新世代の神はプレイヤーを理解していない
目の前に広がる森は鬱蒼として人を寄せ付けない威容を誇っていた。
暗緑色の葉を生い茂らせた樹々は陽光を通さず、空の抜けるような青さとの対比にウンザリとした気分にさせた。
「ここはワクワクするところだろうが」
俺の独り言に答える奴はいなかった。
一匹狼と言えば聞こえはいいが、友達がいないぼっち体質。
サークルにも入らずにバイトに明け暮れる日々。
それもこれもみんな不景気が悪い。
親父が転職して家計が苦しくなると、お袋は容赦なく仕送りを減らした。
弟と妹が次々に受験するとなれば、兄としては権力者の意向に唯々諾々と従う以外に選択肢はない。
モラトリアムを楽しむ暇もなく、強制的に半身は世間の荒波に放り出された。
そんな時に見つけたのがこのバイトだ。
極秘で開発されていたフルダイブ型VRMMOのテストプレイヤー募集。
遊んでいるだけで大金を得られる。
ゲーム好きには夢のような職場だ。
ただし、期間は一週間。
治験のバイトと同じく施設に拘束されて外部との連絡は取れない。
一日中ゲーム三昧だが、一時的に自由は失われる。
だが、俺にとっては何の問題もなさ過ぎて嫌になるぐらいだ。
CHAINに届くのは家族からの連絡だけ。
Mutterのツイートは半分日記と化している。
ツンとした鼻の奥を誤魔化すように空を見上げた。
まあいい、今はこのバイトに採用された幸運を噛み締めよう。
しかも結果次第では追加報酬も付く。
一週間後にはちょっとした小金持ちになっているかもしれない。
そんな気持ちを萎えさせたのは、このゲームのシステムだった。
神は七日間で世界を創ったというが、昨今のVRMMOは世界を創り出すぐらいあらゆるリソースが必要だ。
モンスターには生態系が絡み合い、集めた素材からは生産品が作られる。
物質があり、元素に分解され、そして魔法が存在する。
人の手で全てを作っていては何十年かかるかしれたもんじゃない。
そこで用いられたのが、AIを利用したディープラーニングだ。
現実からありとあらゆるデータを取り込んでゲームのリソースが作られる。
そうしてできたこのゲーム、「ワールドシフト」ははっきり言ってクソゲーだった。
確かに見た目は現実と見まごうほどだ。
地面に顔を近づけてみれば、雑草が根を張り、虫たちの営みが垣間見える。
神が細部に宿るとしたらデウス・エクス・マキナがいるのだろう。
人の心を解さない神だ。
プレイヤーはどうしてゲームで遊ぶのか。
理由は人それぞれだろうが、現実にはできないことを楽しめるからだ。
その観点で見ると、「ワールドシフト」は現実とほとんど変わらなかった。
もちろん悪い意味で。
例えば剣のスキルを得るためには型通りに剣を振る練習を繰り返さなければならない。
その回数、なんと十万回。
たったひとつレベルを上げるのに十万回だ。
普通に剣の振り方を体で覚えるだろう。
スキルシステムに頼る必要性がまったくない。
俺は職業に魔法剣士を選んでいた。
近接でも遠隔でも戦えるオールマイティな能力。
立派なソロ向き職だ。
決して病気を発症したわけではないとだけは断っておこう。
そして最初に出会ったアイアンアントを相手に死闘を繰り広げた結果、その場で膝から崩れ落ちた。
ステータスには経験値などなく、スキルの熟練度がずらりと並んでいた。
スクロールバーが豆粒のように小さい。
俺もバカ高いコンシュマーの最新機種を買う程度にはゲーマーだ。
ゲーム内の行動でスキルがコツコツ上がっていくシステムは嫌いじゃない。
パラメータがひとつ上がるごとに一喜一憂する。
しかし、このステータス、少し細かすぎないか?
ゲームは現実の要素を如何に単純化して組み込むかが肝になる。
パラメータが多ければいいってもんじゃないはずだ。
だが、どうやら新世代のゲームクリエイターは物量で攻めるつもりらしい。
もうしっかりテストプレイをしてくれることを願うのみ。
と祈りにも似た願いが浮かんだところで、自分たちの仕事を思い出してまた膝をついた。
更に追い討ちをかけるようにゲーム内の時間が現実の四倍速さで流れていることに気付く。
これは一週間の仕事が体感時間で一ヶ月になるのか。
バイト代が決して高給ではないことを俺は学んだ。
まあ、戦闘スキルに頼るのは諦めよう。
現実を手本にしているのなら上達するのに長く苦しい修行が必要なのは想像に難くない。
だが、魔法ならどうだ?
空想の産物ならゲーム独自のシステムとなっているはずだ。
取り敢えずマニュアルを呼び出して読み進める。
なるほど、どうやら物質の創造はできないらしい。
魔法を使うには三つの過程が必要だった。
最初に周囲から必要な物質を抽出する。
炎の魔法を使うなら酸素と可燃物が必要だ。
この過程はそう難しくない。
空気中の酸素と水素を抽出すればいい。
次にエネルギーの供給だ。
体内の魔力を物質に纏わせる。
この場合は燃焼温度まで上げてやればいい。
酸素と水素が激しく反応して燃焼する。
最後に力を加える。
この炎を攻撃対象まで運ばなければならない。
そのまま運ぼうとしたが、少し離れると力が弱まって拡散してしまう。
試行錯誤の結果、周囲を圧縮して噴出孔を作り出す。
小さな炎は穴の開いた風船のようにひゅるひゅると頼りなく飛んで少し先で消えた。
えっ、ちょっと待ってくれ。
この攻撃で倒せる敵がどこにいる?
もっと大きな炎の塊が飛んで敵を燃え上がらせるのが魔法じゃないのか?
しょぼい、しょぼすぎる。
魔法に大きな期待を賭けていただけに、この結果はかなり気分を落ち込ませた。
大体、変なオリジナリティなんて付けなくていいんだよ。
ファイヤーボールと唱えて火の玉が勢いよく飛んでくれれば、それでプレイヤーは喜ぶもんだろう?
何が悲しくて化学の実験みたいなことをしなくてはいけない!?
腹立ち紛れに辺りの草を蹴っ飛ばしていたら、お腹がくうっと鳴った。
感情の高ぶりはエネルギーの消費を激しくするようだ。
現実世界では点滴で栄養を補給されていても、ゲーム内では空腹感を覚える。
これもリアリティを追求した結果だろうか。
怪我を負ったときの痛みを想像すると、どん底だと思っていた気分にも二重底が垣間見えた。
まあいい、取り敢えず今は食糧を確保しよう。
とはいえ所持品に食糧はなかった。
これはもしかしてプレイヤーにサバイバルをさせるつもりだろうか?
うだうだ考えていても仕方ない。
俺は食べられそうなものを探すために深い森へ足を踏み入れた。
森の恵みは豊かなものであるはずだが、日本の森とは植生が異なるのか、実のひとつもなってないし、目を皿のようにしてもキノコひとつ生えていない。
出会うのはアイアンアントやグリーンキャタピラー、ボーンビートルなどの虫系モンスターばかり。
まったく口にできそうなものが見つからなかった。
朝から一日、歩きっ放しで疲れ果てた俺は、大木を背にして座り込んだ。
このまま飲まず食わずでも仮想現実世界の中のこと。
実際に空腹で死ぬことはない。
死ぬことはないが、何か腹に入れろと脳内には警告が鳴り続けている。
虫歯の痛みと同じでそれは抗えるものではなかった。
しかし、水場のひとつもないなんて、このゲームのバランスは狂っている。
せめてスタート地点に村でも置いて、そこを拠点に冒険させるべきだ。
このままサービスインさせたら初心者は軒並み餓死するぞ。
それとも何か現実にはない救済策が用意されているのか?
そう考えたところで、ふと思い当たることがあった。
そうか、魔法だ――。
俺は大木に手を当てて抽出を行った。
目の前でふよふよと浮かぶ水の塊が膨らんでいく。
こぶし大まで育ったところを両手ですくって口に流し込んだ。
冷たい感覚が喉を通り、胃に落ちていく。
乾いていた身体の隅々まで沁み渡るようだ。
少し心に余裕ができたところで、ふうっと一息ついた。
しかし、これからどうしたものか。
なんとか水は確保できたが、食べ物に当てはない。
冒険を楽しむ前に生きるための算段をしなくては。
その時、森の中で微かに悲鳴が響いた。
もしかすると同業者だろうか。
このゲームではプレイヤー同士が協力と対立、どちらを選ぼうが自由だ。
見殺しにする罪悪感にさえ耐えられれば、危険を冒してまで助ける必要はない。
だが、俺は声が聞こえた方に走り出していた。
現実にできないことを楽しむのがゲームなら人助けに命を賭けたっていい。
代償にするのはたかが生存報酬。
迷いはなかった……、いや、つまらない嘘をついたかも。
俺の目に飛び込んできたのはキラーマンティスに襲われている女だった。
片足は既に鎌のような腕で斬り落とされていたが、崖を背にして戦い続けている。
モンスターに襲われて片足になっても戦い続ける精神力。
彼女は本当に一般人だろうか。
特殊部隊出身じゃないだろうな。
背後から走り寄った俺は、キラーマンティスの柔らかそうな腹を切り裂いた。
体液が飛び散り、ぐるりと頭がこちらに向く。
奴の視界は広いが、攻撃のためには正対しなければならない。
こうして前後で挟撃すれば、随分と楽になるはずだ。
俺の意図を読んだように女は交互に攻撃を繰り返し、やがて巨大な蟷螂は地面に倒れた。
「大丈夫か?」
「大丈夫やあらへん。どっかそこら辺に私の足が転がってない?」
地面に落ちた血の跡をたどって斬り落とされた片足を拾って手渡した。
受け取った女は傷口に足を合わせると、祈りの言葉を口にする。
淡い光が傷口を包んだが、手を離すと無情にも足は地面に転がった。
「アカン、レベルが足りへんのか、くっつかんわ」
「キミは神官なのか?」
「まあ、ちょっとした傷なら治せたんやけどな。流石に切れたらどないにもならへんな」
女は軽い調子でそういうと、傷を治して出血を止めた。
俺からすれば、傷を治せるだけでも大したものだ。
元素魔法と神聖魔法で扱いが違い過ぎるだろう。
それとも体の構造を理解して治癒する工程を経ているのか?
「アタシはニノマエ。助けてくれてありがとな」
「ああ、気にしないでくれ。俺はカマヤツ、よろしく」
差し出してきた片手を握り返す。
ショートカットに切れ長の目、意志の強そうな雰囲気を醸し出している。
すらりとして手足が長く、ヒョウのようにしなやかな体付き。
ゲームでアバターのカスタマイズもできるが、テストプレイでは本人を模している。
現実でもそのままの印象なのだろう。
「助けられたとこで悪いんやけど、アタシと組まへん?」
「はあ?!」
片足を失っているにも拘らず、棄権もせずに共闘を申し出る精神力の強さに驚いた。
不敵な笑みを浮かべているということは、決して庇護を求めているわけではないのだろう。
対等な関係を構築するつもりだとしても、何をするのか想像できない。
「その足じゃ、戦えないんじゃない?」
「まあ、戦力としてはね。代わりに治癒と知識を提供するから。どうしても追加報酬が必要やねん」
「治癒はともかく知識?」
「アンタ、飯はどうしてる? 組むんやったら、食べ物を集める方法を教えてもええよ」
そんなにひもじそうな顔をしていたかと彼女に対して警戒度が上がった。
だが、こちらの欲しているところを的確に見抜く観察眼。
戦闘はともかくとして、生き残るにはかなり心強い味方となってくれるだろう。
この先のことを考えるなら彼女と組むのも悪くない。
「わかった。パーティを組もうじゃないか」
「そうこなくっちゃ。取り敢えず拠点を決めて食糧を集めへん?」
「どこかいい場所でもあるのか?」
「そうやね、水場が近くて屋根のある洞窟のような場所がええかな」
「水は魔法で生み出せるな。穴掘りもできるだろう」
俺は近くの枝を折ると、抽出と圧縮を繰り返して松葉杖らしきものを作り出した。
多少、動き難いだろうが肩を貸して移動するよりはマシだ。
彼女が通ってきた道に条件に合う岩場があったと聞き、そちらへ向かった。
道すがらニノマエはあの野草を採れ、この花を摘めと忙しい。
どれが食べられるのかまったく見分けがつかないが、言われた通り野草を集めながら歩いた。
餅は餅屋と考えて彼女ができないことを俺が担えばいい。
そうして一時間もしない内に岩場に着いた。
「どんな穴を掘ればいいんだ?」
「そうやね。入り口は狭くして奥は一段高いところに作ってくれへん?」
「よし、任せとけ」
戦闘ではからっきし役に立たない魔法も生活では大活躍だ。
戦闘魔法ではなく、生産魔法と呼んでも過言じゃない。
岩を抽出し、壁や天井を押し固めると、それなりに住めそうなスペースができあがった。
「ふわあ、こら凄いわ。なんでアタシも元素魔法を覚えておかへんかったんやろう」
「前情報なんてなかったしね。それでも神聖魔法があるだけ良かったんじゃない?」
「前向きなんはええこっちゃ。取り敢えず食糧の確保を頼んでええか?」
集めてきた野草だけでは栄養素が足りない。
ビタミンやミネラルは摂れても糖質やたんぱく質は得られない。
一体、どこから調達するつもりだろう。
「ここら辺に麦でも生えとったら良かったんやけど、ないものはしゃあない」
「それで俺は何をすればいいんだ?」
「モンスターを倒してもらいたいんや」
「まさかあの虫を食うのか?」
「そうやね。虫も食べへんとあかんけど、先ずはアルラウネを倒してくれへん?」
「アルラウネ、植物系のモンスターか?」
「そうそう、ここに来る前の草原におったんやけど、花が百合に似ててん。となれば体の部分は球根、百合根に違いないわ」
確かに火を通せば、ほこほこして微かに甘さを感じるところは芋のような食感だ。
主食としても申し分のないだろう。
毒がないことを祈るしかないが。
「勝てるかどうかはわからないが、とにかくやってみるよ」
「負けたらアタシも餓死やしな。責任重大やで」
「そう思うなら変なプレッシャーをかけないで欲しいな」
「ちょっと気負っておくぐらいで、丁度ええんや。期待してるで」
一蓮托生といえど、女性から応援をもらうのは悪い気分じゃない。
やるだけやってみるかと気を引き締めた。
結果から言うと、俺は無事にアルラウネを倒し、次いでグリーンキャタピラーも倒して拠点に戻ってきた。
女性の体が生えた球根にでかい芋虫。
いくら空腹で倒れそうだからといって、これを食べるのか。
見た目の忌避感は最高値だ。
「カマヤツは球根からデンプンを抽出してくれへん?」
「ああ、抽出を使うのか」
「毒があるかもしれへんしね。パッチテストするほど余裕もないし」
「ああ、なるほどな」
デンプンを抜かれた球根はしなしなと干からびて脱皮したような皮を残した。
ニノマエはデンプンを受け取ると、水で溶いて石のプレートで薄く焼き始める。
「次は芋虫からたんぱく質やね」
「なんだか料理をしているように感じないんだが」
「風味とか残したいんなら、そのまま使ってもええけど?」
「いや、風味が欲しかったわけじゃない。気にするな。好きに作ってくれ」
芋虫からはすでに湿った土の臭いがするだけに俺は眉をしかめて答えた。
彼女はたんぱく質も水で溶いて隣で焼き始める。
木のヘラで器用にひっくり返して両面を焼くと、ふたつの薄焼きを重ねて湯がいた野草を置いてくるりと巻いた。
「冒険者風トルティーヤや」
漂ってきた匂いは食欲をそそる香ばしさと、清涼なハーブの香り。
腹が減ったままあちこちを歩き回った俺は、一も二もなく渡されたトルティーヤに飛びついた。
パリッとした薄焼きの皮を抜けると、舌にピリリと刺激が走ると同時に濃厚な旨みが口の中に広がる。
シャキシャキとした歯応えと、とろけるような舌触り。
それはこれまで集めてきた食材のハーモニーが奏でる極上の味だった。
「滅茶苦茶、美味い!」
「そやろ、そやろ」
「空腹は最高の調味料って言うけど本当だったのか」
「それはちょっと違うんとちゃう?」
「そうかな? 味はともかく。食材がなあ……」
「せやないって。最高の調味料は空腹やなくて愛情やで!?」
「えっ、愛情があったのか?」
「ああ、ゴメン。入れ忘れとったわ!」
悪びれもせずに言い放つニノマエに唖然としながらも、段々とおかしくなって腹の底から笑った。