迫る運命の足音
「あぁ……。まだおなかがズキズキする」
お腹を撫でながら歩く授業後の廊下には僕達二人以外の生徒は見当たらない。とっくに教室へと帰ってしまったのだろう。
午後の時間を全て使った剣術訓練が終わり、ベルと一緒に教室へ帰りながら、訓練の反省会中だ。
「お前が突っ込んでくるとは思わなかったぞ。あそこは体勢崩してでも避けるのが普通だぞ」
「頭じゃわかってたんだけどさぁ、身体が言う事聞かなかったんだよ」
「そりゃあ仕方ねぇな。お前の負けだ」
「はぁ……、いつになったらベルに勝てるんだろ」
これまでの摸擬戦でも、まともにベルに勝ったことがない。
偶然が重なって打ち勝ったことはあったけど、片手で足りるような数だ。いつかは対等に打ち合えるような腕前になりたいなぁ。
「でも一発目に俺の突進を避けたのは流石だったな。お前って時々消えるように避けるよな。まぁそれを読んで最後に仕掛けたんだが」
「うぅ……、くっそぉ」
とはいうものの、あの場面でキチンと回避できていたとしても、その後に詰められていたと思う。もっと別の手段を考えなきゃなぁ……。
「はぁ、なんか今日は全然ダメだった気がする。今日は早めに帰ってご飯食べよう」
あのメロンパンジュースのせいで、胃の中のモノが消えてしまった。そのせいですっかり空腹だ。
「あ、そうだ。今晩は大通りの屋台で晩飯食おうぜ。ゲロのお詫びに奢ってやるからよ」
「えぇ~。外食すると寮母さん不機嫌になるんだよなぁ……。私の料理よりも粗末な屋台メシの方がいいのね、ってこの前もぼやかれたし」
「ちょっとなら大丈夫だって。な? 行こうぜ。腹減ってるだろ?」
誰のせいだと? なんて言いたい所ではあったが、どう考えても今の空腹の原因となったメロンパンジュースはすっころんで突っ込んだ僕のせいだな。
「うーん、まぁ久しぶりだし、せっかくだから行こうかな」
「よし決まりだ! 最近美味い焼き飯を出す屋台があるらしくてな、そこに行こうぜ」
「へぇ~。焼き飯かぁ。いいね!」
「おぉお前ら、丁度良いところに」
「「……ん??」」
盛り上がりかけていた僕らの会話に割り込んできたのは、僕達と同じ生徒とは思えない、えらく渋い声だった。
誰かと思い振り返ってみると、そこにはベルよりも巨大で色黒な男が立っていた。
「ひっ!? きょ、教官!? お疲れ様です!!」
「お、お疲れ様です、エドモンド教官」
突然の登場に、僕らは震えながら拳を左胸に掲げ、なんとも格好の付かない敬礼をしていた。
「あぁ、ご苦労」
僕らの前に立つこの方は、エドモンド・クリステン教官。騎士学生が集う白虎隊の戦技部門を指導する騎士学校の教官であり、僕達の専任指導者、所謂担任である。
現役時代はとても名のある騎士で、今現在第一線に立っている騎士のほとんどが、この人に憧れて騎士になったと聞いたことがある。実際、部隊史の教科書にも名が乗るほどの実力者だった英雄騎士だ。
しかし、数年前の任務中に負った怪我が原因で前線から退き、指導者である現在に至るようだが、その事故についての話は誰からも聞いたことがない。
とはいえ、その力や技術は健在で、いざ戦闘訓練となれば万夫不当なうえ、全く加減をしない鬼教官としても有名なのだ。ちなみにベルは、さっきの剣術訓練でエドモンド教官に20米ほど投げ飛ばされていた。大型亜人種の害獣にも負け劣らぬような体格をしているベルが、こんなに情けなく震え怯えて悲鳴を上げるのも無理はない。
宙を舞う絶望に染まったベルの白目は、夢にまで出そうな表情だった。
「あの~、僕達になにか?」
「うむ、実はお前らに少し頼みたいことがあってな。ちょっと教員室まで来い」
「じゃ、じゃあ俺は先に行ってるぞジン」
「私は“お前ら”と言ったのだ。お前も来いベルトラン」
「……捕まったかぁ」
こういう時ほどベルの背中が小さく見える事は無い。
そして僕らは、そびえ立つ壁のような背中を眺めながら教員室へと向かった。
◇◆◆◇◇◆◆◇
というわけで、二人仲良く連行されて来た訳だったが……。
「……なぁジン、俺何かしたか?」
「僕のセリフなんだけど……。何やったのベル?」
教官の机の前で戦々恐々としながら待っていると、目の前の椅子にどっかと腰を下ろした教官が、一枚の指示書を僕達に差し出してきた。
表題には『白虎隊三年生害獣駆除実地任務、物資運び協力要請』と書かれている。どうやら任務補助員の依頼のようだ。
「なんだ協力要請か」
どうやら説教される事は無いと解釈したらしいベルが胸を撫で下ろした。
「まぁそういう事だ。明日は休日なんだが、お前ら予定はあるか?」
「あ、あぁ~、ちょっと訓練で負傷して、荷物運びはちょっと……」
状況を察したベルが、健康な体の不具合を必死で探し始めた。屈強な見た目の人ってこういう時に損をするのだと心からそう思う。
バタバタと自分の身体をまさぐっているベルの横で、僕は引きつった表情を浮かべながら潔く諦めた。
「はい、僕は予定ありません」
「よし、二人共大丈夫だな?」
「えッ!? ちょっ――」
「今、白虎隊の三年生が出撃している害獣駆除の任務があるんだが、予想以上に数が多いらしくてな。至急応援物資が必要になったらしい。そこで、お前達にこの任務を頼みたい」
戸惑うベルを他所に、さっさと内容の説明を始めた教官。案の定仮病など通用しないようだ。
明日は休日返上で支援任務かぁ……。辛いなぁ……。
落胆、というのも、僕ら見習いの白虎隊が請け負う支援任務は、完全に雑用係なのだ。
重たい物資をひたすら運んで、害獣から獲れた素材などを持ち帰る。
これも一応列記とした仕事とみなされ、報酬も出るので文句は言えない。
休日を返上して任務に出向くのは大変だけど、理由も無く依頼を断るのは無理そうだ。むしろ僕みたいな半人前が任務に参加できる事をありがたいと考えよう。
「わかりました。……でも、どうして僕らなんですか? 運搬のような支援任務に適している生徒なら他にもいると思うんですけど」
「ふむ、では一つ。お前達、先日やった座学試験の成績が非常に度し難い状況だった。とくにベルトラン」
「はっ!! 申し訳ございません」
教員室にいた数人の教官が、威勢の良すぎるベルの返事を聞いてクスクスと笑い始めた。
なるほど、そういう事だったか。僕はベルの事を笑えないな。
と思うのも、大いに心当たりがあるからな訳で……。
部隊史や歴史のような分野は自信があるが、数字が絡む科目は全くダメなのだ。
この前の小テストも、一般教養の数学は、終始自分の名前をなぞっていただけだった。
成績が不味かったというテストも、確かに範囲が広くて自信は無かったが、よっぽど酷かったのかもしれない。
「正直、補習が必須なレベルだったが、今回参加するのであれば、補習候補者リストを作る時、お前らの名前を忘れてやる。どうだ、やるか?」
「はい、喜んで務めさせていただきますッ!!」
「了解。僕も着任致します」
「よし、ならば話は以上だ。指示書を確認し、明日の現地到着時刻に遅れるなよ」
「「了解」」
さて、明日は休日返上で実地任務か。
支援とはいえ、実地への出撃は久しぶりだ。やはり今日は早く帰ろう。
エドモンド教官から受け取った指示書を眺めながら教員室を出たベルにそっと声を掛ける。
「あのさ、ベル。今日の晩御飯の話なんだけど」
「言わなくていい、どうせ明日は早起きなんだ。また今度にしようぜ……」
なにが、いや、どちらが原因かは不明だが、ベルの背中がいつになく小さく見えてしまう。
任務が終ったら、二人で打ち上げでもしようと、心に小さな予定を記した。
◇◆◆◇◇◆◆◇
肩を落とした生徒二人が去った後の教員室。
生徒らが行き交う学生棟から少し離れたこの場所は、放課後ともなれば人通りがまばらで、シンとした静寂に包まれていた。
「エドモンド教官、さっきの二人ですが、ベルトラン君はともかくとして、ジン君はギリギリ補習必要なさそうでしたけど、ジン君を選出したのには何か理由が?」
次回の訓練項目をパラパラと確認していた最中、エドモンドは隣の席から声をかけられた。
顔を向けると、律儀にこちらに身体を向ける、新任の教官であるジョンの姿があった。
彼は少し不安気な顔色を浮かべ、どこか心配そうな声をしていた。
エドモンドは心配ないと言わんばかりに優しい笑みを浮かべて答える。
「そのことなんだがな、ジンには上から直々に指名があってな。なんでもジンの噂を聞きつけたらしい。どんなものなのか実力でも試すつもりなんじゃないか?」
「そうだったんですか。上からというと、白虎隊本部の教育長官とかですか」
「いや。……神王軍からの依頼だ」
そう答えると、彼は仰天したように飛び上がった。
「神王軍!? 地界神様直属の軍隊が、育成下部組織である白虎隊に……。ジン君の精霊術が使えない体質というのは、やはり何かあるんでしょうか? 彼の白虎隊入団試験の時にも神王軍の介入があったんですよね?」
早口になるジョンを落ち着かせようと、笑い混じりに手を仰いだ。
「こらこら、滅多な事を言うもんじゃない。あいつは私がキチンと評価して入団させたんだ。神王軍は関係ない」
「……そうですか。エドモンド教官が見込んだ生徒なら間違いですよね。僕も彼には頑張って欲しいと思っています」
「まぁ神王軍がなにを考えているのかは知らんが、あそこがアイツの事を気にかけているのであればむしろ安心じゃないか。アストピアの一大勢力に見守られていると考えれば、むしろありがたいことだ」
「流石ですね、エドモンド教官。僕があなたの立場だったら、今頃真っ青になって慌てていたと思います」
「教育は信頼することが何よりも大切だ。教官というは、生徒にただ偉そうに説教して教え育てるだけじゃ駄目だ。彼らに頼られ、信頼を育んでこそ、本当に伝えたい教えが伝わる。彼らに教官と呼ばれるのは、そうなったと時だろうな」
「くぅ~。エドモンド教官、僕はあなたに憧れて本当に良かった!!」
「はは、そうか。それはありがたい。……ところで、そろそろ会議の時間では?」
「あぁ!? もうこんな時間!?」
そう言い残し、ジョンはバタバタと部屋を飛び出していき、部屋にはエドモンド一人となった。
「……お前は、一体何を抱えているんだ」
過ぎ去った賑やかさに溜め息を溢し、生徒名簿の“ジン・テオドフロール”と書かれたページに視線を落とすのだった。