06
「失礼ながらお嬢様。お嬢様はアホでいらっしゃいますか?」
「えっあ……く、クビよ、クビクビ……?」
フリージアはカゲヤマなの?
少し前からヒアシンス先生の態度が、養子とはいえ子爵令嬢しかも雇い主である私に対するよろしくなくなった。フリージアからは散々態度を注意するべきだと言われていたが、強く出られなくてまごついていた私。実は私の知らないところでフリージアがヒアシンス先生に注意していたらしいのだが全く効果はなく、ついにシュベールト様からお手紙が。
内容はもちろんヒアシンス先生のこと。要約すると「ヒアシンス先生があまり信頼できない人だった。真面目に訓練したいと思っていたイリス嬢に彼女を紹介してしまってすみません。責任はこちらにあるので、彼女への対処こちらで行います」とのことだ。
そして、この手紙の内容をフリージアに話したら冒頭のセリフを言われた。混乱のあまり私もついレイコお嬢様みたいなセリフを返してしまったが、フリージアが怒るのも頷ける。何故なら私がヒアシンス先生に何も注意できなかったらからだ。彼女がきちんと自分の立場をわきまるように促さなかったから、彼女は勘違いしてしまった。いくら年下で養子とは言え、私は子爵令嬢、ヒアシンス先生は平民。恋をするだけなら自由だが、そこで貴族を睨んだり疎まし気な態度をとってはいけない。あまりにひどいと罪にすらなる。
本来ならヒアシンス先生には私が対処するべきなのだが、言わなくちゃでも言いづらいとヒヨっていたらシュベールト様が動いてしまったというわけだ。……シュベールト様、ヒアシンス先生のこと気づいてたんだ。
今回の出来事を掻いつまんで父に話すと、何となくシュベールト様から話がいっていたようだった。
「イリスが悪いわけじゃないけど、事前にやっておくべきことはあったね」
「はい、すみません……」
「いいんだよ、人は経験を積んで成長するものだ。経験から得た知識は、何より身になる。次に生かせばいいのさ」
「はい……次は気を付けます」
「イリスはまだ12歳だろう、そんなに思いつめなくて大丈夫。それに、助けてくれる人はたくさんいるんだ。みんなの力を借りて成長していけばいいよ」
精神年齢は(推定)12歳プラス約30歳ですけどね。ってことは40オーバーだぁ……冷静に考えるとしんどい。
とにかく謝罪と感謝を手紙にしたため、シュベールト様に送った。ヒアシンス先生との訓練でだいぶ基礎がついたからもう大丈夫だとも書いた。最近はメイスばかり練習しており、魔法の方が疎かになっている。母は「わたくしは専門外なので邪魔しないでおくわね」と拗ねていた。しかし実際、母は母でやることがたくさんあるのだろう。外出することが多かったので、魔法の練習の時は私の為に時間を作ってくれていたんだろう。
人は、本当に色々な「誰か」のおかげで成長している。それはどんな世界でも関係ない。今の私はリシアンサス先生たちから始まり、父や母、フリージアたち、シュベールト様のおかげで成長している。元の世界に帰りたい。でもそれは、今の私を大切にしてくれている人との別れを意味する。元の世界にいた家族や友人には会いたい。でもこの世界でできた大切な人たちと離れることを、そんなに簡単に選べない。魔術大会に優勝する為に頑張っているのは事実だし帰りたい気持ちもあるけど、帰りたくない気持ちもある。
どうしたらいいんだろう。
*****
少し休憩、といってここ最近はメイスの練習はしていない。たまにブースト魔法の練習をしたり、ティーカップや小物入れを巨大化させてみるくらいだった。ちなみに小物入れが大物入れになった時フリージアが喜んでいたが、魔法が解けて小物入れに戻った時はがっかりしていた。収納力が高い方が物が欲しいのかもしれない。
そんなある日、シュベールト様からお茶に誘われた。外出ではなくうちにシュベールト様が用事で来ていた時に庭で会い、そうなった。断ることはできない。何故ならシュベールト様が今日も美しいから。
天気もいいから、と庭の木陰に設置されているテーブルにカンパニュラがお茶とお菓子を用意し、2人でぽんと庭に放置された。こんな麗しい顔の人と2人にされた私の心境を30字以内に述べよ。
「先日の件はすまなかった。俺の不注意だ」
現実逃避の真っ最中に、シュベールト様から声をかけられる。が、先日の件より気になることが1つ。
「ヒアシンス先生のことなら、気にしないで下さい」
「そう言ってくれると、こちらも気が楽になる」
「あの、シュベールト様はご自分のことを俺と言っていたでしょうか?」
そう、今までは確か「私」と言っていたはずだ。若いのにかしこまった一人称だと思った記憶がある。しかし今は「俺」である。神聖さすら感じるお顔から「俺」と言われると、ちょっぴりワイルドさというか砕けた感じがしてかっこいい。
「ああ。できるだけ人前では私と言っているが、今はまあいいかと思って。変だろうか?」
ちょ、首傾げるのずるい!! かっこいいのにかわいい! 凶器!
「ぜ、全然変じゃないです!」
淑女感0の返答だったが、シュベールト様はふわっと微笑んだ。思い切り正面からその笑顔を見てしまい、顔に熱が集まるのが分かった。違うから! 大声を出しちゃって恥ずかしいせいだから!
「君がそのことを気にしていたら、どうしようかと思っていた」
「ヒアシンス先生のことは本当に気にしてないですから」
「では、何に悩んでいるんだ?」
「えっ」
「さっきも思い悩んでいる顔をしていた」
庭でうんうん唸っていたのを見られていた。しんどい。
私が最近悩んでいるのは専ら元の世界のことだ。戻りたいのか、戻りたくないのか。どちらにも離れたくない大切な人たちがいる。本当ならこちらの世界で大切な人を作るべきじゃなかったのに、みんなが優しいからあっという間に好きなってしまった。
そんなことを父や母、フリージアに相談なんてできない。だって、離れたくない筆頭の人たちだから。相談してしまったら、ここから元居た場所に帰りたいのかと思われる。そうだけどそうじゃない。自分の感情をうまく表せない。
「俺が解説策を見出せるとは限らないが、言ったことで楽になることもある」
「え……」
「ここで聞いたことは、誰にも言わないと約束する」
シュベールト様の真摯な瞳に、彼が私のことを心配してくれていると分かる。私は一応社会の荒波に揉まれたアラサーだ。そこそこ人を見る目は養われている。だからこそ、上辺だけじゃなくて本当にそう思っていることが分かった。嬉しいけど、不安になる。こうやって誰かの優しさに触れる度にこの世界を好きになる。帰りたくなくなる理由が増える。
「……ここを幸せだと思っているけど、前にいた場所も幸せだった。どっちの居場所も好きだけど、片方しか選べない。どちらか選べと言われたら、シュベールト様はどうしますか?」
変なことを言う女だと思われたと思う。でもついに言ってしまった。家族に言えないなら、私の知り合いはあまりいない。リシアンサス先生たちもいるが、手紙でこんなことを書いたらここにいることが辛いと思われそうで、やめておいた。シュベールト様がどう感じるかは分からないが、彼の言う通り自分の中だけに留めておくは辛かった。
「俺だったら――帰らないな」
「それは、どうしてですか?」
「例えば俺がここから離れ、別の土地で幸せに暮らすことになったとする。そうなったら、両親はこっちは気にせずそこで幸せになれと言うと思う。家が大変なことになっているなら別だが、今の幸せを簡単に手放したくはない」
――確かに。単純にそう思った。私の両親だって、私が幸せならいいと思ってくれるに違いない。でも、私が突然いなくなって心配させてしまっているなら、私は帰らなくてはいけない。そう、だから私は帰らないといけない。
本当に選びたいものは、両親のところに帰って私は無事だと安心させることだ。今あるものも、これから出会うものも大切にする。帰る時に惜しくなるに違いない。
だから帰る時、ここでやり残したことがないようにしたい。魔法を使うことも、誰かと関わることも、ここでしかできないことをやろう。
「ありがとうございます、シュベールト様。とても参考になりました」
「そうか。それなら良かった」
やっぱり淑女らしくなく、笑ってみせる。彼も私にとって大切な人なんだ。心から感謝の気持ちを伝えたい。
1日を大切に過ごす為に、早速母の予定を聞こう。それでまた魔法の復習をしよう。それから、もっと子爵令嬢っぽいこともしたい。ダンスとかそういうの。知識がなさ過ぎて最初はへたくそだろうけど、練習している内に上手くなるはず。父もそう言っていた。
「もし良ければ、またお話してくださいませんか?」
「もちろん、俺で良ければ」
最初よりも見て分かる笑みを見せてくれるシュベールト様。彼の笑顔ももっと見たい。