第八話 メガネの憂鬱
こんにちは! ワセリン太郎です!
それから暫くして、校門の外を歩きながら独り呟く。
「うーん。なんだか調子狂っちゃったなぁ」
そう。昼休みの時点では、私に赤っ恥をかかせたこの憎き変身ベルトを……下校時に、どこぞのゴミ箱へとブチ込んで帰るつもりだったのだ。具体的に言うと、たまにジュースを買うタカムラ商店前に設置してあるゴミ箱へ、なのだが。
そうやって目立つ様に放り込んでおけば、多分近所の悪ガキか、ホームレスのオッサン辺りが見つけて持って行ってくれる事だろう。それであのクソネズミへの仕返しにもなるし、ベルトがゴミ箱から消えればお店のオバチャンの迷惑にもならない。これこそまさに一石二鳥の素晴らしいアイデア……などと考えていたのだ。
だがしかし、返却時に『そうだマコト。そのベルト、先生達が電池入れといてやったからな!』等と楽しそうに笑っていた中年男性教職員軍団の顔が……割と鮮明に脳裏へ浮かぶ。
どうやらこの中央の換気扇、モーターを動かすのに単一電池が二本必要だったらしい。まったくあのオヤジ共ときたら余計な事を……
「なんかさぁ、捨てられなくなっちゃったじゃんか……」
そうして、存在を忘れかけていたクソ森の待つマ〇クへの道を歩きながら、何故だか妙に耳に残る“あの言葉”を無意識に呟いた。
「へん……しん……かぁ」
そこでまた、楽しそうにポーズを決める先生達の姿が脳裏に浮かび……
何故そんな事をしたのかは良くわからなけど、気が付くと身体が意識せずに自然と動いてしまっていた。
左拳を腰溜めに引き、右手の手刀を交差して斜めに突き上げる。
それから右腕で大きく円を描く様にゆっくりと外側へ回し、開いたそれを腰へと引きつけながら、左手を交差させ、勢いよく斜めに突き上げた。
自然と、“あの耳に残る言葉”が口をついて出る。
「へん……しん!」
何やら視線を感じ、ふと我に返った。
歩道で妙な動きをしていた私を見る小学生。ヒソヒソとこちらを指差し、ニヤニヤと笑いながら何か話している。
うん? 何だ?
あっ! あのガキ今、『見て、バカがいる』とか言いやがった!?
クソッ、高校生のお姉さんをバカにしやがって! あの女の子達は雰囲気からして、小学、五、六年生といったところだろうか?
うっ、マコトより背が高いし手脚も長い。おのれ最近の子供は……一体、何を食うとああも大きくなるのだろう? しかしあれだけ成長が早いのだ、もしかすると最近の給食には肥料か何かが混ぜてあるのかも知れない。
そう考えていると、ふと“自転車を忘れてきた”ことに気付く。
いかんいかん、変身ベルトに気を取られすぎていた。しかし通学用の自転車を置き忘れるというのは、なかなかに豪快な事の様な気もするけれど……まあ、誰だってたまにはこういう事もあるだろう、うん。あるよね?
そうして私は……まるで飯時前の動物園の様に、運動部の連中が奇声を上げ続ける校庭の隅をショートカットし、自転車が停めてある駐輪場へと急いだのである。
だがしかし。
「何ぞこれ……」
駐輪場へ到着するなり、目に飛び込んできた謎の状況に言葉を失う。
いやまあ、それは私だけの問題ではなかったのだけど……周囲を見渡すと、同様に絶句し、困惑して立ち尽くす女子生徒の姿が多数。
「じ、自転車の椅子が……」
ふと、固まる人影の中に、同じクラスの陽キャ女の姿を見つけた。彼女もこちらに気付き、軽く手を上げて近付いて来る。
「あっ……マコトちゃん、ちーす」
こうして二人で話すのは、前回いっしょに居残りさせられた時だから……五日ぶりぐらいだろうか?
「あ、ミクちゃん。てかこれ、何なん? 一体何がどうなったらこうなるん??」
私達の目の前には、駐輪場を見渡す限り全部……いや、正確に言うと全部ではないのだが、とにかく自転車のサドルがある筈の……そう、それが挿さっていた筈の場所に、まるで見事な竹林でも現れたかの様に乱立する、魚肉ソーセージの群れ、群れ、群れ。
ミクも困った様子で、毛先をイジりつつこう言った。
「あんねマコトちゃん。“オハヨーおじさん”が、『これ今からケーサツ来るから触るな』だって。あとね、『ミクお前、そのソーセージを絶対に食べるなよ』って言われたし。でも普通、こんなん見たら一本ぐらい味見するよね」
いや、しねーよ。
「待って、その“オハヨーおじさん”って誰?」
「ほらあの、朝学校来る時、毎日校門のとこで『オハヨー、オハヨー』って笑顔でオウムみたいに繰り返し喋ってる変なオジサン。何かお店の入口とかにある、いらっしゃいマシーン的な? 誰か知らんけど」
「ミクちゃんそれ……もしかして生徒指導の濱田先生じゃね?」
「そうなん? あのロボット、ハマダセンセーっていうんだ」
えっ、濱田先生って実はメカやったんか?? 『それよりこれ、美味しそうだよねー』と魚肉ソーセージを指差し、ニヘラと笑うミク。どうやら食べたくて仕方がないらしい。いや、あんまこういう怪しいのは食べん方が……
そんな事より、この大量にブッ挿された魚肉ソーセージの意味が全くわからない。
確認すると、ご多分に漏れず私の自転車のサドルもなくなり、そこには当然の様に……先端の一部分だけビニールの剥かれた魚肉ソーセージが、まるで天へ昇らんとする龍の如くしっかりと備え付けられていた。何じゃこれ、怖! こんなんお尻に刺さったらマジで痔になってまうど。
未だ飲み込めない私へ、親切に状況を教えてくれる陽キャ女。
「あんね、これ“自転車なんとかサドルマン”の仕業だって。てかマコトちゃん、センセーに換気扇と虫のカード返してもらった?」
なぜ余計な事だけ覚えている……
「うんまあ。てか何? その、サドルなんとかマンって」
「うーん、あたし良くわかんない。オハヨーマシンがそう言ってたし」
突然、隣にいた男子生徒が『ああ、それはだね……』と喋り出す。うぁびっくりしたぁ、何やこのメガネ。
あっ、でもこのメガネ見たことある! たしかこれ、三年生で生徒会長のメガネだっけ? あれ、彼の自転車のサドルは……どうやら無事みたいだ。
「それはね、君達。“女子高生自転車サドル奪取マン”ってやつだよ。市内じゃ有名なサドル泥棒の変質者さ。あと、もう少ししたら警察の人が来るから、悪いけど現場をそのままにしておいてくれないかな?」
このメガネ、むっちゃ早口で喋りそう。ダメだ、実際、情報が多くて頭に入って来ない。という事は、つまりのところ……
「てことはつまり……これ全部、貴様がやったん?」
ミクが口に手を当て、大きく目を見開く。
「うっそ!? マジ引くわメガネ……」
私の質問に、突如ブチ切れる生徒会長。
「何で僕がそんな事をしなきゃならない!? 君達、人の話をちゃんと聞いてくれる──!?」
ちょっと何いきなりキレてんの? この人むっちゃ怖いわ。ああこれ、絶対やべー奴だわ。
「うわ、ヤバメガネ……」
ミクが私達の間に割って入った。
「で、メガネの自転車は大丈夫だったん?」
そう陽キャに聞かれた会長は……
「先輩に向かってメガネメガネって、君達はまったく……いやまあ、今はそれはいい。とにかくこの変態はね、女生徒のサドルにしか興味が無いんだ。だから入念に下調べをして、女子生徒の自転車だけを割り出して犯行に及ぶんだよ」
「ちょっ、メガネ、マジか。変態って自白しおった……」
「うわぁ……」
「だから僕じゃないって何度も言ってるだろ!? 君ら、本当にさっきから何を聞いてたの!?」
「「……そうなん?」」
「そうなの──!!」
少し不思議に思った事がある。ちょっと聞いてみよう。
「メガネ、なんでそんなに詳しいん?」
ミクもうんうんと頷く。
「あとね、ミクはお腹空いたから、これどれか一本だけ食べていい?」
「危ないから食べちゃ駄目!! ほんと君達、よくウチの高校に入れたね……いやまあ、とにかく! 僕が一年生の頃の事件で、君達はまだ入学していないし、良く知らないのは当然だと思うけどね。そう、この犯人は……簡単に言うと再犯なんだよ。以前にもウチの高校で同じ事をしてるの」
話なげー。確信した、やっぱこいつが犯人だわ。
「メガネ……自主したほうがいいと思う。大丈夫。まだ若いからきっとやり直せるって。マコトも応援するから」
「いい加減にしてくれる──!? 何度も言うけど犯人のオッサンは別にいるの!!」
ポカンとした表情で、不思議そうなミク。
「オッサンなの? メガネ、なんでその人が犯人ってわかるん?」
「あのね、メガネじゃなくて生徒会長! “一応先輩”なんだから……」
そう言いながら、メガネは駐輪場の壁を指差した。そこには、『魚肉、全女生徒へ装填完了』とスプレーで書かれた、良くわからん落書きが。
「一応メガネ、何なんこれ」
「何だよ“一応メガネ”って……それはね、犯行声明ってヤツさ。ちょっとコラ君! 何こっそりソーセージ食べてるの!? 何が付着してるか分かったもんじゃないから食べるのやめなさい!!」
犯行声明──!? マコトそれ、何か映画とかで見たことある!!
「ちょ、魚肉なんとかマン、すげーカッコ良くね??」
私の言葉を聞き、引き抜いたソーセージをかじりつつ目を丸くするミク。あ、この子マジか、パクッと二本目いっちゃったよ。
「うっそマジ? そんなカッケーの?」
大袈裟にメガネを吐く溜息。ん、逆か? まあどっちでもいいや。
「このアホ共、脳味噌は本当に大丈夫なのか? いや多分、間違いなく溶けて味噌汁みたいになってるぞ。彼女達は一度、先生達に相談して専門医に診て貰った方が……それはまあいい、いや、あんま良くないが。とにかくね、この犯人には致命的な欠点があるんだよ」
「何なんメガネ」
「はよ言えメガネ」
「クソ、こいつ等……いかんいかん、このままではアホのペースに巻き込まれてしまう! 住所。そう、住所が割れてるの。わかる? 住んでるところ、お家が既に警察にバレてるの!」
「「なんで??」」
「だから“再犯”だってさっき教えたでしょ!?」
良くわからない私とミクに、会長はこう言った。てかこの人、何で鼻息が荒くなってんだろ? 怖いわ。やっぱ女の子のサドル集めてるだけの事はあるわ。きっとこのメガネ、学校を卒業したらすぐに捕まって、そのまま変態番付まっしぐらに違いない。マコト、何かそういうのネットで見た事あるし。
「とにかく! 数日以内には警察が押収したサドルが返って来て、クラスごとに体育館で“大返却集会”になると思うから……悪いけど君達、今日は親御さんに連絡するとかして、何とか帰宅して貰えないかな?」
「「えーっ……」」
「だってほら、サドル無しで自転車漕いで帰るとか危ないでしょ? それは生徒会としても流石に許可できないよ」
自分でソーセージをブッ挿しておいて、それはないぞメガネ。
「でもさ、それはメガネがすぐにサドル返せばいいだけじゃん?」
「だから僕じゃないって何度も何度も言ってるだろ――!?」
それから暫く二人でゴネていたが、生徒指導の濱田先生も現れ……どうやら今日は、このまま帰るしかなさそうだった。そんなにサドルが好きなんか、メガネ。
こうして、私と陽キャ……もといミクは校門に向けて歩き出す。
あっ、そうだ忘れてた! 一言だけ言っておかなきゃ。そう思い、私達を見送るサドル……じゃなかった、メガネを振り返る。
「チャリの椅子ちゃんと返せよ、変態」
ミクも笑顔で彼に手を振る。
「メガネ、サドル明日までな? ばいばーい」
「あのね! 僕が盗ったんじゃないって何度も言ってるだろ!? このアホ共! いい加減に人の話を理解しろよ──!?」
ミクがスマホを見ながら返事した。
「うぇいうぇい」
「バカにしてんのか──!!」
「うわぁ、あのメガネ、何怒ってるんだろ……?」
怖いわぁ。
「ホント怖いよねー。帰ろ帰ろ」
そうして……何か良くわからんけど、突然不安定になってキレ出したヤバいメガネと別れ、陽キャと二人でバス通りを歩く。
そういえばいつ以来だろう? こうやって同級生と一緒に歩いて下校するのは。家は学校からそう遠くないし、高校になってからは近場でも自転車通学オッケーだしなぁ。何だか突然、中学生に戻った様な奇妙な感覚だ。
ミクが鞄からチュッパチャプスを二本取り出し、その片方をこちらに差し出しつつ話し掛けてきた。
「はい、あげる! マコトちゃんさ、このまま帰るの? あたしちょっと行きたい所あるんだけど。もし良かったら一緒に行かない?」
うんまあ、別に構わな……あっ、そう言えばクソ森と約束してたんだった! サドルメガネのインパクトが強過ぎて、奴の存在をすっかり忘れとったわ。
「アメちゃんありがと-。えっとね、マコトはこのまま帰ろうと思ってたんだけど……」
しかし思い出してしまったものは仕方がない。いやもう別に忘れたままでも良かったんだけど、ハッピー◯ットとチキンナゲットと期間限定のシャカシャカポテトが私を待っているのだ。これは行かない訳にもいくまい!!
「んじゃミクと行く?」
「ごめんミクちゃん、マコトちょっと用事あったのを忘れててさ、これからマ〇ク行かなきゃ」
「マ〇クかぁ……誰かいるの? 遊び?」
うーん。彼女を連れて行くにも、これからクソ森と“変な話”するからなぁ。これはどうしたものか。
「えっとね、クソ森がいるよ。実はちょっと、二組の杉本さんの事で話があるんだけど……ミクちゃん、マコトとクソ森の話を聞いてても面白くないでしょ?」
だがそう聞いた彼女の表情は、突然険しいものに変わった。
おっ、何だ?? この女のキリッとした表情なんて初めて見たぞ。ミクは元々整った顔立ちをしてるし、背も高いからだろうか? 急に大人びて見え、それを見上げる私は……何故だか一気に置いて行かれた様な複雑な気持ちになる。
彼女は私の手を引き、歩みを止めた。
「ううん。杉っちの話なら……絶対行く。マコトちゃん、連れてって。あたし杉っちと友達で、毎日一緒に帰ったりしてたの。クソ森っちも心配してるの知ってるし」
そうだったの? だが言われてみると……この陽キャが居残りでもないのに、下校時に独りで駐輪場にいたのは確かに妙な事に感じられた。
大概、この手の輩は華麗なるボッチ登下校の私とは違い、必ず複数人でキャッキャとやかましく行動する。ふん、羨ましいなんて断じて思わんぞ。
しかしまさか、その相手が噂の杉本さんだったとは。あと、どうでもいいけど……なに気に私が考案した“クソ森”が女子に浸透していて嬉しい!!
うーん、でもなぁ。話の内容がちょっと……
色々と考える私に、ミクが真剣な表情で立ち塞がる。その真剣な迫力に少し気圧された。彼女は……本気だ。
「ねえ、だめ? ミクはアホだけどさ、杉っちは全然馬鹿にしないで友達してくれるの。すごく大事な友達なんだ。だから絶対……居なくなったとか認めたくない。ホントは今日だって、マコトちゃんにも一緒に杉っちを探して貰おうと思ってたの」
「私に……?」
「うん。だってマコトちゃん、いっつも放課後ヒマそうだし……」
……は?? 死ねよ!? 陰キャボッチを馬鹿にしやがってこのクソ陽キャ!! おら掛かって来いや! シュッシュッ――!! マコトだって他のクラスに少しだけ友達おるんやぞ!!
と、まあそれは置いといて……うん、やっぱダメだ。あの話は、必死に友達を探す彼女には聞かせられないよ。仕方ない、ある程度正直に言おう。
「あんねミクちゃん。今からクソ森とする話なんだけど、内容的にミクちゃんが聞いたら怒るかも。いや、多分怒っちゃうと思う。マコトだってふざけて話すんじゃないよ? でもちょっと……」
ミクの真剣な目を見ればわかる。きっと私の話を聞いたら『ふざけないで』ってなるだろう。何しろ彼女は“真に本気”なのだから。
「マコトちゃん、何で?」
「いや、ちょっと……っていうか、かなり変な話になるから……」
きっとミクは、剣と怪物のファンタジーなど許容出来ない。彼女が杉本さんの事を真剣に考えていればいる程、私の話は特別不愉快なものになるだろう。事実、森だって一度はそれで怒って帰ってしまったワケだし。
だが、そこまで聞いた彼女は『ああ……』といった様子でこう言ったのだ。
「マコトちゃんそれさ、もしかして“怪物”の事っしょ? 大丈夫、実はあたしも……見たんだよ、ソイツ」
「……えっ!?」
「もしかして……マコトちゃんも見たの?」
私達は顔を見合わせて頷き、クソ森の待つマ〇クへと急いだ。