無能な僕の可能性
ゆっくりと眼鏡を押し上げた博士は、真っ直ぐな深紅の瞳と共に呟いた。
「ジン・テオドフロール。あの小娘を救い出し、我々革命軍と共に、この天界と戦わないか?」
いつになく真剣なその眼差しに、思わず息を呑んだ。
「私はある人物の助言を基に、貴様の中にいる精霊についてあれから色々と調べさせてもらった。本来ならばもう少し機を伺ってから伝えるつもりだったが、まぁいい」
「いつの間に……」
「精霊の研究自体は、お前がこちらに来てからずっとやってきただろう」
「確かに精霊の研究とは散々言ってましたけど、上手くいってなかったじゃないですか」
「あぁ。貴様の正体を調べる為に様々な手段で精霊の特徴を調べようとしてきたが、どういう訳か全く実体を捉えられなかったからな。だから私はこう考えた。“何もないという本質”が存在しているのではないかと」
頭に血が上っていたせいだろうか。博士が言っていることをすぐには理解出来なかった。
「……何言ってるんですか」
「ええい、面倒な奴だな。そこは意味深な顔で「なるほど」とでも言っておけ」
「いやいや、面倒臭がらずに教えてくださいよ。もしかして、僕が精霊術を使えない理由とも何か関係があるんじゃないんですか?」
「まぁ待て」
博士は、食い入るような勢いを制止するように、静かに右手を挙げた。
「その前に一つ聞いておきたい。貴様、悪魔術師に関わったことがあるのか?」
「……悪魔術師ってあれですか? 呪術とか魔族とかを信仰してるカルト教団っていう。アストピアでも噂ぐらいならたまに聞きましたけど」
「随分と粗末な解釈だが、まぁ概ねそんなところだ。正確には、精霊術の詠唱改編による性質変化とされている。特殊な詠唱で精霊術を使うことによって、本来正しい力で発動すべき精霊術が、術者の意図せぬ形で放たれる。術者への悪影響があるという報告もあり、今では地界全土で禁忌とされ、呪術を記した魔術所も大方処分されたはずなんだがな」
「あの、結局その悪魔術師が僕とどういう関係があるんですか? もしかして、精霊術を使えないから禁忌に手を出した奴だって言ってるんですか?」
あらぬ疑いをかけられている気がして、不意に語気が荒くなってしまう。
「違う、逆だ。貴様が宿す霊力は、呪術によって常に枯渇状態にされている。分かり易く言うと呪われているということだ」
「えっ……?」
「例えるならば、お前を対象とした極めて小規模な神殺しを使われている、といった感じか。本来使えるべき霊力を、どういう訳か呪いが喰っているという事だ。とはいえ我々人間には実際に観測できない事象だ。あくまで可能性の域を出ないがな」
「そんな……。それって解けるんですか? なんとかなるんですよね?」
「案ずるな。策は考えてある。まぁとにかく、お前が故意に悪魔術関わっていないのであれば構わん。本題に戻るぞ。まずは精霊の説明をさせろ」
そう言った博士から、色褪せた一冊の本を渡された。
「あの、これは?」
精霊に関するだいぶ古い文献なんだろうか。角が潰れ、皺や色褪せが目立つ、装丁もされていない、無数の紙を束にして縛っただけの様な本だった。
その本の表紙であろう一番先頭の頁に、一際大きな文字で書かれていたものを読み上げた。
「――“オリジン”。これ精霊なんですか? こんな精霊の名称聞いたこともないんですけど。ひょっとして、亜種とか希少種の類ですか?」
アストピアでは太古から、四大原霊と呼ばれる、≪地霊≫≪水霊≫≪火霊≫≪風霊≫の四種以外にも、突然変異によって性質が変わった、亜種や希少種といった精霊を宿した人が稀にいるけど、そう言った変異精霊だろうか。
でも、僕の質問に博士は、小さく首を横に振った。
「いや、似てはいるが本質的には全く違う。そもそもそいつは一部の人間しか存在を知らん、七大精霊の内の一匹、無を司る大精霊【オリジン】。今現在もこいつらの存在は秘匿扱いだったはずだ」
「大精霊? 秘匿? なんなんですかそれ……。なにかの間違いですよ。ありえないですって」
「当然私も仮説を疑ったわ。本来コイツは現れてはならん精霊だからな。だがその古文書に記されたオリジンの特徴を基にもう一度研究の結果を照らし合わせてみた結果、あまりにも類似点が多すぎる。実際の所精霊王に確認せねばわからんが、間違いないと思っていいだろう。……こいつは異形の精霊術を生み出す厄介者だ。通常の精霊術は、力を生み出す≪陽の精霊術≫。だがオリジンは逆。存在してはならん≪陰の精霊術≫だ」
「……何かを消せる精霊術、ってことですか?」
「何かではない。すべてだ。万物万象、この世のありとあらゆるものを消し飛ばすことができる。その辺の石ころだろうが、精霊術や天界の化学兵器だろうがな」
包帯に隠された、一見何の変哲もない両手を見つめてみる。
こんなボロボロな身体の中に、本当にそんな力があるのか?
「まったく理解できん。何故お前の中にそんな化け物が宿った。無能だからなどと言う皮肉では済まされんぞ。いずれにせよ幸か不幸かお前にかけられた呪いのお陰で精霊の力が著しく抑えられているというのが幸いしたな。それがなけば精霊に精神を乗っ取られ、特別監視監獄に幽閉されていたか、殺されていても不思議ではないぞ」
そっか。ころ……えっ!?
「ちょ、ど、どうしたらいいんですか!? 僕捕まるんですか!?」
「騒ぐな喧しい。今の状態であれば何の害もない。今までの無能さを忘れたのか?」
「いや、覚えてます。僕ほどの人畜無害もなかなかいませんからね。はは……」
ちくしょう。なんなんだこの人。こんな時まで人を馬鹿にして。
「だが、お前と私の出会いは運命的だったようだな、ジン・テオドフロール」
その言葉を聞いて呆気にとられた。
そして心の底からこう思った。
何言ってんだこの人……。
「あの、どういうことでしょう? このままだと只々気持ちが悪いんですけど」
「言ったであろう。私と共に、この天界と戦わないかと。つまりそういうことだ」
そう言った博士は、得意げに眼鏡を押し上げ、ハッキリとした眼差しを僕に向けた。
「ジン。お前に宿るその力は、世界を変えられる力なのだ。今は眠るその力を解き放ち、巨大すぎるその精霊を御しきることが出来れば、回避不可能だった未来を塗り替える事が可能かも知れん」
「いや、そんな危険な力、僕なんかが使いこなせるかわからないですよ! もし失敗したら……」
「さっきも言った通り、監獄に叩き込まれるか殺処分だろうな」
「それを理解しているんだったら――」
「だが成功すれば、戦争で奪われるかもしれない大勢の命と、お前が救いたいと言った、あの少女を守ることが出来る」
「――ッ!?」
博士の言葉は、不安ばかりが膨れ上がっていた思考を一撃で吹き飛ばした。
僕が選ぶこの後の選択に、世界の未来……いや、あの子を助けられる可能性がかかっている。
そのことがようやく理解できた時、博士が最初に行っていた覚悟の意味を理解した。
「僕は……。僕はっ……」
「決断の時だ、ジン」
カチャリ。という音を聞いて俯いていた頭を上げると、博士が拳銃の銃口をこちらに向けていた。
「……なに、してるんですか」
「私はズボラな性格でなぁ。研究以外の事には実に無頓着なのだ。さて、この拳銃は、お前をこちらに連れ帰った時に使用していた物だ。あの日以来、一度もこの拳銃を触っていなければ手入れもしていない。そして、この拳銃にあと何発の弾丸が残っているのかもわからん。だが確実に覚えていることが一つだけある。お前に初めて会った時、その拳銃に弾丸は二発しか残っていなかった。あの時にお前を眠らせる為に使った段数は、不可思議に無力化された一発目と、命中した二発目だったな」
そして博士は、構えていた拳銃を器用に回転させ、僕にその拳銃を差し出してきた。
鈍く部屋の照明を反射した拳銃の先で、博士が不意に微笑んだ。
「お前は自分の眼球目掛けて、この拳銃の引き金が引けるか?」
突拍子もないそんな言葉に、僕は不思議なくらい冷静だった。
差し出された拳銃を受け取り、そっと銃口を覗き込むと、潜在的な恐怖心からか自然と手が震えだした。
「いくら麻酔銃とはいえ、そんなものを目に打ち込めばどうなるかという事くらい、阿呆なお前でもわかるだろう? どうする? 私の言葉を信じて引き金を引く覚悟があるか? それとも、己の身体を案じて今すぐに床へ投げ捨てるか?」
よっぽど僕が迷っているように見えたんだろうなぁ。そんなの当たり前じゃないか。僕にとっても、自分の命を懸けた選択なんだから。
参ったな。手が震えて仕方ない。
博士を信じろ。かぁ……。
ヤダなぁ。こんなチャランポランでがさつで適当な事ばっかり言ってた人を信じるの。
でも不思議だ。
こんなに緊張してる状況が馬鹿馬鹿しくて笑えてきちゃった。
僕が守りたいものの為に、命を懸けるってこういう怖さなのだとひしひしと伝わってくる。
背中を伝う汗が腰へと流れ落ちた。
先が真っ暗で見えない震えた銃口。その震えを止めようと、僕は両手で拳銃を握った。
僕がやりたいかどうかじゃない。きっとこれは、僕がやらなきゃいけないことなんだ。
深く深呼吸した僕は、吐き出した息に合わせて肩の力を抜いた。
そして僕はそっと、握った拳銃を床に置いた……。
「……この拳銃普通に重いんですけど、絶対弾入ってますよね?」
「……」
なにも言わずに足元の拳銃を拾い上げた博士は、奥の壁目掛けて軽々と引き金を引いてみせた。
――バァァンッ!!
けたたましい発砲音と共に、銃口から硝煙が漏れる。
ゆっくりと向けた視線の先には、指が通るほどの穴が開いていた。
「……」
「流石だなジン。私の事をよく理解しているではないか。実弾をたっぷり補填してあった銃の重みに気が付くとは」
「おい、ふざけんなよ!? 失明どころか失命するとこだったじゃないですか!!」
「いやいや、こんなに冷や汗をかいたのは久しぶりだな。本当に撃つのではないかと気が気ではなかったぞ」
「だったら初めからこんな危ないモノ渡さないでください。良かったですね、日頃の素行の悪さを僕が知っていて」
「まぁそれもあるが、私が信じていたからな。お前がこの拳銃の違和感に気付き指摘することを。だからお前に託したのだ」
「……どういう感情でその言葉を受け取っていいのかわかりませんよ」
「ふっ。それで、どうなんだ?」
「答えなくてもわかってるんじゃないですか? ――僕も……いえ、僕達も戦います」
まだ息を潜めている未知の力に、僕はそっと語り掛ける。
よろしくね。どうぞお手柔らかにね。
まだ眠ってるこの力と協力して戦うことがもし出来るのなら、これ以上に心強い事はない。
「しかしまぁ、オリジンほどの化け物ならば何か違和感の一つでも感じていただろうに」
怪訝そうな顔を浮かべて、改めて僕をまじまじと眺めた。
「な、なんですか」
「まったく。地界の神を名乗る精霊王とやらは、余程の阿保らしいな」
「んなっ!? 不敬な言いがかりはやめてください! 地界でそんなこと言ったら、それこそ幽閉か殺処分されますよ」
「だが、世界をも変えられる可能性を宿したお前が、まさに世界を変えられる舞台に立とうとしている。まったく、どこまでを偶然で片付けるつもりなのだ」
「でも、僕なんかで本当に良かったんですか?」
「当然だ。お前には我々革命軍が持っていない、未来を変える可能性を持っている。あの小娘を助けたいであろう?」
「助けたいに決まってるじゃないですか。ゴドナーのやり方は絶対に間違ってる。誰かが止めなきゃいけないんですよね」
「その言葉こそが答えだ。あの豚に焼かれたその心身はなんの証だ? 私は、その誇り高き傷を信じたい」
まだズキズキと痛む身体中の火傷。それを包む白い包帯。
この傷は……、あの子を、かぐやを守ろうとした証なんだ。
「ジン。私がお前を、英雄にしてやる」
あの子を助けてあげたい。その思いが募る拳を固く握りしめた。
「やってやりましょう博士。僕達が信じる未来を掴み取る為に」
ご覧いただきありがとうございます。
今後ともご贔屓に。
木ノ添 空青




