悪魔の名は
ここは、どこだ……? よく憶えてないや。
うっすらと目を開けると、最近になってようやく慣れた景色がぼんやりと広がった。
几帳面に整えられたテーブル。どうやらここは、僕の部屋のようだ。
窓からはまばらな日光が差し込み、やっと持ち上がった瞼を少しだけしかめる。
「目が覚めましたか? 驚きましたよ。屋上で倒れていると連絡があったんですから」
声の主を探すと、ベッドの隣で何やら分厚い本を読んでいる男の人がいた。この人はガリベニアス博士の助手の……、なんて言ったかな。
「まだ寝ててください。治療はしてもらいましたが、全身に火傷を負っているようです」
火傷? ……そうだ、思い出してきた。確か、午後にいつもの場所であの子と会って、その後……。
「――ッ!! かぐやは? あの子は無事なんですかっ!?」
「はいっ!? いや、ジンさんお一人でしたけど、どなたかご一緒だったんですか?」
「あの、髪の長い、黒髪で、肌の白い、えっと、その」
「とにかく落ち着きましょう。多分、大丈夫ですから」
「でもっ! 痛っっ……」
「ほら言わんこちゃない。ジンさんになんかあったら、私がガリベニアス博士に怒られるんですから」
全身がズキズキと痛む。よく見れば身体中に包帯が巻かれていた。
そうだ、太った白衣の男にかぐやが連れて行かれたんだ。引き留めようとしたけど無理で、火だるまになって……。
そっか。結局、助けられなかったのか。……クソッ!!
「お腹空きませんか? お食事でもお持ちしましょうか?」
「……今、食欲ないです」
「そうですか、目が覚めたようなので私はこれで。くれぐれも安静にしてて下さいね」
白衣のシワを叩くように直し、出口から助手の人が出て行くと、開けてあった窓から風が吹き込んだ。
痛む体を無理やり起こして窓辺に近づくと、何か訴えるように、ゆらゆらとなびくカーテンがじゃれついてきた。
火に焼かれながら見たあの子の後ろ姿。
顔は見えなかったけど、記憶の中でさえ伝わるほど、あの子の背中は泣いているように見えた。
隣に佇んだ絶対強者に怯えた仔犬のようで。
どんな経緯であんな関係になったのかわからないけど、たぶんかぐやにとっての実験は、僕が知っているものじゃないはずだ。
あの子を連れて行った悪魔みたいな白衣の巨漢。
博士のみたいな立場なんだろうけど、博士とは本質的に何かが違う。
あの人も飄々としていて、正直何考えてるかわからないけど、アレはもっと狂ったような……。
「せめて、あの男について何か分かれば……」
一刻も早くかぐやを探しに飛び出したいけど、こんな状態じゃ簡単に返り討ちに遭う。
あの男、丸腰の僕への攻撃に全く躊躇がなかった。次は本気で殺しに来る。
「クソッ! 状況が全く掴めない」
「愉快そうだな少年」
「うわっ!?」
「しかし、そう何度も表情を変えられると、いささか鬱陶しいのだが。覆面でも差し入れてやろうか」
「びっくりしたぁ……」
「助手のバルウィックから、貴様の意識が戻ったと聞いてな。来てみたら不細工な顔をしていたので顔が変形したのかと思ったぞ」
「……博士、聞きたいことがあるんですけど」
「なんだ? 今年流行のスイーツについての話か? まずはアイスクリームからか?」
「博士っ! 真面目に聞いて欲しいんです」
薄々察しはついていたようで、僕を一瞥すると、もたれるようにソファへと腰を下ろした。
「……どうせゴドナーのことであろう? あのデブの何を知りたい」
「それが、あの子を連れて行った男の名前なんですか?」
「眼光の逝かれたデブであろう? そいつが、“ゴドナー・ハンバッグ”。ここ天界政府兵器開発局のトップであり、先日話した、対アストピア決戦兵器【神殺し】の開発代表者だ」
「ゴドナー・ハンバッグ……」
その名には聞き覚えがあった。暇な時に眺めていた掲示板に名前が挙がっているのを見たことがある。確か天界政府の軍事部門の最高指導者だったか。
「奴は天界アルデラントの政界にも強い影響力を持っていてな。特に軍事部門。その手の話には全て奴が絡んでいる。もちろん、地界アストピアとの戦争準備指示も奴の差し金だ」
「ゴドナーがあの子をあんな風にしたんですか」
「そうだ。生憎だが、私は奴の実験に関わっていないので今の詳しい状況は知らん。……が、貴様に覚悟があるのなら、私の知るすべてを教えてやる」
「教えてください。神殺しってなんですか!? ゴドナーは何をしてるんですか!? あの子は、かぐやはどうなっちゃうんですか!?」
「覚悟を決めろ。正直、まともな精神で聞けるような話ではないぞ」
「……」
今までにないような鋭い視線が突き刺さる。心の中まで見透かされ、試されているような。
「構いません。すべてを、教えてください。」
「……ならば教えてやる。あの小娘の正体を」
ご覧いただきありがとうございます。
今後ともご贔屓に。
木ノ添 空青