02
あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!
私はいつも通りの日常を過ごしていたと思ったら、いつのまにか幼女になっていて、しかも異世界にいた。
な…何を言っているのかわからねーと思うが、私も何をされたのかわからなかった…頭がどうにかなりそうだった…夢だとかドッキリだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ。
そんなわけで、異世界トリッパー・パンジー(仮名)です。異世界に来た際の不具合なのか何なのか、アラサーから幼女になりました。よろしくお願いします。
*****
リシアンサス先生の好意によって教会に住むことになって、もうすぐ3年経つ。
幼女なら知識ゼロでも問題ないと思ってたのに、問題だらけだった。
まず、文字が、読めない!!
言葉は通じるから何も疑問に思わなかったよ……!
ミントたちと一緒に絵本を読もうとしたところ、文字が文字じゃなかった。日本語なのかアルファベットなのかも分からない。筆記体とか速記文字のように、線とかうねりとかひねりとかで形成されていた。どこをどう読むの?
そしてもうひとつ――ここ魔法のある世界だった!!!
コバルトが「お手伝い」と言って、掌から出した火を暖炉に入れたのだ。でも私だけが驚いていて、ミントもビリジアンも普通そうにしていたので、魔法で暖炉に火を付けることは普通なんだろう。
この2つは問題と言えば問題だけど、とてもラッキーなことだってある。何故なら異世界に放り出されたのに、衣食住がしっかりした教会で優しい人たちに保護してもらったからだ。
文字も魔法も分かってないけど、記憶喪失で強引に押せばいけるだろうと思っていたら、本当にいけた。嘘だろ先生!
どうして文字すら知らないことを何も言われないのか疑問に思っていたら、先生とシスター・サルビアがコソコソ話している内容を聞いて納得した。
どうやら私は、この教会に来る前はあんまり宜しくない環境で育ったのかもしれない――と思われている様子。もしかしたら、以前にもそういう境遇の子を保護したのかもしれない。
それから、変化したこともある。
私がここに来て2年近く経った時だろうか、コバルトが養子に行く家が決まり、その一ヵ月後にお別れをした。
コバルトは4人の中で唯一魔法が使える子だった。この世界は魔法の存在する世界だけど、全員が全員魔法を使えるわけではない。むしろ使えない人の割合の方が多いという。だからこそ、コバルトは養子先が決まったんだろう。
私も先生とコバルトに魔法について教えてもらったが、火を付けることも、風を起こすことも、水を撒くことも出来なかった。異世界トリップしたのに残念……まあ、異世界トリップだって手品師も逃げ出す出来事なわけなんだけど。
ちなみに、ミントはしばらく塞ぎ込んでいた。ミントがコバルトのことを好きなのは火を見るよりも明らかだった。ただビリジアンもミントのことを好きだという素振りを見せていて、コバルトはミントのことを妹のように扱っていた。
うーん、少女マンガのお手本のような三角関係だ。ミントが主人公でビリジアンがヒーロー、コバルトは主人公の憧れの人。
最初優しいコバルトに淡い恋心を抱いていたが、普段は意地悪なのにたまに優しさをみせるビリジアンに惹かれていったミント――とてもベタである。3人があのまま成長していったら、こうなったのかもしれないが。
私もコバルトのことは好きだったのでショックではあった。
彼は4人の中で年長で、私が教会に来た時に6~7歳くらいだったらしい。他3人は4~5歳くらいだろう、と先生が言っていた。
コバルトはとても面倒見が良く、文字も魔法も教えてくれたので、とてもお世話になったのだ。さすがに精神的に20歳は歳の離れた少年に恋をすることはないが、幼いのに完成された紳士精神には非常に好感を持っていた。
「パンジー、お願いがあるの」
「なあに?」
ある時、ミントにお願いをされた。
「私と一緒に、アリウムに行って欲しいの」
アリウムとは、ここ、ノウゼンハレン国の王都で、主に貴族や商人、生活水準の高い平民が住んでいる。私たちが住んでいる教会からだと馬車で2日ほどかかる距離で――1年ほど前にコバルトが養子に行った場所でもある。
何となく、ミントはコバルトを一目でも見ることが出来たらと思っているのではないかと思った。
でも、私はそれに簡単に賛成することは出来なかった。
「いいけど、アリウムまでどうやって行くの?」
「それは馬車に乗って……」
「馬車に乗るのはお金がかかるから、私たちだけじゃ行けないよ。先生に相談しよう」
「……パンジーってばコバルトみたいなことを言うのね」
そう呟いたミントは、泣きそうな顔だった。表面上では元気を取り戻したミントだけど、やっぱりコバルトのことが吹っ切れないんだろう。私は「そう?」と首を傾げると先生のところまでミントを引っ張った。
先生は反対はしなかったが、非常に困った表情になった。多分、ミントがコバルトに会いたがっていると知っているからだ。
コバルトがどこの家に養子に行ったのかは知らないが、養子をとるくらいのお金のあるなら、貴族や大商人と考えるのが普通だ。私たちのような平民がただアリウムに行っただけでは、会えないに決まっている。
先生の表情を読み取ったのか、ミントは「コバルトに会いに行くわけじゃない」と悲しそうに微笑んだ。
「ただ、コバルトが住んでいる街を見てみたいだけなの」
本人にそのつもりはないかもしれないけど、けじめを付けたい、そういうことなんだろう。
ミントってまだ10歳にもなってないのに、すごく「女」だ。っていうか、ませてるって言うの? 異世界だからかなぁ……。
「じゃあ、皆で行こうか」
先生は複雑な顔で数秒停止した後、そう提案した。
*****
そうして、ついに王都・アリウムに行く日が来た。シスター・サルビアも一緒だ。先生1人で子ども3人を見るのは大変だからだ。
しかもビリジアンが大人しくしているか分からない。迷子になったら、合流できないかもしれない、それは困る。
馬車の中の2日間は、ピクニックのようでとても楽しかった。が、大はしゃぎしたビリジアンがアリウムに着いた頃には疲れていた。大人しくはなったが、こんな状態でアリウムを楽しめるのだろうか。ミントとシスター・サルビアは呆れ顔だし、先生は苦笑していた。
「すごーい! こんなに素敵な街なのね!」
「本当に! 街並みかわいい!」
アリウムは、にぎやかだけど品のある街だった。まさに私の好きなファンタジーの世界観そのままで、この世界に来て一番テンションがあがった。
だってかの有名なアニメ映画とかに出てきそうな街なんだもん! 空から降ってくる女の子とか、箒で空飛ぶ女の子とか、空を歩く麗しい男女とかがいても違和感なしっ!
ヘラヘラしていたであろう私たちを率いて、先生は「門の外だが、お城も見に行こう」と馬車を手配してくれていた。お城に着くまでの大きな家も小さな家も、本当にかわいらしい。ビバ異世界!
お城も、全力で「ファンタジーです!」と主張してくるタイプの外観だった。いや、お城の外観だけではない。門の形も、そこに立つ騎士も、全部ツボだ。ツボを付かれて、やや疲れた。
その後もカラフルな花で埋め尽くされた街の広場を見て、マーケットを見て、もう最高っ!!
今更ながら、こんなに素敵な世界に来れたことを全力で楽しんでしまった。
今までにないハイテンションな私を見て、シスター・サルビアは涙目だった。……普段は子どもらしいテンションじゃなくてすみませんね。
「先生、ここは何屋さんですか?」
「ここは魔道具屋だよ」
マーケットの一角に、「魔道具屋」という不思議な雰囲気のお店があった。明るいのに、暗い、みたいな。
魔法の力が込められた道具を売っているお店らしい。店内には液体の入った小瓶や大きな箱、赤と銀の仮面、蝋燭を模ったガラス細工……他にもたくさんあったが、ほとんどの物が何に使うのかは見ただけでは分からなかった。
魔法が使えなくても、この道具を使えば魔法の力を使う事が出来るということなら、私でも使えるのか。そう先生に尋ねると、誰にでも使えるように作られているよ、と頷き返してくれる。
「だが、ここで買える魔道具屋は日常を楽にしてくれる程度の物さ。蝋燭や暖炉に火を着けたり、洗濯をしたりね」
ここでってことは、ここじゃない場所では「日常を楽にしてくれる」以外の魔道具があるんだろうな。……それを使えば、私は元の世界に帰れるんだろうか。世界を飛び越える魔道具みたいな。
私が元の世界からこの世界に来た原因は不明だけど、元の世界に帰るには魔法が絶対関わることは違いない。自分自身が魔法を使うことが出来なくても、魔法の知識を得ておくのに損はない。今後も先生には、魔法のことを教わろう。
そういえば、今日1日アリウムに居たけれど、結局コバルトには会えなかった。
でも、ミントもとても楽しそうにしていて来て良かったと思える。ビリジアンも幼心にミントを心配していた。だから行きの馬車で大げさにはしゃいだんだろう。みんな良い子だな。先生に面倒見てもらうと、良い子になるのかしら。
教会に帰って数日後、聖堂の掃除をしている最中に先生に呼び止められた。先生は、嬉しそうな寂しそうな表情をしている――と思ったが、先生は大体いつも何とも表現し難い表情だった。
「君を養子にしたいと言って下さっている方がいるんだ」
まさに寝耳に水。そんなことを考えながら固まってしまった私に、先生は手紙を差し出す。
一目で上質な紙だと分かる白い手紙を、そっと受け取った。封筒のフタには、植物のような無機物のような不思議な模様が控えめに描かれている。
「ラビガータ子爵からの手紙だ。アリウムでパンジーを見かけて、是非、とのことだ」
コバルトじゃなくて、そっちとエンカウントあったんですね!
ラビガータ子爵はアリウムに住んでいる貴族で、性格は穏やかで、おしどり夫婦で有名らしい。かわいいな。
「パンジーには魔法の素質があるようだから、ラビガータ子爵の下に行けば、このままここに居るより君のためになるはずだ」
「え? 先生とコバルトに教えてもらったけど、魔法使えなかったですよ?」
「私たちが教えた魔法が使えなかっただけで、それ以外の魔法は試してないだろう? 魔法の素質がある者は、魔道具屋に興味を惹かれるものなんだ」
そういえば、あんなに不思議な空気を醸し出していたお店に好奇心旺盛なミントとビリジアンが食いつかないはずがない。つまりは、そういうことなのだ。
ということは、私は魔法を使えるようになるのかもしれない……!
「先生。私、魔法のこと勉強したいです」
「ああ」
「皆と離れるのは嫌です……先生にもっといろんなことを教わりたかったです」
今すぐにここで答えを出さなくても、と一瞬思ったがそれを深く考える前に答えを口に出していた。
何かの縁で来たこの世界。せっかくだから、ここでしか出来ないことをしたい。帰る方法だって、魔法が頼りなのだ。学ばない手はない。
「子どもたちが旅立っていくことは、私にとっては嬉しいことなんだ。寂しくなるのも事実だけどね」
「返事はすぐに出すから、パンジーは持っていく物を整理しておきなさい」と、先生は言って聖堂から私室へ戻っていく。
始めてこの世界に来てから、先生とシスター・サルビアにはお世話になりっぱなしだ。荷物の整理をしたら、皆に手紙を書こう。そして、当日にまでに渡そう。きっと、ミントは涙で目が真っ赤になるだろう。
そんな想像をしながら私も掃除を再開した。
昼前に立派な黒い馬車が教会に到着した。あの日に貰った手紙と同じ不思議な模様が、人が乗る箱の部分にも描かれている。正式な名前は知らない。
御者は降りてくると、丁寧な口調でラビガータ子爵の遣いだと名乗り、先生と話を始める。
私の隣にいるミントは、朝起きた時から涙目で、今は御者を見つめて涙を流している。シスター・サルビアはミントの背中を撫でる。ビリジアンは、そんなミントと私とシスター・サルビアを見ながら泣きそうな顔をしていた。ミントが、コバルトが養子にいった時のようになることを恐れているんだろう。
ミントがこうなることは分かっていたけど、誰も私が養子にいくことを咎める人はいない。コバルトの時もそうだった。寂しいけど、家族ができることを心からお祝いしてくれている。だから私も「ごめん」とは一切言わなかった。
先生が私を御者に紹介し、私も挨拶をした。御者の男性は目を細めて「こちらこそどうぞよろしくお願い致します、お嬢様」と微笑んだ。
お、お嬢様……そうか、子爵だものね。ってことは私子爵令嬢になるってこと? 何それ大変そう。言葉遣いとか、マナーとか、息も吐かせぬ腹の探り合いが恐ろしいと噂の夜会とかが存在する世界ってこと? 嫌味言い合ったり取り巻きになったりワインかけたりイケメンに言い寄ったりする女の世界ってこと?! どうしよう、めちゃくちゃ見たいけどそんな世界に入りたくない!
少しだけわくわくしたのは、心に秘めておくことにする。
「ミント、ありがとう。手紙書くね」
「パンジー!! 私たちのこと絶対忘れないでね! 手紙待ってるから!」
ミントは泣きながら笑う。今まで見た中で、一番素敵な笑顔だと思った。
「ビリジアン。ミントをよろしく」
「言われなくてもそうするつもりだって! ……元気でな、パンジー」
ビリジアンは顔を背ける。彼が照れた時にするよく動作だ。チラリと見えた目は潤んでいた。
「シスター・サルビア。お母さんになってくれて、ありがとうございました」
「良い子に育つのよ、パンジー」
シスター・サルビアは、いつもと同じように柔らかな笑みを浮かべている。
「リシアンサス先生……私を育ててくれて、色々教えてくれてありがとうございました。先生のいる教会で過ごせたことを誇りに思います」
本当に、本当に感謝している。その気持ちは言葉だけでは言い表せなかった。
「パンジー。ありがとう」
先生に優しく抱きしめられて、涙がこぼれる。この世界に来て、2回目の涙。
先生の、嬉しそうな寂しそうな、なんとも言えない表情が好きだった。色んなことを尋ねる私にむけてくれる困ったような笑顔が好きだった。先生に、出会えてよかった。
時間にしたら一瞬の抱擁だったが、先生が腕をといたと同時に目元を拭う。
最後は笑って別れたい――そう言って泣きそうな顔をしたコバルトの気持ちが、痛いほどよく分かる。
だから私も笑顔を作って頭をさげた。
「皆さん、お世話になりました!」