14.彩り野菜炒めをひとつ
「ユーファはすごいね」
「別に」
どこからか持ってきた羊皮紙に本日休業と書いて軒先に張り出しながら、ニナが小さな給仕係を褒めていた。
とりあえず、これでお店の外は静かになるはず。
あとはナディアさんだな。
「しばらく寝ててもらおう。どうもこのお店、忙しすぎて掃除も満足にできてないらしい。俺たちで片付けるぞ」
「ええ……人の家を勝手に片付けていいの?」
「どうだろうな。でも、明らかな汚れはなんとかすべきだろ?」
「確かに」
店舗も厨房も、片付けられているとは言い難かった。
テーブルの上は一応は拭いたのだろうけど、ちゃんとやったとは言い難く隅に汚れが目立つ。厨房は、昨日から放置されていたと思しき汚れた食器が積まれていた。
「ひとりで働くと、こうやって限界が来るんだよねー」
多人数で働く方針を決して崩さないタイプの従業員であるニナは、ちょっと得意げな顔をしていた。
「よし。片付けてあげますか! ルイも、お皿洗いなら得意でしょ?」
「ええ。それしかできないから」
「大事な仕事だよ! 頑張って! レオンも手伝ってあげてねー。ユーファは、ナディアさんを見ててね!」
「……」
黙って頷いてから、無口な少女は二階に戻っていった。
私はいつもの習慣で、椅子を持ってきて座ったまま皿洗いだ。
「転ける心配を常にしてるのは立派だな」
「ええ。これ以上、ここを散らかすわけにはいかないもの」
目覚めたナディアさんが、割れたお皿が散乱した様子を目にしてショックを受けるのは避けたい。
まあ、それはないと思うけど。
「ナディアさんが近くにいないんだから、転ぶのはありえないんだけどね」
「それなんだけどさ」
レオンは、手元の汚れた皿を見つめながら言う。
「霊の未練は、ナディアさん自身じゃないかもしれない」
「どういうことよ」
「ルイはさっき、ナディアさんとしばらく一緒に歩いてた。けど転ばなかった」
「あ……」
店の前で、荷車を引っ張っていたナディアさんを見た時だ。押して手伝おうとして断られて、結局しばらく隣を歩いただけだった。
「じ、じゃあ私は、このお店でなんのために転んだのよ」
「そもそも一回目に転んだ時、近くにナディアさんはいなかったよな」
「たしかに! けど二回目はいた」
テーブルに料理を運んでる最中のナディアさんだ。
一回目転んだのも、テーブルのすぐそば。
両方ともに近くにあったのは。
私もレオンと同じように、自然と手元のお皿に目が行った。
「霊の未練は……」
「ああああ!?」
その時、二階から間延びした、けどかなり切迫した感情が入った声が聞こえてきた。
「起きたな」
「みたいね。そして焦ってる」
「お店を開く予定が寝坊してました、だからな」
「寝坊とはちょっと違うけどね。根が真面目な人なのよ」
「疲れたなら休めばいいのにな」
「本当にね」
「やっちゃった! お店開かないと。でもまだなにもやってない!」
ドタドタと階段を駆け下りる音。小さい音と比較的大きい足音のふたつだ。ユーファとナディアさんだ。
厨房に駆け込んできたナディアさんを、ユーファがトテトテと追いかけている。ちょっと困惑気味だ。
さっきの行列客と違って、冷たく突っぱねるわけにはいかないと考えてるのかな。わたしたちの知り合いだし。
「おはようございます、ナディアさん。寝不足と疲れから倒れてたんですよ。今日はお店をお休みしてください」
「おはようございますー。そうなんだ、面目ないですー。でも、お店は開かせてー。材料も買っちゃったしー」
「それは心配しないでください。でも、どうしてもと言うなら……俺、彩り野菜炒めが食べたいです」
「おいこら」
休めって自分で言った直後に、自分でナディアさんに労働を強いるな。
けどレオンは悪びれる様子もない。
「ちゃんとお代は払うので。今日も仕事をしたって思えば、自分の中で多少は納得できると思いますよ」
「えー……」
お店を開くのと、勝手に皿洗いしてる偉そうな子供に一品だけ料理をするのとでは大違いだろうに。
けど堂々と言い切ったレオンに、ナディアも気圧されながらも頷いた。客は客だ。
「とりあえず、ご注文承りましたー。ところで、この子と、そこで床を掃除してる女の人はだあれ? あと、ふたりともなんで、皿洗いしてるのー?」
「ナディアさんの料理を見ながら説明します」
とりあえずは、私たちの素性からだ。
この際だ、全部打ち明けてしまうことにした。私たちがヘラジカ亭の従業員であることと、最初にお店に来たのは新規店の偵察のためだということ。
「そうなんだー。そういうの、飲食店同士ではよくあるんだねー。知らなかったー」
「知らなかったんですか?」
「うん。お店やるの初めてだからー」
打ち解けたのか、こちらに敬語を使わなくなっている。
飲食店経営が初めてなのはわかる。元は業界とは無関係な所にいたから、そういう常識を知らなかった。
とはいえ、ナディアさんも探られていたことを悪く考えてはいないらしい。客は客だから。
「ナディアさんはお店を開くにあたって、他の店に行ってみたりはしなかったんですか?」
「しなかったよー。味の研究とか、自分でやるばっかりだったなー」
「確かに。うちの店にナディアさんが来たことないもんね」
野菜をキッチンナイフで切りながら、レオンと会話を続けていた。私は皿洗いの続きだ。
ホールの仕事をしてるレオンなら、この数日の間にナディアさんが来たらわかるもんな。あのカフェのマスターみたいに。
もっとも、単に忙しかったから他の店に行く暇なんてなかっただけかもしれないけど。
 




