守りたいもの
弟子である僕が、再び精霊術を使えなくなっていたと知ったティナ先生。
あの後、暫し遠い目で揺れる新緑の木の葉を眺めていたが、使えないモノは使えない! と漢らしく割り切った言葉を溢したのだった。
それからはまた、元の鬼教官と化したティナ先生に、とにかく体力が足りないと、日が暮れるまで尻を蹴られつつ走り続けた。
後半は完全に楽しんでいるように思えてならなかった特訓だったが、彼方の山に陽が沈んだのを合図に、どうにか終わりを迎えた。
「あ、あぁ……、足が、足が動かない……」
今の僕たちを傍からみれば、完全に散歩中のおじいちゃんと、可愛い孫という微笑ましい光景に見えるだろう。是非遠慮なく近付いて見てほしい。
まさかグロッキーな少年と、その少年の尻を蹴り上げ、ヒイヒイ言わせながら走らせていた状況を思い出して、ほくそ笑んでいる小さな有名騎士だとは誰も思わないだろう。
「情けないわね。私なんかこんなにピンピンしてるのよ?」
「ティナ先生はアクセル使ってたじゃないか!」
「あんたがアクセル使えるようになればいいだけでしょ」
「いや、そうなんですけど」
返す言葉もない。こればかりは、なるべく早いオリジンの回復を祈ろう。
何気なく握る左の拳。僕の意図したように動いているが、少しだけ力を緩めると、かじかんだような僅かな震えと、体内から筋を引っ張られているような違和感がある。
あの時、かぐやの中に残された、精霊の神殺し化に伴う大量の穢れを抑えてくれたオリジン。だが目覚めた時、僕の体に取り込んだ穢れは、全て消し切れていなかった。その証拠に、僕の左半身には薄い痺れと、縛られているような窮屈さが今尚残っている。それは半年経った今も変わっていないのだ。
恐らく、オリジンはまだ、溢れ出る穢れを抑え続けているんだろう。
帰ってくるもう一人の住人の為、僕を信じてくれたオリジンを失望させないように、彼だけに負担を押し付けることが無いように、せめて安心出来るような宿主でありたい。
いつの間にか、熱を感じるほど握り締めていた左手をそっとほどく。手を引く風に導かれながら、やや小気味良さそうに帰路を急ぐ小さな背中を追いかける。
「そういえばあんた、どうして前線部隊に拘るのよ。こういう立場だからあえて言うけど、今まで絶望的だとは思わなかったの?」
「言葉の殺傷力どうにかなりませんか?」
「だって事実じゃない。戦場にお世辞なんて必要ないわ」
ごもっともです。戦場は煽てられて立つべき場所じゃないことは、あの革命の経験から一層強く思う。
「一応実戦を知ってる者として、精霊術の才能がない人間は前線に立つべきじゃない。戦場で眠った仲間が物語っているの。今のあんたみたいに全く使えないのなら尚更よ。そこまでして、なんで前線に拘るの?」
影に隠した不安気な面持ちをこちらに向け、なびく髪を抑えながら後ろ向きに歩き出した。そんな少女に誘われ、僕は静かに記憶を辿った。
「正直、少し前まで明確な理由なんてありませんでした。ただ、自分には見ることも叶わない景色を見ている人たちが、かっこよく見えたんですよ。けたたましい警鐘が鳴り響く中、迷わず害獣の暴れる戦地に飛び込んで行く。誰かを守る、覚悟を決めた背中が」
追いかけていた影はいつしか隣に並び、疲労から鉛を引きずっているような僕の足取りに合わせ、大振りな足取りをあえて小幅に刻み、何も言わずに僕の顔を見上げていた。そんな視線に応えるように、僕は静かに微笑んだ。
「子供の憧れみたいな感覚だったんだと思います。……でも、今はハッキリと答えられます。絶対に守りたい、大切な人がいるからです。僕が支える誰かが守るんじゃなくて、僕自身が守りたいんです」
自分で述べている言葉の図々しさに、申し訳なく思いながらも笑いかけた。少し驚いたような表情を浮かべていた顔が、僕の視線に気が付いた時、素早くそっぽ向いてしまった。
「っ、あっそ。ふーん、ちょっとは見所があるじゃない」
「あはは、まだまだ道は長いですね。でも大丈夫です! きっと精霊術だってまた使いこなせるようになりますから」
僕は、まだまだ薄く頼りないこの左胸に、ポンと右手を添えてみせた。
「当たり前よ! かぐやを泣かせるような事があったら許さないから!!」
「わかってますよ。というかいつの間にそんなに仲良くなったの?」
投げ合う言葉から少しだけ角が取れだしたお陰だろうか。今日はいつも以上に機嫌が良く、あどけない笑顔で向き合ってくれる小さな英雄さん。
いつかこの人の大きな背中を、任せてもらえる日も来るんだろうか。
「あら、どうやらお待ちかねだったみたいよ?」
賑やかに騒いでいた僕らを、柔らかい街明かりが迎えてくれた。
晩御飯の時間も迫り、勤めの時間も終わる頃。通りでは買い物を終えた母親と子供が手を繋ぎ、酒場からは、僕たち以上に楽し気な歌声が漏れている。
そんな喧騒の中に据えられた小さなベンチには、投げ伸ばした両足のつま先を小さくぶつける女の子が座っていた。
「……かぐや」
「あっ、ふたりとも遅い! もう日が暮れちゃったよ。今日は一緒に引っ越しパーティだねって言ってたじゃん」
「待たせてごめんね。少し稽古に熱が入っちゃって」
「かぐや~!! もう疲れた。なんなのあんたの衛兵は! 盾にもならないわよ?」
訓練所での鬼教官っぷりが夢だったかのような変わりよう。この子の本性はどっちなのだろう。個人的には、最近出来た姉のような、かぐやの懐に顔を埋めている方だと祈りたい。
「そうなの? じゃあもっともっと頑張らないと、ね」
小さな頭を撫でながらかぐやが言ったそんな言葉。それは抱きかかえたティナ先生へのものなのか、はたまた、心臓が跳ね上がってしまいそうな目配せを撃ち込まれた、僕へ向けた言葉なのか。
いずれにせよ、この動悸が鎮まるまで、彼女たちの微笑ましい姿を後ろから眺めていることになるだろう。




