01
※はじめに
中世における世界観(名称や規則等)は忠実に表現しておりません。
分かりやすさを重視していますので、雰囲気で進みます。
あくまでファンタジー、と軽い気持ちでお読みいただけると幸いです。
目を開けると、鮮やかな緑色の瞳が飛び込んできた。全く見慣れないその色に、目を奪われる。
「目が覚めたのね!」
良かったわ、と細まる緑に私は何も言えない。いや、言いたいことはある。例えば「貴方は誰?」とか「どうしてここにいるの?」とか。
でも鮮やかな緑の瞳の女性の、その瞳の色にも服装にも、私は戸惑うことしかできない。何故ならそう、女性の服装が――。
「リシアンサス先生を呼んでくるわ。貴方はまだ横になっていなさい」
明らかに「シスター」だからだ。不思議なことに、「コスプレ」感が全くない。緑色の瞳にも修道服にも馴染みなんてはずなのに、どうして違和感がないのか。考えても答えは出なかった。
それに、何故ここにいるのかが分からない。見たことのない天井。体を起こして部屋をぐるりと見渡してみたが、やはり見覚えのない部屋だ。しかもこのような簡素でレトロな部屋、自分の家でも友だちの家でもない。
ふと目に入ったそれに、私は思わず「ひっ!」と声をあげた。
手が、小さい!!
なんで、どうして?
私はいわゆる「アラサー」と呼ばれる年齢だった。特別身長が低いわけでもなかった。なのにこの、骨ばったところがひとつもない柔らかそうな白い手は、明らかに歳不相応。どうみても「アラサー」ではない、「幼女」の手だ。
そんなぽよぽよした手で、胸元に流れる髪を一房とってみる。以前、紫に染めた髪色だ。紫と言っても、地毛である黒の上から紫を入れたのでほぼ黒だ。よく見ると真っ黒ではないし、光に当たると艶が赤紫に見える、そんな紫だ。ただ、その髪は何回も染めたりコテで巻いたりといったダメージは全く感じられない。ツヤッツヤだ。
更に言えば、薄めの布団をめくると、ベッドに投げ出している足が見えた。手と同じく柔らかそう。しかも、買ったこともない生成り色ワンピースを着ている。
いやいやいや、だいぶ意味が分からない。意味が分からない!
混乱していると、シスターの服を着た女性と、白シャツに黒のゆったりしたパンツ姿の男性が部屋に入ってきた。男性はベッドの横に屈んで私と視線を合わせると、安心させるように微笑む。
「良かった、目が覚めて。どこか痛かったりしないかい?」
私がゆっくり首を横に振ると、2人ともホッと息を吐いた。けれど私の混乱は増す一方。
この2人は、外国人だ。女性も男性の顔はアジア人より彫りが深いし、何よりその色彩だ。女性は鮮やかな緑の瞳。男性は瞳こそ暗い茶色だが、髪色が淡い金色。ちなみに女性の髪色は、修道服特有の被り物で見えない。
ここは、何?
私は幼女になっている。外国人と思わしき大人が心配してくれている。日本語が通じている。知らない部屋にいる。知らない人に囲まれている。私は――……私は誰?
「落ち着きなさい。ここには君を傷つける者はいない」
男性の顔が、不自然に歪んでいる。
「ゆっくりでいいから、深く呼吸しなさい」
言われるままに深呼吸をすると、ぽろりと涙がこぼれた。
男性はそっと私の頭を撫でる。知らない人、それも外国人であることに違いはないが、ひどく安心した。それをきっかけに、私の目からぽとぽと涙が落ちる。男性が取り出したハンカチに涙がふき取られていく様を、どこか他人事のように思う。
「ここっ……どこですか? 私……なんで」
「ここは王都から離れた私の教会だよ。大丈夫、安心なさい」
「教会……?」
「そう。だから誰も傷つけたりしない」
私はようやく男性からハンカチを受け取ると、ぎゅっと目を押し付けた。
女性から貰ったコップには水が入っていた。泣いてガラガラになった喉に、ひんやりとした水は気持ちいい。
好きなだけ泣いた私は、ようやく自分の聞きたいことを聞くことが出来た。
男性はユーストマ・リシアンサス。この教会に住んでいる聖職者だった。神父なのかな? 神父とか司祭とかそのあたりはよく分からないが、首からロザリオをさげている。今日はミサがないからつい……と零していたので、普段はラフな格好でいるようだ。先生と呼ばれていたので医者かと思ったが、神父のことを先生と呼ぶのは一般的らしい。見た目はちょっとふくよかな外国人のおじいちゃんといった感じ。
女性は見たまんま、シスターだった。名前はサルビア。この教会に住んでいるわけではなく、5日に1日訪問している。線が細く、身長は一般的な女性の身長より高そう。30代後半といったところだろうか。
残念ながら私は無宗教なので、聖職者や教会については明るくないが、こういうファンタジックなことが大好物だ。大大大好物だ! ちょっと前まで泣いていたのに現金なことだが、好きなものは好きだ。
「ところで、君に名前はなんだい?」
「――え?」
私は元々アラサーで、社会人で、気が付いたらここにいたわけだが――。
「な、まえ……?」
名前、なんていったっけ?
違う、ボケではない。記憶喪失でもない。自分がアラサーになるまで過ごしてきた記憶も、家族も友だちの顔も全部記憶している。でも、自分の名前が思い出せない。というか、自分も含めて「人の名前」が一切思い出せない。
絶句している私を見たリシアンサス先生は、痛ましげな表情だ。シスター・サルビアは真っ青になっている。
「もしかして、記憶が……」
「そんな……! なんてことでしょう!!」
でも、良かったのかもしれない。何故なら「記憶喪失」なら私が「何も知らない」状態が自然であるからだ。
実際は元アラサーだし、社会の荒波に揉まれて多少擦れた性格だけど、今の外見なら常識を知らなくても問題ないはず。これはまさに、見た目は子ども、頭脳は大人! その名は――って名前分かんないんだった。
「自分がどこに住んでいたのかは分かるかい?」
「えっと……ごめんなさい」
「いいのよ、あなたのせいじゃないわ! そうよ、名前はここでは貰えばいいわ。ねえ、リシアンサス先生」
「そうだな。しかしどんな名前にしようか」
なんだか2人の間で話が進んでいる。
というか、少なくとも先生はどういう経緯で私がここにいるのか知っているのではないだろうか。もちろん記憶喪失――のフリだけど――の私に同情したのは間違いないと思うが、先生の痛ましげな表情は同情だけではない気がした。
「あの――」
「パンジー、はどうでしょう? 見事な黒紫の髪だもの!」
「パ、パンジー?」
「ああ、あの花のように小さくて可憐な君にはピッタリだ。パンジー、名前は贈り物だ。大切になさい」
にっこり笑う2人に反論ができるだけもなく、私の名前はパンジーに決定した。花の名前が似合うような顔じゃないし、恥ずかしいんだけど……。
シスター・サルビアは鼻息荒く「さっそく皆に紹介しましょう! 私は皆を集めてきますわ」と言って部屋を意気揚々と出て行った。「皆って誰?」と唖然としていると、先生に「立てるかい?」と抱き上げられる。立てるか聞いたのに、立たせない!
「リ、リシアンサス先生! ここって、どこなんですか? 皆って?」
「ふふ、ここはノウゼンハレン国の外れにある教会だよ。皆というのは、この教会で暮らしている子どもたちのことさ」
「子どもたち……?」
「この教会には時々、様々な理由を持った子どもたちが来るんだ」
「……私もここに?」
「ああ。今日から、私たちがパンジーの家族だ」
ニコニコしながら聖堂を大股で歩く先生は、本当のおじいちゃんのようだった。
先生が木製の両開きの扉を開けると、驚くほど眩しい光が目に入る。外に出たのだと分かったが、目が開けられない。そうしている内に地面へと下ろされる。
「さあ、挨拶を」
ようやく目を開けると、6つの瞳に出会った。色は左から、深緑・深緑・紺・紺・橙・橙。丸いそれらは、興味深そうにこちらを向いている。
挨拶をっておそらく私に対して言ったんだろうなぁと思いつつ、恐る恐るお辞儀してみる。
「パ、パンジーです。あの――」
「すごーい!! きれいな髪ね!」
「ミント、遮っちゃ駄目だよ」
「でも珍しいよな、その髪色! そういう色、なんて言うんだっけ?」
「ちょっとビリジアン」
「パンジーってお名前も、その髪にすごく合ってるわ」
「はいはい2人とも。今はパンジーがおしゃべりする番よ」
「シスター・サルビア! 聞いてよ、さっきミントが!」
「違うわ、ビリジアンよ!」
「2人とも、シスター・サルビアの言うことを聞いて」
騒がしいなオイ。保育園・幼稚園くらいの女の子と男の子、そんな2人より少し大きい男の子が、シスター・サルビアの周りでキャイキャイしている。
どうやらミント、ビリジアンがおしゃべりが好きな2人の名前らしい。なるほど、確かにミントは髪が薄緑色だし、ビリジアンは瞳が深い緑だ。となると、最後の1人は……髪が銀で瞳が紺だ。ネイビーとか、そんな感じだろうか。
というか3人とも私のように本名ではないのかも。私が親だったら、子どもにそんな安直な名前付けない。
「ごめんねパンジー? 僕の名前はコバルト」
コバルトかよっ。コバルトブルーって鮮やかな青なのに。
「よろしくね、コバルト」
「こちらこそよろしく、パンジー」
ああコバルト、君はなんてまともなんだい。
精神的には幼女じゃない私に、あのキャイキャイしたあの子たちの声が耳に響く。むしろコバルト幼い割に落ち着きすぎじゃない? 大丈夫?
さて、ここで一旦まとめてみよう。
私は目が覚めたらアラサーから幼女になっていて、更に教会で保護されていた。
リシアンサス先生とシスター・サルビアを見た時は外国かと思ったけど、ミントの髪を見て、それは違うと確信した。
何故ならいくら地球が広いと言っても、ハッキリした薄緑の髪は私の知る地球には存在しないからだ。染めたならありえるけど、変えられる髪色をわざわざ名前にするだろうか。シスター・サルビアが私の名前のようにミントにも名前を付けたんだとしたら、染められる髪ではなく瞳の色から名前をつけるのが自然だと思う。でも、私やミントは髪色から名前が付けられた。それはきっと「髪色が特徴的」だからだ。つまり髪色は変えられないことを前提にしているんだろう。
それに私の黒髪も、世界的に考えても珍しくないはずだ。アジア以外にも黒髪は分布してるんだし。
何故か幼女になっていた。
いつの間にか知らない場所にいた。
薄緑の髪の少女。
黒髪が珍しい。
私がここから導き出した答えは――
ここ、異世界じゃない?