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罪の監獄シリーズ  作者: 渋介
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大人の晩餐 序章

物語の序章、それは物語についての説明などをある程度長々としていくものではあるがこの物語には説明という説明が少ないため説明を長々とするしようがない。しようがないといっても説明のしようがないだけであってしょうがない物語ではない。

しょうがない物語ではなく、序章での説明のしようがないこの物語というのは、ある一人の人間が大人になるための物語である。大人になるための物語といってもいわいる少年や少女が困難にぶつかりながらもそれをのりきり年を重ねて大人になるという成長系の物語とはまったくもってかけ離れているといえるだろう。

かけはなれてるといっても月とスッポンほどかけ離れ、差があるわけではない。

例えるなら犬と猫だろうか。

犬と猫に差があるというわけでもないが、明確な違いがあるのは確かだろう。

その明確な違いというのがこの物語と先ほど話した成長系の物語の差である。

ある一人の人間が大人になるための物語とはいったがそもそもこの物語の主人公はある角度からはすでに大人なのかもしれない。

角度というかこれは基準の問題だろう。

大人の基準。

そもそも大人の基準とはどういうものなのだろうか。

そんなものはこの世にないのかもしれないのだけれど、では、主に親が子供にいう

「大人になりなさい」

などの言葉はどういう定義でいってるものなのだろうか。大体は、自分の子供への戒めの意味をもっていう言葉なのかもしれないけれど、やはり、親が子供に言うことにはそれなりに言葉のリスクと理由が必要になってくる。

子供に大人というものがわからないことがあるのは当たり前だろうが

大人も真の大人がどういうものなのかわからなくなる時もあるだろう。

大人になるとはどういうものなのか、大人とはどういうものなのか。そこの問題にぶつかってしまう。

体が成長してたらそれを見た他人からは大人と呼ばれるだろうが精神が子供なら果たしてその人をよく知るものからは大人と呼べるだろうか。

そういう人がある一定の人々からは

〝キッズ〟、

もしくは

〝小学生〟

という呼ばれ方をされる場合がある。キッズでも小学生でもないのにそう呼ばれるのはおかしな話だが、一定の人々はインターネットで姿も形も見えない人にいうのである。

つまり少しあるいは大まかに話をしただけである一定の人々はその人たちをキッズだと知ったかぶりをするのである。もしかしたら知ったかぶりではないかもしれないが大抵は知ったかぶりである。

話を戻して、逆に精神が大人でも体が子供ならある少年探偵漫画のように子供扱いされるだろう。

自分でお金を稼いで自分で生活していれば大人という考え方もあるようだが、はたしてそうだろうか?

例えば、ある4人の家族がいるとしよう。30歳前半の夫婦と6歳の兄と4歳の妹の4人家族。

親は共働きだ。

父親にはある一定の給与があって母親にもある一定の給与がある。しかし父親は、子育てのための資金や子育てをまったくせず、全部母親にやらせていた。父親が博打などでお金がないわけではない。

母親もある一定の給与があるといっても子育てと仕事を両立させているため、その一定の額は少ない。さらに来年小学校に入学する長男のために色々な道具を買い揃えなければいけない。生活費も含めてお金が足りないため、父親にお金の支援を頼んだが、父親はいちゃもんをつけて払わない。さらに父親は、子育てと仕事を両立させている母親に対し、家事がおざなりになっていると文句を言ってくる。さらに父親はその少しおざなりになっている家事を少しやっただけで、やってあげた感をだす。この家事というのも子供のお手伝いレベルにも達しないものだ。

さて、自立はしているがこれは大人と言えるだろうか?他人の観点からは大人とは言えるかもしれないが親とは言い難いものがある。

親とは言いがたいということは子供の観点からして1番近い大人であるこんな父親を大人とは言えないであろう。

人に悪い欠点があるのは仕方のないことだが、その欠点に気づかず、気づいても直そうとしないのはいかがなものだろうか?

それも人それぞれというしかないのかもしれないのだけれど。

話を大きく戻して、この物語(大人の晩餐)の数少ない説明のことについて話そう。

先ほども言ったようにこの物語の主人公はある定義と観点からは大人ではない。

大人でもなく子供でもない。

それは誰しも通る半分大人で半分子供の思春期の頃とは全く別物のそれだ。

例えるなら大人になりすぎた子供というところだろうか。

そもそも彼は少年時代、その年齢としてはあるべき姿ではなかった。姿とはいったが彼の姿は年齢の割にあっている姿だ。ではどこがあるべき姿ではなかったというとそれは内面だろう。もう少し細かく、世間的にいうと精神年齢だ。彼はものすごく幼稚で、ある一定の人の言葉を借りるとしたらキッズだ。

下手したら幼稚園児よりも子供だったかもしれない。

こうもひどくいわれているこの物語の主役といえる人物の名は坂理レオ。

さて、ではどういう風に彼は少年時代、年齢に対してあるべき精神年齢ではなく幼稚だったのか。そして年齢からは大人になった彼はどう大人であり大人ではないのか。

前置きを長々とするより早い所この物語の本編を始めよう。

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