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婚約破棄の舞台で起きちゃった、ちょっとした手違い!? 思わぬ事態に困惑中っ! いったいどーすればいーのぉー?! みたいな感じの話

作者: アマラ

「婚約を破棄する」


 やっとここまで来た。

 婚約破棄を言い渡された当の本人である令嬢は、万感の思いでその言葉を聞いていた。

 学園の庭には、多くの見物人が集まっている。

 そうなるように仕向けたのだが、思った以上の数だ。

 これならば、この茶番のことはすぐに国中に知れ渡るだろう。

 実に都合がいい。

 令嬢に婚約破棄を突き付けた王太子の隣には、一人の少女が呆然と立ち尽くしている。

 すべての事情を知っているわけではない彼女は、ただただ驚くことしかできないのだろう。

 少女は人柄もよく、頭もいい。

 数日後には、状況を分析し、何が起きたのか理解するだろう。

 だが、少なくとも今は無理のはずだ。

 何せ情報が少なすぎる。

 突然の事態に、対処しきれないはず。

 そうなるように、王太子と令嬢はこの舞台を整えたのだから。




 王太子と令嬢は、幼いころから顔見知りであり、婚約者同士であった。

 令嬢は伯爵家の娘であり、血筋的には申し分ない。

 特に優れているとは言えないが、平均より少し上回る程度の頭はあり、

 最高の教育を受けることができる環境で育った。

 当然、相応に優秀に育ち、将来は国母になるに十分なモノを持っていたのである。

 令嬢は王太子のことを、憎からず思っていた。

 いつか結婚し、夫婦になる相手としては、申し分ない。

 そうなるのが当然だと思っていたし、相手もそう思っている。

 令嬢は、そうであると信じていた。


 ある程度年齢を重ね、二人は貴族や優秀な国民が通う学園へと入学した。

 王太子は優秀な成績を収め、人柄もあって多くの生徒の人気を集めた。

 将来、国を治める人物である。

 それを除いても、王太子には人としての魅力があった。

 多くの人がそれをほめそやすのを見るうち、令嬢は自分の中にあった感情に気が付く。

 令嬢は自分で思っている以上に、王太子のことを気に入っていたようなのだ。

 当然、王太子も自分に対して同じような感情を抱いているはず。

 令嬢は、そうであると信じていた。


 その少女に出会ったとき、令嬢は言葉を失うほどに驚いたのを覚えている。

 彼女が纏う力は桁違いのもので、侍らせている精霊は尋常ならざるものだった。

 まるで、救世の聖女のよう。

 御伽噺の類としか思っていなかった伝承を、令嬢は思いだしていた。


 光の精霊を従えた乙女が王妃としてたつ時、繁栄と栄光がもたらされる。


 恐らく、少女が従えているそれが光の精霊であると気が付いたのは、令嬢だけだっただろう。

 特に精霊との親和性の高い血筋である令嬢だからこそ、少女の精霊を見ることができたのだ。

 誰にも従わず、孤高の存在であるはずの光の精霊。

 それを従えているのは、庶民の出でありながら、その優秀さから特待生として学園に、途中入園した少女。

 特に優秀だとされたのは、操ることができるものが稀である、回復魔法の精度であった。

 特別な精霊を従えた、特別な魔法を操る少女。

 この少女は瞬く間に才覚を表した。

 常に学年で一番の成績をとっていた令嬢は、ものの見事に追い抜かされる。

 令嬢は優秀であった。

 だがそれは、少し頭のいい人間に、最高の環境を与えたが故のものだったのである。

 恐ろしいことに。

 信じがたいことに。

 どんなに否定したところで曲がらぬ事実として。

 天才というものは居るのだと、まざまざと見せつけられた。

 持ち合わせたものが、そもそも違う。

 生まれた家によって格差があるように、歴然とした溝がそこにはあったのだ。

 もっとも、令嬢は特に落胆しなかった。

 そういうものがいる、そういう存在がいるのだというのは、貴族の令嬢という立場からよく知っていたからだ。

 特に驚くようなことではない。

 ただ、少女に関して、一つ驚くべきことがあった。

 王太子とこの少女が、知り合いだったということだ。

 お互い学園で顔を合わせ、心底驚いている様子だった。

 そして。

 王太子の様子を見て、令嬢は愕然となった。

 ああ、この人はあの少女のことを、特別に思っているのだ。

 何か大げさな態度の変化があったわけでは無い。

 それは、恋するが故の直感とでも言うようなものであった。

 王太子は、この少女が好きなのだ。

 それは令嬢にとって、すさまじい衝撃であった。

 同時に、令嬢は理解した。

 令嬢は自分で思っている以上に、王子のことを愛していたようなのだ。

 当然、王太子も自分に対して同じような感情を抱いているはず。

 令嬢がそうだと信じていたものは、この時崩れ去った。


 王太子と少女は、城下町で出会ったらしい。

 お忍びで外へ出た時の話であるという。

 偶然に偶然が重なり、出会った二人は親しくなり。

 偶然に偶然が重なり、学園で再会を果たした。

 物語のようなお話だ。

 少女に惹かれた王太子を責めるのはお門違いだろう。

 貴族の結婚に、恋愛感情など挟む余地はない。

 そういったものは、愛人やら側室とすればよいのだ。

 貴族家同士のつながりには、領地領民の命がかかっている。

 恋愛感情で決めてよいものではない。

 王太子も令嬢も、そのことはよくわかっていた。

 結婚と恋愛は別である。

 ただ、令嬢にとって結婚の相手と定められている相手が、たまたま恋愛の対象でもあっただけ。

 そのことは王太子にはおろか、誰にも言ったことはない。

 むしろ、隠し通してきた。

 気恥ずかしさの様なモノからだろうか。

 理由は、令嬢自身よくわからない。

 もしその気持ちを素直に伝えていたら、どうなっていただろう。

 今となっては、詮無いことである。

 成すべきことを為さねばならない。

 貴族としての義務を果たさなければならない。


 光の精霊を従えた聖女が王妃となるとき、繁栄と栄光をもたらす。

 もし本当に光の精霊を従えたものが王妃になれば、国には間違いなく繁栄と栄光がもたらされるだろう。

 なにしろ光の精霊というのは、特別の精霊なのだ。

 様々な精霊の上位に立つものであり、それらに有無を言わさず圧倒する力を持っている。

 精霊使いというのは、特別な存在だった。

 人間では到底及ばない規模の力を持つ精霊を従え、その力を振るうのだ。

 戦争になれば、その恐るべき力を振るい、持たざる者たちを圧倒する。

 その精霊を無力化させる力を持つ光の精霊を従えるものがいたとするならば。

 戦の切り札を、自分達だけが使うことができるようになるのだ。

 そんな相手と戦いたがる国は、ほとんどいない。

 間違いなく、国は繁栄と栄光をつかむことになるだろう。

 少女が特別なのは、それだけではなかった。

 数十年前。

 ある国が、他国の侵略によって滅んだ。

 その国は王族が光の精霊を従えており、それ以外にも様々な精霊を保有していた。

 精霊使いの数は、国の戦争での力を如実に表す。

 まして、他の精霊を従えさせる光の精霊がいるとなれば、他の国にとって恐るべき脅威となる。

 その国にとって不幸だったのは、周辺の国々が脅威を排除しようと一致団結して動いたこと。

 国力があまりない、いわゆる小国程度の規模しかなく、実際の戦争になれば圧倒的に不利だったことである。

 各国は、その国に「光の精霊を利用して他国への侵略、あるいは混乱させようとしている」という濡れ衣を着せた。

 そのうえで様々ないやがらせを行い、先に手を出させたのだ。

 実際にはいやがらせに耐えかねた一貴族の行動であったのだが、「王族の下知があった」と難癖をつけるには十分だった。

 大義名分さえ整ってしまえば、後は簡単だ。

 囲んで袋叩きにするだけである。

 光の精霊への対処も、戦力差があるのならば難しくはない。

 人質でも何でもとってしまい、自ら投降させてしまえばいいのだ。

 守るべきものがあるものというのは強く、同時にひどくもろいものなのである。

 結局、その国は滅ぼされ、領土は蹂躙された。

 王族の大半は処刑されたが、一部は侵略戦争にかかわらなかった国へと逃れている。

 少女は、まさにその国の王族の一人だったのだ。

 令嬢たちの国は、滅ぼされた国を擁護する立場にあった。

 救援は結局間に合わなかったが、今の難民になった人々などに援助をしている。

 実際のところ、戦争に参加した国以外ほとんどの国が、光の精霊を従えていた国に同情的であった。

 国際的には、侵略側の国々に非があるとみなされているのだ。

 つまり。

 少女は滅んだとはいえ王族の出身であり、圧倒的な力を持つ光の精霊を従えているのだ。

 王妃として、申し分ない条件である。

 この少女が正妃として迎えられれば、きっと国はよい方向へと向かうだろう。

 何より。

 王太子と少女は、お互いに惹かれあっている。

 なんの申し分もないことだ。

 むしろ、素晴らしいといっていい。

 少女を正妃として迎えることには、他にもいくつもの良い点がある。

 挙げればきりがないだろう。

 そしてそれは、令嬢が正妃となることの良い点よりも、ずっと多い。

 ならばこそ。

 貴族としての義務を、果たさなければならない。


 令嬢は知りえた事実を王太子に伝えた。

 少女が従えた精霊の事、そして、出自の事。

 精霊に関しては驚いていた王太子であったが、出自のことは知っていた。

 知り合い、親しくなった後に調べさせたのだという。

 ならば、話が早い。

 令嬢は王太子に、彼女を正妃にするべきだ、と自分の考えを伝えた。

 その方が利が大きく、国のためになる。

 王太子は悩んでいるようだった。

 その顔を見て、令嬢は改めて思い知る。

 王太子が悩んでいるのは、折衝や利点のことについてだ。

 令嬢への気遣いもあるだろう。

 だがそこには、恋愛感情の様なものはない。

 当然のことだろう。

 王太子と令嬢は婚約者同士であり、その前に王族と貴族なのだ。

 ああ、やはり。

 王太子は自分に対して、自分と同じ感情を抱いていない。

 悲しかったし、衝撃もあった。

 だが、当然のことだと受け入れている自分に、令嬢は気づく。

 王太子と少女が一緒にいるところを見たからだ。

 二人の間に、自分が入り込む余地はない。

 あとから来た少女に、王太子を持っていかれた。

 などとは、思わない。

 元々、王太子と令嬢は、恋愛関係ではないし、そういったものが必要な関係でもないのだ。

 余人がどういおうが、少なくとも令嬢はそう思っていた。

 きっと、王子もそう思っているのだろう。

 そして、令嬢も同じように思っていると、信じているのだ。

 王族と貴族の結婚というのは、本来恋愛などが入り込む余地のないものなのである。

 だが、もし。

 国にとってもよく、お互いも思いあって結婚するとするならば。

 それはどんなに、素晴らしいことだろう


「わたくしには、お気遣いなく。こう見えて好いた方のお一人くらい、居りますので」


 それが誰の事なのか、令嬢は言わなかった。

 結局、王太子は、最も国に利する決断をしたのである。


 とはいえ、婚約を破棄するというのは簡単なことではない。

 王太子と令嬢だけで、決められることでもない。

 だが、方法がないではない。

 今はまだ、少女がかの国の王族であり、光の精霊を従えているものだという話を知るものは、ほとんどいなかった。

 ならば、それを利用すればよいのである。

 令嬢が少女に対して、非礼を働く。

 王太子に近づく女性を排除しようとしたとか、理由付けはいくらでも可能だ

 然る後、王太子が少女をかばい、守る。

 元々知り合いであった二人は恋仲になり、これに嫉妬した令嬢が乱心。

 王太子と少女双方に危害を加えようとして、婚約を破棄される。

 こののち、少女の出自と、従えている精霊のことが明るみになる。

 王太子と少女は、多くの人に祝福されて、結婚をする。

 ほかにも細々とした手回しなどは必要だが、大雑把にいってしまえばそんなところだ。

 あまりにも単純だが、その方が大衆には受け入れやすい。

 いや、貴族にとっても受け入れやすいはずだ。

 人間というのは、自分に都合がよく、分かりやすいものを受け入れるものである。

 伝承にも描かれる、圧倒的な力を持った精霊を従えた少女。

 それが国母となれば、国は富み、栄えるだろう。

 真実がどうだったとしても、その実利と。

 お互いに正体を知る前から愛がはぐくまれていたという美談がある限り。

 民衆と貴族は、二人を称え支えるだろう。

 では、令嬢はどうなるだろうか。

 国の利益のために恋に破れ汚名を着た令嬢は。


 田舎の修道院にでも入ろうか。

 馴れない生活はつらいだろうが、なに、人生は長い。

 それに、人というのは忘却の生き物である。

 十年、二十年と経てば、令嬢のことなど皆忘れ去るはずだ。


 そして、令嬢と王太子は、粛々と準備を進めていった。

 もちろん、動いているのは令嬢と王太子だけではない。

 王太子の周りにいる者たちや、国の裏の仕事に従事するもの達。

 多くのものが携わった。

 王太子の婚約者を決めるというのは、それだけの大事なのだ。

 事情を知るものは、さらに多い。

 現在の国王王妃両陛下。

 貴族院の一部。

 そして、大雑把なところだけは、少女にも説明が成されている。

 もっとも。

 今回の大々的な婚約破棄の事は、聞かされてはいないわけだが。




 大勢の注目を集めるには、少々の茶番が必要だ。

 なにか驚くようなことが起こり、何事だと関心が集まったところで、噂を流す。

 単純でわかりやすく、どうしようもない茶番である。

 だが、それがいいのだ。

 予定通りの悶着の後、予定通りに王太子が言う。


「婚約を破棄する」


 ここまで来るのに、随分かかった。

 うまく、周りの目をごまかせただろうか。

 王太子への想いをひた隠しにしている自分は、不自然ではなかっただろうか。

 願わくば。

 自分の気持ちがだれにも悟られず、ひっそりと終わるように。

 大勢の前で芝居の幕を開け、今まさに佳境のセリフを聞いたばかりだ。

 後戻りすることは、もうできない。

 もっとも、始めてしまう前。

 王太子にああいってしまったときから、後戻りすることは、もうできなかった。

 さぁ、セリフを。

 決められたセリフを。

 心にもないセリフを、心を込めて。


 令嬢が口を開き、声を発そうとした、その瞬間だった。


 轟音をあげながら、巨大な黒い何かが飛来した。

 箱馬車ほどもあろうかというそれは、表面が黒く輝いており、鉄の塊であるように見受けられる。

 一体、何が起きたのか。

 そんなことを考えている隙もあらばこそ。

 矢のような速度で中空を進む鉄塊は、一直線に令嬢を目指していた。

 あまりに現実離れした光景。

 普通であれば、身体が硬直して動けなくなっているところだろう。

 だが。

 令嬢は普通の、どこにでもいる「お嬢さん」ではなかった。


「インパクト・スペード!!」


 令嬢が呼んだのは、自らの精霊の名であった。

 瞬時に現れた鎧を身に着けた人型の精霊は、令嬢の意を察し行動に移る。

 すなわち、令嬢の身体を吹き飛ばしたのだ。

 令嬢が横倒しに弾き飛ばされるのと、鉄塊が地面に着弾するのとは、ほぼ同時だった。

 一瞬前まで令嬢がいたその場所は、爆発したように抉られている。


「何事だっ!」


 少女をかばっていた王太子が、周囲に視線を走らせながら叫ぶ。

 周りにいた取り巻きの一部や護衛達も、ようやく危険を察知して武器を手に警戒し始める。

 だが、注いで起こったのは、またも予想しえない事態であった。


「王太子が非道の令嬢を粛清なさるぞ!」


「巻き込まれないうちに逃げろ!」


 そこかしこで上がった声は、まるで今しがたの攻撃が王太子の指示によるものであるかのようなモノだった。

 あり得ないことである。

 そんな予定はないし、第一、見れば王太子自身状況を理解していない様子なのだ。

 取り巻きの一部がやったとしても、王太子がいるこの場で、こんなことをするだろうか。

 鉄塊による一撃は、小さな家程度であれば破壊しえるような種類の代物だ。

 王太子がいる近くでそんなものを使えば、巻き添えにしかねない。

 そして今の攻撃は、そうなっても構わないというような意志を感じさせるものだったのだ。

 場は、一気に混乱の坩堝となった。

 逃げ惑う野次馬達の叫び声により、王太子たちの声はまるで通らない。

 にもかかわらず、どういう訳か「王太子が令嬢を粛清する」という噂だけが、奇妙に駆け抜けていた。

 何もかもがおかしい。

 状況を把握しようとする令嬢の耳に、拍手の音が入ってくる。

 ハッとなって振り向けば、そこにいたのは城に詰める兵士の服装に身を包んだ、妙にニヤついた男だった。

 同じ服装の兵士を複数連れた男は、「ぶらぼー!」と称賛の声を上げる。


「風の騎士 インパクト・スペード! 風を操り、対象を吹き飛ばしあるいは切り裂くその剣技により、使用者の武器に寄らず力を発揮する! 噂に違わぬ速度と正確性! ただぁー?」


 男はバチンと一際大きく手を叩き、口の端を釣り上げる。


「使い手がまぁーだまだお勉強不足かなぁ?」


 令嬢は混乱する内心を押しとどめ、口元を拭った。

 鉄塊を回避するために吹き飛ばされたとき、受け身を取り損ねている。

 おかげで、口の中を少々切ったらしく、血が流れていた。


「突然現れて声もかけずに仕掛けてくるなんて、どこのどなたかしら。借り物の鎧が似合っていらっしゃらなくてよ」


「おんやぁ? 失礼な物言い。俺らは御覧の通り、宮仕えの兵隊さんよ?」


「今後のために教えて差し上げますわ。その階級章、上下が逆ですわ」


「え、うそ」


 驚いたように階級章を確認する男を見て、令嬢は笑う。


「ええ、嘘です。おかげで間抜けが見つかりましたわ」


「ああ、なるほど。見つかっちゃった」


 男は舌を出して、頭を小突いた。

 あまり似合っていないしぐさだったが、今はどうでもいい。

 少しでも時間を稼がなければならないからだ。


「こうしてる間に、王太子と庶民かっこ仮のお嬢ちゃんが逃げる。そうすれば、後はどうにでもなるってところかな?」


 考えていることを言い当てられて、令嬢はわずかに眉を動かした。

 男はニヤつきながら、声をあげて笑う。


「安心しなよぉ。今回の俺らの狙いはあの二人じゃないからさぁ。君だよ、きぃみぃー!」


「わたくし? どういうことかしら」


「君たちの筋書きに乗っかって、もう一茶番付け加えるとねぇ? 色々と得をする人とか、ハッピーになれる人がいるわけ」


 つまるところ、王太子と令嬢のしようとしていたことは、どこかから洩れていたということだ。

 そして、それを利用しようとしている輩がいる。

 恐らくこの男と率いられている兵士たちは、そういう手合いの命令で動いているのだろう。

 当人たちの言うことであり、信用できる話ではない。

 だが、一部か、あるいは大半は事実であるはずだ。


「それに、いい情報も手に入ったしね。あのお嬢ちゃんの精霊、まだ覚醒はしてないんでしょ? じゃなかったらこんな近くでこんなことが起きて、何も起きないはずがない」


 令嬢は、体から血の気が引くのを感じた。

 お嬢ちゃんというのは、少女の事だろう。

 精霊というのは、光の精霊のことに違いない。

 ごく一部の限られたものしか知らないはずのことを、目の前の男は知っているのだ。

 光の精霊を従えられるのは、今のところ「かの国」の王族しか確認されていない。

 ということは、この男はあの少女がかの国の王族であるということを、知っているということになる。

 そのうえで、今回のようなことを、王太子と少女の前で起こした。

 不思議なのは、光の精霊が未だに「眠ったまま」だということを知らないということだろうか。

 光の精霊のことを知っているごく一部の限られたものは、そのことも知っているはずなのだ。

 王族や貴族院の一部であれば、知っているはずの情報を知らない。

 それはつまり、この連中がそういったものたちの手のものではないということだ。

 まさか、と、令嬢の頭に嫌な予感がよぎる。

 他国から潜入してきた者たちかもしれない。

 光の精霊を狙う国があっても、何ら不思議ではない。

 それは自国に取り入れたいということなのか、あるいは使い手を憎むものなのか。

 考えうる選択肢が多すぎて、令嬢にはすぐに判断が付かなかった。


「目が覚めてるなら恐ろしいけど、まだ眠ってるならどうにでもしようがあるよねぇ。いい情報を拾ったよ。でもって、メインの仕事の方もどうにかなりそう」


「そう簡単にわたくしを殺せるとお思い? 随分とわたくしとインパクト・スペードをお舐めでないかしら」


「んーん! 舐めてない舐めてない。君の精霊は有名人だもの。たぁーだぁー? 君自身はやっぱり、ちょぉーっとお勉強不足かなぁ?」


 その時、令嬢は背後で膨れ上がった殺気に、思わず振り返った。

 目に飛び込んできたものに、一瞬体がこわばる。

 完全に意識の外に追いやっていた鉄の塊。

 もう動かないものと決め込んでいた鉄塊が、「人の形をとって」襲い掛かってきていたのだ。

 振り下ろされる拳は、もはや避けようもない間合いに入っている。

 精霊への指示が間に合わない。

 潰される!

 そう思い、令嬢は目をつぶった。

 響いてきたのは、金属を金属に叩きつけられたような、恐るべき衝撃音だ。

 周辺の空気全体を震わせるような震動に、令嬢は驚きの声を上げる。


「なにがっ!?」


「様子を見に来てみれば。これはいったい、なんの騒ぎかしら」


 それは、令嬢にとっては聞きなれた、一種の冷ややかさすら感じる声だった。

 目を開けば、そこにいるのは鉄扇。

 鉄製の扇子で鉄の巨人の拳を受け止める、貴婦人の姿であった。

 無造作に軽いしぐさで持ち上げられた鉄扇は、しかし、微動だにせずに巨人の拳を止めている。

 巨人はまるで鉄壁でも殴りつけたかのように、たたらを踏んで後ろに下がった。

 令嬢は震える声で叫んだ。


「お母様! なぜこちらに!」


「なぜも何もありませんわ。今日は件の仕上げだというから心配していれば、何やら騒ぎになりそうだというではありませんの。心配してきてみれば、案の定ですわ」


 ツンとあごを上げ、貴婦人、令嬢の母親は、見下すように男を睨みつけた。


「まいったねこりゃ。ここからご自宅は相当離れておいでなのでは、伯爵夫人?」


「探索に優れた人材がいるのは貴方方だけではないということですわ。我が家の使用人達も優秀ですのよ」


 鉄の巨人が、再び拳を振り上げた。

 今度は、手の中に何かを持っている。

 複数あるそれは、一つ一つが人間の拳大はあろうかという金属玉だ。

 巨人はそれを砂でも叩きつけるように、貴婦人に向かって投げつけた。


「御目覚めなさい、スノー・クリスタル、スクラップ・ツイスター」


 命令するようなつぶやきに呼応して、二つの影が貴婦人の背後から現れた。

 一つは白く美しい衣装をまとったような、人ならざる艶やかな女性像。

 もう一つは、回転氏ながら中空に浮かぶクリスタルが、人型をとった様なモノ。

 それらは貴婦人が左右それぞれに持っている、鉄扇に絡みついた。


 精霊スピリット添付エンチャントという技術がある。

 ただでさえ強力な精霊を、とくべつな武器に宿らせる。

 そうすることで、精霊が力を発揮する方向性を固定し、より効率よく、より強力な力を発揮させる技術だ。

 貴婦人は、それを使ったのである。


 精霊の宿った鉄扇は、瞬く間に変化を起こした。

 貴婦人の身の丈ほどの大きさに、巨大化したのである。

 相当の重量を持つと思われるそれを、貴婦人はこともなげにくるくると片手で回転させた。

 それを広げると、要の部分を合わせるように掲げ持つ。

 すると、ちょうど円を描くような形になる。

 まさにそこに、巨人の投げた金属玉が殺到した。

 再び、金属同士がぶつかり合う轟音が響き渡る。

 それでもやはり、貴婦人は微動だにしない。

 どころか、囁くような声で、何かをつぶやき続けている。

 もし聞き取ることができたとすれば、それはガラスをこすり合わせるような甲高い音に聞こえただろう。

 知識のあるものが耳にすればすぐにわかるそれは、呪文を極限まで圧縮して発音する技術によるものだ。


「凍てつき凍え、跪きなさい」


 鉄扇によって形作られた円の中に、六つの陣形が浮かび上がった。

 それぞれに違う形をとったそれらは、一つ一つが全く別の魔法を構成するものである。

 陣形は一際強く輝くと、刹那、爆発的な風が巻き起こった。

 同時に、周辺の温度が一気に下がり、空気中の水分がガラスの屑のように煌めく。

 全てを凍てつかせる超低温の暴風。

 それが、鉄の巨人に叩きつけられた。

 煽られるように倒れかけた鉄の巨人であったが、その途中で動きを止める。

 鉄の巨人を、驚くべき速度で成長した氷柱が閉じ込めたからだ。


「双頭アンフィスバエナ」


 令嬢が思わず漏らしたそれは、貴婦人が持つ一対の鉄扇につけられた二つ名だ。

 氷の精霊、スノー・クリスタル。

 風の精霊、スクラップ・ツイスター。

 通常、二柱の精霊を同時に従えるというのは、ありえないことだ。

 契約の代償となる魔力が、通常の人間では足りなくなるからである。

 にもかかわらず、貴婦人はそれをこともなげにして退けていた。

 それは、通常の倍、あるいは十数倍の魔力を、貴婦人が保有しているということに他ならない。

 さらに驚くべきは、精霊を宿した武器を使っての、魔法構築の巧みさだ。

 ともすれば精霊の力に振り回され乱雑になってしまいがちな魔法の構築を、精密に、それも六つ同時にしてのける。

 あまつさえ、それを全くの同時に発動させ、それぞれに協調させながら効果を発現させたのだ。

 魔法自体を再現することは、おそらくは可能だろう。

 ただ、それには熟練の術師と精霊使いが、十数人は必要だ。

 貴婦人はそれを、瞬きする間にやって見せたのである。


 元 王立魔道院 第一精霊魔道砲兵団 団長 “暴風雪テンペスト”エラフィフリーデ・アイゼンバップ


 それが、貴婦人の昔の呼び名であった。


「よく見なさい。アレは鉄を纏った人間ですわ。ただの砲撃とでも思ったのかしら? 観察をする手間は必ずかけなさい。予想外だった、想定外だったという言葉を使うのは、わたくし達貴族にとって屈辱以外何物でもないといつも言っているでしょう」


 令嬢にそうお説教をしながら、貴婦人は再びあごを上げ、見下すような視線を男に向けた。

 男の後ろにいる兵士たちがたじろぐのが、目に見えてわかる。

 無理もない。

 貴婦人に“暴風雪”の二つ名が奉られた逸話を知るものならば、本人を前にしてひるまないはずがない。

 まして目の前で実力をまざまざと見せつけられたなら、猶更である。


「いやいや、驚いた。まさか“暴風雪”エラフィフリーデを相手にすることになるなんてなぁーあ?」


「でも、まだ勝ち目はある。と、お思いでしょうね。それはそうですわ。わたしくも現役を退いてずいぶん経ちますもの。よちよち歩きのルーキーと、家に引っ込んだロートルを、こんなところに派遣される兵士が取り囲んでいるなんて。紳士的ではないのではなくて?」


「あいにく、出自が卑しいもので。しかし、おどろきましたねぇーえ? さしもの貴女も、娘は可愛いと見える。供回りもつけずにおいでになるとは」


 それを聞いて、令嬢は初めて気が付いた。

 貴婦人の周りには、誰もいない。

 家令や護衛も連れていないのだ。

 たった一人でここに居るのである。

 恐らく、魔法を駆使してやってきたのだろう。

 氷と風の魔法を得意とする貴婦人ならば、馬の何倍も早く移動することができる。

 ただしそれは、一人だけならばという注釈が付く。


「貴方がたにとっては都合がよろしいでしょうね。後ろにいる兵も、それなりに使えるのでしょう? ここでわたくし達を殺してしまえば、貴方がたにとってすこぶる都合がよろしいのではないかしら」


「さぁ。どうでしょぉーねぇーえ?」


「なら、速めにすることをお勧めいたしますわ。もうすぐあの人が来るのですもの」


 それまで余裕のあった男の顔が、初めて曇った。


「あの人? 伯爵閣下が?」


「ええ。貴方がたが小細工をして、足止めをしているはずのあの人が、ですわ」


 令嬢には、何の話だか分からなかった。

 伯爵閣下というのは、令嬢の父であり、貴婦人の夫の事である。

 精霊使いであり、名の知れた武人でもある人物だ。

 実はこの時、伯爵はその存在を恐れた男の背後にいるものの手によって、別の場所で足止めをされていたはずだったのである。

 露見していないはずの策略は、しかし、事前に察知されていたのだ。

 そして、そのやり口の卑劣さは、清廉潔白さを旨とする伯爵を怒らせていた。

 伯爵の気性を知っているらしい男は、状況がまずい方向に向かっていることに気が付いたらしい。

 それでも、やらなければならないことがあるようだった。


「なら、手早く終わらせなきゃぁならないわけですか。よぅござんす。ならば、ご期待通りにいたしましょう?」


 男の合図で、兵士たちが散開し、武器を構える。

 見れば、精霊を呼び出しているものもいるではないか。

 令嬢は冷たい汗が額を伝うのを感じ、息を呑んだ。

 そんな令嬢をちらりと見た貴婦人は、やはり見下すような視線を兵士たちに向けながら言う。


「胸を張りなさい。怯えは精霊にも伝わりますわ。それに、貴女の後ろにいる精霊をなんだと思っていて? インパクト・スペード。風による衝撃と斬撃を巧みに操る、黒衣の剣士でしてよ」


 令嬢の精霊は、祖父から受け継いだものであった。

 記憶に残っている今は亡き祖父の姿は、毅然としたものである。

 練兵場で複数の兵を相手に一歩も引かず、それどころか手玉に取るその背中には、多くの尊敬の視線が集まっていた。

 インパクト・スペードは、けっして高位の精霊ではない。

 操れる力の総量は大きくなく、派手な攻撃魔法を操るわけでもない。

 だが、その正確さと鋭さと素早さは、扱うものの裁量次第でどんな相手にも負けない力を発揮する。

 そうだ。

 令嬢は、自分を奮い立たせた。

 自分には、インパクト・スペードがいてくれる。

 この程度の場所で膝をついてどうするのか。

 貴族としての義務を果たさねばならない。

 王太子が立派な王になるのを、見届けねばならない。

 そのために自分自身の恋を諦め、この場所に来たのだから。


「勿論です、お母様。でも、心外ですわ。この程度のことでわざわざお母様にお越しいただくなんて。お好きな紅茶でも召し上がってくださっていればよろしかったのに」


 令嬢の軽口に、貴婦人は目を細めた。

 一見不機嫌そうではある。

 だが、その奥にある愉快そうな感情は、家族だからこそ見えるものだろう。

 父である伯爵が到着するまで、どのぐらいかかるかわからない。

 そこまで持つことができれば、この勝負は勝ちだ。

 いや。

 そんな弱気でどうすると、令嬢は自分を叱咤した。

 まとめて倒してしまえばいいのだ。

 自分が。

 自分と、インパクト・スペードが。


 いつの間にか、舞台の演目は変わっていた。

 正体不明の男と兵士たち。

 そして、令嬢と貴婦人。

 この両者による戦いの幕が、静かに切って落とされたのである。

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― 新着の感想 ―
[良い点] やっぱり良いや! 前半の文字通り悪役令嬢ストーリー 後半の息もつかせぬ展開 最高です!
[良い点] 世間から見れば悪役令嬢の裏話ですね 素晴らしい話だと思います ワクワクします [気になる点] 王様まで絡んでいるなら その後の待遇も決まっていたのでは? [一言] 某割烹からきました 面白…
[一言] 令嬢テンプレ物だと思ったら、こってこてのバトル物が出て来て動揺を隠せないw
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