この時間を永久に
一方的な夏休み宣告から数日が経ったある日のこと。
僕はというと、それなりに充実した夏休みを満喫していると言えるのかもしれない。
まぁ、度々訪れる白衣を着た金髪に気分を害されることも多少あるが……。
穏やかに晴れた昼下がり。
今日は時折冷たい風が混じり、普段より涼しげな午後が過ごせそうだ。
「かぐやは来てるかなぁ――ったぁ。またこれかぁ」
あれ以来、頻繁に起こるようになった突然の頭痛。
禍々しい色合いの記憶を辿ろうとすると、不気味な声が脳内に響き渡って、鈍く重い痛みに襲われる。今はそれ以外の場合でも発生するようになってしまった。
最近ではその光景を考えるのも嫌になり、忘れてしまいたいとさえ思っている。
「もう、なんなんだろうこれ? 博士の実験……は夏休み中ってことで関係ないか」
しばらくすると、何事もなかったかのように痛みは引いていく。
「はぁ……。絶対実験のストレスが原因だろうな。間違いない」
不気味な頭痛に若干の不安も感じるけれど、原因もわからないし悩むだけ損なのだろう。
そうと決まれば知らないフリ知らないフリ。
あらかじめテーブルの上に用意していたアップルジュースを手に部屋を出る。向かうのはもちろんあの場所だ。
研究所の最果てにある、人気のない寂しげな二十八番研究棟。
屋上を隔てる、相変わらず暗く冷えた扉。そのドアノブは、そっと触れるだけで心臓が跳ねるようだ。
重い扉を開けると、眩しい光の波が打ち寄せてきて、一瞬溺れてしまいそうな感覚に陥る。
暖かい光に満たされた真っ白な世界に、優しい口笛が聞こえてきた。そのメロディは懐かしくて、聞き覚えのあるような……。
どこかもどかしい気持ちにさせるこの口笛は、少しだけ心が疼く。
明るさにようやく目が慣れ、あの子の姿を探すと、屋上の日陰で脚を伸ばして座っていた。
澄んだ群青の空に向けたつま先で、自身の奏でる口笛のリズムをコツンコツンと刻んでいる。
……良かった。今日も会えた。
彼女も僕に気が付いたようで、楽し気な笑顔を浮かべてながら僕を手招いてくれた。
「こんにちは。かぐや」
そんな少女に手を差し出すと、早く座れと言わんばかりに、その手を強引に引っ張られた。
(もう! ジンくんが昨日教官の話なんかするから、いよいよ夢に出てきたじゃないか!)
「えぇ~、それ僕関係ないじゃん」
(あの鬼教官め、夢の中でもお説教されたよ。訓練があまぁい!! だってさ)
「あはは、それは間違いなくエドモンド教官だ」
(お陰で寝不足だよ~。あの鬼教官、よりにもよって中途半端な時間に起こしてくれちゃってさ! 4時半だよ? 4時半!!)
「まぁまぁ。今日はいつもより風が気持ち良い事だし、少しお昼寝でもしたら?」
かぐやはハッとした表情を浮かべるも、その後少し考えこんで、バツが悪そうに微笑みかけてきた。
(それじゃ、ジンくんと話ができないじゃないか。……へへ、なんてね)
脳裏に直接伝わってきたその言葉に、背骨から肋骨を伝い全身に熱が流れ出した。
「な、なな、何言ってるのさ!?」
(ふふ、冗談だよ~。あはは、顔が真っ赤っかだ)
「ちょ、ほっといてよ! もう、僕ちょっと昼寝するからね」
(そう? ならぼくも~)
当たり前のように繋がれているこの手と手は、もうかぐやの言葉を流すだけじゃなくなっている気がする。
少し汗ばんでしまいそうな、季節的に不親切な熱までも伝えてしまうらしい。
喧しく鼓動する左胸。
そっと包まれた左手。
まだ暑い夏の陰下。
耳元を通り抜ける木々の葉音。
まるでこの場所だけ、世界から切り取られてしまったみたいだ。
(ねぇ、ジンくん。実はね……)
隣からとても優しい声が響いている最中だった。
実際に僕の鼓膜を揺らしたのは、聞いたこともない男の声だった。
「ここにいたのか、種子」
低く突き刺さるような声。
それが聞こえてからすぐ、隣の少女は、雷鳴に怯える仔犬のように震えだした。
そして、この違和感は僕にもハッキリと伝わった。
この男は、ただの研究者じゃない。
ご連絡ありがとうございます。
今後ともご贔屓に。
木ノ添 空青