ロナン一幕~イマドキのサバサバ冒険者スピンオフ~
登場人物
【レナード・キュンメル】
魔導協会所属、2等術師。レグナム西域帝国貴族。エル・カーラ魔導学院の教師。
属国のロナン王国が設立した学院に出向中。
愛国心溢れる青年。後述するゲルラッハを師と仰ぐ。
【フレデリカ・トゥルエ・フォン・ザクセン公爵令嬢】
ロナン王国の貴族。ザクセン公爵家は公爵家としては歴史が浅い。といってもあくまで公爵家としては、だが。商取引に優れ、ロナン王国の財政の屋台骨とも言える。だが金あしらいを下賎のそれと見る周囲の貴族達はザクセン公爵家を内心軽侮している。
フレデリカがそれを感じ取っていたかは分からないが、彼女は非常に控えめな性格で、よく言えば静か、悪く言えば陰気。
気の弱さは折り紙付き。
【レイラ・トゥルエ・リシス・ビルジット男爵令嬢】
ロナン王国の貴族。リシスとは平民上がりの貴族を意味する。豪商である父の財力をもってビルジット家は貴族となったのだが、それ以上の財力を持つザクセン家の事は目の上のたんこぶだとおもっている。
金で勝負が出来ないのだから、と姦計をめぐらす。とはいえ体で誑し込んだり、金を握らせて偽証をさせたり程度の低いものばかりだが。
処刑されたそうな面をした少女。寝技は上手い。
【レグナム西域帝国11代皇帝サチコ】
『愛廟帝』サチコとも。
泣き虫。喚かず、ぽろぽろ涙を流す姿は同情を誘う。ただし皇帝の血に宿る固有の術式との相乗効果は凶悪極まり無い。
帝国臣民で彼女に好感を抱かないものは余り居ない。それは帝国宰相ゲルラッハのプロパガンダの効果もあるのだが、ともかくも彼女へ好感を抱いた者達の心を忠誠心という毒に染め上げる。結果として出来上がるのは愛国心モンスターだ。帝国臣民は帝国の、サチコの敵がいたならば、狂戦士と化し襲いかかるだろう。
【帝国宰相ゲルラッハ】
帝国宰相、魔導協会所属一等術師『死疫の』ゲルラッハ。禿げ、デブ、怒りやすい、年寄り、背も低い、当然の権利のように女性の身体を触る男。絵に描いた様な悪徳貴族である。しかし魔族が人に化け、当時さらに幼かった今代皇帝、そしてその母を暗殺しようとした時、魔族とその呼応者…要するに人間の裏切り者達を相手取って皆殺しにしたのが彼である。ゲルラッハの術は地に、そして宙に漂う極々微細な…小さくて目に見えない生き物とはいえない何かを活性化させる術であるというのは魔導協会の研究者の言葉だが真相は明らかにはなっていない。
ここはロナン王国。
この西域の覇者たるレグナム西域帝国の、いわゆる属国である。
領土拡張主義を取るレグナム西域帝国は現在でこそその貪食振りを抑えてはいるものの、先代皇帝であるソウイチロウ帝の代にはそれはそれは強硬であったという。
ロナンもその頃に征服され、当代皇帝サチコの代に至るまでずっとレグナム西域帝国の属国に甘んじている。
そのロナン王国のロナン王立学園で事件は起こった。王太子エーリヒの婚約者、フレデリカ・トゥルエ・フォン・ザクセン公爵令嬢が卒業パーティという公的な場所で謂れ無き婚約破棄を受けようとしていたのだ。
◆
「フレデリカ・トゥルエ・フォン・ザクセン公爵令嬢!貴様との婚約を破「そこまでです、エーリヒ王太子」…な、貴様!」
こともあろうに学園の卒業記念パーティで婚約破棄をしようとした王太子エーリヒを制止した者が居た。
レナード・キュンメル。
魔導協会所属の2等術師にして帝国貴族でもある。帝国宰相ゲルラッハを師と仰ぐ練達の術師だ。
彼はレグナム西域帝国が誇る魔導都市エル・カーラにあるエル・カーラ魔導学院の教師であるのだが、政治的理由によりロナン王国へ出向していた。貴族が教師かと思う者もいるかもしれないが、これは珍しくはない。
というより帝国において術という神秘の力を扱えるものは皆ほとんどが公的な地位を得ている。
ロナン王国には貴族と平民が共に通う学院があり、レナードはその学院の臨時教員として働いていた。
建設当時は平民と貴族を一緒にするなという声があったのだが、平民の暮らし、平民の考え方を全く知らない貴族などというものがどんなものかは説明するに及ばないであろう。
そんなレナードは王立学院で優れた教師振りを見せて、同僚達や生徒たちから尊敬されていた。
彼が帝国から出向してきたという点も加点の一因である。
ロナンは帝国の属国ではあるが、国として決してロナンを蔑む事はなく、インフラ設備や凶作時の食料支援、ともかくも色々と帝国がロナンに手をかけてきている事はロナン王国の民は皆知っているため、ロナンの対帝国感情は良好だ。
学園の教師である彼は無表情のまま歩み出てきて、フレデリカを庇うように彼女の前に立ちはだかった。
これはこれで不敬なのだが、そもそもロナンの王族などレナードにとっては物の数ではなかった。大体彼は西域最大版図を誇る帝国の臣民なのだ。あくまで仕事で出向してきているに過ぎない。
であるのに、なぜロナンの貴族同士の揉め事に首を突っ込むかといえば、この件がこじれにこじれ、ザクセン公爵令嬢がなんらかの処罰なりをされてしまえばそれは必ず帝国へ報告される。
つまりサチコ帝に知られてしまうという事だ。
(それは不味い)
サチコ帝の即位にあたってはかなりの血が流れた。それは魔族の陰謀、魔族に踊らされた愚かな人間達が招いた惨劇だ。
帝国宰相にして魔導協会一等術師『死疫の』ゲルラッハが一等術師の一等術師たる所以を見せ、サチコ帝は生きながらえ帝位に就いたが、その一連の出来事は幼いサチコに“理不尽”な事への極めて強い拒絶意識を植え付ける事になる。
そういった事情もあって、今回の件…即ち、理不尽なる結婚破棄からの処罰がサチコ帝へ何かしらの衝撃を与えやしないか。
レナードは上級貴族の癖に俯いたままで下位の者に言われるがままのフレデリカの事が好きではなかったが、ただただとある事情ゆえにエーリヒの愚行を止めた。
レナード・キュンメル子爵はレグナム西域帝国が誇る帝国魔術師団の優秀な団員にして、重度の少女性愛者…と言うわけではない。
今年27歳となるレナードはむしろ年上が好きであった。しかし、サチコ帝がぽろぽろりと涙を零す所を想像してしまうともう駄目である。
心臓を握り潰されそうなほどの心痛を覚えてしまう。主君の為ならば世界を敵に回してもいいとすら思えてしまう。
レナードはそれがサチコ帝の“術”である事を知っている。知ってはいるのだが、忠誠の炎に身をくべる事のなんと心地よい事か!
そう、サチコの、レグナム西域帝国皇帝、『愛廟帝』サチコには固有の術がある。
それはある一定以上サチコへ好意を持つ帝国臣民に忠誠という名の鎖をくくりつける術だ。
常時起動のその術の触媒は帝国臣民の国を思う愛国心である。
愛国心は忠誠の炎を燃やす燃料となり、忠炎に焼かれた帝国臣民は更なる愛国心を生産するのだ。サチコに対しての敬意、敬愛というものが欠片もない者には効果を及ぼさないが、精神汚染、洗脳系の術式としては古今東西を見渡しても有数に強力な術である。
ゆえに帝国に、ひいてはサチコに害を及ぼす者があらわれたならば、帝国臣民は狂戦士と化して外敵に襲い掛かるであろう。
「エーリヒ王太子。まず、貴殿がその横にいるビルギット男爵令嬢と乳繰り合っているのは宜しい。次期国王である貴方が側妃候補と親しくする事自体は不思議ではない。ですがザクセン公爵令嬢を排除しようとは何事でしょう。いいや、言わないでも宜しい。調べはあがっております。そこの姦婦…ではなく、ビルギット男爵令嬢は要するに正妃になりたいのでしょう。その為にはザクセン公爵令嬢が邪魔であった、と。ビルギット男爵令嬢とその取り巻きが下らぬ謀略を巡らせていた事は私も知っております」
レナードの言葉にビルギット男爵令嬢レイラは瞬時に顔色を朱に染め、反論する。
「そんな事はありませ「黙れ女。話の途中だ。私は貴様等の為ではなく、レグナム西域帝国皇帝たるサチコ陛下の御心を慮りこの件について説明しているのだ。貴様のくだらない虚栄心を満たす為の謀略でそこのザクセン公爵令嬢に処罰なりが下ればどうなるか。属国の上級貴族と王族の婚姻が破棄されるというのは重大な報せだからな。帝国へも報告がいくだろう。正当な理由あってのものならばいいが、今回はそうではない。調べはついている。そうなればサチコ陛下が心を痛めてしまうではないか。貴様は敵か?レグナム西域帝国に仇を為す者か。サチコ陛下のお心を害そうと企むつもりならば殺す。黙るか死ぬか選べ。私は今ロナン王立学園の魔術講師ではなく、レグナム西域帝国貴族として話している。今決めろ。黙るか死ぬか。さあ」……黙ります」
ビルギットが顔色を蒼白にして答え、そして黙り込んだ。
「失礼…ともかくも、だからこそある事ない事冤罪をぶちあげてザクセン公爵令嬢を失脚させようとしたのでしょう。色でエーリヒ王太子を垂らしみ、雑な証拠をもってザクセン公爵令嬢への偏見の種を埋め込んだのでしょうね。まあそれは構いません。肉体もまた女の武器でしょうからね。私が見るに随分ナマクラな切れ味の武器にしか見えませんが、ああ、失礼、とにかく稚拙な策を巡らしたわけです。ですがね、私が知っているくらいなのですよ?…何をって、真相をです。ロナン王が手の者を学園に潜ませていないわけがないでしょう。恐らくはザクセン公爵令嬢が無実である事くらいは把握されていますよ。ビルギット男爵令嬢がエーリヒ王太子のみならず、宰相の令息や騎士団長の令息に股を開いている事も知られているとみて宜しい。結句、何が待っているかといえば破滅です。勿論ザクセン公爵令嬢ではなく、エーリヒ王太子とビルギット男爵令嬢、そしてその擁護者の破滅です。大体、ザクセン公爵令嬢とエーリヒ王太子の婚約は、ザクセン公爵家と王家のいわゆる政略結婚ですよ。王家は金がない。ですが公爵家は金がある、そういうことです。ザクセン公爵家は新興ですから権威がありません。王家との繋がりは欲しいですからね、逆に王家は金がなくとも名誉はある。ビルギット男爵令嬢は雑な姦計を弄しましたね。王族をたぶらかし、上級貴族へ謂れ無き瑕疵を与えるというのは死罪もやむを得ないのではないですか。王家の影よ、その辺に隠れているのでしょう。もうバレているので出てきてください。で、その辺はどうなのです。…ふむふむ、是であると。なるほど、ビルギット男爵令嬢、貴方は死罪だとの事です。衛兵さん、彼女を拘束してください。抵抗する様なら2,3発殴りつければいいでしょう。どの道すぐ首だけになります。で、どうするのです、エーリヒ王太子。貴方は真実の愛とやらに殉じるのですか。それともザクセン公爵令嬢に謝罪して許しを乞いますか。それ以外の選択肢を取ろうとするなら腕の1本は覚悟してもらいます。…ふむ、謝罪すると?それがよろしいでしょうね。では一件落着です。ああ!サチコ陛下!ご照覧あれい!このレナードはやり遂げましたぞ!属国の屑が巡らせた姦計を見抜き!屑に乗せられた阿呆を改心させ!上級貴族という立場であるにも関わらず下位貴族に好き放題され俯くしかできないガキの立場を護り通しました!ジーク・カイゼリン!レグナム西域帝国に栄光あれ!」
かくしてフレデリカ・トゥルエ・フォン・ザクセン公爵令嬢の立場は護られた。
王太子エーリヒは彼女に深々と謝罪し、彼女はそれを許し、姦婦は処刑された。
実はフレデリカは当初、彼女を護ろうとその前に立ちはだかったレナードに少し胸をときめかせたのだが、それから続くレナードの狂態にドン引きしてしまい、100年の恋も一瞬で冷めたのだった。