ボロボロの思い出
ゴミが放置していった……、もとい、博士が放置していったアイスのゴミを片付けながら、何気なく部屋の掃除でもと始めてみた。
小まめに掃除はしている方だが、あの人が部屋に来ると無性に掃除がしたくなって仕方がない。
肉団子の壁拭い事件を忘れた訳じゃありませんからね。
淡々とテーブルを拭いていた時、さっきの博士の言葉に、今更薄い痛みを感じ始めた。
『アストピアの人間は例外なく“人と精霊の二心一体”。多少の力差はあれど、精霊の力はハッキリと分かるものだ。貴様ほど極端な奴は異常以外の何物でも無い』
そっか、精霊術が使えないのって異常な事なんだよね。
なら僕は一体なんなんだろう。どうして……。
やがて、劣等感の滲んだ布巾が、ボロボロで薄ぼけた記憶を蘇らせた。
『おいジン! お前まだ精霊術使えないんだってな!』
『そんなんじゃ騎士になれないぞ! あはは』
『オラ、無能なお前を俺たちが特訓してやる! この石を全部避けてみろよ』
『あはは、泣き出したぞ! 能無し弱虫!』
ぽっかりと抜け落ちていた、懐かしい匂いの幼い記憶の欠片。
あれは確か、まだ孤児院にいた頃だったかなぁ。
両親の事も知らず、身寄りもなく、物心ついた頃にはもう一人ぼっちだった僕。
見知った人なんて当然誰も居ない。
どうしようもないほど内気だった僕の友達は、一冊の英雄伝だった。
その中に登場する英雄が使っていた精霊術に憧れて、寝る間も惜しんで腕を振りまくっていたけど、結局僕の手からは何も出なかった。
当時僕が居た孤児院には、僕と似た境遇の子供が十人ちょっとと、育ての親である老夫婦さん、その老夫婦に仕えるメイドさんが数人。みんなで山にある大きなお屋敷に住んでいた。
そこにいた子はみんな特殊な境遇だったけど、僕達に不自由させまいとしてくれたおじいちゃんのお陰で、特別貧しい思いをしたことは無かった。
でも、ある程度不自由の無い日常は、人を退屈にさせた。
そんな人が行き着くのは、決まって自分の力の誇示と、劣等種を悪とした正義の味方ごっこだった。
彼らの享楽のおもちゃにされ、実際なんの取り柄もなく、抵抗もできないくらい無能だった僕。
そんな僕に、唯一格好いいと言ってくれた人がいた。
『ガキンチョ、よく逃げなかったな。男じゃねぇか! 最高に格好いいぞお前』
彼こそ、当時まだ新米騎士のパンチ部隊長だった。
あれから僕は、彼のようになると決めたんだ。
あの日、偶然通りかかった人通りのない暗い倉庫で、乱暴されそうになっていた知らない女の子を助けようとしたことがある。
僕はその暴漢相手に、自分など顧みずに無心で飛び込んで行ったことがあった。
もちろん敵うはずも無く、逆上したその男にボッコボコにされた。
だけど、その時助けた知らない子が、偶然近くにいたパンチ部隊長に助けを求めて、なんとか命拾い出来た。……なんて思い出がある。
正直、僕はあの日死んでいてもおかしくなかったとさえ思う。
あの時のパンチ部隊長は本当に格好よかった。
亜人種の害獣さながらに暴れてた男を、簡単に抑え込んで縄で縛り上げた時は、安心して泣いちゃったんだよね。
その後、担ぎ込まれた病院に駆け付けてくれたメイドさんとおじいちゃんに、手段を考えろってお説教されたのもいい思い出だ。
埃をかぶった回想が終わると、目頭がじんわりと熱くなっていた。
「懐かしいなぁ。もし精霊術が使えたら、パンチ部隊長みたいになれたのかな」
溢れそうになる何かを誤魔化すように、真っ白な天井を見上げる。
「僕はいつになったら、強くなれますか……」
次はいつ思い出すかわからないけど、僕に残っている数少ない幼少期の大切な思い出だ。
薄ぼやけていた視界をこすりながら、布巾を流し場で洗っていた時だ。
ふと屋上で再会した少女のことが脳裏に浮かんだ。
数多の星が輝き始めた宵空の下、溺れるほどのひぐらしを聞きながら笑いあった屋上の僕ら。
僕の狼狽えた態度は、今思い返してみても人見知りも甚だしい限りだったと小さく反省している。
一方のあの子は、僕に危険性がないとわかったのか、随分自然に話し掛けてくれていた。
会話の仕方は特殊だったけど、根っこは人懐っこい子なのかもしれない。
そういえば、あの時聞こえた知らない声って誰だったんだろう。
『――ジンくんっていうの? 私は……』
「……ん?」
途切れた記憶が、突然一つだけ語りかけてきた。
幼い月明かりのような淡い声。
「また、あの声だ……」
いつの事だっただろう。……よく思い出せない。
さっきのパンチ部隊長との思い出に引っ掛かっていたのか、突然思い出した過去の一コマ。
「誰だっけ。あぁ~、なんかモヤモヤするぞぉ」
刹那、目の前の蛇口から、一粒の水滴が零れ落ちた。
それが桶に溜まった水面に触れて波紋が広がる。
記憶の色が反転し、断ち切る様に音が絶え……。
『……コナイデ……、
……ヒトゴロシ……』
はっきりと聞こえたその声は、確かに僕の記憶の中にあるものだ。
あまりにも冷たく鋭すぎるその声は、僕の頭に、重い激痛を届けてくれた。
ご覧いただきありがとうございます。
今後ともご贔屓に。
木ノ添 空青