すれ違いコミュニケーション
人通りの少ない道を歩きながら、私はスマートフォンをを弄っていた。
チャットアプリを立ち上げて、登録しているコミュニティをメニューから選ぶと、見慣れたチャット画面が姿を現した。
スマホを買った時、友人に誘われて参加したこのチャットソフト。
基本的に雑談をする談話室のような雰囲気のそこは、人数は少ないけれどみんな優しくて居心地が良かった。
だから、時間を見つけてはログインしてしまう。私のちょっとした楽しみだった。
コボット:ハサミさんがログインした!
私がログインしたことを、猫のアイコンが皆に知らせる。
コヘン:あ、こんばんわー。
くすくす:やっほー
ありあ:こんばんは~
ハサミ:こんばんわ
いつものように挨拶を交わし、スクロールで不在中の話題を軽く遡る。と、誰かの発言がポップアップした。
カヲル:お。こんな時間にログインなんて珍しい
発言者の名前を見て、私の口元がふにゃりと緩みかけた。
カヲルさんは、初めてのスマホで右も左も分からなかった私に、友達と一緒になって色々教えてくれた人だ。
私に悩みがあるといつの間にか気付いてくれて、相談相手にもなってくれる。
とても優しくて、良い人……ううん。憧れの人。
もっと正直に言うと片想いなんだけど、そんなこと言えるはずもなく。
ハサミ:はい、塾がちょっと遅くなっちゃって。電車の待ち時間なんです。
こんな雑談を楽しむばかり。
カヲル:そっか、遅くまでお疲れさま……って、オレももうすぐバイトだけどw
ハサミ:バイトですか。お疲れ様です。
カヲル:ありがとう。夜道は危ないから、帰り道は気をつけて
ハサミ:はいっ。ありがとうございます。
ありあ:カヲルくんったら保護者~
コヘン:心配なら送ってやりなよ
カヲル:無茶言うな。バイトだってばw
くすくす:っていうか、会ったことないし通報されるのがオチじゃないかな
そんな会話だけでもなんだか嬉しくて、えへへと笑いながらメッセージを打ち込む。
ハサミ:配してくれてありがとうございます。電車来たので落ちますね
ヒューリ:おー
コヘン:不審な男が出たら通報するんだよ
ありあ:またね~
そんな言葉に見送られながら、チャットアプリを終了させる。
「……」
ホーム画面をうろうろする黒猫を見て、私はちょっとだけ溜息をついた。
電車も、塾の帰りも嘘だった。
好きな人に、みんなに嘘をつくのはなんだか辛いけれども、正直に言う訳にはいかない。
私が足を止めたのは、廃ビルの入り口。
私は今からここで、「都市伝説退治」をしなくてはいけないんだから。
□ ■ □
都市伝説がある。
「この世界は征服されようとしている」
それはどこかの組織だったり、国だったり。色々あるけれど。
最近ささやかれているのは「スマートフォンから呼び出される妖怪」だという。
それは広告とかサイトの隅にひっそりと存在していて。
それを見た人は刷り込み現象のように記憶し、夢に見たり、ふとした拍子に想像したりする。
その想像が一定量を超えると、それらは姿を現して、人を襲ったり、怪奇現象に見える騒ぎを起こしたりするのだという。
残念ながら。それは本当だ。
スマホを誰もが持つようになり、いつだって画面を覗き込むようになったおかげで、イメージの共有率もアップ。その出現速度は一気に爆発的とも言える速度で増えたのだという。
なんて。こんな話をしている間にも、どこかでひっそりとその妖怪は生まれている。
そしてこの話には、実は続きがある。
それに対抗できるアプリが入っている端末がある。それは一定の確率でインストールされていて、ユーザーがとある操作をすると、アプリのアイコンがホーム画面に追加されるのだという。
もし、そんなアプリをもし手に入れたら。
都市伝説に対抗できる人材として、こっそり世界平和を守る一員となる訳だ。
私だって信じてなかった。
スマホを水溜まりに落として、壊れてないか確認する為に慌てて色んなボタン押しまくるまでは。
何これ、と起動したアプリで「つくも」と名乗る小さな黒猫が説明してくれたけれども。
三日くらいは信じなかった。
□ ■ □
アプリの画面上でつくもが教えてくれた場所は、裏通りにある雑居ビルのひとつだった。
ここで良いんだよね、と足を止めると。
「あ。ダブルシザー」
掛けられたその声に、ぐっと喉が詰まった。
アプリのユーザには、使う武器や見た目から名前を付けられる。
いわゆるコードネームという奴だ。
私は、使う武器――二つのハサミから「ダブルシザー」という名前を貰った。それはアプリのユーザー間で共有され、連絡などはその名前で行われる。
と、言うわけで。私を「ダブルシザー」と呼ぶという事は。間違いなくアプリのユーザーだ。
そしてこの声には、とても。嫌という程聞き覚えがあった。
「ブックマーカー……」
ビルの入り口に寄りかかるようにして立っていた影に、私は思わず溜息をついた。
フードを被りポケットに手を突っ込んで、なんかダルそうに立っている長身の男性。フードと前髪が邪魔なのか、少し上を向いて視線だけ下げている。
身長差も相まって、いかにもな上から目線。
私はその目と声が苦手だ。いや、嘘をついた。正直イラっとする。
彼も私と会うのは嫌なのだろう。見下ろされているのに視線はどうやっても合わない。
そして本題。ここにこの人が居るという事は。
「えーっと。今回も一緒、と」
「らしいよ」
頑張ろうねえ、なんて軽い声で言って私の頭にぽふ、と手を置いた。
黙ってその手を払いのける。
いつものやり取りだ。なんだか子供扱いされているみたいで機嫌がどんどん斜めになっていくのが分かる。けれども、任務ではパートナーなのだから、そうイライラしてばかりではいけない。はあ、と溜息で感情を逃がす。
「今日も気難しい顔してるね」
「ほっといてください」
「はいはい、それじゃあ行こうか。早く終わらせて家に帰って寝よう」
そう言って彼は、何の躊躇いも無くビルの中へと入っていった。
□ ■ □
エレベーターは動いていなかった。
入り口を調べたブックマーカーは「あー、ブレーカー落としてある」と言っていた。だから電気が夜は通ってないのかもしれない。
と、言う訳で階段をのぼる。
2階。
4階。
何もない。
5階。
――かた。
小さな音に、ブックメーカーが足を止め、手で私の動きを制した。
かた、かたかたかた、かたかた
かた かたたたた、たん!
「これは……」
「キーボードの打鍵音、かな」
小声で言葉を交わす。
そっと中を覗いた彼がその姿を見つけたらしく「ビンゴ」と親指を立ててきた。
「ありゃあ、社畜かな……」
「社畜」
思わず繰り返す。携帯を取り出し、アプリを立ち上げて入力してみる。
「しゃちく」
つくもに吹き出しがぽこん、と出てきた。合っているらしい。
「しごとに つかれた ひとから生まれるです。いちにちひとつ、ういるすやよくないうわさ、つくります。弱点は どうぐ こわす です」
それは本当に都市伝説なんだろうか。っていうか、その壊す道具って仕事道具なんじゃあ。
うん、いいけどさ。多分それが解放の道なんだろう。
壊す、となれば確かに私の出番だし、と頷いて納得する。
「それで。何を壊せば」
出来る限り声を殺して聞くと、同じくらいの音量で答えがあった。
「デスクトップパソコン一式」
「大きくないです!?」
「ああ。ご丁寧にタワー型でディスプレイはブラウン管だ」
「それはそれは……こわしがいありそうですね」
「ま、壊さなくても本体の電源落とせばなんとかなるでしょ」
エレベーター止まってたのに電源ってあるのか分からないけど、とブックマーカーはぽつりと呟いた。
じゃあどうやって壊せって言うんですか、という言葉を飲み込んで視線を落とし、携帯の画面を覗く。
メニューから「道具」を選択。
並ぶカードから、5枚選ぶ。
アイテムを2枚。能力から跳躍と動体視力、基礎体力をそれぞれ1枚。
選んで「OK」を軽くタップすると、つくもからいつもと違う色の吹き出しが出た。
「かーど かくにん しました♪」
それを確認して、携帯をポケットへ落とすようにしまう。
スカートのポケットがその重量を受け止める頃には、私の手には2つの短刀――ではない。腕ほどの大きさのハサミがあった。
アイテム名は「ソーイングシザー++」
構えて感触を確かめる。うん。いつも通りにやれそうだ。
「では、ちょっと壊してきます」
「はい、よろしく。援護はいつも通りやるから」
返事はせずに、ブックマーカーを通り越す。
階段を2段飛ばして1歩。
踊り場で部屋へ方向転換して、さらに2歩。
広い広いその部屋の真ん中に、それは居た。
机はない。パソコン一式を床の上に置いて、必死でキーボードを打っている人影。ぼんやりと光ディスプレイに照らされているのは、くたびれたスーツの男性。
ディスプレイのちらつく光。
かたかたと無表情に響く打鍵音。
距離を詰めて3歩。
4歩。
男性の首が、ぐりん、っとこっちを向いた。
充血して落ち窪んだ目。生気がない。ああ、人間じゃないんだと思い知る死んだ目。
ディスプレイに照らされたそれは、すぐに私を無視したようだけれど、視線は動かない。
首もそのまま指だけが別の生き物のようにキーボードを打つ。
「邪魔だ。今日中にこれ……仕上げないと……しあげ、げあ……げ、ないと……」
ぶつぶつ言いながら、キーボードがかたかたかと叩かれる。
そう言われても私に止まる気は無い。あと一歩で間合いに入る。
突然。
「邪、魔 するな――って、いっただろおおおおおおおおあおおあおあおおあおおおお!」
彼は突然キーボードを振り上げて襲いかかってきた。
パソコンと繋がっていたコードが弾け飛ぶ。コードの先で紫色の端子が跳ねたのが見えた。
「――っ!」
思わず前でクロス冴えたハサミが、がちん! とプラスチックを削る。
「わ、うわ……」
がつ、がちん!
がちゃ! ちゃっ、がしゃ。
がっ、がつ。
続けざまに振り回されるキーボードをハサミで受け止める。凄い力で叩きつけてくるそれは、防ぐので精一杯。
ハサミで受け止める度にボタンが割れ、外れ、ばらばらと床に落ちていく。
「これを、kこれをををこれ、終わわわらsrrれば……次の、つがっ、つggggが、ぎ……!」
壊れていくキーボードと言葉は止まらない。ハサミでは防戦一方。
ちょっとでも隙さえ見せてくれたらキーボードも斬り裂いてやるのに……!
ぎり、と奥歯を噛んだ瞬間。視界の隅で銀色の何かが煌めいた。
ばつん!
突然の音と、暗闇。
「な……!」
男の声が響く。がしゃん、とキーボードが足元に落ちた音がした。
外から入る明かりでぼんやりと分かる。彼は膝をつき、消えてしまったディスプレイに縋り付くように何かを確かめている。
「あ、ああ……なん、画面、消えて……データ、データは……」
さすがブックマーカー。一瞬なんてもんじゃない。とんでもなく大きな隙を作ってくれた。
悔しいが、ブックマーカーは有能だ。タイミングだってしっかり計ってたに違いない。
「ごめんなさい」
私は彼の後ろに立ってハサミを翳す。
「あなたは――もう、そんな事しなくていいんです。この話は――これで、おしまい」
そのままハサミをディスプレイにかざして手を離すと、大きなハサミは部品を砕く音も最小限に、あっさりとディスプレイに突き刺さった。
「――っ!!!?」
声にならない悲鳴が上がった。それを無視して一歩だけ移動。
隣でまだ動いていた本体の電源をぐっと押し込む。
数秒。
小さく音を立てていたその本体は、かちん、という音を立てて動かなくなった。
そうして。
静かになった部屋には、何も残っていなかった。
本体が置いてあった辺りをぼんやりと見下ろしていると「お疲れ」とブックマーカーがやってきた。
「今日もよく壊したっていうか、電源長押しで本体落とすとかえげつない」
「ブックマーカーに言われたくありません……ディスプレイ壊したじゃないですか」
「いやいや、俺は本体から繋がってたコード切っただけだし」
「十分壊してると思います」
「まあまあ、これで解決。うちの猫も良く出来ました、って君の事褒めてるよ」
ほら、と見せられた画面では可愛らしい黒猫がご機嫌そうに踊っていた。
「そうですね。これで解決です。帰ります」
「ん。帰ろう」
そうして私達は誰もいなくなったビルを後にした。
□ ■ □
家に帰って、寝る前にアプリを立ち上げる。
今日はなんだか、心底疲れた。
少しでもいつもの調子をもらってから寝ようと除いたコミュニティルームは、ちょっと人が少なかった。
くすくす:やっほーハサミちゃん
ハサミ:こんばんわー
ヒューリ:夜更かしは良くないよー?
くすくす:ウチらが言えたことじゃないけどねーwww
ヒューリ:確かにwww
ハサミ:大丈夫、もうすぐ寝ますよ
ちょっとだけカヲルさんが居ないかな、なんて期待してリストを見ていると、ステータスは退席中になっていた。ただ、オンラインではあるようで、私が入ってくる少し前にも会話が残っていた。
ああ、タイミングが悪かったな、と少しがっかりしていると、退席中のアイコンが在籍中に切り替わった。
カヲル:戻り-、っと。あれ。ハサミちゃんだ。何。今日は夜更かしなの?
ハサミ:こんばんわ。今日は塾で疲れたので寝る前にちょっとだけ、元気をもらいに来ました
カヲル:なるほど、学生さんは大変だね
ヒューリ:カヲさんも大学生じゃん。夜更かししてていいの?
カヲル:オレ明日3限からだもんね
ヒューリ:なんだとぅ
そんな会話をちょっと眺めていると、なんだかうとうとしてきた。
ああ、眠い……。
アプリを閉じたかどうか、分からないけれども。
私はそのまま、睡魔に身を委ねてしまった。
□ ■ □
ビルからの帰り道
フードを脱ぎながらチャットを覗くと、いつも通りの会話があった。
カヲル:バイト終わったー。今日も疲れた
ヒューリ:おー。お疲れさん
カヲル:帰ったらレポートもあるんだよね
打ち込みながら、フードを脱ぐ。夜風が髪をすり抜けて気持ちがいい。
彼女はまだ帰路の途中なのだろう。ステータスはオフラインだった。
コンビニに寄るため退席中にしようとした瞬間、個人宛のメッセージが飛んできた。
差出人は「くすくす」。彼女の友人であり、俺の友人の妹だ。
くすくす:"バイト"は終わった?
カヲル:うん
くすくす:ハサミちゃんとはどうよ?
カヲル:今日も睨まれたけど、良い仕事してたよ
くすくす:それ、またイライラさせたんじゃ……
カヲル:かもなあ
くすくす:まあ、後で労ってあげてよ“カヲルさん”
カヲルさん、ね。と画面を眺めて思う。そのまま打ち込む。
カヲル:に、しても彼女はこう。カヲルにどんだけ幻想見てるの?
くすくす:いや、知らないけど。とにかく。縁は作ったんだから後は頑張ってよ
カヲル:頑張れるかなあ……
ちょっとした言動で苛立たせている「ブックマーカー」と、良き相談相手「カヲル」の二人。
これが線で繋がった時、彼女はどう思うのか。
考えたら少しだけ、胃が痛い気がした。
顔の見えない好きな人が、実は顔を合わせると苦手な人だったら。
そんな二人を書きたかった。