睦まじい姉のふりをしてステーキを食べた。これ、私の方もだいぶ恥ずかしい。意識してしまうと駄目だ。
双方ともに傷を負う結果になってしまった。なんなんだこれは。
「ほら、あの客で最後だ。行くぞ」
「あ、うん。すいませんナディアさん、支払いを」
「はーい。ただいまー」
なおも顔を赤くしているレオンに促され、私は席を立つ。
他の客が注文した料理を手にしたナディアさんが奥から出てきた。狭い店内でぶつからないよう、それをやり過ごしてから出口に向かって。
「むぎょー!?」
転んだ。
幸いにも、今回も誰も巻き込んでない。
「だ、大丈夫ですかー?」
「ええ、いつものことなので。お姉ちゃん、何もないところで転ぶのが趣味なんです」
そんな趣味があってたまるか。仮にあったとして、他所のお店で転ぶとか嫌がらせになっちゃうでしょ。
「趣味じゃないですからね。本当に、ちょっと躓いただけで」
「もしかして、床が濡れてたとか。油が跳ねてたりして、滑りやすくなってたとか」
「違います違います! 私がそそっかしいだけです! お店は何も悪くないです!」
ナディアさんが深刻そうな顔で心配してきたものだから、慌てて否定した。
彼女自身に原因があるのかもしれないけど、非はない。ショックを受けるのも、店に何らかの悪評が立つのもまずいから、私が全部悪いことにした。
「ステーキ、とてもおいしかったです。また食べに来ますね。だよね、お姉ちゃん?」
「え、ええ! 是非、また来させてくださいな! 他のメニューも気になりますし!」
そう言うのが、相手を最も安心させると私も思う。事実ナディアも笑顔を見せた。
「そっかー。じゃあ、今後ともどうぞご贔屓にー」
うん、なんとか取り繕えた。
「ナディアさんが霊の未練に関わってると見て間違いないわね」
お店から出てヘラジカ亭まで戻りながら、ようやく弟モードから完全に抜け出したレオンに話しかける。
「たぶんな。土地とか建物に原因がある可能性も、まだ否定できないけど」
「あー」
あの建物、古いものらしかったからな。
「これからどうするのよ」
「店と店主について調べる。周りの人の話を聞くとか。一番確実なのは本人に尋ねることだけどな」
「それもありね。ねえナディアさん。あなたに憑いていた霊を冥界に送りたいから個人的な事情を教えてほしいって頼むの」
そんなこと言っても普通の人は応じてくれないし、ありえないって皮肉を含ませた言い方をした。けど、少しはありかもと私自身考えてもいる。
死者が身近にいた人なら、レオンの能力を割とあっさり信じる。これまでの経験から、それも事実なのだから。
相手が身近な人を亡くして喪失感に打ちひしがれていた、というのが共通した特徴だったけど。そして今回、ナディアにそんな様子はない。
接客業をやるにあたって、隠してるのかもしれないな。