第二話 神隠し
こんにちは! ワセリン太郎です!
どのぐらい経っただろう? 誰かに肩を叩かれ、乱暴に揺り起こされるのを感じた。
「……っと! ちょっと君! 大丈夫かい??」
ゆっくりと目を開けると……そこには先程血だまりに倒れていたオジサンが。生きとったんか!!
「えっ──!? オ、オジサン! オジサン大丈夫!?」
私に“大丈夫?”と問われた彼は、不思議そうな顔でこちらを覗き込み、『いや、私じゃなくて君が大丈夫かい? こんな所で倒れて……もしかして自転車で転んで、頭とか打ったりしたんじゃないか?』などと心配そうに声を掛けてくる。
いやいや。オジサンの方が大怪我で、人の心配をしてる場合じゃ……
そう思って彼の四肢を見回すが……あれっ、繋がってる!?
中腰で屈み、こちらを見下ろす彼の身体は……なんと五体満足であり、先程起きていた血だまりの惨劇がまるで嘘のようだ。
えっ……あれ、夢だったの? これどゆこと!?
頭が混乱し、説明を求めて“例の女性達”を探すが、こういった場合のお約束なのだろうか? 彼女達の姿は河川敷の何処にも見当たらない。
それから暫く、謎の全快を見せたオジサンと噛み合わない会話を続け、その日の私は何もわからないまま自宅へと戻ったのだった。
とまあ、そういう良くわからない不思議な出来事があり、当の私は“自分の頭がどこかおかしくなったのかも?”などと心配しつつ、その後の数週間を過ごす事となる。
案外これがキツかった。だいたい、間違いなく目の前で起きた筈の事件が、完全に無かった事にされているのだ。当然、ニュースなんかにもなってないし。
それであの後、ビクビクしながら河川敷へ調査をしに行ってみたりもしたのだが、やはりそこには血だまりの跡どころか何の痕跡も残されていなかったのだ。
うーん、やっぱ何か頭おかしくなっちゃったのかなぁ……?
お母さんに言って病院に連れていって貰おうかとも考え、真顔で真剣に相談してみたのだが……話の内容を聞いた母は、『大丈夫よ! マコトが変なのは今に始まった事じゃないから!』等と元気良くスルーしやがった。娘が悩んでるのに、なんて親だ──!!
だが、ようやくその事件の記憶が薄れ始めた頃……唐突にそれは起こったのだった。
日曜日のお昼過ぎ。
学校の宿題を教室に忘れて来た事に今更気付き、自由な時間を得て暇になった私は……本屋へ行って立ち読みでもしてやろうとシャカシャカ自転車を走らせ、街の中心にあるショッピングモールへやって来たのだ。
駐輪場へ自転車を停めて鍵を掛け、スッタカタと入口の自動ドアをくぐる。
そうして本屋を目指し、通路をてくてく奥へと進んでいると……そこに偶然、見覚えのある背中を見つけてしまったのだ。
最初は見間違いだと思って自分の目を疑った。でもそうではない。
忘れもしない、あの“美しく切り揃えられた蒼い髪”。今日はあの青い洋服ではなくて普通のスーツ姿だけど……うん、間違いない、あの人だ!!
記憶の奥底で何かが蠢く。
そもそもあの日見た光景、あれは一体何だったのか?
血の池に倒れて手足を無くした筈のオジサンは無事で、私が意識を取り戻した時、彼は一切何も覚えていなかった。そう、まるで元々何事も起きなかったかの様に。
今となると白昼夢か何かを見ていたのではないか? などと己を疑いたくなる気持ちも強いのだけれど、やはり、どうあっても納得ができない。うんにゃ、確実に、絶対に、何かがおかしいと思う。
──確かめたい──
真相を解き明かせと、私の中の何かが背中を押した。
気が付くと私の足は、無我夢中に“その背中”を追い始める。そしてようやく追い付き……私は彼女の肩をグッとつかんで声を掛けた。
「あ、あの、すみません!」
良く考えたら、知らない人に対して随分と失礼な行動だとは思う。でも我慢が出来なかったのだ。
「えっ?」
振り向く長身。こうして見ると随分と背が高い人だ。流石は外国人、百七十センチはあるのでは? 結構チビっ子のマコトからすると、頭一つ分以上に見上げる格好だ。てか何だこれ、めっちゃ脚なげー。
その女性は突然の事に随分と驚いた様子だが……でも私の顔を見ても不思議そうな表情をするばかりで、こちらが期待していた様な素振りは全く見せない。
あれっ……? でも、聞かなきゃ。今聞いておかないと、きっと後で後悔するに決まってる。
私は意を決して彼女へ尋ねた。
「あの、変な事を伺うようですが……えっと、二週間ほど前なんですけど、河川敷の堤防でお会いしませんでしたか?」
だが彼女は首を傾げ、私の言葉を真っ向から否定する。
「いいえ……失礼ですが、人違いではありませんか?」
いや間違いない、声だってあの時聞いたものと同じだ。でもこうして面と向かって“知らない”って言われると急に自信が無くなってくるぞ。
この人も、あのサラリーマンのオジサンと同じで記憶を無くしてしまったのだろうか? それとも私は本当に自転車で転び、頭を打ってどうにかなってしまったの? ダメだ、わかんないや……
「そうですか……」
呼び止めた女性へお詫びを伝える。幸い彼女は『いえいえ、お気になさらずに』と、愛想の良い笑顔を見せて店の奥の方へと去っていった。
そしてその翌日。
月曜日で登校し、教室に入った私が自分の机に着席しようとしていると……
「おいチビっ子。お前、知ってるか?」
“チビっ子”と呼ばれ、くっそイラッ☆として冷たい視線を隣に向けると、そこには珍しく神妙な顔をした“クソ森”の姿が。こやつ、いつもいつもマコトをおちょくって来るので、鬱陶しいこと便所バエの如し。この森、盛り、ウンコ盛り、クソ森め。
「チビって言うなハゲ。てかクソ森、どしたの? 顔色悪いけど。何か顔が本物のうんこみたいな色だけど……」
そう言われた森は、いつになく真剣な表情でこちらへ向き直る。あれ、珍しくふざけてる感じじゃない。一体どうしたんだろ?
「あのさ、二組の杉本って女子……知ってる? あとうんことか言うな。お前ホント下品だよな」
杉本さん……? ああ、あの明るくて人が良さそうで綺麗な子か? 知っとる。要はあれだ、彼女は私とはあまり相性の良くない、いわゆる“陽キャ”というヤツだ。きっとあの手の人種は毎日放課後に仲間で集まり、ウェーイとか言ってバーベキューしまくっているに違いない。知らんけど。
「マコトは直接は話した事ないけどね。うんまあ……顔は知ってる。あの明るい感じの人でしょ? じゃあ森の顔が“御うんこ”」
「うん。杉本、俺の近所に住んでるんだけど……いや、マコトお前やっぱアタマおかしいわ」
幼なじみってやつか?
「で、その杉本さんがどしたん??」
一瞬、森の表情に痛みのようなものが走ったのが見えた。
「実は金曜の夕方から……ずっと行方がわからないんだよ。警察にも行って、週末は消防とか近所の人達も含めて皆で探したんだけど」
「えっ……」
家出か? もしくは変な事件に巻き込まれたとか? でもこんな田舎町に限って……
更に難しい顔をするクソ森。
「それが杉本さ、風呂入った後に自分の部屋に戻って、それからお袋さんが五分後ぐらいに声掛けに行ったら……どこにも居なくなってたらしいんだ」
「なにそれ……」
ふと、“神隠し”などという不気味な言葉が頭をよぎった。でもそんな時代錯誤な。それに昔じいちゃんが『アレは大体北〇鮮』とか言ってたし!
「流石にありえないだろ?」
その居なくなった二組の杉本さん、交友関係が広くて友達も多いらしく、昼休みの教室はその話題で持ちきりだった。私自身にもあんな奇妙な事が起きた直後だ。正直、興味が無いと言えば嘘になる。
お弁当を食べながら、皆がウワサする話に聞き耳を立てた。
ふと気になり隣をチラリと見ると、森のヤツは面白く無さそうな表情をしている。そりゃあ幼なじみが行方不明な上、その事について良く知りもしない連中が、ああだこうだと憶測だけで話していれば……そういう気持ちにもなるだろう。それはまあ、わかる。
あっ、何か杉本さんの事言ってる!
「ねえ、二組の杉本さんの話聞いた?」
うん、聞いてる聞いてる! あれ、やべっ。これじゃマコト、何か盗み聞きしてるみたいな感じに……
いやでも、普段ほとんど話さないグループの子達だし、突然割って入っても困惑されるだけだと思う。とりあえず黙って聞いておこう。
やはり私は空気の読める女だ。ほれ見ろクソ森、以前に『マコトお前、トンデモ言動で“時を止める女”だよな』とか言った事を撤回し、謝罪と賠償をするがいい! 遺憾の意!!
彼女達は続けた。
「何か杉本さんね……居なくなる何日か前に変な事言ってたらしいよ?」
ほうほう……あ、ちなみにマコトもね、よく家族や友達に“変な事を言う”とか言われる! でもソレ多分、今は全く関係ないけど! てかそんな事より、杉本さんは一体何を話していたんだ? 耳をひくひくさせて続きを待っていると、別の女子が私の気持ちを代弁してくれた。
「なになに? どんな話をしてたの?」
そう、そこが聞きたい! はよ!!
「えっとね、『学校帰りに、変な怪物みたいなのを見た』とか言ってたんだって……」
……ンッ?
「ええ、なにそれ……」
怪物──!?