血塗られた出逢い
「何故だ!? 何故上手くいかん!? きちんと出力設定してあるのか馬鹿者!!」
一際大きな声で回想から連れ戻されると、ガリベニアス博士はまだ怒りが冷めやらぬご様子だった。
補足しておくと、ガリベニアス博士とは、今まさに自分の頭をワシャワシャと搔き回し、ご乱心中の白衣を着た男の事である。
この人は他でも無く、僕を天界に連れ込んだ張本人だ。差し詰め誘拐犯といったところか。
天界の為だかなんだか知らないが、日夜ここに引き篭もって実験に明け暮れているらしい。
要らない情報ではあるが、趣味は観光で、甘い物が好物なのだそうだ。
……で? っていうね。
以前実験の設定をしている最中に教えられたのだが、この人は僕に何を期待しているのだろうか。
拉致されてからしばらくは警戒こそしていたが、毎日毎日会う度会う度にずっとこの調子なので、僕自身警戒しているのが馬鹿馬鹿しくなって気が抜けてしまった。
「失敗したんだったら今日は解放してくださいよ。僕ちょっとトイレに行きたいんですよねぇ」
怒号を飛ばすばかりで何をする訳でもなく、ただただ部屋を行ったり来たりしている博士に声をかける。こういってはなんだが、檻に捕まった獰猛な獣にも見えなくもない。
「喧しい! そこでしろ!」
一蹴である。
「そんな無茶な……」
最初の説明に補足をしておくと、この通り僕の扱いはかなり雑だ。
「おい、もう一度設定値を算出し直せ」
会話だけ聞いていれば、模範的な研究長官のようではある。
だからこそあえて繰り返そう、この人は蒼褪めた顔でただただ部屋をうろついているだけだという事を。そんなに納得いかないなら自分で設定すればいいのに。あぁ~、トイレ行きたい。
「何ぃ!? 間違いがあっただと!? 打ち直せ! 二秒で打ち直せっ!!」
「も、申し訳ございません。只今書き換え中です」
ゆらりとこちらを向いた博士が、すっかりボサボサになった頭を丁寧に直しながら近寄って来た。嫌な笑顔だ。
「いやぁ、お待たせして申し訳ない。ここまで我々を本気にさせるとは驚嘆に値する。しかし、お遊戯会はここまでだ。楽しんでもらえたか?」
引きつった表情を隠せていないが、笑えない冗談だなぁ。ここは真摯に受け止めて、心から同情致しましょう。
「さぁ、いよいよ実験開始だ!」
何度目かの起動音、いつも通りの確認。
そろそろ助手の方々と同じ台詞が言えてしまえそうだ。
「実験装置、起動開始!」
再び強く目を閉じる。すると、またあの白い光が瞼の裏に瞬いた。
恐る恐る片目を開けて辺りを見渡すも、相変わらず白衣の男達に熱い視線を向けられているだけだった。正直、最悪な気分です。
偉そうな表情の割に中途半端に髪型の崩れた博士が、俯いて小刻みに震え始めた。
僕が無事だったから泣いてくれてるのかな? いや、違いますね、きっと。
「あの、もうやめませんか?」
「ダアァァァァーーッッ!!」
今回は膝から崩れ落ち、博士の髪型がより一層乱れていった。
僕は最近、この人が本当に博士なのかと疑い始めたところだ。
◇◆◆◇◇◆◆◇
ようやく解放され、限界まで我慢していたトイレにどうにか駆け込むことができた。
「はぁ、トイレくらい自由にさせて欲しいなぁ」
小さく反響した独り言を聞きながら手を洗っていると、鏡の向こう側で同じ動きをする自分と目があった。
天界での日々ももうじき一ヶ月が経とうとしているが、当の誘拐犯は妙に親しげだし、今のところ実害はない。……と思う。
朝起きて、さっきみたいな無駄な実験を過ごし、ご飯を食べて、本を読んで、昼寝して、日が暮れて、寝るだけ。こんな悠々自適……。もとい、非生産的な日常なんて。
「……帰りたいなぁ」
呟いた故郷に思いを馳せると、友人や恩師との日々が蘇って、今でも心が寂しさに乗っ取られる。
何よりも、あの場所にたった一人残してしまったベルのことがとても気懸りだった。
「ベルは大丈夫だったかな。無事だと良いんだけど……」
あの場で守った命は確かにあった。
騎士として当然の事をしたと、今でも真っ直ぐに言える。
「でももしあの時、引き返して青龍騎士団の到着を待っていたら……」
今の現状を鑑みると、本当に最善の行動だったのかと疑問を抱いている反対側の自分もいる。
「それに、拉致なんかされてたら元も子もないじゃないか。何やってんだ僕は」
後悔はしたくないと思っていながらも、後悔ばかりが浮かんでくる自分に嫌気が差す。
鏡に映ったそんな自分に、洗ってびしょ濡れの手を押し付け、目も合わさずに扉を開けた。
扉の外に広がる閑散とした廊下に、僕の歩調に合わせた音が響く。
薄暗い雰囲気の満ちた廊下は、モヤモヤしていた悩みが息を潜めるような気がして、妙に心が落ち着いた。
「それにしてもやけに静かなところだなぁ」
博士はここがアルデラントの主要研究所とか言っていたけど、あの人の言う事ってどうも胡散臭いんだよなぁ。
こんなに人気のない場所が? 盛って話しているのだろうか。
「――ん?」
ふらふらと部屋へ帰る途中の事だ。
自分の足音に重なって響く、別の音に気が付いた。
次第に大きくなるその足音は、だんだんとこちらに近付いているようだ。
僕と同じように、トイレを我慢してる人かな? そんな余計な心配をしながら廊下の角を曲がった時、全身に強い衝撃を受け、思わず尻餅をついた。
「痛ぃ……。な、なにぃ??」
痺れに疼く尻をさすりながら前を向くと、恐らく人であろう黒い何かが、小さくうずくまって震えていた。
「ご、ごめんなさい。前見てなくて……。あの、大丈夫ですか?」
ぶつかったのは、どうやら黒い髪の少女のようだったが、うずくまったまま微動だにしない。
いや、正確には小刻みに身震いをしたまま、こちらの様子を伺っているようにも見えた。
もしかして、怪我でもさせちゃった!? そんな焦りが込み上げてくる。
「ねぇ、どこか怪我した?」
心配になって伏せられた顔を覗き込むと、彼女の蒼白な顔半分が赤黒い血で彩られていた。
目の位置がわからないくらい長く伸びた前髪。
その隙間から覗く、充血しヒビ割れた黄金色の瞳。
そこからは、止め処なく涙が溢れていた。
「――ッ!?」
見られたく無かったのか、目があった僕を押し退け、壁伝いにフラつきながら走り去っていった。
「今の子って……」
思考が動き出すのに、しばらくの時間がかかった。
ようやく冷静さが戻り、ゆっくりと状況を思い返す。
あの状態は、どう考えてもぶつかった衝撃のものではない。
口元と両手が真っ赤な少女。
あの子がさっきまで居た場所には、暗がりのせいか黒く見える手形と、ゆっくりと形を変える鮮血の水玉模様が残っていた。
「口元、真っ赤だったな。まさか、血を吐いてた? って事はないのかな……」
虚ろな少女を辿ってできた、不気味な赤い道標。
それは僕の心の奥へ、得体の知れない感情を求めて続いてるようで、しばらくの間、僕はその場に立ち尽くすことしか出来なかった。
本音を言えば、戻ってくるかもしれない少女に事情を聞きたかったが……。結局、現れることはなかった。
ご覧いただきありがとうございます。
今後ともご贔屓に。
木ノ添 空青