第七十ニ話 甲冑を纏う医師〔一〕
一夜明けて翌日、オスカーは朝食を食べ終えると、自分の部屋に早々に戻ってうつらうつらしていた。
昨夜は夜遅くまでかなり話し込んでいたからか、眠気が取れない。オスカー自身も、そろそろ歳を感じ始めてきた。そんなとき、背後からヘレナが話し掛けてきた。
「おとーさん、ヘートヴィヒちゃんと外でけんのれんしゅうしてきても良い?」
「ん、あぁ……いいぞ。怪我だけ、しないように気を付けるんだぞ?」
「うん! いってきまーす! ほらルドルフ、おいで!」
そう言ってドタドタとあわただしく去っていくヘレナを横目に、オスカーは昼まで少し寝ようかとベッドに横たわり、目を閉じる。オスカーの意識は、深い眠りに落ちていった。
しばらくして、オスカーは激しい雨音で目を覚ました。雷鳴が轟いている。窓には大粒の雨が当たる音が鳴り響いていた。
「…………! ヘレナ!?」
目覚めて少しの間、ぼぉーっと外を眺めていたオスカーだったが、すぐにヘレナが外に行っていることを思い出し飛び起きる。そしてそのまま扉を開け放ち、部屋を後にした。
「リード!」
部屋から飛び出したオスカーは、廊下に出てすぐこちらに向かってくるフリードリヒに出会った。回りには家臣が何名も集まり、相当切迫した状況であるらしい。
「オスカーか。外は酷い雨だな」
「ヘレナとヘートヴィヒ嬢は?」
「まだ帰ってきてない。城下からは川の増水も報告されてる。心配か?」
「当たり前だ」
二人がそう話をしているときだった、
「ご心配には及びませんよ、お二方。」
オスカーの背後から、低く曇った男の声が聞こえた。オスカーは振り返り、声の主を見る。
声の主は、大きな甲冑で全身を覆い、その上から黒いコートに袖を通した、異様な姿をしていた。雀の頭の様な形をした冑のせいで、その表情はうかがえない。
「あんたは……」
「これはホーエンハイム先生。いつ到着なさったのですか?」
そう言ってフリードリヒは甲冑の男に近づく。
「いえ、つい先程です。ヘートヴィヒお嬢様にお出しした薬の効果を見に来たのですが……それにしても酷い雨ですね。ですが、ご安心下さい。お二人は私の部下が保護しました。じきにこちらに戻ってきますよ。」
「本当ですか!」
「そりゃ良かった! 先生、本当にありがとうございます!」
「いえいえ、私のしたことではありませんよ。誉めるなら、私の部下を誉めてやってください」
ホーエンハイムと呼ばれた男は、穏やかな声でそう言う。
「ん? おお……これはこれは、『大烏』のオスカー・シュミット様ではありませんか。お久し振りです。最後にお会いしたのは確かネードルスラントの、マリア様と一緒でしたね。娘さんのヘレナちゃんが転んで膝を擦りむいたときでした。」
「よく覚えてお出でで。お久し振りです。sランク冒険者『救いの手』、ガーレン・フォン・ホーエンハイム医師。貴方の冒険団にはよくお世話になりました。ヘレナの膝の傷も、あの後綺麗に治りました。本当にありがとうございます。何故ここに?」
「今はフリードリヒ殿下の宮廷医師をする傍ら、この街に『小夜鳴き鳥の館』の本部を構えているんです。ここは交通の要所ですからね。東西南北に行き来しやすいですし、何より猊下と距離を取れますから……おっと、修道士でもある冒険者として、この発言はいけませんね。お忘れください。」
ホーエンハイムはそう言ってハッハッハッと笑う。
ホーエンハイム医師は、sランク冒険者の中でも指折りの人物だ。彼と、彼の率いる冒険団、『小夜鳴き鳥の館』の専門は、戦場となる現地での治療行為だ。負傷した冒険者や、魔物に襲われた人々の傷を癒したり、安全な後方へ避難させることに特化しており、彼らに命を救われた冒険者は、少なくない。
そう言った現地での活躍だけでなく、未だ発達途上である回復魔法の発展に貢献したり、現地での止血や応急措置の為に多くの冒険者達の携帯する回復薬の開発を行ったりと、為してきた偉業は枚挙にいとわない。
そう言った偉業の数々から、冒険者ギルドは彼のために特級ランク冒険者の席を特例で増やし、彼を昇進させようとした。しかしホーエンハイムは「名声を得るために、私は冒険者をしている訳ではありませんので。」と、それを固辞したのだと言う。そんな姿勢もあってか、彼を称え、その冒険団に入ることを望むものは後を断たない。
「さてと……あぁそうだ、殿下。これから巡回に行かれますか?」
ふと、ホーエンハイムがフリードリヒにそう聞く。
「ええ。城下に水が流れ込む前に、土嚢等を積んで堤防の増強をしなくてはなりませんので」
「でしたら、私も行きましょう。オスカー様も、良ければご一緒に。面白いものをお見せしましょう。」
そう自信ありげに言うホーエンハイムの姿が、オスカーには少し不気味に思えてならなかった。その冑に隠された瞳には、なんの色が映っているのだろうか。
○
――約十年前
「法皇猊下、この者が私の研究の被験者になるのですか?」
暗く、狭い部屋に低い男の声が響いた。
「いかにも。そなたの作り出した人工魔石、『赤い星』。これを人間に埋め込めば、果たしてどうなるのか、知りたかったのだろう?」
低い男の声に返すように、今度は年老いた男の声が聞こえた。
「この者はそれに同意しているのですか?」
「ワシは神の代弁者ぞ? それに彼の者はハーフエルフ、呪われし忌み子じゃ。これ程の適任者、他にはおらんぞ?」
「貴方と言うお方は本当に……困ったお方です。この者の意識が覚醒する前に、終わらせてしまいましょう。」
男はそう言うと、老人を退出させ、部下達と共に目の前の手術台に仰向けに寝ているハーフエルフを見た。
「許してくれ、とは言いませんよ……今貴女の意識が覚醒して、私達の首を刎ねてくれれば、どれだけ良いことか……。神よ、どうか我々の罪を、不徳を、私の内にある虚飾の心を、許し給うな……。」
――大勢の人……何してるんだろ……
ハーフエルフの少女は、ただ虚ろな目で天井を見ていた。聞こえてくる音が、見える風景が、全て夢の中であるように思えた。
「……メスを。まずは消化器官を幾つか切除します。内臓が多ければ、それだけ赤い星との拒否反応も強くなりますから。」
男はそう言って、メスで少女の腹部を切り開く。切り開いた所からは、徐々に血が溢れていく。
「あ……」
――お腹……ちょっと痛い……
……幸いだったのは、少女の意識が朦朧としていて、痛覚が鈍っていた事だろう。
「回復薬を傷口に。それで止血します。」
男の指示に従って部下の一人が傷口に緑の液体を塗る。血は、しばらくすると出る勢いを弱めた。
「これは……人のそれより肝臓がかなり大きいですね。森で生きるエルフ達が、毒性のあるものに耐性を持っているのはその為だったんですね。ハーフエルフでも、かなり発達している。いつか、本物を見てみたいものです。こいつは残しておきましょう。すい臓、胆のう、胃から取ってしまいましょう。すい臓は傷つけないよう、特に気をつけてください。」
男達は、指示の通りに内臓を摘出し、その傷口に回復薬を塗っていく。
――内臓、取られちゃった。お母さん、お兄ちゃん……痛い……動けない……
「小腸も取ってしまいましょう。大腸と食道は繋げてしまって構いません。」
小腸の摘出を見届けた後、男はかなりスペースの空いた腹を見つめた。
「先生、『――』はどうしましょう?」
部下の一人がそう男に聞く。
「…………残しましょう。それでは君、赤い星を。他のものは閉腹を。へその部分は少し空けておいて下さい。」
「先生、こちらに……ベアトリスクです」
「ありがとう。……ベアトリスク、悪魔になったお父さんを、どうか許さないで下さいね。」
男は受け取った深紅の結晶に、愛おしそうにそう話し掛けると、それを空間の空いたへそ部分に埋め込んだ。
――お兄ちゃん……助けて……
その時、部屋全体を赤い光が包み込んだ。
「な、なんだ!?」
「これは……!?」
「先生、実験は……」
部下達がそうおののく中、男は静かに床に膝をつき、胸の前で祈るように手のひらを組んだ。
「あぁ、遂に成功してしまったのですね……皆さん、少し席を外してください。」
そう言った男の目の前には、手術台に立つハーフエルフの少女の姿があった。腹を閉じたばかりだと言うのに、手術痕は全く残っていない。
男は、部下達が部屋を後にしたのを確認すると、静かに少女に話し掛けた。
「……貴女のお名前を教えてください。貴女はベアトリスクですか? それとも……」
少女は、ゆっくりとこう返した。
「アン……ナ……」
少女の目には、今や何も映ってはいなかった。




