第十六話 疑心暗“?”
こんにちは! ワセリン太郎です!
清掃……?
彼女の手に持たれたソレに目を落とす。霧吹き? あっ、あれダ〇ソーとかで売ってるやつだ。マコトん家にも同じのあるし! でも、中身は何だろう? 何か抹茶みたいな色してるけど。
「えるるん、それ……中身何なん? 除菌スプレー?」
でもあんな物で、この激しく散らかった現場をどうにか出来るとは到底思えない。
あっ! もしかしたら、深夜の通販でマイクとキャシーが売ってる、アメリカ製のスゲー洗剤だったりするのかも!
だとすると、私の持つ一般常識は通用しないかも知れない。何せ、深夜通販番組の商品は究極に万能なのだ。実際こないだテレビで見たし。姿の見えない観客のみんなも、『ウワーオ! これはビックリだ!』とか言って拍手しまくってたし。
そんな馬鹿なと疑う人も多いかも知れない。もちろんマコトだって最初はそう思ってた。でも“洗剤をぶっかけた古い車が瞬く間に新車へ戻った”瞬間を……この目でしかと確認したのだ。
私の問いに、『ああ、これですか?』といった様子の彼女は、足元に転がる怪物達の残骸に少しだけ眉をひそめると……
手に持つ霧吹きを、辺りにシュッシュッと吹き掛け始めた。それから目を瞑り、今度は自分の顔目掛けて再びシュッシュッ。
何してるんだろ? 深呼吸? 吸い込んでるっぽい。
「もしかして、えるるんも変身するん?」
首を横に振る彼女。
「いいえ、私は変身は出来ませんよ? それは貴女の専売特許というやつです。これはですね、先程マコトさんが吸い込んでいた“マナ”と同じ成分を液状化し、さらにそれを十倍程度に希釈した携帯専用スプレーでして……」
何言ってんだ? よくわからん。
「キシャクって……神社とかで手を洗うときに使うやつ??」
「いえあの、薄めたって意味なんですけど……」
「は?」
「えっ……?」
でも、何となくあの煙と同じものだって事だけはわかった。色も青汁みたいで似てるし。しかし一応気になるので、えるるんの顔に鼻を近づけてスンスンしてみる。
「あ、ほんとだ! えるるんの顔、ウチのお父さんのアタマと同じ臭いがする!!」
「そ、そういう誤解を招く言い方はやめてください……」
「んじゃ、えるるんはお父さんのアタマの臭いがする!」
「……」
何だ? 折角マコトが訂正してあげたのに、何が気に入らなかったのだろう? まあいいや。でもあんま神経質なのは良くないと思う! ウチの爺ちゃんも『人間、悩むとハゲる』とか言ってたし! てことは爺ちゃん、色々悩んで生きてきたんだなぁ。マコトがもっと優しくしたろ!
それよりこのスプレーの香り、変身ベルトから出ていた“煙”と比べると随分と薄く感じる。何か身体が少しだけ反応した様にも思うけど……うんまあ、気のせいってレベルだろう。一度変身した身なのでマコトにはわかる。多分、あれでは“覚醒”するのに全然足りないはずだ。
「それで、そのスプレー撒いてどうするん?」
これは気になる。
「えっと、これは……こうするんです」
そう言うと彼女は、私の額に手をかざし、何かブツブツと呪文の様なものを唱え始めた。
あっ! これってもしかして、さっき夢の中で麻呂がマコトにやったのと同じ様なやつ? そういやマロ、元気にしてるかなぁ。あの後、何処行ったのか全然わかんないけど。あとアイツ、騙してお菓子くれんかった。あの恨み、絶対忘れんからな!!
そう考えていると、額に手をかざしていたえるるんが……サッと私の上空を指差しながら腕を振り上げた。
釣られて見上げると、そこに綺麗な蒼い魔法陣が現れる。
「ちょ、これ何なん!?」
「これは清掃……要は、お掃除魔法なんです」
そう言った彼女、今度は腕を地面に向けて……サッと一振り。
──すうっっ──
音も無く、私の身体をすり抜けてゆく光の魔法陣。
「お、お掃除??」
それは私がキョドっている一瞬の間に、頭のてっぺんからつま先までを素早く通り抜け……
「マコトさん、これで綺麗になりましたよ。もう大丈夫です」
そう彼女に言われ、指差された己の身体を見下ろしてみると……
「……うそやん」
制服のブレザーやスカートに染み込み、メチャクチャに汚していた怪物の血痕が……どこにもない。そう、綺麗さっぱり……消えているのだ。
「すっげぇぇぇぇぇ──!?」
ヤバイ、今日いろいろあったけど、これが一番驚いたかも! 驚く私を見て、彼女は少し誇らしげだ。
「えへへ……」
「えるるんホントにすごい! これあったらもうね、一生お風呂入らなくていいじゃん! あともしかしてさ、ウンコした後とかもお尻拭かなくていいんじゃない??」
「えっ……!?」
「あはは。マコトちゃん、良かったね」
先程から肩に乗るアルがそう言ったのを見て、私はえるるんへとある提案をする事にした。
「ホントにありがとー! あんね、えるるん。もう一つお願いがあるんだけど……」
「な、何でしょうか?」
首を傾げるえるるんに、肩口のアルを指差して見せた。
「さっきの魔法で、ついでにこの雑菌の塊も“清掃”するというのは……」
「マコトちゃん。それ、まだ言うのかい……」
その後もヤバかった。
再び現場へ霧吹きでシュッシュとやったえるるんは、先程と同じ様に何事かの“呪文”を唱え……今度は路上へと大きな魔法陣を発生させる。
「すごっ! えるるんがおったら、もうゴミ箱いらんやん! よっ! 歩くゴミ処理場!!」
「そんな褒められ方をしても、全然嬉しくないんですけど……」
そうして私がぽかーんと見ている間に……次々に光の輪の中へと怪物の残骸が吸い込まれてゆく。何あれ、マジすごい。きっと彼女は、“歩くゴミ箱”が天職なんだと思う! てかこの“魔法”っていうやつ、一体どんな仕掛けで動いてるんだ??
「ねえ、この魔法ってどうやるの?」
これマコトもやりたい! これがあったらね、学校のテストの点数でお母さんに怒られる事も無くなると思う! そう、戻って来たテスト用紙をこれで消してしまえばいいんじゃ!!
「ええ。これは私達が生まれ持った“魔力”という力をですね、自然界に存在する“マナ”を使って燃焼させ、こういった不思議な力に変換して行使する為の術なんです。そうですね……魔力とマナの関係は、ロウソクの蝋と炎に例えるとわかりやすいでしょうか」
「……うん??」
ロウソク??
「ただ、この現代においては“マナ”の源たる“自然に対する信仰の力”が薄れ、通常では魔法を行使出来ないんです。そこでこの携帯用にマナを溶かし込んだスプレー等を使い……」
この子、一体何言ってんだ? とりあえず良くワカランので、ロウソクの話でもしておこう。
「あんね、えるるん。マコトん家もね、仏壇にまあまあデカいロウソクあるよ! んでね、ウチのジイちゃん毎朝四時頃に起きて庭に水撒いた後、仏壇に線香あげてデカい声で拝み出すんだ。んでそのあとラジオ体操やってるよ。多分あれ、めっちゃ近所迷惑だと思う!」
「そ、そうなんですね……」
「うん。あとね、夕方にはバアちゃんもあげて念仏唱えてるから……ウチの仏壇の部屋、何かちょっとお線香臭いかも!」
「……」
何だ? 微妙に“ヤベー奴”を見るような、哀れむ様な視線。あれ、マコト何か変な事言ったっけ?
まあそんなのは細かい事だしどうでもいいや、それより気になる事がある。ちょっと質問してみよう。
「ねえアル君」
「なんだい?」
「あの吸い込まれた怪物って一体どこに消えるの?」
「ああ、あれはねぇ、我々のラボ……って言っても君にはわからないか。とにかく“研究室”に送っているんだよ。サンプルを回収して、奴等の体組織や生態を調べているのさ」
ネズミが?
「アル君達ってさ……一体何者?」
彼女は私の問いかけに、『そのうち……わかるかもね』とだけ答えて黙り込み、それからじっと静かに目の前の光景だけを見つめていた。
暫く経ち、後処理をするというアル君やえるるんとも別れ、自宅へ戻ってきた私。
少し節々の痛む身体を気にしながら晩ご飯を食べ、それからゆっくりとお風呂に浸かって緊張を解きほぐした。あー、極楽極楽。
そういや以前、中学の同級生と市内のスーパー銭湯へ行った際、湯船に浸かりながら『うあー、極楽極楽!』とか、立ち上がる時に『あ、よっこらしょ!』などと言ってたら、『マコトお前、マジおっさんみたい』などと非常に失礼な事を言われた事がある。
アタマにきたのでその子と一緒に泡風呂へ浸かっている時、黙って片尻を上げ、ブリッと浴槽の中でオナラをしてやったのは……今となっては非常に良き思い出だ。うんうん、それはそれで青春ってカンジ!
でもあれ、下痢っぽい時にやるとちょっと“危ない感じ”になるんだよなー。気付いて『あっ!』と思っても既に遅いし……よし、次はあの時みたいに実が出ない様に気を付けよっと!
バスタブの中で泳ぐアヒルのオモチャを捕まえ、ニギニギしながら今日の事を思い返す。
「うーんダメだ。色々ありすぎて……まったくわかんないや」
怪物や麻呂の事もそうだし、私の身体に起きた“異常な変化”の事。それと後処理に現れたえるるんも何者なのか良くわからんままだし、よく考えたら……そもそも“喋るネズミ”が存在すること自体、かなりイカレた状況だと言えないだろうか?
これはもう、“転んで頭を打って幻覚を見た”……ってレベルのお話じゃないよなぁ。
マコトは日頃、ム〇キングのカードを眺めて色々と物思いに耽るのが趣味なのだけれど、ここ最近起きた出来事をすべて脳内で創作するというのは……いくら妄想好きでも、流石にちょっと無理がある。
そりゃあ物語を見たりを読んだりするのも好きだけれど、想像力を鍛えるにも限界というものがあるわけで。
それはそうと、ふと気になる事が。
「そういえば私、変身中はどんな姿になってたんだろ?」
確か額から角が生えたり、力を込めると手足がバチバチと電撃を出したりしてたハズ。冷静に考えると無茶苦茶だ。
そこで、また別の疑問が。
そもそも、テレビとかで見る魔法少女や変身ヒーロー物は……そう、敵と戦う時にしか変身しない。あれは何でだ? もしかすると敵が現れないと変身出来ない? いやいや、それおかしくね? 漫画やアニメの御約束?? それとも何か変身してはいけない暗黙のルールでもあるのだろうか? 世の中というのはそういうものなのだろうか?
鼻の下まで湯船へ浸かり、独りブクブクと呟いた。
「絶対に変だ。でもマコトの場合、多分……変身出来ちゃうよなぁ」
私は急激にその事への興味が湧き、お風呂から上がると……急いで二階の自室へと駆け上がったのだ。
「よし……」
スポーツバッグから変身ベルトを取り出し、換気扇のとなりにあるスイッチをカチリとオンにする。
──ふぉぉぉぉぉん──
よし、換気扇が回り出した。えっと、それからアル君はどうしてたっけ?
そうだ、確かここの裏を……
ベルトを裏返して中央にあるボックスの裏側を覗き込むと、そこにはやはり“小さなスイッチ”の存在が。
なるほど、普段はバンドの裏で見えないのか。それでこの裏スイッチの存在を知らないと、いくら電源を入れても“煙”は発生せずに中央の換気扇がクルクル回り続けるだけ……っと。
ベルトのバンドを少したわませ、そこから人差し指を突っ込んでスイッチを押し上げる。
案の定、少し遅れて立ち昇り始める“緑色の煙”。
「あ、うごいた!」
これは……“マナ”って言ってたっけ? 何かようわからんけど、とにかくこの煙をある程度吸い込めば、私はきっと夕方に路地裏でしたように“変身”する事が出来るはずだ。
稼働し始めたベルトをパジャマの腰に巻き、鏡の前に立ってじっと己の顔を見つめる。
変化は……まだ何も起こらない。てかやっぱこれ、お父さんの頭の臭いがするんですけど。後でお部屋の空気を入れ替えよっと!
いかんいかん、集中して深呼吸、深呼吸。うあ、くっさ。
少し経ち、ふと部屋の時計に目がいった。
現在の時刻は午後、九時三十八分。そうだ、せっかくなので時間も計ってみようか? 確か煙が出だしたのは……一分ぐらい前だったと思う。
そうして暫く待っていると、急に体調の変化を感じた。
身体が熱く、ぽかぽかする。
お風呂上がりだからかも知れないとも思ったけど、やはりこれは何か違う。とにかく、丹田の辺りに何か“熱の塊”の存在を感じるのだ。おそらく、これで準備は整っているんだと思う。
再び時計を見ると……二分経過。うーん、てことは煙が発生し始めてから準備が終わるまでの時間は、大体三分ぐらいか? インスタントラーメンみたい。あっ、でも今は部屋の中だし、お外だと煙が風で散るかもなので、もう少し時間が掛かるのかも知れないな。
「まあいいや。それじゃあ、やるか!」
あの時、麻呂が私に伝えた言葉を思い出す。そう、あれは確か“印鑑”を切れとか何とか。何で印鑑の話になったのかは最後まで良くわからなかったが、要は“例のポーズ”を取る事が“変身の鍵”であるという事だけは身体で理解している。
深呼吸をした私は……左拳を腰溜めに引き、右手を斜めに突き上げて構えた。
大丈夫、怖がるな。
それから右手を大きく円を描くようにゆっくり回し、それを腰へ引きながら、再び左手を交差させる様に、勢いよくサッと突き上げると……あっ、何かきた!
額の中心に、チリリと電気の様なものが走る感じ。
「変・身──!」
──バチッ! バチバチッ──!!
ここでようやく私は……やはり昼間の出来事が夢でなかったと、改めて思い知る。
全身へと雷撃が纏わり付き、目を開けていられない程の眩しい輝き。それから押し出される様に額から伸びた二本の“角”の先端へ、ゆっくりと薄紫の“炎”が宿る。
ちなみにこの炎、触ってみても別に熱いとかはなく、火傷はしない。アル君曰く、『それはこの世のものではなく、別の次元のものが……云々』とか。つまりのところ、よくわからん。
身体の異変と同時に四肢へと力が漲り、毛髪が……まるで水に絵具でも混じるかの様に、サッと一気に白く変化した。あと、毛先はうっすらとピンク色。これはなかなかお洒落キュートな感じがしないでもない。
「おお……」
よく見ると八重歯も少し伸び、牙の様だ。それから……特徴的な、目尻に薄ら塗られた赤い紅。あれ、何かちょっと肌も白くなってないか? それより気を付けろ、下手に力を入れると壁や床がどうなるかわかったものではない。
「こらマコトー! アンタ、一人で何騒いでるの。夜は近所迷惑だから静かにしなさい!」
一階から母の声がする。夜中だし、変身した時の音が下へ響いたのだろう。今お母さんが二階にきたらヤバイので、部屋の入口をそっと開けて素直に返事した。
「はーい。静かにするー」
あぶないあぶない。よし、もうちょい観察してみよう。
丹田に意識を落として深呼吸する度、額に生えた二本の角の間に電撃が走る。マジか、ガスコンロとかなら余裕で着火できそうな勢いだ。
この電撃も、発生源であるマコト自身には全くの無害なんだけど、アル君に診てもらったところ……どうやら先程の炎とは違い、かなりの高電流だか高電圧だかが流れているとか。『扱いには気をつけなよ?』と言われたんだけど、何をどう気をつければ良いのかさっぱりだ。
そうして暫く鏡を眺めていると……ぽろり、ずっと思っていた事が口から漏れた。
「うーん。やっぱこれ、魔法少女っていうより……“鬼”じゃね??」
まあ、見れば見るほどに“鬼”である。当然、元の素材がマコトちゃんなので、それはそれは非常にクソキュートな鬼っ娘ではあるのだが……まあ何というか、やはりそれでも鬼は鬼だ。
あと残念ながら、いかに変身したからといって、身長が伸びたり元々フラットに近い“部分”が突然大きくなったり等の……創作物あるあるの都合の良い変化の類は一切無い模様……チッ。
そうしてパジャマを着た鬼っ娘が、変なベルトを腰に装着したまま鏡の前で『うーん?』と首を捻っているこの状況。端から見るとおかしな光景なのかも知れないが、当事者の私からすると、正直どう反応して良いのかわからない。
そうして暫く、“変身”した自分の姿をいろんな角度から眺めていたのだが……何かの拍子に家族に見つかるとヤバいので、ベルトの換気扇を急いで停止させた。だいたいウチのおかあさん、ノックとか無しでいきなり入ってくるもんなー。
よし、これで少し経てば元の身体に戻るはず。
それから“変身”が解けるまでの数分間が微妙に勿体なく思えた私は……スマホを取り出してパシャリと数枚、セルフィーを撮影したのだった。